新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

芥川也寸志

1年ぶりの東京~1「もうGoGoをする年じゃない」編♪芥川/A-O

AkutagawaTokyo  半年ぶりじゃなく、1年ぶりだったという衝撃的事実
 月曜日から火曜日にかけ東京に出張したときの話の、時系列的食べ物関連詳報。

 この記事で、“東京に行ったのは半年以上ぶり”と書いたが、大ウソだった。なんと1年以上ぶり。
 正確には1年1ヵ月ぶりだった。恐ろしいことだ。東京支社長が「MUUSANってちっとも来てくれなくて、冷たいのねっ!」とすねる気持ちがようやく理解できた。

 芥川也寸志(Akutagawa,Yasushi 1925-89 東京)の「アレグロ・オスティナート(ALLEGRO OSTINATO)」(1986)。
 4人の作曲家による合作、交響組曲「東京」の第4曲である(作品の詳細については → こちら)。

 芥川也寸志/東京都交響楽団の演奏を(他の曲もそれぞれの作曲者が指揮している)。

 1986年録音。ソニークラシカル。

  遅めの昼食。だって、今日は夜も遅め日
 さて、午後1時過ぎに羽田に着いた私。
 ふだんだと、この時間になったら私はもう昼食はとらない。夕食の食欲に影響を及ぼすからだ。

 しかし、かつて仕事でしょっちゅうやり取りしたり会っていたタケさんと15年ぶりの再会を果たした後、席を移して食事を始めるのは19時から。
 スタートが遅いのだ。
 だから1時過ぎだが食べても大丈夫だろう。
 いや、朝もろくに食べていないから、食べておくべき。というわけで、到着口を出てすぐ真ん前にある『ART CAFE』でポークカレーを食べた。

 ここのカレーはこれまでにも何度も食べているが、食べ飽きの来ない、濃厚でもあっさりしすぎでもなく、万人向けのすぐれた、決してバカにできない味だ。食べたあと、もたれたりすることもない(きっと巨大なレトルトパウチに封入された状態で納品されているんだろうけど)。
 こういう場所なのに、700円という価格も良心的だ。

20181203HND_ARTCAFE んっ?メニューに『ゴーゴーカレー』が。

 ゴーゴーカレーといえば金沢。
 前はこんなメニュー(ゴーゴーカツカレー)はなかったはず。ゴーゴーカレーのチェーンに加入したのだろうか?(きっと手を結んだのでメニューに入っているに違いない)。

 ただ、私はゴーゴーカレーに食指が動かないし、だいいちカツカレーはもはやじじいの胃には負担が大きすぎる。
 迷わず頼んだポークカレーは、10数年前から変わらない、上に書いたように「万人向け」の、吐き気があるときでもおいしくいただけるような味わいだ(そういう状態で試したことはないけど)。


 量も多すぎず少なすぎず(10年前の私なら足りなかった)、夕方にはきちんと空腹感をおぼえた。
 めでたし、めでたし。
 

ぼく、見つけられたよ!♪芥川/交響三章

  たまたまこれがそれだった
 先日、大阪のモノレールに乗ったとき、車内の吊り下げ広告に目が行った。

201811Monorail2

 新型車両が投入されたというものだ。

 「ふ~ん、なかなかカッコいいじゃん」……と、何気なく車内に貼られている形式番号を見たら……あらあら、これじゃありませんか!

201811Monorail1

 で、なんとなくちょっぴり恥ずかしかったけど、降りたあと写真を撮ってしまった私。

201811Monorail3

  PC98で使っていたのは『一太郎』
 ところで、モノレールのmonoはギリシア語の数詞で 1 である。
 軌道が1本なので、モノレールってわけだ。

 だったら『モノタロウ』を日本語にすると『一太郎』かっていうと、ぜんぜん違う。
 注意が必要だ。

 2 はdi(ジ)である。
 でもふつうの線路のことはジレールなんて言わない。

AkutagawaFoeever 3 はtri(トリ)、4はtetra(テトラ)、5はpenta(ペンタ)。
 それにしても、もうテトラパックの牛乳なんて、ちかごろの若いもんは知らないんだろうなぁ。
 あれを初めて見たときにはなんて画期的だろうと思ったものだが……
 テトラパックのコーヒー牛乳を7つ飲んで、下痢した経験を持つ私……

 さて、今日は 3 にしておくか……

 芥川也寸志(Akutagawa,Yasushi 1925-89 東京)の「交響三章(Trinita Sinfonica)」(1948)。

 この作品、ユーモラスあり、哀愁あり、熱狂ありのほんと良い曲。

 飯守泰次郎/新交響楽団の演奏を。

 1999年ライヴ録音。フォンテック。

熱中症にご用心!「伊福部昭トリビュート」ライヴCDは熱すぎる!

