そもそものきっかけは今日のタイトルの行為のためだ。
浅田次郎
そもそものきっかけは今日のタイトルの行為のためだ。

浅田次郎の「勇気凜凜ルリの色 四十肩と恋愛」(講談社文庫)のなかの「
浅田氏の生家は金持ちだったそうだが、氏が“九歳のとき家業が没落して、一家離散の憂き目に遭った”。
どん底に落とされ、親類の家に引き取られることになるが、持っていけるものは限られる。
どうしても捨てたくない物が二つあった。
ひとつは母が買ってくれたヴァイオリンで、それは失踪した母に対する思慕というより、純然たるヴァイオリンへの愛着のために、捨てたくはなかった。
氏はヴァイオリン・コンチェルトを好んで聴くそうだが、この幼児体験によるよるのかもしれないと書いている。
だが、ヴァイオリンはこのとき捨ててしまった。
もう一つ捨てたくなかったのはミーコという名の猫だったが、家を去るその日、ミーコはついぞ姿を現さなかったそうだ。

その後、このエッセイが書かれた(初出の)とき、氏の家では5匹の猫と1匹の犬を飼っていたが、その数年前には犬猫合計13匹を飼っていたという。
過去飼っていた猫のことも書いているが、その名前に思わず笑ってしまった。
……数年前に同居した
……当時、家中を仕切っていた
……愛犬「平岡パンチ」と肩乗り猫「稲田ミルク」……
ペットを飼うわけにはいかないが、私もたとえばオーディオの左のスピーカーに「山本トメ」、右は「内馬場恭平」とか名づけ……実に意味のないことだな、うん。
きっと浅田氏も大好きだと思われるメンデルスゾーン(Felix Mendelssohn[-Bartholdy] 1809-47 ドイツ)のヴァイオリン協奏曲ホ短調Op.64(1844)を。
今日は五嶋みどりのヴァイオリン、ヤンソンス/ベルリン・フィルの演奏で。

浅田次郎の「勇気凜凜ルリの色 四十肩と恋愛」(講談社文庫)。
ここに収められているエッセイの初出は、「週刊現代」1995年10月7日号~96年10月12日号での連載。
このなかの『四十肩について』。
氏(1951年生まれ)が44歳で四十肩になったときの話である。
聞いた限りでは、激痛を伴う「ちょっとした動作」には多少の個人差があるらしい。大別すると、①手を上方に上げる②手を後ろに回す③掌(てのひら)もしくは肘をつく-の三種類である。
私の場合は②である。
②で激痛が走り、目の前が黒ゴマが飛び交っているようになる。
この②に関し、氏はこう書いている。
この②の体位に変則バージョンがあることを近ごろ知った。車の運転は、右手を後方に回すことなど有りえないから、けっこう安心していられる。ところが先日、後方視界の悪い場所でバックを試みた。右手でハンドルを握ったまま、左手で助手席を掴み、体をグイと振り向けたら、ああっとそのままブッ倒れてしまった。なぜだッ、とよくよく考えてみれば、答えは簡単であった。腕は回さなかったが体の方が回ったのだから、腕を回したのと同じことなのであった。
わかるぅぅぅぅぅぅ~!
昨年五十肩になってしまい、越年までしてしまった私。
バックモニター非装着車なもんで……
ただし、私の場合、氏とは逆で、病んでいるのは左である。
愛車レガシィの運転席の窓を開け、体を乗り出し後方を見ながらバックしようとしたら、ほれほれ肩に流れる100万ボルト!
「光る光るトーシバ、走る走るトーシバ」って歌が、頭の中に流れましたね。
これを無防備に最初にやってしまったのは新札幌アークシティの駐車場。
大声を出すのはなんとかがまんしたが-屋内駐車場で男の叫び声が聞こえたと、大騒ぎにならずにすんだのだ-、ハアハアハアハアと、薄暗い4畳半部屋でへんなことをしているヒトみたいな、聞きようによって恍惚状態のような、声にならない息を吐きながらバック。
助手席の妻が怪訝な顔をして私を見、曰く「おどけてるの?」
って、「誰がいい年して運転中におどけてるっていうのっ?!オロロン、オロロン」である。

男声独唱と8楽器(フルート、オーボエ(イングリッシュホルン持ち替え)、クラリネット、ファゴット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)のための歌曲。
詞はロシアの俗謡による。
次の4曲からなる。
1. コルニーロおじさん(Kornilo)
2. ナターシュカ(暖炉)(Natachka)
3. 連隊長(Le Colonel)
4. おじいさんとうさぎ(Le Vieux et le lievre)
シャーリー=カークのバリトンとアンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏で。
浅田流の後方確認の仕方は、私の習慣とは異なるのでできない。
贅沢配合よりもノコギリヤシ単品に期待
またまた、新聞に載っていた精力剤の広告である。
世の中には強壮作用のある私の知らない物質がいろいろあるものだ。
私が知ってるものにしたって、名前を知っているってだけであって、この手のモノを飲んだことがない。
こういうものににお金を出すくらいなら、ノコギリヤシのサプリを買って突如襲ってくる尿意をなんとかしたほうが断然実用的なのである。
そう。私にとっては強壮剤や精力剤は実用的なものではない。これでノコギリヤシが効いてくれれば言うことなしなのだが……
変な病気にならないですよね?
