新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

血縁者人間関係トラブル

2024(令和6)年を振り返る(1)

 2024年は、ひと言でいえば「支出が多い1年」だった。
 贅沢をしたというのではない、少なからずのものが寿命を迎えたり古くなって、買い替えの必要性に迫られるものがたくさんあったのだ。

  1月
 富士メガネで新しいメガネを作った
 前回作ったのが2020年の春だから、4年ぶりということになる。
 過去2回は『中近』にしたが、今回は『遠近』に戻した。この先仕事を辞めたら、アウトドア活動の頻度を高めるようにしたほうがいい。それなら遠くまで見えるようにした方が良いだろう(特に車の運転)と思ったからだ。が、スマホのゲームをするときは、メガネを外さないと目がつらい。

 このゲームは「Find N Seek」というもののなかの、「楽しい子供時代」というもの。
 画面の中から、下に表示されているアイテムを探し出すゲームだ。
 この絵がかわいくて、ほのぼのさせられる。
 老眼が進み近視はやや改善傾向にある老いた私は、遠近両用メガネをはずして、老いてるくせに「楽しい子供時代」で遊んでいる。

Screenshot_20241022-145543

 お孫ちゃんが来たときに作ってあげたら喜ぶと思ったからだ(噛めるようにタコの代わりに魚肉ソーセージを入れる)。
 けど、爺ちゃんが夢見ていたほどの大喜びはしなかったし、作るのも結構面倒なので3回作ったあとはしまいこんだままになっている。

  2月
 実母から電話が来たが、話をしているうちに、相手が逆切れ。私の中でもうこの老女を母親と思うことはできないと確信。以後、音信は完全に途絶えたままである。
 働かないまま、親の年金を頼りにして同居している彼女の次男とともに、世捨て人(いや、捨てられ人か)のように暮らしていくのだろう。あ~、怖!。

 口座引き落としにしていた電気料金の支払いを、クレジットカード払いにした。
 公共料金などの支払いを ANA カードに集約することでマイルをためるという作戦の一環だ。この作戦をいままで実行しようとしなかった愚かな私。

  3月
 お孫ちゃん(弟)が誕生!
 いまではつかまり立ちができるようになっている。

  4月
 タケモトピアノに妻のピアノを売ってあげようと思ったら、年式が古すぎて、逆にお金を払って引き取ってもらうことになった。

 寝室と和室にエアコンを設置した。まとまったお金が出て行ってしまったが、ベッドの中でスルメになってしまう恐れがあることを考えると、しょうがない。健康維持のための投資だ。

 ピアノがなくなったので可能になった、和室の畳の表替えを行なった。
 新しいい草の香りがかげるかと思いきや、香らなかった。というのも、今回の畳表はい草ではなく「ダイケン」の「健やかおもて」という和紙畳にしたからだ。25年以上経った畳は日焼けして茶色くなりぼろぼろだったが(もちろん、ピアノが置いてあった場所は新品同様だった)、新しい表になって部屋が明るくなった。

  5月
 上江別南町で火事があった

 ここ数年は妻専用となっていたノートパソコン(LAVIE)がダメになった。2016年に購入したものだ。まあ、最近の挙動を見ていたら「そのうち来るな」と思ってはいたが、こんなに突然とは思わなかった。処分せずに、まだ家の中に安置してある。


  6月
 自宅のセントラルヒーティングの不凍液交換(4年に1回)をしてもらった。

 イオンシネマでアンパンマンの映画を観た。私独りで、ではない。お孫ちゃんと妻の3人でだ。

 こうして、2024年の前半が終わった。

♪ 今日の一曲 ♪
 ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第59番イ長調「火事(Fire)」Hob.I-59。

