狂詩曲


『即位礼正殿の儀』が行われた10月22日。
東京は雨だったが-といっても、神聖的に晴れ間が出て、虹がかかったそうだが-大阪は曇りときどき晴れ。
そんななか、私は午後から仕事に行った。
仕事といってもいつものようなオフィス・ワークではない。
この日は私が帯広勤務時代にお世話になった十勝管内の取引先の会社の社長をはじめとする役員の10数名の方々が、研修で大阪を訪れることになっていたのだ。
この研修が企画されたときには、まだ10月22日が祝日となるとは決まっておらず、研修が祝日に重なってしまったということだった。
午後、私が向かったのは難波の某ホテル。
一行はここに泊まるのだが、このホテルの会議室で、私は当大阪支社の概況と近畿・中四国エリアの情勢について説明することを頼まれたのだった。
当支社は大阪駅の近くにある。
そしてまた取引先もミナミの方にはあまりない。
ということで、私は久しぶりに難波の地を訪れた。
土地勘があまりないので早めに行く。そしてひっどい人ごみの中、タウンウォッチをした。
あぁ、ロゴを見るだけで鼻腔にあの香りがよみがえる
上の写真は道頓堀の、あの有名なグリコの看板。
その先の方には『びっくりドンキー』が見える。
あぁ、ドンキーのハンバーグが食べたい!(このとき時刻は午後3時。おやつがわりに、っていうのは全然無理)。そしてまた、ここもよく映ることが多い『かに道楽』。
おぉ!南海なんば駅。
高島屋とともに、なかなか荘重な建物だ。
雨は浸み込まないのだろうか?
そして南海なんば駅のさらに先の方に行くと、モダンな雰囲気は弱まった。そこでこんな看板を発見。
いまどき、100円のロッカー?
角を曲がると、ありましたありました。
むかし駅の構内なんかでよく見かけた絶滅型のコインロッカーが、ほぼ野ざらし状態で。
でも、看板があるってことは、きちんと機能しているんだろう。
いや、これだけいろいろ注意書きが書かれているんだから、間違いなくバリバリの現役だ。
同じ間口なのに、200円の価格設定となっているロッカーがあるのが不思議ではある。
このロッカーがあるあたりが《俗》の世界だとしたら(ホームレスの姿が目立った。彼らは目の前を行き来する人々の喧騒をよそに、歩道の端にぼーっと座っていた)、こちら(なんばパークス)は《聖》、と言えはしないだろうが、小ぎれいなのは間違いない。
さて、私の説明は無事終了。
社長さんはもちろんだが、ほかにも顔なじみの人も何人かいて、そのあとお招きいただいた懇親会も《十勝の話題》で盛り上がった。

大栗についてはこちらの記事をご覧いただければと思っとるわい。
下野竜也/大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏の。
2000年録音。NAXOS。
ただ、せっかく大阪に来たのに(大阪に来るのは初めてという人も半数以上いた)、なぜか九州料理の店だった……

1977年1月の定期演奏会(第167回)は、年明けすぐ、まだ学生は冬休みの真っ最中の8日に行なわれた。
この日は土曜日。14時からの開演。
土曜マチネーでの開催は、このときが初めてだったんじゃないかと思う。
正月のなまけた気分を吹き飛ばせとばかり、岩城が用意したメインのプログラムはラプソディーの3連発。
リストのハンガリー狂詩曲第2番とエネスコのルーマニア狂詩曲第1番。
そして、外山雄三のラプソディーである。最後の最後に“和”の気分に戻っちゃったけど。
エネスコ(エネスク。George Enescu/仏名Georges Enesco 1881‐1955 ルーマニア)の「ルーマニア狂詩曲第1番(Rhapsodie roumaine No.1)」イ短調Op.11-1は、エネスコの作品の中でももっともよく知られた作品だが、私はこの日初めて耳にした。
そして、いつもいつも感動屋さんで申し訳ないが、圧倒的感動を経験してしまったの。昼間っから。
あのスペースで、ある意味すごい品揃え
その日だったかどうだったか忘れたが、すぐに玉光堂のオーロラタウン店に行くと、いま思えばまあよく都合よくあったものだと思うが、プレヴィン指揮のLPが売られていて迷わず買ってしまった。
こういうのって、札響の演奏に感動してるのか、新たに感動する曲に出会ったのか微妙なところだが、演奏が良くなければこっちも高揚しないわけで、やっぱり札響の演奏に感動したってことにせざるを得ない。
こういう選曲も、岩城でなければやってくれなかったこと。
保守的な札響ファンには抵抗もあったのかもしれないが-ハイドンはそういう聴衆に配慮?-私なんかはどんどんワクワクする曲をやってくれて、ホントうれしかった。
ルーマニアの民俗的要素を豊富に盛り込んだこの曲。耳にすれば、ルーマニア人でなくても血が騒ぐのは必至だ!