で、この広告を見て、へぇ~こんなんもあるんだと思ったものが3つ。
そのうち2つは動物性であり、精力がみなぎる以前に、こういうのを飲んでも大丈夫なもんなんだと思った次第。
その1~擬黒多刺蟻
すごい名前だ。黒に見違えるたくさん刺してくるアリ、なのかあるいは、黒くてたくさん刺してくるアリに似たもの、なのかわからないが、たいそうすごそうなアリだ。
調べてみると数多くあるアリの種類の中でも中国政府が唯一認可しているアリだそうだ。何に関して認可しているのかは知らんが。「玄駒」とも呼ぶらしい。
薬膳料理にも使われるそうで、ミネラルが豊富な火山地帯に生息しているのでこのアリにもミネラルが豊富なんだそうだ。私なんか、あの節っぽい体を見ると、どんな昆虫もミネラルの塊りのように思えちゃうのだが……
さらに、エクジソンという成分が滋養強壮に良いらしい。これはアリのパワーの源で、擬黒多刺蟻は自分の体の何百倍もの物を持てるというのだが、それはエクジソンのためだそうだ。
ウチの庭にも大きな獲物を運んでいるクロアリを見かけるが、擬黒多刺蟻の場合はわが家のアリのさらに10倍もの力があるそうなのだ。火事場のばあさんも真っ青なバカ力だ。

サソリというと、浅田次郎の「蒼穹の昴」で、官吏の楊喜禎は対立派によって靴にしのばせてあったサソリに刺されて死んでしまう。そんなこわいムシである。
あるいはすっごく幼いころ(私が、である)、テレビで観たモノクロ映画「汚れなき悪戯」で、マルセリーノが空想の友人マニュエルだかと外で遊んでいると、サソリに刺されて(当然、架空の人物ではなくマルセリーノが)親代わりの神父さんたちを慌てさせる。そんな憎むべき節足動物である。
毒を持たない種類もいるそうだが、どっちにしろ気持ち悪い。
気持ち悪いけど昔から精力剤として知られていたという。男ってビンビンになるためには気色の悪いムシのエキスも吸い取ろうとするのね。
サソリエキスにはアミノ酸が豊富で、性ミネラルとも言われる亜鉛も豊富なんだそうだ。
なら亜鉛のサプリに味の素をまぶして食えばいいような気もするけど。
ちなみに私は亜鉛のサプリはときどき飲んでいる。というのも、ある本(そこそこ科学的な本)におなかが緩くなりがちな人に効果的と書かれていたからだ。でも、ビオフェルミンの方が良いかしら?
サソリに関しては、なんとなくイメージ先行って感じもしなくはない。
その3~トンカットアリ
豚の血管をも噛み切るアリのことではなく、これは植物。
朝鮮人参などと同じ仲間の熱帯雨林に育つ常緑低木で、根から抽出したエキスがエネルギーのもとになるという。
男性ホルモンであるテストステロンの分泌を促す作用もあるという。
ってことは、男性の更年期障害の症状に効果があるかもしれない。
お値打ちな商品?
この“昇龍源”の広告だが、
なんと!!90粒入でこのお値段
通常価格1袋8,700円(税込)が1,995円(税込)
ただし、お一人様最大3袋までとさせて頂きます
50歳未満の方は通常価格
と書かれている。
ちなみに“昇龍源”でネット検索してみると、龍精源、龍勢源、龍虎源(なんとこれ、15万円!)ってのが出てくるが、“昇龍源”にはヒットしなかった。
けど、いくらお一人様3袋までの特別価格とはいえ、安すぎない?
90粒で2000円弱って、胃薬とたいした変わんないもの。
死者は何を歌う?
さて、1年の最後の日にふさわしい話題としたところで、今日取り上げる楽曲は、これまた1年の最後の日にふさわしい、かどうかは議論の余地もないだろうが(もちろん、ないということに)、昨日までの記事内容も踏まえて、ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第14番ト短調Op.135「死者の歌(Lyrics for death)」(1969)。
ここで書いているように、死をテーマとしたリルケなどの11の詩を用いた歌曲のような交響曲。
今日は人によってはショスタコーヴィチの解釈者として高く評価しているバルシャイが指揮した演奏を(確か宇野功芳氏も褒めていたような記憶がある)。
タワレコのオンライン・ショップでも、次のように紹介されている。 バルシャイが私財を提供して完成させた“思い入れに満ちた”傑作ボックス!