Ifukube_Tri_PCCR90079a  藤田さん、ごめんなさい
 今年3月にKitaraで行われた札幌交響楽団による「伊福部昭トリビュート」コンサート。
 予約しておいた、そのライヴCDが届いた。

 伊福部の愛弟子だという藤田崇文氏の指揮。
 しかし、いくら愛弟子でも指揮者としては私にとって未知のもの。まぁ、まさにお祭り感覚で楽しめりゃいいんじゃない?ってノリで聴いてみたのだが、私のそういう投げやりな態度に猛省を促すような立派な演奏。

 いやいや、なんてたって、札響のパワーがすごい!ものすごい!なんか腹立つことがあったのかというくらいの炸裂度。熱い!熱すぎる!

 録音も優秀でステレオ感を強調した感じのするもの。
 このあたり、クラシックのオーケストラ作品の通常の録り方とはちょっと違うのかも知れない。
 また、それと関係するのかも知れないが、オーケストラのサウンドは重心がやや高め。低音にもう少し厚みがあってくれればと恨みに思う。
 逆に言えばきらびやかな豪華絢爛な響きがスピーカーからこれでもかと飛び出してくる。


Ifukube_Tri_PCCR90079c  朝からハイな気分にはなれない曲調かもしれないけど
 放送開始のアナウンスのあとに最初に流れるのはHBCのコールサインであるHBCラジオのテーマ曲「ウポポ」。
 そして最後に流れるのはHBCテレビのコールサインであるHBCテレビジョンのテーマ曲(この曲は「伊福部昭百年紀Vol.3」にも収められている)。演奏会終了を告げるアナウンスが放送終了の案内のように流れる。

 始まりとお開きにコールサインをもってくるところなんか、なかなか憎い演出だ(HBC=北海道放送はTBS系列の放送局)。


 さて、個人的にはいつもの習慣で“管弦楽作品”として聴くと、パワーは十分すぎるほどあるものの、上に書いた軽めのサウンドがちょっぴり不満。

 芥川の「交響管弦楽のための音楽」(第2楽章)やSF交響ファンタジー第1番(一部割愛あり)、シンフォニア・タプカーラ(第3楽章)では、「もっとズンズンして欲しいの」と、おねだりしたくなっちゃう。

 一方で、賛歌というには重苦しい「北海道賛歌」は、このサウンドによって賛歌らしく聴こえてくる(声楽なしのオーケストラのみの演奏)。
 ショスタコーヴィチの「祝典序曲」も、祝典にふさわしい華やかな響きだ。


  すばらしすぎる「レズギンカ」
 伊福部作品でなくて申し訳ないが、この演目の中でいちばん名演だと思ったのはハチャトゥリアンの「ガイーヌ」の「レズギンカ」(CDでは「レスギンカ」と表記されている)。

 この曲ではチェクナヴォリアン/ナショナル・フィルの演奏に勝るものはないと思っていたが、こと「レズギンカ」だけについていえば、この藤田/札響の演奏が私が知っている演奏のなかでは最高にて最強にて最優秀!
 炸裂するパーカッションが快感すぎる!


Ifukube_Tri_PCCR90079b 全体を通して、札響のうまさにまたまた感心・感動させられた。


 CDの帯の裏には、「ゴジラのテーマ」の楽譜が。
 これまた憎い配慮だ。

 2018年ライヴ録音。ポニーキャニオン。

 ちなみに、「ゴジラのテーマ」に似ていると言われるラヴェルのピアノ協奏曲第3楽章。
 いや、正しくは「ゴジラのテーマ」がラヴェルのピアノ協奏曲に似ているのだが、そのメロディーがこれである(掲載譜は日本楽譜出版社のスコア)。

RavelPfconIII

目を離したすきに子づくりしたベンケイ♪芥川/武蔵坊弁慶

Stone_Kounou  やっぱ亀ですねぇ
 先月の末にストーン・ブレスレットを購入したことを報告したが、その記事に書いているように《健康面》を重視した石の組み合わせのものにした。

 そのおかげで人間ドックでも特にあらたに発見された異常もなく-って、それはブレスレットを買う前のことだったことをいま思い出した。脳の機能は回復していないようだ-、いまのところはしかにもかからずに済んでいる。

 このブレスレットの『玄武』には-あらためて効能を買いた店頭の札の写真を載せておくが-子孫繁栄のパワーがあるという。


 ところで私はこの『玄武』というのはてっきり玄武岩のことかと思ったら、そうではなかった。

 『玄武』は天の方角を司る四神の1つで、北を司っているという。
 私が買ったブレスレットの1つだけ大きめの石(水晶)には、その霊獣の亀が彫られている。


 そして、このブレスレットを買ってまだ10日ほどだというのに、この玄武パワーが現れたのである。


 といっても、私自身があらたに子宝に恵まれたなんてことは「そんなのありえない」って自信をもって宣言できる。繁栄とは真逆の衰退への歩みを着実に踏み続けているからだ。


  留守宅でこっそり子づくり
 繁栄していたのは、大阪のマンションで育てている多肉植物である。
 名前はわからないのだが、ベンケイソウ科のおそらくはグラプトペタルム属の植物だと思われる。


 ゴールデンウィーク中、家を留守にして目を離している間に-留守をする前にちょっぴりその前兆は見られたもの-こんなにも子作りしていた。

20180506a

20180506b


 もともとの株-といっても1本苗-から新たな枝を出しているほか、たまたま引っかけて落ちてしまった葉を土に置いておいたら、こんな見た目のチョコレートがあったよな(小さいけど)っていうような子どもをチョコチョコと産んでいたのである。