HaydnSymCompDorati


 上の「火事」でリンクする過去記事への補足。

 江別市のホームページのトップページからは左側の "防災・災害情報" のバナーをクリックすることで
消防出動にかかわる情報のページにたどり着くことができる。

202412EbetsuC_Homepage

 ニュースを観ていると、このところ本当に火災が多い。
 お互い気をつけましょう。

電話口で逆切れし怒鳴るジコチューすぎる85歳……♪ブリテン/春の交響曲

  いよいよ2月も終わり!
 いやぁ、2月も最終週である。

 今月はまた1歳分老いてしまったが、若返ることはないのだからそのことを嘆き悲しむなんてことはしない。誕生日を祝うメールくれた方々には心から感謝を申し上げる(ANA とか AIRDO とかセゾン自動車火災保険など。個人から?来なかったです)。

202402AIRDO

 先々週には自分の母親(三浦綾子の「塩狩峠」のトセを思わせるようなキャラだ)に対してとても嫌なことがあったが-母親からかかってきた電話で話しているうちに、自分の思い通り話が進まないことで逆切れされ、ののしられ、ガチャンッ!と切られた。85歳をすぎた人間がやることではない。どーしようもないやくざな老婆だ-、もう顔を会わせることも(こちらから会う気も)ないと今回でいよいよ割り切ったので、腹立たしさは残っているが(でも自分でも意外なほど冷静である)吹っ切れた。それにしても、これまでも何十回と似たような嫌な目に遭ってきたことが、次々と脳裏によみがえってきた。もっと早くに割り切るべきだった……
 妻は風邪をこじらせなかなか本来の調子に戻らないが、これもあと数日で治るものと信じている。
 いずれにしろ、すぐに3月になる。先週もまとまった雪が降ったが、3月になればどんどん雪が消え、フキノトウが顔を出し、フクジュソウも咲くだろう。
 そう考えると自然と心がウキウキしてくる。雪かきがなくなる分、運動不足になるのが心配だが……

 そんなわけで、ということでは全然ないが、あいかわらず昼ごはんの話。
 先週は火曜日と木曜日が出勤日。
 月曜日の昼は「まるなか」の「みのりそば」を茹でて、玉子とじそばにして食べた。

 火曜日は午前中に外に出かける用事があったので、帰りに東急百貨店に寄って地下の「天一」で「天丼弁当 竹」を買った。もちろん、サツマイモはナスに代えてもらった。その前に「魚一心惣菜亭」をのぞいてみたが、やはり鶏肉と豚肉の西京焼きの弁当は並んでいなかった。終売となったのだろうか?
 この日の弁当のお供は、セブンイレブンの「小松菜とほうれん草」の味噌汁。

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 天丼もみそ汁もとてもおいしゅうございました。

 翌21日(水)の昼は「菊水」の麺と「西山」のスープ(しょうゆ)でラーメン。
 うん、安定したおいしさ。
 家でラーメン食べすぎかなぁ。でも、おいしいからなぁ。

20240221Ramen2

 木曜日は……続く

 ブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)の「春の交響曲(Spring Symphony)」Op.44(1949)。

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でも、話し合いの入り口に立ってくれないんです♪ハイドン/Sym49

202209Ogiwara  年金は破綻しないらしい
 二週間ほど前に、久しぶりに『紙の本』を買った。
 荻原博子の「老後の心配はおやめなさい」(新潮新書)である。

 なぜ買ったかというと、老後の心配をしたくないからである。
 その少し前に立ち読みをして、『はじめに』に“「不安」は、正体がわからないから生まれます”と書いてあるのを読んで、「なるほど。気にいったぜ!」と買う決心をした。

 電子書籍版にしようかとも思ったが、「そうだ!今月いっぱいで完全になくなってしまう弘栄堂書店(パセオ店)で買おう」と、寄ってみた。最後にちょっとでも売り上げに貢献したかったのだ。