20世紀ソヴィエトを代表する大作曲家、ショスタコーヴィチの交響曲全集が、グッド・プライスでリリース以来の大ロング・ヒット継続中!
バルシャイ(1924年8月28日~;ロシア出身でスイス在住)といえば、ショスタコーヴィチに師事した経歴を持ち、交響曲第14番の初演指揮者であり、弦楽四重奏曲第8番を「室内交響曲」として編曲したりしており、非常に関係の深い音楽家。当初はヴィオラ奏者として名声を確立しましたが、1976年にイスラエルへ亡命し、その後は数々のオーケストラの指揮者、音楽監督を歴任しました。1991年、ドイツの若手演奏家とモスクワ・フィルのメンバーで構成された臨時オーケストラを指揮。1993年4月、亡命以来久々にロシアに帰郷して、ロシア・ナショナルSOとベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」、モスクワ放送SOとマーラーの交響曲第9番を演奏したことは有名。1966年、初来日~以来、来日多数。
ここでは、バルシャイ自らの充実した音楽活動期にあたる90年代以降、着実に録音を残してきた交響曲全集を収録しています。オーケストラは、ケルン放送SO[WDR交響楽団]。ベルティーニとの関係が深かった時期の“スーパー・オーケストラ”なだけに全曲を通じて、機能性豊かで表現の幅、巧みなニュアンス、音響の厚みとデリケートな音楽表現が秀逸に実感されます。バルシャイが私財を投資して完成させたCDボックスという、思い入れに溢れた全11枚組にて、熟聴すべきアルバムと言えるでしょう。
オーケストラはWDR交響楽団。独唱はシモーニ(ソプラノ)とヴァネエフ(バス)。
1999~2000年録音。ブリリアント・クラシックス。
今年1年も、当ブログを読んでいただきありがとうございました。
年明けは元日からオープン!
オペラの名は原作と違う
浅田次郎の「姫椿」(文春ウェブ文庫)。
「椿姫」ではない。「姫椿」である。
クラシック音楽作品では「椿姫」というひじょうに有名なオペラがある。
ひじょうに有名だが、オペラにあまり関心が高くない私は、全曲を聴いたことがない。
作曲したのはヴェルディで、原作はフィスの「椿姫(椿の花の貴婦人)、台本はピアーヴェ。
しかしオペラ「椿姫」の原題は“La Traviata”。“堕落した女”という意味だ。
椿姫ことヒロインのヴィオレッタ(“すみれ”の意味である)は売春婦なのだ。
ということで、文字を転回して「姫椿」に話を戻す。
小説「姫椿」で、主人公が銭湯に行った場面で次のようなくだりがある。
引き戸を開けかけて、高木は坪庭を振り返った。絵具を撒き散らしたような紅の花が、闇の中に輝いていた。
「山茶花ですよね」
「いや。あれァ姫椿ってんだ。大正時代に先代が植えて、椿湯って名前をつけたぐれえだから間違いはねえ」
ヒメツバキがサザンカ(北海道では、多くの人は小学校で童謡「たき火」を歌わされ、その歌詞で知っている程度で、この木にはあまり縁がない)の別名なのか、別種のものなのかわからないが、“間違いない”と言われちゃね。
それ以上何か言おうものなら、この老人に冷水をかけられかねない。
表題作のほか、全部で8作が収められた短篇集。底本の出版は2003(平成15)年。
作者は、この「姫椿」と「再会」という小説のなかで、そこに登場する“妻”をこう描いている。
贅沢というものに決してなじめぬ、いや自らなじもうとしない女。歯痒いくらいに呑気で、目立つことの嫌いな妻である。 【姫椿】
「…(略)…うまい具合に、女房もこういうやつで―」
つまり、控え目でしっかり者の「妻君」という意味なのだろう。 【再会】
浅田氏にとってこのような女性が“理想の妻”像なのだろうか?