 もともとの1本苗も成長し-学術用語的には植物の場合は『生長』を使うらしい-たくましくなった。

 その重みのせいで鉢を入れている-かわいそうに背中がくりぬかれているのだ-ワンちゃんもバランスを崩し傾きかけていた。このワンちゃん、意外と太っているが、ピーマン構造のため、体重は軽いのである。ましてや、素焼きの鉢ではなくやけに軽いプラ製の容器に植えてあるので、いっそう安定感がないのである。早く植え替えてやらねばなるまい。あるいは、台にしている椅子と仲良く亀甲縛りしてあげる手もある。

 で、やっぱり思った。
 サボテンや多肉植物はほったらかしておいた方がよく育つ。


AkutagawaTrinica  下駄の効果音がこれまた素敵!
 芥川也寸志(Akutagawa,Yasushi 1925-89 東京)の「武蔵坊弁慶」(1986)。


 同名のNHKドラマのテーマ音楽として書かれた作品。
 今日紹介する録音は、1986年11月に行なわれた芥川也寸志/新交響楽団による新響30年を記念するコンサートでアンコールとして演奏されたもののライヴである。


 この曲も私が大好きなものの1つでここでも取り上げているが(ブログを開設した翌年には取り上げているほどなのだ)、芥川の作風が凝縮された一曲と言えるだろう。

 フォンテック。

私の札響感動史(09)♪芥川の魅力を突き付けられた夏の夜

AkutagawaMusica  笑う2人
 昨日の記事に出てきた芥川也寸志(Akutagawa,Yasushi 1925-89 東京)の「交響管弦楽のための音楽(Musica per Orchestra Sinfonica)」(1950)。

 NHK創立25周年記念管弦楽曲懸賞で特賞をとった作品である。なお、「交響管絃楽のための音楽」と表記されることもあるが-発表当時はそうだったのだろう-ここでは“弦”を使うことにする。

 これまでの“感動史”の流れからは時代がとぶが-でも、年を追ってなんて一言も言ってないもんね-札幌交響楽団第283回定期演奏会(1987年7月16日)で、音楽監督・岩城宏之がプログラムの1曲目でこの曲を取り上げた(この日のような構成のプログラムも、岩城時代になってから、ときおり組まれるようになったものだ。なお、この日は当日になって、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」が追加され、3曲目に演奏された)。

 ついでに言うと、この前の月の定期はシャローンによるマーラーの5番に大感動したのであった。

SSO283rd この日のプログラムノーツには岩城と芥川の対談が載っていて、「交響管弦楽のための音楽」についてこう話している。

 岩城 レコードは何種類くらいあるんですか?
 芥川 さあ。サインしてくださいなんて持ってきたの見て、初めて見るなんていうのがあるね。故森正さんが東京交響楽団でやったレコードが一番良かったような気がします。森正さんはよく演奏してくれた。小沢征爾が難曲だ、難曲だと言って出だしのテンポが決まらないのね。速すぎたり遅すぎたり。
 岩城 僕のテンポは決まってる。実は昔、サントリーのコマーシャルでヘルメス・ジンの曲があった。あの「シャ、シャ、シャ、シャ、 ジン、 ジン ヘルメス・ジン」という曲のテンポでやればピッタリなんですよ。いつかこのことを芥川さんに言ったら、おこってましたよね。
 芥川・岩城 (笑)


 この曲の出だしの部分がこれ(掲載譜は全音楽譜出版社のスコア)。

 ヘルメス・ジンの曲がどんなもんかはしらないが、そして“僕のテンポ”を芥川がどう思っていたのかわからないが、この日の演奏は、のちに聴いた他の演奏とほぼ同じだったので、うまく指示通りで来てたのだろう(このころにはFM北海道(AIR-G)が「札響アワー」という番組を放送しており、定期演奏会の録音をエアチェックできる恩恵にあずかれるようになっていた。つまり、定期でやった演奏を、繰り返し聴けたのだ)。

 

AkutagawaMusica_1

  大笑いする2人
 また、この曲の初演(1950年3月21日、日比谷公会堂、近衛秀麿/NHK交響楽団。ラジオで生中継された)のときのエピソードをこう語っている。

 岩城 うわさで聞いたのですが、第2楽章のトロンボーンから始まるところでシンバルが2回鳴ったんですって?
 芥川 3回。
 岩城 3回?
 芥川 ほんとは1発なんだけど、アタッカ・スピードと書いてあるので、近衛さんがすぐやったらシンバルは鳴ったけどトロンボーンが出ない、ページめくりが間に合わなくて。2度目は弱音器を取るのが間に合わなくて、3発目にやっと出たわけ。私の先生の伊福部昭さんが放送聴いてて、「先生いかがでしょうか?」って聞いたら「あそこのシンバル、3発はちょっと多いんじゃないか。」
 岩城・芥川 ハッハッハ