 しかし、閉店を前に、雑誌は別として、新刊は入荷させていないのか、弘栄堂書店には置いてなかった。

 結局、紀伊國屋書店(札幌本店)で『紙の本』を買った。
 ブックカバーには、先月末に閉店したオーロラタウン店の記載がまだあった。

202209Kinokuniya

 「老後の心配はおやめなさい」は、期待していたほど不安を解消してはくれなかった。
 というのも、50歳あたりの人が始めるべき内容として書かれていること(私はもう定年を迎えてしまった人なのだ)、『親の老後』についての問題解決についてに全体の半分を費やしていることが、私の望んでいたものとはズレていたのだ。
 私の親(母)なんて、“親が元気なうちに相談しましょう”って書いてあっても、まったく聞く耳を持たないのだ。“親のお金を知りましょう”って言っても、「お前の世話にはならない」と言い張って明らかにしようとしないのだ。もちろん、荻原さんが悪いわけでは全然なく、私の母が特殊すぎるのだけれど……

 通路としていままで通れたところも通れなくなるわけで、しばらくは混乱しそうだ。

 ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第49番ヘ短調Hob.I-49「受難(La passione)」(1768)。

 ありゃ、私が持っている3種の音源(ドラティ、コープマン、ゴバーマン)はいずれも廃盤。

Haydn48GobermanHaydnSymCompDorati
HaydnSym45


チンピラ老母に最終決断♪ヴィヴァルディ/正しい怒りの激しさに

  私たち夫婦は、関わらないで穏やかに暮らしていきます
 さて、石山さんのところを訪問した翌日の金曜日の昼は、サザエの「筍ご飯弁当」。

20220415Takenoko

 土曜日は何をして過ごしたのかあまり記憶にないが、夕食でカレーを作った。
 隠し味に味噌を入れてみたが、まさに隠し味で、味噌の味は隠れたままで感じなかった。量が少なかったのだろうか?

 日曜日は朝のうちにマイカーのタイヤを夏タイヤに交換。
 4本のうち、冬の間に0.3も空気圧が下がっているタイヤもあれば、ほとんど減っていないのもあるが、なぜそのように違いが出るのか不思議。不思議だが深く考えず自転車の空気入れで車のタイヤに空気を入れて適正な空気圧にする。

 そのあと妻と私の実家へ。
 妻が購入した母の日のプレゼント(パジャマ)を置きに行ったのだ。
 実家に着き私がトイレを借りているほんのちょっとの間に、妻はひどい言葉を浴びせられた。
 
 そのことを私は、帰りの車のなかで聞いた(実家での滞在時間は5分ほどだった)。プレゼントをして、なぜ文句を浴びせられなければならないのか?そしてまた、私がいない隙をみて言うという姑息さも許せない。私は猛烈に腹が立った。

 あまりの意表をつく出来事と言葉、言い方に、その場では妻は何も言い返すこともできなかったという。

 あの人は異常性格者だ。
 80代半ばになっても、まだこうなのだ。

 これまでも何十回、何百回と嫌な思いをしてきたが、そしてそれゆえにかなり距離もおいてきたが、いよいよもって、もう行くこともしなけりゃ、かかわることもやめる。
 私たちはそう決めた。
 
 周囲の人たちにも、ずいぶんと不快な思いをさせているのは間違いない。
 あんな人が自分の母親だなんて、恥ずかしくなる。もう、母親だと思わない。

 不快な気持ちのまま迎えた月曜日の昼は、でもちょっとボリューミーに弁菜亭の「ハンバーグ弁当」。

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 不快な気持ちを引きずったまま迎えた火曜日の昼は、定番の弁菜亭の「幕の内弁当」。

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 この日の帰りは南小樽で人身事故があったということで、いつも乗っている電車は運休。私が乗ろうとする電車は10番ホーム発だったので、そこにいくと、あのトロッコはなくなっていた。


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 そして水曜日。
 この日はサザエの「噴火湾産ほたてご飯弁当」が久しぶりに置いてあったので、それを買って食べた。
 昨年とはけっこうおかずが替わっている(いや、記憶していたのではなく、ブログの写真で確認したのだ)。