だとしたら、私もこれに同意する。
酷寒の地ですが……
わが家の庭には夏椿の木がある。
ナツツバキの栽培適地は北海道南部以南ということで、わが家のある場所が北海道南部以南に当たるか相当ビミョーなのだが、元気に育っている。
初夏に桃色の花を咲かせるが(桃色夏椿なのだ)、残念なことにこの花は朝咲いて夜にはポトリポトリと地面に落ちてしまう。一日花なのだ。
その様子が首をはねられたようなので武家では嫌われたらしいが、この木を植えるときアタシそんなこと知らんかったもんね。
でも、ウチは武家じゃないから関係ないし、「幻想交響曲」好きの私には向いているかもしれない(第4楽章が「断頭台への行進」)。
それどころか、ナツツバキは庭のシンボルツリーとしてけっこう人気が高いらしい。
ナツツバキはサルスベリの別名もあるそうだが(本来のサルスベリは別種)、それはある年数が経つと皮が剥けてツルツルになるからだそうだ。いや、皮って樹皮のことです。
わが家のはまだ樹皮が象のすねのようにザラザラで、しかもカイガラムシのせいですす病にもかかっていて美しくない(そのせいでアリがたかっている)。
だから、早く剥けてほしいなぁ~と思っているのである。
ものの本には10歳、いや、10年くらいで皮が剥けると書いてあるが、ウチのは植えてから20年近くなるっているのにまだ剥けない。どうしたもんでしょ?
今年、ナツツバキはほとんど花をつけなかった。
だからポトポトと花が落ちることもなく、掃除の手間が省けた。花がつかないというのは好ましくない省力化の実現ではあるが……
断つんじゃなくて絞める方です
ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937 フランス)の「夜のガスパール(Gaspard de la nuit)」(1908)。
この曲は今年に入ってから“旧館”の方で取り上げているので楽曲についてはそちらをご覧いただきたいが、第2曲のタイトルが「絞首台」。断頭台じゃなくてすまない……
名演と言われているアルゲリッチの演奏を。
ちょっと乱暴じゃない?ってところもあるが、あのころ彼女も若かったし……
1974年録音。グラモフォン。
花があまりつかなかった代わりに枝葉がとても旺盛に繁茂している。
だからだろうか?ヤマバトが営巣したのは。
生い茂った葉がいい目隠しになるもんな。
妻は「鳩が居ついては困る」と言いながらも、この鳩のことが話題になるときには無機質な“ハト”という生物名ではなく、“ポーポーちゃん”と言っている。
愛称までつけているので、冬に南へ飛び立ったら意外とさびしがるんじゃないだろうか?
ナツツバキの下には、ほら、ポーポーちゃんの羽が!(なぜか糞はまったく落ちていない)
とどのつまり、悪いのは私の耳か?
e-onkyoからダウンロードしたマラ5。
ハイレゾの世界に大いにビックリ仰天、腰が立たないぐらいになるのを覚悟し、期待し、ドキドキしたが、CDとの音の違いについては全然驚かされなかったどころか、ネスカフェを飲んでないせいか違いのわかる男になれなかった私である。
マンションの外がそこそこうるさいことと(特に狂ったようなセミたち)、あまり音量を上げられないこと、私が夏バテ気味で、同時にかすかな背中の痛みが尿管結石の前兆ではないかとおびえていたせいで、神経を集中させることができず違いを感じ取れなかったのかもしれない。
あるいは、神経症のように何度も確認して設定したものの、致命的なミスがあって本来の音が出ていないのかもしれない。
そんな不安もよぎった。
ささいなことから順不同に
が、別なことで驚かされた。
それが上のリンク記事でさりげなく“問題”と書いたことである。
第2楽章(嵐のように激して、いっそう大きなはげしさで)が終わったあとに続いて始まったのは“アダージェット”(非常にゆっくりと)。第4楽章だ。
動く歩道が急停止したぐらいの衝撃だ。担担麺を頼んだのにタンメンが運ばれてきたぐらいに意表を突く。
第3楽章よ、お前はどこへ消えたのだ?
e-onkyoでダウンロードしたファイルは、命名規則の第1条件のタグとしてアーティストが設定されている。
今回ダウンロードした音源の場合は“Chicago symphony orchestra/Sir Georg Solti”であった(この順序にもプンプンしちゃう)。
しかしよく見ると、なぜか第3楽章だけ、その“Chicago symphony orchestra/Sir Georg Solti”というアーティスト名の表記がビミョーに違う。
“Chicago”の前に“De~”という単語(名前)があるのだ(もう修正してしまったので綴りは覚えていない。修正後は正しい順序に戻った)。
アルファベット順でいけば、DはCよりあとだ。
だから第3楽章が最後のトラックとして配置されてしまったのだった。
よく知っている曲ならこのような間違いはすぐに気付くが、初めて聴く曲やなじみのない曲なら楽章の順序がめちゃくちゃになっていても気づかず、それに馴染み、とんでもない思い込みをし、挙句の果てに世間で大恥をかいてしまう恐れがある。
今回はアーティスト名の記述不統一(もしくはミス)によってこのような事故が起こってしまったが、こういうことは実はCDを取り込む際にも起こりうるので注意が必要だ。
私の経験では、過去にウィンドウズ・メディア・プレーヤーで取り込んだCD音源をカーオーディオで聴くためにCD-Rに焼いて再生したところ、ある楽曲の楽章間に同じCD内の別な作品の楽章がインサートされてしまうという怪奇現象があって、思わずルームミラーに変なものが映っていないか心配になったほどだ。これも元のCDのタグの表記が統一されてなかったためだろう。
アーティストごとの管理はクラシック的ではない
ところで、ほかのジャンルならまずはアルバムアーティストのタグ(北島三郎とか山本リンダとか)でフォルダをくくるというのは理にかなっているのかもしれないが、クラシック音楽の場合、多くの人にとってそれではやってらんねぇよ!って気分になってしまうのではないだろうか?