 ハッハッハ、かい。

 しかもこの演奏会に、高校生の岩城は行ったと言っている。覚えてないってことはあるかもしれないが、行っているのに「うわさで聞いた」って、ちょっとヘンな感じ。

 ま、それはいいとして、曲は2つの楽章からなり、第1楽章と第2楽章は続けて演奏(アタッカ)される。

 第2楽章の出だしはこうである。

Akutagawa交響管弦楽2Score_b

 で、岩城のテンポがどうとか生意気なことを書いたが、この日初めて聴いた「交響管弦楽のための音楽」がすこぶるよかった。それまで芥川の曲は聴いたことがなかった
 この日の夜をきっかけにして、私は芥川に興味を持つようになった。

 昨日の記事で載せた片山氏の文にあるように、芥川は伊福部昭に大きな影響を受けたとされている。
 が、伊福部昭のように土っぽくない。
 どこか甘美で、ちょっぴりおセンチな感じで、でも心地良い。
 そこが橋本國彦の影響によるところなのだろう。

 私は橋本の書いた音楽を聴いたことがないのでその影響度のことはわからないが、フランスのエスプリと土俗的な民族意識が融合した音楽、それが芥川の作風ということになるのだろう。

 やはり、ここでは作曲者自身が振った演奏を聴いておきたい。

 芥川也寸志/新交響楽団による1986年ライヴを。fontec。

  ところで、この1987年の4月に私は結婚した。
 それまでの1人から、妻と2人で札響定期会員になるべく、2人並びの席で申し込んだ。
 もちろん「あたしたち、結婚しました!」なんてことは一言も伝えていない。

 が、会員証が送られてきたときには、当時の事務局にいたKさん(女性)から「ご結婚、おめでとうございます」というメッセージが。
 同じ姓の男女が並びの席で申し込み。しかも私自身は長い年数にわたって1人で会員だったので、結婚したことがわかったのだろう。女性ゆえの気づきかもしれない。男性なら、「おっ、妹がいたのか」とか、あるいは事務的に処理されただけかもしれない。

 だが、些細なことかもしれないが、こういうちょっとした心遣いがまた札響ファンを作っていくんだろうな、と思った。

私のプロフィールが謎に包まれる?♪ピエルネ/シダリーズと牧羊神

Pierrne  伊福部の向こうに橋本が
 「音盤博物誌 片山杜秀の本(2)」。

 その第41章「信時楽派が存在する(中)」


 芥川也寸志は、伊福部昭との関係ばかりで語られがちだけれど、演奏会用作品から映画音楽まで、好んで書いた甘い旋律には、明らかに橋本の影がある。そして、たとえば芥川の出世作《交響管弦楽のための音楽》の第1楽章は、ピエルネ《シダリーズと牧羊神》の〈小牧神の入場〉と似ているが、ピエルネこそは橋本師匠の好みの教材だった。橋本は昭和初期のヴァイオリニスト時代、ピエルネの大作ソナタを持ち曲にもしていた。伊福部ゆずりのオスティナートの向こうに橋本ゆずりの愛くるしいフランス趣味が透けるのが、芥川の音楽という気がする。


 信時(のぶとき)とは信時潔(1887-1965)のこと。橋本は橋本國彦(1904-1949)のことである(ちなみに、伊福部昭は1914-2006)。

 ピエルネ(Gabriel Pierne 1863-1937 フランス)のバレエ「シダリーズと牧羊神(Cydalise et le chevrepled)」(1919)から、6曲からなる第1組曲(1926)。

 この曲については、この過去記事をご参照いただければと思うが、「小牧神の入場」は確かに言われてみれば、芥川の「交響管弦楽のための音楽」に似ている。


 マルティノン/フランス国立管弦楽団の演奏を。

 1970年録音。エラート。


profile終了  そこからは入場できなくなります
 このlivedoorブログで、また1つサービスが終了する。“livedoorプロフィール”である。
 終了するのは年明けの1月31日。

 まあ、確かにあまり重要な機能ではなかった。
 私も一応パーツを左サイドバーに貼っていたが、はい、明日からはずします。気が早いけど。

 これまでここを使ってメッセージを送ってくれた少数民族の皆さんにお礼申し上げる。

 なお、あなたが一方的に私にメッセージを送りつけたいときは、正統的パーツである“メッセージ”を使っていただければ、今まで同様私に届くしかけになっている(メアドの入力は必須ではない)し、メッセージではなくコメントをいただいた場合は、ヘンテコなものでない限りは必ず応答するようにしている。

  950円をおよそ1000円と言うのとはワケが違う
 話は変わるが、おとといの朝のニュースで、アインシュタインの直筆メモにおよそ2億円の値がついたと夏目アナが言っていた。

 が、朝日新聞の朝刊を読むと、それは約1億7,700万円と書いてあった。
 2,300万円も差がある。それを“およそ2億円”にしちゃうなんて、太っ腹だ。

 そんなことを思いつつ、別な新聞(遅れて届く北海道新聞)を眺めていたら、こんな記事が。

20171025Doshin1

20171025Doshin2

 そう、庶民にとってはこの額でも大々々問題なのである(ミニロトの1等だって、“およそ1,600万で、2,300万よりも少ない)。

 で、昨日のプレミアムフライデーはどうお過ごしに?
 