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 そんなわけで週の前半は『いつもの Kiosk』(ラッチ中店)に3日連続で通いつめたのだった(前の週の金曜日を入れると4連続)。

 ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi 1678-1741 イタリア)のモテット「正しい怒りの激しさに(In furore giustissimae irae)」RV.626。

 廃盤 ↓

VivaldiSacred
 








アイスバーンでの運転よりも疲れた約30分♪GM/Sym9

20191230Evening  気候は穏やか
 早いものでもう1月3日である。

 専門用語で言うならば「正月三が日最後の日」である。

 そして仕事始めの前日ギリギリで帰るのは危険なので-悪天候による交通機関の乱れ、保安検査ミスによる搭乗手続きの一斉停止など-明日赴任地へ戻る身の私としては、すでにゴールデンウィークのことが気にかかっている。

 それにしても穏やかな正月であった。
 雪かきをまったくしなかったと言ってもよい。って、このようなビミョーな書き方をしたのは、元日は昼頃まで、ほんのわずかながらに雪が降ったため、“掃く程度”に雪かきをしたからである。

20200102Carport 年末年始のどこかでカーポートの雪下ろしをしなければならないと覚悟していたが、屋根には雪がほとんどない。こんな正月は初めてだ(写真は1月2日のカーポートの屋根の様子)。

  母は穏やかでないまま
 ところで元日は札幌市西区西野の私の実家に行かなければならない用事があり-前日食べすぎて胃が重かったうえに、気も重かった-この滑りやすい中、車を運転。

 伏古ICと札幌北ICの間を走行中、対向車線では黄色い車が逆向きに停止し、パトカーが事故処理していた。マチナカの高速道路でさえ、それぐらい凍結していたのである。

MiuraHatenakiOka 行って新年早々に十分に嫌な思いをしたあと-私の母の中には三浦綾子の諸作品に出て来るイヤな人物~「氷点」の辻口夏枝、「裁きの家」の小田島滝江、「果て遠き丘」の橋宮香也子、「泥流地帯」の武井シン、(男だが)「残像」の真木栄介、そしてギスギストゲトゲ時代の三浦綾子~がお徳用スペシャルブレンドのように混在しているのである-早々に帰って来た。
 いったい何が起こっているのか読者の方たちは見当がつかないだろうが、とにかく人を利用しようと常にこちらの隙を狙っているようなジコチューな危険人物と私は対峙したのである。

 それにしても、自分の母親ながら、自分の都合の良いように人-私たち夫婦-を利用しようとする態度には、絶対に心を開けないものがある。この複雑で困難な人物に関しては過去にも書いたことはあるものの(この記事から10年以上経っているのだ!)、なぜ自分の態度や主張が常識からひどく逸脱していることに気がつかないのか……。もっとも、他者の話に耳を傾けようとしないのだから、変わりようがないのだろうが……

 気分的にGM9だ。

MahlerRattle1-10 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第9番ニ長調(1909-10)。

 作品についてはここあたりをご覧いただきたいが、今日はラトル/ウィーン・フィルの1993年ライヴを。EMI。





 業務連絡:ysrさんメッセージありがとうございます。
      帯広時代はたいへんお世話になりました。
      そのむかし、最初はどなたかな?と考え込みました
      が、すぐにわかりました。お元気なようで何よりです。


その鳴き声、本当にウグイスでしたか?♪GM/大地の歌(by クレンペラー)

IMGP0601  見た目も味も醤油とは思えなかったが……
 5月1日~2日にかけて妻の実家に出かけたことは、あのオオウバユリの葉脈脈々とした写真と併せてお伝えしたとおりである。

 実家に向かう途中、伊達市で昼食を食べた。
 なぜなら伊達市を通過するときに12時になろうとしていたからである。

 ラーメンかそばにしようということになり、妻がスマホで調べた結果、市の中心部から海寄りにある“鶴つる亭”というところが人気らしいということが明らかになり行ってみた。