私が楽曲を管理する順序は、作曲家→曲名(≒CDのタイトル)→演奏者である。
所有しているCDは、現在ワードで管理しているが、これを見ておわかりのように、作曲家ごと、作品ごとでリストを作っている。
この体裁は、2000年ころまで毎年発行されていた“レコード芸術”の別冊“作曲家別クラシックCD&LD総目録”に準じている(にしても、LDですよぉ)。
e-onkyoでダウンロードする際に、“作曲家”をフォルダ管理のタグの第1条件にできるのか(階層の最上位にできるか)どうか、今の私にはわからない(そういえば、Xアプリで取り込んだファイルも複雑怪奇に保管されている)。
もっとも、まだ1つしかアルバムをダウンロードしてないわけで、悩むような域には全然達していない。
Music BeeによるCDのリッピングの際のフォルダ管理(“各トラックを個別のファイルとして取り込む時の命名規則”。タグの優先順序である)でも、デフォルトではアルバムアーティストが先頭。それにアルバム、ディスク・トラック番号&タイトルが続く。
先の例でいえば、Chicago Symphony Orchestra/Sir Georg Solti → Mahler Symphony No.5 → 1 第1楽章 って感じだ。
しかしこれは自分で設定し直すことができる。
このあたりの話は、あらためて報告したい。
マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第5番嬰ハ短調(1901-02)から、意外と意表をついて、クレツキ指揮フィルハーモニア管弦楽団による第4楽章「アダージェット(Adagietto)」。
「大地の歌」とカップリング収録されているものだ(たぶん、クレツキは第5番の全曲は録音していない)。
演奏も「大地の歌」と同じく、ピシッとしたストレート・タイプ。夢想的にいじくりまわさないところが、ある意味あっぱれだ。
1959年録音。ワーナー(EMI)。
美人だとは気づかなかった私
数日前、嵐では全然ないが、けっこう強い雨が降った。
傘を持ち歩くのが嫌いな私は折りたたみ傘ばかり使っているのだが、この日は折りたたみ傘では無理と判断した。持ち歩くのも嫌いだが、傘をさすのも不得意なのだ。
かといって、大型のこうもり傘はどこかに置き忘れてしまう心配がある。
そこでしょうーもないビニール傘を使うことにした。
私は全然おしゃれではないが、ビニール傘を使うことにはやや抵抗がある。なんだか貧乏ったらしい(そういう意味では私にぴったりなのだが)。
が、折りたたみ傘より頼りになって、置き忘れてもあまり悔やまなくて済むとなればビニール傘しかない(これとて帯広支社にいたときに持ち主不明ゆえに勝手に持ってきた上に、引っ越し荷物にまで入れてこの地に運び込んだものだ)。
が、世の中、いろんな考えが、まったく逆の見方がある。
浅田次郎は、「ま、いっか。」(集英社e文庫)の「完全な美女」というタイトルのエッセイで次のように書いている。
……あのビニール傘のデザインが好きでならない。けっして自己主張せず、持ち主の人格もファッションも脅かすことなく、しかも機能的で、いかにも傘の領分をわきまえつつ完成した、という彼女なりの美学を感ずる。そしてここが最も肝心な点なのだが、その透明さはうっとうしい雨を、安らぎに変えてくれる。雨が降っているのではなく、閉(た)てられた水の中に自分がいるという気になる。……
……私には、あの白い柄の透明な傘が、まこと非の打ちどころない完全な美女に見えるのである。
まさか彼女が言うままに、使い捨てるわけにはゆくまい。
(初出は『MAQUIA』2008年8月号)
すいません、ビニール傘さん。
でも、私の場合は雨のうっとうしさは解消されなかった。
まっ、いいけど……
あのおばちゃんは私の指摘を忘れなかったようだ
先週の金曜日の昼は久々に“やよい軒”に行った。
点滅する歩行者信号を池中さんとともに精一杯ダッシュした甲斐あって、私たちはすぐに席に案内してもらうことができたが、そのあとは幼児が口から地面に落としてしまった飴に群がるアリのように客が集まって来た。
いつも以上に混んでいるように感じるのは、その少し前に地震があったこととはまったく関係ないだろうが、それはともかく注文するモニターに親子丼が表示されるように改善されていたことに私は大いに満足した。
微力ながらも私がこの改善に貢献できたことをうれしく感じ、それまでは肉野菜炒め定食を頼もうと思っていたのに、親子丼をオーダーしてしまった。あのときのおばちゃんがいたら同胞として固い握手を交わすところだったが、あのおばちゃんが誰だったかさっぱり思い出せなかったのがとても残念だ。
そのことはともかくとして、10日ほど前から村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」(新潮文庫)を読み始め、昨日読了した。
この小説を読んだのはこれで3回目だろうか。それとも4回目だろうか。
なのに初めて読んだように新鮮で、物語にぐいぐい引き込まれる。