せわしげ……なぜそれに気づかなかったのか?♪芥川/交響三章

201708Aterm_Edited  でも、つながってるので……
 今日の午後にNTTコミュニケーションズ(もしかするとNTT東日本の人かもしれない)の人が、わが家にやってくる。工事のためにである。
 昨日からこちらに戻ってきている私は、何のお手伝いもできないがそれに立ち会う。


 OCN光からauひかりに回線の契約変更をし、切り替え工事も無事に済んだことはすでに自慢げに報告したとおりだが、NTT東から貸与されていたルーター(写真②。無線LANルーターを買って、無線LANカードを返却した後はレンタル料は無料。だが、このルーターでないとひかり電話が利用できないので邪険にできずにいた)と、ONU(写真①。光回線終端装置)はそのまま置き去りになっていたのだ。

 1週間ほど前にOCNから電話が来た。
 その内容はルーター返却用の封筒(というか、たぶん大きめの袋)を送るのでそれに入れて送り返してほしいという内容だった。

 予期したとおりである。

 無線LANカードを返したときも、帯広、そして名古屋で使っているYahooの、ルーターなどを送ったときも、そういう方法だった。慣れたもんなのである。

 が、今回はそう簡単にはいかないのだ。

  面倒な話に当たっちまったわ

 私「ONUはどうすればいいのですか?」
 お嬢さん「ONUですか?」

 どうやらONUのことは頭になかったようだ。

 私「ルーターは簡単にはずせますからいいのですが、ONUにはジャックではなく直接ケーブルが入っているんです。そのケーブルもコンセント板の裏側から直接部屋の中に引き込まれているんです。ですから私にはどうしようもできません。ぶちっと切るってわけにもいかないですよね?」
 お嬢「そのことはちょっとわかりかねますが……」

 彼女は、なぜそんな余計なものが残っているんだろうという感じでため息をついた。
 コールガール、いや、コールセンターの女性にとっては厄介なところに当たっちまったってところかもしれない。

 私は、なぜそんな厄介なものがあることになっているか、知っているかもしれないが説明した。

 「OCN光に切り替える前は、プロバイダーがOCNで、回線フレッツ光を使っていました。コラボになる前のことです。フレッツ光にしたときにそういう工事をしていったのです」
 「なるほど、そうでしたか」

 よかった。説明が無駄にならないで。

 「それでは工事の手配をいたしましょうか?」
 「工事は有料ですか?」
 「大がかりなものになると有料になりますが、そうでなければ無料です」
 「小がかりです、きっと」

 という複雑怪奇な事情で、屋内工事をすることに、いや、しなければならないことになったのだった。
 フレッツ光ネクスト+OCN時代、つまり回線とプロバイダーは別々のときの情報は、お嬢さんも知らなかったのだろう。

 auひかりの回線を引いたときに、工事をしにきたお兄さんに「このNTTのケーブルはどうなるんでしょうか?」ときいたところ、「私みたいな人がまた来て、はずしていくと思いますよ」と言っていたが、彼の予言は当たったことになる。

 そしてまた、工事の人がやって来ることになったので、ルーターも送り返さずにその人におみやげとして持ち帰ってもらうということになった。

  語彙が少ない私

 話はがらりと変わる。

 「音盤考現学 片山杜秀の本(1)」の第23話「團伊玖磨と中国」で、片山氏が2000年の秋に、横浜の映画館で團氏の隣に座らされて、團が音楽を書いた豊田四郎監督の「雪国」を観たときのことを書いている。

 ――私は豊田の演出も、團の音楽も愛している。が、二人が一緒にした仕事となると、やや退屈に思われることもある。というのは、豊田の演出は少し間延びがちなほどゆったり気味だし、團の音楽もこれまた間延びを恐れずいつもおおらかだから。俳句の世界の表現を借りれば、このゆったりとおおらかさは“付けすぎ”で、ここまで、はまりあいすぎていていいのかと、どうも引いてしまう。思えば豊田の作品で私がこれまで真の映画的昂奮(こうふん)を味わったのは『暗夜行路』といい『東京夜話』といい、いずれも作曲が芥川也寸志のものだった。そのややせわしげな音楽が豊田の間延びをちょうどよく詰めてくれるのだ。――

 私は、なるほど!と思った。
 豊田監督って誰?だし、團伊玖磨のことでもない。


AkutagawaTrinica 芥川也寸志(Akutagawa,Yasushi 1925-89 東京)のことだ。


 ややせわしげ


 そうだ、芥川の音楽はややせわしげなのだ。
 どうしてそういう表現が自分にはずっと浮かんでこなかったのだろう?

