新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

狂詩曲

むかしの札響公演パンフを画像データ化してご紹介♪第205回定期演奏会

 ※ このシリーズを始めたきっかけについてはこちらをお読みください。

  ワタシが会員をやめたワケは……
 この年の1月以来の札響定期である。
 実はこの日はこれまでのいつもの座席、つまりマイシートとは違う席で聴いた。
 というのも、3月をもって私は『定期会員』をやめていたから。

 やめた理由は極めてシンプルだ。
 3月に私は再び受験に失敗したのである。
 一応は、気を引き締めるポーズを見せなければならない。
 そんなわけで、札響の定期会員をやめたのである。

 でも、この回は(よく覚えていないが)どうしても行きたかったようだ。
 私にとって「展覧会の絵」がそれほどひきつけられる曲とは思えないのだが、一回券を買ってまで行ったのは、これまで札響を振るたびにいつも感動を与えてくれたマリが指揮者だったためかもしれない。

 この日の感想はここにも書いているが、「展覧会の絵」よりも「スペイン」が印象に残っている(アンコールも「スペイン」)。

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 あのころは、1人5,000円くらいで披露宴ができたんだぁ(9ページ)。
 “日本酒(1級)”っていうのも、なんだか笑える。

ChabrierJordan シャブリエ(Emmanuel Alexis Chabrier 1841-94 フランス)の狂詩曲「スペイン」(Rhapsodie "Espana")(1880)を。

 なお、2年目の『宅浪』生活に入ったわけだったが、曲の鑑賞レパートリーの拡大に大きく寄与したことは言うまでもない。





伊福部昭のなかの歴史~1985年の道新記事⑤♪日本狂詩曲

  黄ばんだ紙面⑤
 第5話である。掲載日は昭和60年4月2日。

 36年前の今日であるこの日、私は新入社員研修の2日目を迎えていた。慣れない環境によるストレスで食欲が全然なかったことを昨日のことのように覚えている。
 やれやれ……
 
19850402DoshinYukan

 では、伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の日本狂詩曲(Japanese Rhapsody.1935)を。

 そりゃもちろん、札響の演奏で。

IfukubeRIN

ゆく年、2020年を振り返る(2)♪エネスク/ルーマニア狂詩曲第1番

20201128Saimon1  年度じゃないんだから……
 あらあら、である。
 まずは昨日のブログ記事について謝っておかねばならないことがある。
 “1年の前半を振り返ってみた”と書いているが、前半ではなく、話は8月まで及んでいた。

 いやだねぇ~、サラリーマンって。つまり、年度で物事を考えるくせが身についていて、前半というと9月までと勘違いしてしまったのだ。もっともあなたはそのことに気づいていないだろうけど…・・・

 で、あらためて1年の後半、つまり7月からのことを振り返る。

20201128Saimon2  3月~6月、9~12月はエブリデイ・家飲み
 思い起こせば、コロナが落ち着きつつあるからと、凸川さん、氷山さんと居酒屋に行ったのは7月中旬のことだった。さらに、千葉部長や牛坂課長、凸川さんと中華料理店に行ったのはその1週間後だった

 また、やはりコロナのために開けずにいた、いまの会社の方々による私の歓迎会は7月最後の金曜日だった。そこは札幌のススキノと大通の間にある、とあるビルの屋上のビアガーデンだったが、けっこうな賑わいで席と席との間も狭く、私たちは「なんか危ない感じだね」と話したものだ。

 さらに8月のお盆前には、これは純粋に仕事上の会食だが、札幌駅北口側のお店で取引先の方々と食事をした。

 このように、いまの出向先の会社に勤めるようになって、仕事帰りにお酒を飲んだのは4回だけである(いずれも接待を伴わない店であることは言うまでもない)。

 その後、千葉部長たちとの飲み会企画がじわじわとコロナが拡大しつつあることから2度にわたり延期され、そのままになっているのはご記憶に新しいだろう。

 さて、8月の末には B4 を車検に出したが、車検から戻ってきたそのすぐあとにリコールの通知が届いた。定期点検のときについでにと思いそのまま放置中。SUBARU に持ち込まないまま年を越すことになる。
 その B4 だが、先日バックするときに運転席側のドアの窓を開けて、閉めようとしたら上がり方がやたら遅い。おやっと思い、もう一度下げて閉めようとしたら、窓が上がってこない。
 これには焦った。雪でも降ろうものなら車内はトラックの荷台状態で雪まみれになる。
 何度かスイッチを押すと、少しずつ上がって来たので手でも引っ張り上げ、なんとか閉まった。
 そのあとは怖くて窓を操作していない。年明けに SUBARU または近くのカーコンビニに行かなくてはならない。やれやれ……