先を読むのが楽しみという、読書する喜びをおなかいっぱい感じることができる。
村上春樹の小説の吸引力ってやっぱりすごい(私が好きだから吸いこまれるに他ならないんだけど)。
そのせいで、すっかり不信感を抱いてしまった柴橋氏によるの伊福部本は、またまた遅延状態になってしまったのだった。
「世界の終り」を読み終えたので伊福部本に戻ろうとしているが、でもまた「ねじまき鳥クロニクル」を読もうかなぁ、読みたいなぁという思いが募っていて、柴橋氏にとって予断を許さない状況にある(って、そんなのカンケーないに違いないけど)。
ゆづちゃんの姿に影の姿を重ねてしまったようだ
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の“世界の終り”にいる“僕”は、ここに住んでいる他の人同様に、影を切り離されてしまう。
その影っていうのはどんなものなんだろうか?
ただ真っ黒なものじゃなさそうだ。表情があるし言葉も話すから。
そんなことを考えていたら、上下黒の練習着姿でリンクを滑っている羽生選手の姿がニュースで映し出されていた。
これだ!
“僕”の影ってきっとこんな感じに違いないと、妙にしっくりと納得した(もちろんスケートは滑らないけど)。
2人の作家が共にチェロを取り上げてるのは偶然のようだ
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」でもクラシック音楽作品が出て来る。
“まるでフルトヴェングラーがベルリン・フィルを指揮するのに使う象牙のタクトのような威圧感があった”という描写もある。
フルトヴェングラーが象牙のタクトを使っていたのかどうか知らないが、タクトに関して岩城宏之は“象牙や美しい買で細工したり、金とか真珠を飾りにつけた高価な棒もあるかもしれないが、専門の指揮者が使っているとは考えられない”と書いている(「フィルハーモニーの風景」:岩波新書)。
小説の中の現実の世界(ハードボイルド・ワンダーランド)にいる“私”は今の仕事を引退したあと、
私は十分な金を貯め、それと年金とをあわせてのんびりと暮し、ギリシャ語とチェロを習うのだ。
と考えている。
そういえば浅田次郎の「天国までの百マイル」にもチェロが出てきた。
なぜ2人そろってチェロなのだろう?
偶然だわな……
この小説の終盤で出て来る「ブランデンブルク協奏曲」とブルックナーについては過去記事←をご覧いただくとして、このビヤホール(“私”は中ジョッキを頼み、カキを食べた)でブルックナーの交響曲の次に流れたのはラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937 フランス)の「ボレロ(Bolero)」(1928)である。
私は二杯めのビールを注文してから便所に行ってまた小便をした。小便はいつまでたっても終らなかった。どうしてそんなに沢山の量の小便が出るのか自分でもよくわからなかったが、とくに急ぎの用事があるわけでもなかったので私はゆっくりと小便をつづけた。その小便を終えるのに二分くらいの時間がかかったと思う。そのあいだ背後では「ボレロ」が聴こえていた。ラヴェルの「ボレロ」を聴きながら小便をするというのは何かしら不思議なものだった。永久に小便が出つづけるような気分になってしまうのだ。
わかるなぁ……
あらためて書くと、「ボレロ」は当時世界的に有名だったバレリーナのイダ・ルビンシテインの依頼により作曲されたバレエ音楽。
しかし、現在では演奏会用作品として演奏される機会が圧倒的に多い。
舞台の場面はスペインの酒場。客たちが酒を飲んでいる奥には円形のステージがあり、1人の踊り手が足慣らしをしていたがやがて本格的に踊りはじめ、その踊りを観ていた客たちも興奮し最後は熱狂的に踊り出す、というもの。
ここに出て来るテーマはたったの2つ。
それが楽器を替えながら執拗に繰り返され。最後の最後に転調されて終わる。
それなのにまったく弛緩せず聴く者を飽きさせないところが、さすがオーケストラの魔術師・ラヴェルの巧みな技である。
今日は、それこそいつまでもダラダラと尿が出続けてしまったらどうしましょうというスロー・テンポ(というのはちょいと誇張気味)のチェリビダッケの演奏を。遅いのに“聴かせる”演奏だ。
オーケストラはミュンヘン・フィル。
ラヴェルのオーケストレーションのすごさが楽しめるムソルグスキーの「展覧会の絵」とのカップリングである。
1994年ライヴ録音。EMI。聴衆は大興奮の喝采である。
でもこの小説、土曜日の陽が落ちていく時間帯に部屋で一人読んでいると、寂しくなるというかすっごく切ない気分になる。
少しは気分転換できるように、近所で咲いていた昨日の桜でも……
こういう事情でした
秋吉課長と東雲課長が人事異動で転勤することになった。
さびしい限りである。
しかし、帯広支社に来てから秋吉課長は3年、東雲課長は4年経つ。もう異動してもおかしくない年数が経ったわけだ。
じゃあこの2人以外の“周辺人物”はどうなのか?