 そして、そのせわしげなところが彼の魅力だ。

 そんなことをあらためて体験するために、「交響三章(Trinita Sinfonia)」(1948)を久々に聴いた。


 いやぁ、いいなぁ。
 ニュルニュル、ニョロニョロ、セカセカ、ズンチャカ……

 片山氏の言う“せわしげ”という言葉が、この曲ぴったり(中間楽章は違うけど)。そのせわしない音楽をビンボーゆすりしながら楽しんだ。

 芥川也寸志/東京交響楽団の演奏を。


 1979年ライヴ。フォンテック。


笑ってる場合じゃない。離れろ!やけどするぞ!♪芥川/BENKEI

20170624a  買うつもり満々だったのに……
 土曜日。

 まずは洗濯したあと吊るしてあったワイシャツのアイロンがけをした。
 
 ちょっと遅ればせながら“レコード芸術”7月号を買いに書店までわざわざ足を運んだ。

 表紙を見て、そして中をぱらぱらと眺め、あまり興味をひかれるの内容ではなかったので買うのをやめた。
 せっかく暑いなか出かけてきたのだからと、イオンに寄って豚肉を買った。よりどり3パック980円のシールが貼られていたが、1パックでけっこうなので、ちょっと割高になるけどしょうが焼き用の1パックだけ買った。

20170624b ついでに、珍しくチクワを買った。これを炒めて豚丼のタレをからませると、かば焼きになるのだ。チクワの。

  自信をもって訴えれば訴えるほど……
 夜のニュースを観ていると、abe氏がどっかで演説しているのをやっていた。

 加計問題に氏がどれほど関与しているのか、あるいは関与していないのか知らないが、あの早口で高い声の話を耳にしていると、聞いているものをたたみかけようとしているように聞こえてならない。あのきっぱり言い切る姿勢が、かえってウソっぽい。

 しかも、加計だけを認めたことをごまかすためか、ほかにも獣医学部を作るよう進めていくなんて言っていた。

 獣医師って不足してないんじゃなかったの?別にも作ることにしたんだから加計は特別に優遇したわけじゃないんだよって、みえみえのあとづけの理屈にしか聞こえない。

 自民党のなかにも「なに独りで前のめってんだよ」と内心思っている人は多いと思う。

 abe氏を支持する人もいるわけだが、私はもう末期症状のような印象を受けている。やけになってさらにわがままな暴走をする危険さえ感じている。

20170624Case1 そのせいか、キムチがいつもよりまずく感じた。
 と思いきや、今日のはスーパーで買ったいつものとは違う商品であることを思い出した。
 いつもはファミマの小さなパックのものを買うのだが、これがなかなかうまい。
 土曜日はイオンで安くなっていたので普通サイズのを買ったのだが、やや甘みがあってシャープさに欠ける。

  あなたにはこれを使う勇気があるか?
 そうそう目薬も買った。
 目薬を買うときに、どの商品がいいのかいつも迷う。
 ピント調節機能に効く、とか、ビタミン量最大限配合とかいう1000円以上するものから(万引きされないようにか、そういう商品は空箱を陳列しているのが笑える)、200円くらいのものまであるし、第2類と第3類でどう違うのかもよくわからない。

 結局迷った末に300円ほどのものにした。スマイルケース付きだった。
 そんなもの要らないのだけどこれにした。おまけのケースのコストを差し引くと、この目薬の原価っていくらなんだろう?

20170624Case2 ところで、道ばたでかわった花を見かけた。
 もちろん雑草ではないが、雑草のようにたくましく生育エリアを拡大しているようだった。
 葉がやや肉厚なのでベンケイソウの仲間だろうか?

 芥川也寸志(Akutagawa,Yasushi 1925-89 東京)の「武蔵坊弁慶(BENKEI)」(1986)。

 1986年にNHKテレビで放映されたドラマ「武蔵坊弁慶」のテーマ曲。

 芥川特有のどこかさびしげな風情をたたえたメロディーと、弁慶が歩みを表わす下駄の音が印象的だ。

 芥川也寸志/新交響楽団の演奏。

 1986年の新響第113回定期演奏会のライヴ。
 「武蔵坊弁慶」はこの日のコンサートのアンコールとして演奏された。

 フォンテック。

AkutagawaTrinica

 昨日の朝は、緊急地震速報のメロディーを久々に耳にすることになった。
 幸い、私の住むマンションはちょっと揺れただけで済んだ。震度3ということだったが、そこまで揺れた感じではなかった。

 もし大きな揺れだとしても、緊急地震速報が鳴ったその直後に揺れが来るので逃げようがない。
 私ができたことはやけどしないように、みそ汁のお椀から体を離すことだけだった。

 話があちこちに行ってすまないが、札響第2の定期演奏会と言われる北電ファミリー・コンサート。
 その第46回演奏会のパンフレットが出てきた(演奏会が行なわれたのは1976年のことだ)。

 そのなかにこんなページが(なぜHBCかというと、コンサートの模様をHBCラジオで流していたのだ)。




HokudenFC46th
 芥川也寸志も、野際陽子も若い!合掌。
 

メロンだけじゃない。フローリングも作ってる♪芥川/煙突が見える場所

YubariEntotsu  利用しないくせに来ないとなんだか寂しい
 昨日から今日と、会議のため札幌に来ている。
 会議のほかにお医者さんのところに行って、恒例の血液検査と面談をし、最後にお薬を頂戴するという、私の生命にかかわる用もこなさなくてはならない。

 ところで11月1日から“スーパーとかち”の車内のワゴン販売が廃止された。
 もうお姉さんはやって来ない。
 もっとも、私もこの3年間でワゴン販売を利用したのは2回だけ。
 全然利用していない。
 けど、なくなるとなると寂しいというか困る気もする。
 急にバナナ饅頭を食べたくなったとき、どうしたらいいのだろう?