  Go To Heiwa-En
 話を8月末に戻すが、ほかに報告すべきことはない。
 そして9月。

PanaDoorphone お孫ちゃんが誕生し、辛い鶏肉の弁当を食べ、上旬が終わった。
 中旬には仕事の件でアルフレッド氏に電話し、その後打合せを行なった(10月末に飲む約束をしたが、コロナ感染拡大のため中止とした)。
 下旬になって原因箇所が特定された自宅の雨漏りの修繕のため、コーキング工事を行なった。火災保険の申請をしたが、災害によるものではなく経年劣化とみなされ保険の適用とはならなかった。

 10月には密を避けながら『GoTo』利用で帯広に旅行し、中旬には家のドアフォンを交換した。
 新築時から使っていたドアフォン(インターフォン)も、さすがにチャイムの音がかすれたりするようになった。
SharpKashitsuki そこで新しいものに替えたのだが、それまであまり意識していなかったが、いまや室内のモニター親機は、写真のようなタイプになっているということを知った。
 これまで使っていた、受話器タイプなんて絶滅していたのだ。

 そうそう、加湿器を買ったのも10月だった。

 加湿器は別として、なんだか寿命に伴う必要に迫られた買い替えや修理での出費が多い年であった。
 
 そして11月には蔦屋書店の中にある「江別 さいもん」のギョーザを初めて食べてみたことも申し添えておく。

SilvestriBox さて、今日の元気が出る1曲は、エネスク(George Enescu 1881-1955 ルーマニア)の「ルーマニア狂詩曲(Rhapsodie roumaine)」第1番イ長調Op.11-1(1901)。

 シルヴェストリの演奏を。






人でごったがえのなか、ホームレスは静かに座っていた♪大栗/大阪狂詩曲

20191022Namba1  日程を組んだときには平日だったんです
 『即位礼正殿の儀』が行われた10月22日。
 東京は雨だったが-といっても、神聖的に晴れ間が出て、虹がかかったそうだが-大阪は曇りときどき晴れ。
 そんななか、私は午後から仕事に行った。

 仕事といってもいつものようなオフィス・ワークではない。

 この日は私が帯広勤務時代にお世話になった十勝管内の取引先の会社の社長をはじめとする役員の10数名の方々が、研修で大阪を訪れることになっていたのだ。

 この研修が企画されたときには、まだ10月22日が祝日となるとは決まっておらず、研修が祝日に重なってしまったということだった。

 午後、私が向かったのは難波の某ホテル。
 一行はここに泊まるのだが、このホテルの会議室で、私は当大阪支社の概況と近畿・中四国エリアの情勢について説明することを頼まれたのだった。

 当支社は大阪駅の近くにある。
 そしてまた取引先もミナミの方にはあまりない。 
 ということで、私は久しぶりに難波の地を訪れた。

 土地勘があまりないので早めに行く。そしてひっどい人ごみの中、タウンウォッチをした。

  あぁ、ロゴを見るだけで鼻腔にあの香りがよみがえる
 上の写真は道頓堀の、あの有名なグリコの看板。

 その先の方には『びっくりドンキー』が見える。

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 あぁ、ドンキーのハンバーグが食べたい!(このとき時刻は午後3時。おやつがわりに、っていうのは全然無理)。そしてまた、ここもよく映ることが多い『かに道楽』。