ドラティ/ロンドン交響楽団の熱狂的演奏を。
1960年録音。マーキュリー。
気味悪がられる理由はよくわかる
ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928 チェコ)の音楽を、私はそうしょっちゅう聴くわけじゃないが、一度聴くとそのあとしばらくの間はクセになってしまい、頭の中を支配し、鼻の穴を通じて歌ってしまい、また聴きたくなる。そんな、一時的な中毒性がある。
おとといも列車に乗る前に駅で無意識に「タラス・ブーリバ」の第1楽章を口ずさんでいて、折しもトロンボーンの「ブッホホッ」という力強いフレーズの箇所で、すれ違いざまに女子高生に気味悪がられた(ような目つきに感じた)が、このようなことが起こらないためにも、休日は不要不急の登校をしないよう女子高生に指導してほしいものだ。
先日はエリシュカ/札響の演奏によるこの作品を取り上げたが、今日はレーグナー/ベルリン放送交響楽団の演奏で「タラス・ブーリバ」と「シンフォニエッタ」を(ちなみにエリシュカ/札響の「シンフォニエッタ」についてはこちらをご覧いただきたい)。
このCDの帯には宇野功芳氏が次のような文を寄せている。
両者の中では「タラス・ブーリバ」の方がいっそう出来が良い。第1の特徴は各楽器を渾然と溶け合わせた豊か
なハーモニーの美しさで、それがベルリン放送交響楽団のほの暗い音色感と相俟って、独特の世界を現出させてゆく。それは土俗的なチェコ音楽ではなく、ドイツ後期ロマン派の味わいなのだ。
また、宇野氏の言葉かどうかははっきりしないが、“ヤナーチェクがこんなに楽しく親しみやすく聞けるなんて
!”というコピーも載っている。
柔らかさが大人だねぇ
レーグナーの「シンフォニエッタ」の特徴は、両端のファンファーレ楽章でも、輝かしいブラスの音で聴き手を圧倒させるというたぐいのものでないということ。
柔らかだ。
それはおとなしい演奏というのではなく、大人の味わいとでもいうべき鳴らせ方だ。中間の3つの楽章も鋭角的なところがなく、じっくり聴かせててくれる。
ドイツ後期ロマン派の味わいかどうかは知らないが、派手さに走らない分、逆に聴き飽きがこない。
地味な存在ながらも、ユニークな名演と言える(ただし、ティンパニと金管の強烈アタックがとっても好きな人には歯がゆいかも)。
「タラス・ブーリバ」も「シンフォニエッタ」と同じ音楽づくりだが、この勇ましくも悲しい物語にレーグナーの優しげでしっとりしたスタイルがよく合っている。宇野氏が書いているように、「シンフォニエッタ」よりもこちらの方が「いっそう出来が良く」、説得力がある。
「シンフォニエッタ」の録音は1979年、「タラス・ブーリバ」は1980年。ドイツ・シャルプラッテン。
村上春樹の「1Q84」の主人公の1人である天吾は、高校2年生のときに、吹奏楽部が「シンフォニエッタ」の吹奏楽版を演奏する際、急きょティンパニ奏者として駆り出された。
小説にはこういうくだりがある。
冒頭のファンファーレの部分では、ティンパニが縦横無尽に活躍する。
でも、天吾の性格からして、そのときの演奏はレーグナー盤のようなものだったんじゃないかなと、勝手に想像している私である。
村上春樹氏、ヤナーチェクを普及に貢献
ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928 チェコ)という作曲家がいるらしいということを、村上春樹の「1Q84」で初めて知ったという人もいるだろう。
そしてこの、嫌なチェックをする人のような名前の作曲家が「シンフォニエッタ」という作品を書き、それをタクシーのなかで耳にするなんてそうそうあるこっちゃないんだと、何となくわかったことだろう。
無理もない。ヤナーチェクは作品数も少ないことや、その一風変わったメロディーや響きで、そうそう一般的にはなっていないのだ。
「あなたはヤナーチェクを知っていますか?」というチェック項目があって、そこに「いいえ」と答えても、それはむしろ自然。おとがめなし。少なくとも、「私はこれまで一度もウソをついたことがない」という設問に「はい」と答えるよりも何十倍も自然だ。
いかにも異界的?