 廃止の理由は、駅構内の店や自販機であらかじめ飲み物や食べ物を買う人が増えたことと、“スーパーとかち”は乗車時間が短いことから利用者が減少したというもの。
 年内いっぱいは1号車の販売コーナーで物販を行なうが、年明けからはそれも廃止。
 となると、年明け以降、たとえばトマムと占冠の間の山中で突然列車が動かなくなったりしたらどうなるんだろう?餓死しちゃうかもしれない。

 いずれにしろ、車内販売のお姉さんの笑顔を見たい人は“スーパーおおぞら”に乗ることだ。

AkutagawaFoeever  角度によって数が変わる 
 ところで、いままで気がつかなかったが、夕張で車窓から目立つ煙突が見えた。
 気がつかなかったくせに、目立つなんて矛盾することを言って申し訳ないが、今後は私にとっては通るたびに気になるだろう。
 (株)夕張フローリング製作所と書かれている。
 夕張にフローリングを製作している所が(←そのまんまじゃないか!)あったとは知らなかった。

 そんなわけで、芥川也寸志(Akutagawa,Yasushi 1925-1989 東京)の「煙突の見える場所」(1953)。
 同名の映画のための音楽である。

 1950年に作曲した自身の出世作「交響管絃楽のための音楽」の第1楽章に似ており、いかにも芥川らしい音楽だ。

 飯守泰次郎/新交響楽団による、1999年のライヴ録音がある。
 フォンテック。

 ということで、今回の煙突が見える場所は、新夕張駅であった。

 そうそう、JRの平和駅から千歳方面に進み、新札幌駅の手前の高架にあるところ。左手に4つの高いマンションが見える。これが列車の進行具合によって重なって1つに見えたり、4つに見えたりする。

 私はこれを“おばけマンション”と呼んでいたが、考えてみればそこに住んでいる見知らぬ人たちには申し訳ないことをしたと反省している。でも、人には言ってないけど……

 では、本日、お医者さんのいる場所に行って来ます。

「こういう曲を書きたい」と師に言った芥川也寸志 ♪DSch/森の歌

ShostakovichForestDVD   かつてはあちこちで歌われた「森の歌」
 クラシック音楽にも流行り廃れはある。
 それは、飽きられるというよりも、時代的(社会的政治的)背景に左右されることが多いようだ。

 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)のオラトリオ「森の歌(Song of the Forests)」Op.81(1949)は、その典型例である。

 1948年。
 ソ連共産党中央委員会は、西洋のモダニズムに毒されているとしてショスタコーヴィチらを批判した。ジダーノフ批判と呼ばれるものである。「森の歌」はジダーノフ批判に応える形で発表され大歓迎されたが、それについては、過去の記事「勇気を奮って言おう。やっぱり大好き「DSch/森の歌」」で取り上げている。

 名誉回復のために体制に迎合する作品を書いたショスタコーヴィチは自分を責めたようだが、迎合作品といういきさつや、スターリンや共産党を称えていることが、この曲が次第に聴かれなくなっていった原因だ。私がクラシック音楽を聴き始めたときには、もう「森の歌」の人気はなくなっていた。
 その昔、「森の歌」ブームがあったということを知り、うらやましく思ったものだ。生で聴いてみたいなぁ。

 しかし、近年、再評価の動きもある。
 この作品のわかりやすく美しい音楽は、ソ連の植林事業ってのはたいしたものだとまったく思わない人でも(ショスタコだってそう思ってなかったに違いない)、心を揺さぶられるはずだ。
 1990年代以降、散発的ではあるが新たなレコーディングがなされてきている。日本人にとっては、歌詞の日本語訳を見ながらではなく、まったく理解できないロシア語のまま聴くことによって、この曲を邪念なく純音楽として聴くことができる。メロディー、ハーモニー、劇的効果……スターリンのことはすっかり忘れてそれらに酔ってほしい。

   「森の歌」みたいな曲を書いてみたい 
 ところで、伊福部昭はこう書いている。

AkutagawaFoeever ……新しく入手したと云うショスタコヴィッチの『森の歌』を繰返し聴いたが、彼はこの様な作品を書きたいと頻りに言っていたのが印象に深い。
  (「伊福部昭綴る(ワイズ出版):130~133p「芥川也寸志君を偲ぶ」)

 芥川也寸志(Akutagawa,Yasushi 1925-89 東京)は、ショスタコーヴィチなどのソヴィエトの作曲家の音楽に傾倒していたが、1954年、憧れの作曲家に会うためにソヴィエトに密入国。ショスタコーヴィチやハチャトゥリアン、カバレフスキーに会って指導を受けた。その滞在中に、彼の「弦楽のための三楽章(Triptyque for string orchestra)」(1953)がモスクワで演奏されている。1956年にはソヴィエトでこの曲の楽譜が出版された。