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 おぉ!南海なんば駅。

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 高島屋とともに、なかなか荘重な建物だ。

  雨は浸み込まないのだろうか?
 そして南海なんば駅のさらに先の方に行くと、モダンな雰囲気は弱まった。そこでこんな看板を発見。

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 いまどき、100円のロッカー?
 角を曲がると、ありましたありました。
 むかし駅の構内なんかでよく見かけた絶滅型のコインロッカーが、ほぼ野ざらし状態で。

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 でも、看板があるってことは、きちんと機能しているんだろう。
 いや、これだけいろいろ注意書きが書かれているんだから、間違いなくバリバリの現役だ。
 同じ間口なのに、200円の価格設定となっているロッカーがあるのが不思議ではある。

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 このロッカーがあるあたりが《俗》の世界だとしたら(ホームレスの姿が目立った。彼らは目の前を行き来する人々の喧騒をよそに、歩道の端にぼーっと座っていた)、こちら(なんばパークス)は《聖》、と言えはしないだろうが、小ぎれいなのは間違いない。

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 さて、私の説明は無事終了。
 社長さんはもちろんだが、ほかにも顔なじみの人も何人かいて、そのあとお招きいただいた懇親会も《十勝の話題》で盛り上がった。

OhguriNAXOS 大栗裕(Oguri,hiroshi 1918-82 大阪)の「大阪のわらべうたによる狂詩曲(Rhapsody on Osaka Nursery Rhymes)」(1979)。

 大栗についてはこちらの記事をご覧いただければと思っとるわい。

 下野竜也/大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏の。

 2000年録音。NAXOS。

 ただ、せっかく大阪に来たのに(大阪に来るのは初めてという人も半数以上いた)、なぜか九州料理の店だった……
 

「花咲き実もなる成るMUUSAN邸ぃ~」2019.9(4)♪ハドリー/罪な妖精

  序にかえて
 お庭の写真の掲載も、増税前はこれが最後になる。

  前回のつぼみのその後)

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  シャルロット

20190928Charrott

  ゴールデン・ウィングス

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  つるアイスバーグ(つるシュネー・ビッチェン)

20190928Iceburg
  カレイドスコープ

20190928Kaleid

  オールド・ブラッシュ・チャイナ

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  メニー・ハッピー・リタ―ンズ

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  ミント

20190928Mint

  アオジソ(青紫蘇)

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  オオデマリ(返り咲き≒狂い咲き)

20190928Oodemari

 ハドリー(Henry Kimball Hadley 1871-1937 アメリカ)の狂詩曲罪な妖精(The Culprit Fay)」HadleyOp.62(1909)なんかいかがかしら、この際。

 ウィリアムズ/ウクライナ国立交響楽団の演奏で。

 1999年録音。ナクソス。

  イチイ(オンコ)

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 北見→帯広→旭川→羊蹄周辺→札幌というなかなか激しい出張から戻って来たばかりだが、今日から2泊の日程で、今度は妻とプライベートで十勝に旅行に行ってくる(食べまくりの旅になる様相)。

 そしてまた、たまたま今日は新得で『新そば祭り』がある。が、そこには行かない。
 masaさんのいないそば祭りなんて、鶏肉の入っていないかしわそばのようなものだから……

 そしてまたまた、夜は美珍楼に行くつもりが貸し切りで席の予約ができなかった。やれやれ。どうも美珍楼に嫌われている

 ブログで報告しなけれればならないことがたくさんあるのに、たまる一方だ。
 このように順調に進まないのは働き方改革の弊害だ(って、関係ないけど)。

私の札響感動史(10)♪年明け早々ラプソディー3連発攻撃

SSO167th  外は凍てついていても、会場は熱い!
 1977年1月の定期演奏会(第167回)は、年明けすぐ、まだ学生は冬休みの真っ最中の8日に行なわれた。

 この日は土曜日。14時からの開演。
 土曜マチネーでの開催は、このときが初めてだったんじゃないかと思う。

 正月のなまけた気分を吹き飛ばせとばかり、岩城が用意したメインのプログラムはラプソディーの3連発。

 リストのハンガリー狂詩曲第2番とエネスコのルーマニア狂詩曲第1番。
 そして、外山雄三のラプソディーである。最後の最後に“和”の気分に戻っちゃったけど。

 エネスコ(エネスク。George Enescu/仏名Georges Enesco 1881‐1955 ルーマニア)の「ルーマニア狂詩曲第1番(Rhapsodie roumaine No.1)」イ短調Op.11-1は、エネスコの作品の中でももっともよく知られた作品だが、私はこの日初めて耳にした。
 そして、いつもいつも感動屋さんで申し訳ないが、圧倒的感動を経験してしまったの。昼間っから。