 店は混んでいた。
 が、幸い私たちは待つことなくすぐに席に着くことができた。
 私は醤油ラーメン、妻は塩ラーメンを頼んだ。

 透明なスープ、つまり一般的な昔風のラーメン、ではない。
 私のは味噌ラーメンかと思ってしまったし(トッピングもチャーシューともやしとネギで味噌ラーメンぽかった)、妻のは豚骨かと思ってしまったほどだ。

 食べてみると味は悪くない。が、醤油ラーメンという味わいではない。
 湯気が出ないほどではないがスープの表面は油で覆われ、熱々。
 とてもツルツルと勢いよく食べることができない。このように慎重を期して食べたにもかかわらず、あとで舌がちょっとヒリヒリした。ごくごく軽度のやけどなんだろう。

 つまり、少なくとも私の抱く醤油ラーメンの味とは違っていた。
 美味しいことは美味しいのだが、私の好みではなかった。
 が、この味ははまる人にははまるのだろう。それはわかる気がした。
 あの独特な味は、あっさり系が好みじゃない人が食べに行ったら、きっとあっさり虜になるんだろう。

  あらためて美味さ実感
 ラーメンを食べたあと再び車を走らせ(歩かせるわけにはなかなかいかないのだ)、妻の実家に着くとまずはトイレに行ったのだが、かん水のせいで実に鮮やかなレモン色のおしっこが出て、それは妻の両親に報告するべき事項ではないと思われたので自分だけの秘密にし、そのあとあの野草の写真を撮りに行き、昼寝をし、夕食を食べ、翌日の朝を迎えた。

 翌日は朝食後ほどなくして出発し、中山峠で休憩しつつ羊蹄山の写真を撮り、そのあと昼に札幌市中央区の“鹿林”でそばを食べた。ここには去年も一度来ている
 この日は珍しくシンプルにざるそばを注文したが、美味しかった。失礼ながら、ここのそば、こんなに美味しかったっけ?と私は心の中でプチ感心をしていた。
 この店のもう1つの名物である三色団子を買ったが、家に帰って食べると、これまたうまかった!

  余計なプロセスで余分な不快感を味わう
 そばを食べた後、この際一気に用を済まそうと私の実家に立ち寄った。
 母の日のプレゼントを妻が用意していたので、それを置きに行ったのだ。

 ……ひどく不愉快な思いをした。
 これまで何度か書いているし、親子関係でそんなことがあるのかと信じない人もいるだろうが、私の母親は特殊すぎる性格の、人格の持ち主だ。
 
 寄るたびにわけのわからない理屈による理解しがたい話を持ち出し、ごり押ししようとする。

 当たり前だが、たった1人の母親である。が、こちらが心を鬼にしてシャットアウトしなければ自分の家庭が、暮らしがおかしくなる。
 ざるそばが消化不良を起こしそうなくらい、不愉快な思いで帰宅した。

 貴志祐介の“黒い家”に出てくる極悪女が頭に浮かんだほどだ。

 やれやれ……
 どっと疲れての帰宅。しかし、この日はもう1つ予定があった。

 というのも、母親の場合はまさに憎まれっ子世にはばかるというそのものだが、一方わが家ではなんの罪もない暖房ボイラーと給湯ボイラーがこのところ息苦しいような音をたてており、いつこの世に別れを告げるか予断を許さない状態に陥っているのだ。
 もう20年近く働き続けているのだから無理もないが、いよいよもってもう限界だと判断。この2つのボイラー交換の見積もりをお願いしていた数社のうちの1社と会う約束をしていたのである。

 夕方にその人は来て、当方から確認しておくべき事項について面談し、私はとても納得したのでこの会社に発注することにした。発注の際、握手とか抱擁の儀式はもちろんなかった。

 交換工事をすることが正式に決まると、気のせいではなく明らかに暖房ボイラーの燃焼音がさらに大きくなった。不思議なものだ。宗教家なら「万物に心アリ」と唱えるところだろう。