 「弦楽のための三楽章」については、こちらの記事をご覧いただきたいが、師・伊福部昭に通じる力強さと土臭さが強烈な作品である。また、第2楽章の切なさもたまらない。

 ずしんと来る響きの厚さでは森正/東京交響楽団の演奏がいちばんだが録音が古くなったので、ここでは飯守泰次郎/新交響楽団の1999年ライヴをご紹介しておく(フォンテック)。
 
   そして「森の歌」ブーム
 この曲を書いたころ、芥川は“うたごえ運動”や勤労者音楽協議会(労音)の活動に積極的に関わるようになっていた。労音の演奏会で、芥川は「森の歌」を指揮している(1956年に芥川が音楽監督となって結成されたアマチュア・オーケストラの新交響楽団は、その前身を1955年結成の民音アンサンブルとしている)。

ShostakoForest4Score 「森の歌」が作曲された1949年は、昭和で言えば24年。
 日本での全曲初演は、オケの編成を縮小した形ではあったが、昭和28年に桜井武雄指揮こんせる・ぬぼお他によって、京都で行なわれた。 

 音楽之友社のこの曲のポケットスコア。
 私が持っているのは昭和53年発行の第4刷だが、これの第1刷は昭和30年、つまり1955年発行である。
 日本での初演のあと、こんなにすぐに国内版スコアが出版されたことは驚きだ。しかも、歌詞は日本語訳のものが書かれている(掲載譜。第4楽章「ピオネールは木を植える」の一部)。

 この日本語訳歌詞は、井上頼豊、桜井武雄、合唱団白樺の3者の訳によるもので、京都での初演で使われたものである(つまり初演は日本語の歌詞で歌われた)。

 なお、音楽之友社からは現在“新版”のスコアが出ているが、中身がどうなっているかは未確認である。


   合唱団ウォッチング 
 今日は「森の歌」を収めたDVDを取り上げる。
 演奏はスヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団、モスクワ放送合唱団、東京荒川少年少女合唱隊、マスレンニコフ(テノール独唱)、ヴェジョールニコフ(バス独唱)。
 1978年にNHKホールで行なわれたコンサートのライヴである。

 いやぁ、時代を感じる。

 まず画質。
 1978年の頃って、こんなに画質が悪かったんだ。

 次に荒川隊の制服。
 かわいらしいが、今見るといかにもって感じ。ちゃんとしているのに古臭く見えるのはなぜだろう。
 でも一生懸命歌ってる姿に、おじさんは「よしよし、よくやった」と褒めたくなる。

 モスクワ放送合唱団は、平均年齢が高そうだ。
 バシバシバシッっとすごい化粧に、ロウ細工のように髪を固めたおばさんが怖い。
 ステージ向かって右側。端から2人目のやや髪が薄く鼻ひげを生やしている眉毛が太い合唱団員。あまり口が動いていない。目もうつろだ。絶対真剣に歌っていない。前の日の飲み過ぎたか?あるいは、実は団員じゃないのに当日員数合わせで動員された謎の外国人か?
 しばしば映るこの男性団員を見ているだけでも、ややイラつくが、楽しい(カメラマンは絶対ターゲットにしていると思う)。

 オケの迫力はなかなか。モスクワ放送合唱団は見た目では全体的にやる気が伝わってこないものの、きちんと歌えているのはやはり底力があるということか。
 荒川隊は良くトレーニングされている。しかもモスクワ隊とは異なり、楽譜を持っていない。つまり暗譜。
 ってことは、逆に言えば、モスクワ放送合唱団は、そんなに数多くは「森の歌」を歌っていないということか。

 この公演から35年。
 出演している荒川少年少女合唱隊の人たちも、仮に当時10歳だとしても45歳。
ShostakovichForestSvetlanov このDVD買ったかなぁ……

 いろんな点で、観ていて幸せな気持ちになれる映像、演奏だ。
 NHKエンタープライズ。

 ところで、スヴェトラーノフには同じく1978年ライヴのソヴィエト国立交響楽団、ソヴィエト放送合唱団との「森の歌」がある(⇒こちら。LP時代にはモスクワ放送合唱団の記述もあったように記憶しているが、VENEZIAレーベルのこのCDには書かれていない。またどこでのコンサートのライヴなのかよくわからない)。
 テノールは東京公演と同じマスレンニコフ。バスはヴェデルニコフだが、こちらは表記の微妙な違いのせいで、実はヴェジョールニコフと同一人物のように思える。
 こちらの演奏は超重量級の爆演(CDは現在入手困難)。

 東京での演奏はここまで爆々してはいないが、真っ向からガチで立ち向かうスヴェトラーノフの姿勢は一緒だ。アシュケナージの退廃的なアプローチとは正反対だ。指揮者のスタンスでこんなに音楽の表情が変わってしまうとは……

 そして、CDでのライヴ演奏(たぶんソヴィエト国内での公演)では第2楽章で合唱が入る箇所で大きなミスがあるが、東京のはノーミスである。

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