  あのスペースで、ある意味すごい品揃え
 その日だったかどうだったか忘れたが、すぐに玉光堂のオーロラタウン店に行くと、いま思えばまあよく都合よくあったものだと思うが、プレヴィン指揮のLPが売られていて迷わず買ってしまった。

 こういうのって、札響の演奏に感動してるのか、新たに感動する曲に出会ったのか微妙なところだが、演奏が良くなければこっちも高揚しないわけで、やっぱり札響の演奏に感動したってことにせざるを得ない。

 こういう選曲も、岩城でなければやってくれなかったこと。
 保守的な札響ファンには抵抗もあったのかもしれないが-ハイドンはそういう聴衆に配慮?-私なんかはどんどんワクワクする曲をやってくれて、ホントうれしかった。

 ルーマニアの民俗的要素を豊富に盛り込んだこの曲。耳にすれば、ルーマニア人でなくても血が騒ぐのは必至だ!

 ドラティ/ロンドン交響楽団の熱狂的演奏を。

 1960年録音。マーキュリー。

ギラギラしない、柔らかくも芯がある大人のテイスト♪レーグナーのヤナーチェク

JanacelRogner  気味悪がられる理由はよくわかる
 ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928 チェコ)の音楽を、私はそうしょっちゅう聴くわけじゃないが、一度聴くとそのあとしばらくの間はクセになってしまい、頭の中を支配し、鼻の穴を通じて歌ってしまい、また聴きたくなる。そんな、一時的な中毒性がある。

 おとといも列車に乗る前に駅で無意識に「タラス・ブーリバ」の第1楽章を口ずさんでいて、折しもトロンボーンの「ブッホホッ」という力強いフレーズの箇所で、すれ違いざまに女子高生に気味悪がられた(ような目つきに感じた)が、このようなことが起こらないためにも、休日は不要不急の登校をしないよう女子高生に指導してほしいものだ。

 先日はエリシュカ/札響の演奏によるこの作品を取り上げたが、今日はレーグナー/ベルリン放送交響楽団の演奏で「タラス・ブーリバ」と「シンフォニエッタ」を(ちなみにエリシュカ/札響の「シンフォニエッタ」についてはこちらをご覧いただきたい)。


 このCDの帯には宇野功芳氏が次のような文を寄せている。


 両者の中では「タラス・ブーリバ」の方がいっそう出来が良い。第1の特徴は各楽器を渾然と溶け合わせた豊か

なハーモニーの美しさで、それがベルリン放送交響楽団のほの暗い音色感と相俟って、独特の世界を現出させてゆく。それは土俗的なチェコ音楽ではなく、ドイツ後期ロマン派の味わいなのだ。


 また、宇野氏の言葉かどうかははっきりしないが、“ヤナーチェクがこんなに楽しく親しみやすく聞けるなんて

”というコピーも載っている。


  柔らかさが大人だねぇ

 レーグナーの「シンフォニエッタ」の特徴は、両端のファンファーレ楽章でも、輝かしいブラスの音で聴き手を圧倒させるというたぐいのものでないということ。

 柔らかだ。

 それはおとなしい演奏というのではなく、大人の味わいとでもいうべき鳴らせ方だ。中間の3つの楽章も鋭角的なところがなく、じっくり聴かせててくれる。

 ドイツ後期ロマン派の味わいかどうかは知らないが、派手さに走らない分、逆に聴き飽きがこない。

 地味な存在ながらも、ユニークな名演と言える(ただし、ティンパニと金管の強烈アタックがとっても好きな人には歯がゆいかも)。

 「タラス・ブーリバ」も「シンフォニエッタ」と同じ音楽づくりだが、この勇ましくも悲しい物語にレーグナーの優しげでしっとりしたスタイルがよく合っている。宇野氏が書いているように、「シンフォニエッタ」よりもこちらの方が「いっそう出来が良く」、説得力がある。