 5月3日。
 朝の開店前に電話に出るかどうか怪しいところだが、営業時間外の8:50に電話をすると電話に出た。
 行きつけの床屋の話である。

 「今日、午前中にカットの予約入りますか?」
 「今からOKです」

 そうだろう。朝いちばんである9:00からの予約が入ってなかったのだから、朝いちばんに切れるならそれに越したことはないと思っている私と、朝いちばんの予約がカラだと手持ちぶさたで、かつ、チャンスロスになる彼との間で利害が一致したわけだ。

 前回床屋に行ったのは1か月前で、そんなに髪が伸びた感じはないのだが(歳を重ねると髪の伸び方も緩慢になるようだ)、かといってここで行かないとまたいつ行けるかわからないので行ったのだった。

 そのあと車のタイヤをスタッドレスから夏タイヤに交換し、庭の雑草抜きをし、買ってきたバラを植え付け、腰がだるくなったので作業を中断したときには、もう3時になっていた。夜中ではなく午後の3時である。

 風が強い1日だったので、なんだか表皮から水分が抜け去った感じがした。

MahlerKlemperer  鶯が登場するのは、原詩が中国のものだから?
 妻の実家に行き、歩いて10分ほどのところから始まる農道を野草の写真を撮りに歩み進んだとき、盛んにウグイスが鳴いていた。私に求愛しているのかと勘違いするところだったほどだ。

 ナイチンゲール(サヨナキドリ。夜鳴きウグイスと言われることが多いが、墓場鳥とも呼ばれるそうだ)は西洋の鳥だが、ウグイスは東アジアに分布する鳥である。だからこそ花札にも描かれているのだ、ってことは関係ないか……

 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の「大地の歌(Das Lied von der Erde)」(1908-09)。

 6つの楽章からなる歌曲でもあり交響曲でもあるこの作品の第5楽章。
 この楽章は「春に酔える者(Der Trunkene Fruhling)」。原詩は李白による。

 歌詞の内容は、酔いつぶれるまで飲んで朝目覚めると、ウグイスが鳴いている。私(その酔っぱらいのことだ)が「もう春が来たのか?」とウグイスに聞くと「もう春は来ました」と答えて、自慢の声でさえずる。しかし、春なんて関係ないさととばかり、私はまた酒を飲む、というものだ。

 果たして、マーラーがウグイスのホーホケキョという鳴き声を、いやウグイスという鳥そのものを知っていたのかどうかは知らない。
 いや、実はベートゲが独訳した詩では、Vogelとなっている。

 Vogelというのは“鳥”のことで、詩の内容からすればウグイスがふさわしいのだろうが、実はドイツ語詩では単に“鳥”なのである。

 和訳された詩でも、ここを“鳥”としているものもあるし“ウグイス”としているものもある。
 まぁ、飲んだくれにはどっちでもいいことなんだろうけど……

 今日はなかなか個性的なクレンペラー盤をご紹介。
 ここに書いたように、なんか怒ってます?って様相を呈した演奏である。

 独唱はルートヴィヒ(A)とヴァンダーリヒ(T)。管弦楽はニュー・フィルハーモニア管弦楽団。

 1964年録音。EMI。

 昨日は嵐状態とまではいかないが、風が強く雨も元気よく降ったりやんだりした。。
 庭の手入れはほとんどできなかったが、こんな天気の中、私がどう過ごしたかは明日の記事で書こう(中1日ですまない)。

 なお、昨夕このブログの訪問者数が100,000を超えた。
 誰か知らないが、おめでとうございます。
 お礼がわりに祝杯をあげさせていただきました(単なる日々の飲酒習慣だけど)。
 私が10万超えを確認したのは17:48のこと。そのときはすでにカウンターは100,003になっていたが、ということは100,003人目は私だということだ。

 えっ?載せた写真と記事の関連?
 ないです。
 小さく写っているこちらに尻を向けた鳥は、全然ウグイスじゃありません。

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