阿古屋係長は先入れ先出しの原則に反して短期間で昨年転勤してしまったが、橘皮課長はまだもう少し帯広でおいしいものを食べ続ける権利が与えられるべきだ。阿古屋係長の後任である大嵐係長も来たばかりなので、しばらくの間はこの広大な地でゴルフを楽しむことが許されるはずだ。
気にかかるのは東雲課長と一緒に4年前にこの地に来た日向山課長と他ならぬ私の動向である。
結論から言おう。
日向山課長はまだ帯広で活躍しなければならない仕事が、課題が、責任が残っている。
また、彼がいなくなると真性大衆居酒屋“胃恋”の経営に支障をきたす恐れがある。
“胃恋”はマッチ1本で瞬時全焼するような古い建物で、料理は新鮮と太鼓判は押せず、特に夏場は抵抗力の弱った人にはお勧めできない店なのだが、とにかく安いらしい。
実は私は一度だけこの店に行ったことがある。
「いい店がある」と日向山課長に誘われて、個人的な感覚としては、結果的にそそのかされた。
私は高級志向でも上品でもないが、ここは雑然としすぎている。猫が5~6匹ぐらいうろついていないのが不思議な感じすらした。
味は悪くなかった。が、何を食べたのか残念ながら覚えていない。
日向山課長はここでよく夕飯を食べているようで、彼の存在がこの店の存亡を左右するといっても過言ではない。
とりわけ、同じく“胃恋”の常連だった梶谷主任もこのたび転勤することになったので、この店の将来のすべては日向山課長の肩にかかっているのである。
そして私であるが、東雲、秋吉課長に置いてきぼりにされず転勤することとなった。
その私の転勤先は、ジャジャーン!
がそびえる街。
そしてこのように、
しゃちほこが光り輝く街である。カメラをいじって、ちょいと豪華にクロスを入れてみたりなんかしてみた。
浅田次郎の小説は「天国までの百マイル」だったが、私の場合は“天むすまでの724マイル”である(JRと飛行機の運航距離による)。
みゃあみゃあの地への転勤が決まって以降のことを時制にしたがって忠実に記述すると素性を推察されそうなので、リアリズムではなく、かといって形式主義でもなく、話が行ったり来たりと酔っぱらいの記憶のように報告するが、この転勤話はこのあと何回かにわたって報告せざるを得ないだろう。
そしてまたこの間、投稿した記事の内容に凹凸、じゃなかった出来不出来があったのは、いつものことだと言われればそれまでだが、気もそぞろだったわけではなく、新しい家探しや引っ越しの準備などに追われて時間に余裕がなかったためである。
ミャ……
フォーレ(Gabriel Faure 1845-1924 フランス)の「ドリー(Dolly)」Op.56(1894-97)。
ピアノ連弾のための組曲で、次の6曲からなる。
1. 子守歌(Berceuse)
2. ミャウ(Mi-a-ou)
3. ドリーの庭(La jardin de Dolly)
4. キティ・ヴァルス(Kitty-valse)
5. 優しさ(Tendresse)
6. スペイン風の踊り(Le pas espagnol)
この曲のタイトルのドリーとは、この作品を献呈したエレーヌ・バルダックの愛称。
フォーレはエレーヌの母エンマと親しくしており(というか愛人関係だったらしい)、エレーヌをとてもかわいがっていたという。
エレーヌの父親はフォーレではないかという説もある。
なお、エンマはのちに(1905年~)ドビュッシーと同棲し(1908年に結婚)、2人の間にはクロード・エマが生まれた。ドビュッシーはエマ(愛称:シュウシュウ)のために「子供の領分」(1908)を作曲している。
エレーヌの父親がはたしてフォーレだったのかどうかは知らないが、この曲はとにかく愛おしさに満ちたもの。
まっ、他人の子にここまでの曲は書けないかも……
ヴォロンダとオージュの連弾による演奏を。
1996年録音。ナクソス。
この作品については過去(「読後充実度 84ppm のお話」)に何度か取り上げたはずなのに、検索しても該当するはずの記事にヒットしない。
書いた当事者が見つけられないのだから、きっと皆さんにとってはそんな記事は最初からなかったようなものだろう。
でも不思議だ。なんだしらん……

恐れていたことがにわかに現実味を帯びてきた。