 「シンフォニエッタ」の録音は1979年、「タラス・ブーリバ」は1980年。ドイツ・シャルプラッテン。

 村上春樹の「1Q84」の主人公の1人である天吾は、高校2年生のときに、吹奏楽部が「シンフォニエッタ」の吹奏楽版を演奏する際、急きょティンパニ奏者として駆り出された。
 小説にはこういうくだりがある。

 冒頭のファンファーレの部分では、ティンパニが縦横無尽に活躍する。

 でも、天吾の性格からして、そのときの演奏はレーグナー盤のようなものだったんじゃないかなと、勝手に想像している私である。

作曲者に共感する幻の巨匠♪エリシュカ/札響のヤナーチェク/タラス・ブーリバ

Dvorak6Sakkyo  村上春樹氏、ヤナーチェクを普及に貢献
 ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928 チェコ)という作曲家がいるらしいということを、村上春樹の「1Q84」で初めて知ったという人もいるだろう。

 そしてこの、嫌なチェックをする人のような名前の作曲家が「シンフォニエッタ」という作品を書き、それをタクシーのなかで耳にするなんてそうそうあるこっちゃないんだと、何となくわかったことだろう。


 無理もない。ヤナーチェクは作品数も少ないことや、その一風変わったメロディーや響きで、そうそう一般的にはなっていないのだ。
 「あなたはヤナーチェクを知っていますか?」というチェック項目があって、そこに「いいえ」と答えても、それはむしろ自然。おとがめなし。少なくとも、「私はこれまで一度もウソをついたことがない」という設問に「はい」と答えるよりも何十倍も自然だ。

  いかにも異界的?

 義務教育時代にクラシック音楽の作曲家の典型であるかのように教えられたモーツァルトやベートーヴェン。あ

るいはブラームスといった巨匠たちの作品。
 その教えに従って、「音楽はドイツ。チョコレートはロッテ」と刷り込まれた私たちが「シンフォニエッタ」を初めて耳にしたならば、その何とも不可思議な動きと響きに戸惑うだろう。

 村上春樹が、まったく普通じゃない「1Q84」の世界を描くのに、ヤナーチェクを使ったのはさすがだ。
 いや、たとえ楽曲を知らなくてもヤナーチェクという名前自体が異界っぽいではないか(同意したくなきゃそれでいい)。そして、同じチェコでもドヴォルザークなどと違うのは、ヤナーチェクの音楽がボヘミアではなくモラヴィアの民族的語法によるためだという。

  ゴーゴリによる狂詩曲

 昨日はブラームスの、オレ首吊っちゃおうかなってな重い狂詩曲、「アルト・ラプソディ」を紹介した。
 気に入った鶏がなついてくれないので、その代償として彼女が産んだヒナ(もちろん卵時代を経る)に好意を寄

せるが、優柔不断でモタモタしているうちにヒナはお嫁さんに行ってしまい、そのヒナのために恨みがましく書い

た曲だ。


 一方、同じジャンルでも、ヤナーチェクのこのラプソディ、すなわち狂詩曲「タラス・ブーリバ(Taras Bulba)」(1915-18)はN.V.ゴーゴリの歴史小説によっており、ラプソディーらしく英雄を題材にした民族的な音楽。
 ブーリバは17世紀にポーランドとの戦いのときに活躍したコサックの隊長である。

 ヤナーチェクの作品のなかでも良く知られている作品は「シンフォニエッタ」と「タラス・ブーリバ」だと思う

が、もともと軍楽として構想された「シンフォニエッタ」が聴き手にやくざ映画を観たときのような興奮と勇気を

もたらすのに対し、繊細な描写が多い「タラス・ブーリバ」はじわりとした内的感動を呼び起こす。


 今日はエリシュカ指揮札幌交響楽団による演奏を。
 2008年4月11~12日に行なわれた第508回定期演奏会(ラドミル・エリシュカ首席客演指揮者就任記念演奏会)のライヴ。
 私もA日程(11日)を聴きに行き、その感想も書いているが、ブーリバという英雄にエリシュカが深く共感しているような演奏だ。強いて言うなら、もうちょっと土臭さが欲しいところか。