義務教育時代にクラシック音楽の作曲家の典型であるかのように教えられたモーツァルトやベートーヴェン。あ
るいはブラームスといった巨匠たちの作品。
その教えに従って、「音楽はドイツ。チョコレートはロッテ」と刷り込まれた私たちが「シンフォニエッタ」を初めて耳にしたならば、その何とも不可思議な動きと響きに戸惑うだろう。
村上春樹が、まったく普通じゃない「1Q84」の世界を描くのに、ヤナーチェクを使ったのはさすがだ。
いや、たとえ楽曲を知らなくてもヤナーチェクという名前自体が異界っぽいではないか(同意したくなきゃそれでいい)。そして、同じチェコでもドヴォルザークなどと違うのは、ヤナーチェクの音楽がボヘミアではなくモラヴィアの民族的語法によるためだという。
ゴーゴリによる狂詩曲
昨日はブラームスの、オレ首吊っちゃおうかなってな重い狂詩曲、「アルト・ラプソディ」を紹介した。
気に入った鶏がなついてくれないので、その代償として彼女が産んだヒナ(もちろん卵時代を経る)に好意を寄
せるが、優柔不断でモタモタしているうちにヒナはお嫁さんに行ってしまい、そのヒナのために恨みがましく書い
た曲だ。
一方、同じジャンルでも、ヤナーチェクのこのラプソディ、すなわち狂詩曲「タラス・ブーリバ(Taras Bulba)」(1915-18)はN.V.ゴーゴリの歴史小説によっており、ラプソディーらしく英雄を題材にした民族的な音楽。
ブーリバは17世紀にポーランドとの戦いのときに活躍したコサックの隊長である。
ヤナーチェクの作品のなかでも良く知られている作品は「シンフォニエッタ」と「タラス・ブーリバ」だと思う
が、もともと軍楽として構想された「シンフォニエッタ」が聴き手にやくざ映画を観たときのような興奮と勇気を
もたらすのに対し、繊細な描写が多い「タラス・ブーリバ」はじわりとした内的感動を呼び起こす。
今日はエリシュカ指揮札幌交響楽団による演奏を。
2008年4月11~12日に行なわれた第508回定期演奏会(ラドミル・エリシュカ首席客演指揮者就任記念演奏会)のライヴ。
私もA日程(11日)を聴きに行き、その感想も書いているが、ブーリバという英雄にエリシュカが深く共感しているような演奏だ。強いて言うなら、もうちょっと土臭さが欲しいところか。
パスティエル。同夜のドヴォルザーク/交響曲第6番とのカップリング。
ちなみに、このCDの発売元のコメントは以下の通り。
幻の名匠ラドミル・エリシュカ(1931年チェコ共和国ズデーデン生まれ)、待望の日本初CD!
伝説となった2006年札幌交響楽団での初登壇、両者は深い絆で結ばれた。2008年の再来日、各紙絶賛、圧倒的名演のドヴォルザーク!
2006年無名の指揮者を迎え空席の目立つ初日の札幌交響楽団定期演奏会、エリシュカの指揮のもと驚愕の名演が繰り広げられました。翌日その噂を聞きつけた観客が殺到しチケットはソールドアウト、その場に立ち会った人は今もあの時の興奮を語り続けています。
札幌交響楽団はその一度きりの共演により、創立以来初めてのポスト「首席客演指揮者」を彼のために設けました。
今回のCDはKitaraホールで行われた、首席客演指揮者就任披露公演のライヴ収録盤です。この公演は朝日、日経新聞の全国版演奏会評でも絶賛されました。[コメント提供;オフィスブロウチェク / パスティエル]

狂詩曲(rhapsody)というのは、一般に叙事的、英雄的あるいは民族的性格の自由な幻想曲をさす。音楽之友社の音楽中辞典にはそう書いてある。
ハンガリー狂詩曲(リスト)、ルーマニア狂詩曲(エネスコ)、狂詩曲「スペイン」(シャブリエ)、狂詩曲「イタリア」(カゼッラ)、スペイン狂詩曲(ラヴェル)などの作品があるが、これらはいずれも確かに民族的であり、また内向的性格というよりは社交的性格って感じがする。「狂詩曲」っていう和訳のせいもあるが、ちょいと危ない狂おしい音楽ってイメージもある。
そうそう、ラフマニノフには「パガニーニの主題による狂詩曲」っていう名曲もある。
ちなみに、rhapsodyの語源はギリシア語の「叙事詩」なんだそうだ。
性格はラプソディなんです
ところがどっこい、民族的でも熱狂的でもない、重~い狂詩曲もある。
ブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)の「アルト・ラプソディ(Alt-Rhapsody)」Op.53(1869)である。
正式な名称は、ラプソディ「ゲーテの『冬のハルツ紀行』の断章(Fragment aus Goethes Harzreise im Winter)」。アルト独唱と男声合唱、オーケストラのための作品で、3部からなる。
なんとも暗い、絶望感に満ちた曲である。しかもブラームスがこの曲を書いたときはまだ30歳代の半ば。
何があったんだい、ヨハネス君……
これをラプソディーと呼んでいいのかね。
と、この作品を例にして、「詩と音楽の性格から声楽曲にもつけられることがある」と、音楽之友社の音楽中辞典に書いてある。
詩と音楽の性格ねぇ……
お母さんが好き!でも娘も好き
実はブラームスはシューマンの三女ユーリエに失恋し(結婚することになったのだ)、その悲しい気持ちをこの曲に込めたのだという。
それも、結婚するユーリエのために、「花嫁の歌」として書いたというからちょいと怖い。
にしても、ブラームスはシューマンの妻にも恋心を寄せていたはずだが。
やれやれ、困った男だ。
今日はヤルト・ヴァン・デスのアルト、ハイティンク指揮ボストン交響楽団、タングルウッド祝祭合唱団の演奏をご紹介。
第3交響曲とのカップリング。
1993年録音。デッカ(TOWER RECORDS PREMIUM CLASSICS)。
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