 パスティエル。同夜のドヴォルザーク/交響曲第6番とのカップリング。

 ちなみに、このCDの発売元のコメントは以下の通り。

 幻の名匠ラドミル・エリシュカ(1931年チェコ共和国ズデーデン生まれ)、待望の日本初CD!
 伝説となった2006年札幌交響楽団での初登壇、両者は深い絆で結ばれた。2008年の再来日、各紙絶賛、圧倒的名演のドヴォルザーク!
 2006年無名の指揮者を迎え空席の目立つ初日の札幌交響楽団定期演奏会、エリシュカの指揮のもと驚愕の名演が繰り広げられました。翌日その噂を聞きつけた観客が殺到しチケットはソールドアウト、その場に立ち会った人は今もあの時の興奮を語り続けています。
 札幌交響楽団はその一度きりの共演により、創立以来初めてのポスト「首席客演指揮者」を彼のために設けました。
 今回のCDはKitaraホールで行われた、首席客演指揮者就任披露公演のライヴ収録盤です。この公演は朝日、日経新聞の全国版演奏会評でも絶賛されました。
[コメント提供;オフィスブロウチェク / パスティエル]

民族的じゃないし英雄的でもないラプソディ♪ブラームス/アルト・ラプソディ

Brahms3HaitinkBSO  スペイン狂詩曲もあれば狂詩曲「スペイン」もある
 狂詩曲(rhapsody)というのは、一般に叙事的、英雄的あるいは民族的性格の自由な幻想曲をさす。音楽之友社の音楽中辞典にはそう書いてある。

 ハンガリー狂詩曲(リスト)、ルーマニア狂詩曲(エネスコ)、狂詩曲「スペイン」(シャブリエ)、狂詩曲「イタリア」(カゼッラ)、スペイン狂詩曲(ラヴェル)などの作品があるが、これらはいずれも確かに民族的であり、また内向的性格というよりは社交的性格って感じがする。「狂詩曲」っていう和訳のせいもあるが、ちょいと危ない狂おしい音楽ってイメージもある。
 そうそう、ラフマニノフには「パガニーニの主題による狂詩曲」っていう名曲もある。

 ちなみに、rhapsodyの語源はギリシア語の「叙事詩」なんだそうだ。

  性格はラプソディなんです
 ところがどっこい、民族的でも熱狂的でもない、重~い狂詩曲もある。

 ブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)の「アルト・ラプソディ(Alt-Rhapsody)」Op.53(1869)である。
 正式な名称は、ラプソディ「ゲーテの『冬のハルツ紀行』の断章(Fragment aus Goethes Harzreise im Winter)」。アルト独唱と男声合唱、オーケストラのための作品で、3部からなる。

 なんとも暗い、絶望感に満ちた曲である。しかもブラームスがこの曲を書いたときはまだ30歳代の半ば。
 何があったんだい、ヨハネス君……

 これをラプソディーと呼んでいいのかね。
 と、この作品を例にして、「詩と音楽の性格から声楽曲にもつけられることがある」と、音楽之友社の音楽中辞典に書いてある。

 詩と音楽の性格ねぇ……

  お母さんが好き!でも娘も好き 
 実はブラームスはシューマンの三女ユーリエに失恋し(結婚することになったのだ)、その悲しい気持ちをこの曲に込めたのだという。
 それも、結婚するユーリエのために、「花嫁の歌」として書いたというからちょいと怖い。

 にしても、ブラームスはシューマンの妻にも恋心を寄せていたはずだが。
 やれやれ、困った男だ。

 今日はヤルト・ヴァン・デスのアルト、ハイティンク指揮ボストン交響楽団、タングルウッド祝祭合唱団の演奏をご紹介。
 
 第3交響曲とのカップリング。
 1993年録音。デッカ(TOWER RECORDS PREMIUM CLASSICS)。

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