つまり私の正月休みは今日で最後という事実を突きつけられているわけであり、そのことはすなわち明日から仕事ということを意味する。
2日にホーマックに脚立を買いに行ったときには、まだ休みのまっただなかで、180cmのブツを持って歩いて帰って来るのはそりゃあ決して楽じゃなかったけど、まだ気持ちに余裕があった。
翌3日は札幌は大通りまで出かけた。
鳩に餌をやりにいったわけじゃない。札幌の老舗デパートのマルイ(MARUI IMAI)でスーツ3着セールをやっていることを元旦の新聞の広告で知り、滅多に行かないマルイまで行ってみたのだ。3着で32,400円らしい。つまり税別で1着あたり1万円。
が、会場である9階催事場に行くと、試着待ちのおっさんたちの長い行列。ビアガーデンのトイレ待ちの行列以上だ。
それを見てすぐに私の気持ちは萎えた。萎えたどころかふだんなら選択しない思いつきでこんなところまでやって来た自分に腹が立った。
私は自分の体形がA6なのかAB5なのか、あるいはAB6なのかよくわからない。
仮に根性を出して、それぞれを1着ずつ手にして並び、ようやく試着室に入り、やっぱりAB6だとわかったはいいが、じゃあ新たに残り2着のAB6をどのように手にしろというのか?
一度試着室を出て、また並び直すのか?
それとも試着室は押さえたまま、探しに行く権利を与えられるのか?しかしサイズがAB6ならいいってもんじゃない。色や柄だって吟味しなきゃならない。
まあいい。どっちにしろ「やーめた」と帰って来たのだから。
で、サツエキの方に戻るとき、観光客のように道庁なんかを撮ってみた。
腹が立ったのがおさまると、猛烈に腹が減ってきた。
で、大丸の上で昼食をとった。

結局は失意のまま帰り、自宅エリアのイオンに行ってスーツを買った。
2着目は半額というセール中。2着で35,000円ほどだったから、マルイで買うより1着少ないものの、品物はむしろこっちの方が良い感じがした。最初っからこうしておきゃよかった。
昨日はイオンにスクラッチくじをやりに行った。スーツを買ったときにもらった抽選券を持って。
スーツを買ったとき、売り場からくじ引き会場へ行くと、これまた観光バスが5台同時に到着したパーキングエリアの女性トイレ待ちのような、アナコンダも真っ青の長蛇の列。
地味な期待は失っていない。しかしどうせ当たらない確率が異様に高いに決まってる。なのにボーっと並ぶのはバカ臭い。だから潔くあきらめて帰って来た。
しかし心に引っかかるものがあった。
というわけで、いさぎよくなく昨日リベンジしに行ったのだった。
もう平日かつ正月休み終了という人が多いせいか大して待たずに挑戦できる。そういうはずだったのに、見事に目論見が外れた。列はまるで入場制限を受けて会場になかなか入れない勝毎花火大会の客のように前日に勝るとも劣らないほどの長さ。
たが人間たまにはがまんも大切とばかり並ぶ。
そして見事に15戦全敗だった。
そして今日は仕事復帰のために195kmほどのドライブ。マルイ、いやマイルでいうと約120マイルである。
浅田次郎の「天国までの百マイル」(朝日文庫。私は電子書籍を購入)は、ちょいとクサいところもあるものの、なかなか感動的な物語であった。
ストーリーとしては重度の心臓病を患った母親を、神技的手術ができるという医者がいる100マイル離れた病院に一か八かで連れて行き、見事手術は成功、めでたしめでたしってものだが、ここに出てくるマリさんという女性が身を引くところが、やっぱりね的な展開にも関わらずグッとくる。ってなに言ってんだかわかんないだろうけど、天国というのはこの医者の派閥とは無縁の名医がいる病院のことだ。
商品名を思いだせないということはCMとしては致命的?
バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の「6つの無伴奏チェロ組曲(6 Suiten fur Violon-cello allein)」BWV.1007-12(1720頃)。
チェロの独奏曲として特別な位置付けに輝く名曲である。が、ずっと聴いていて退屈しないかというとウソになる(感想には個人差があります)。

私が子供のころによく流れていたウイスキーのテレビCMで使われていて、大人になったらこんな渋い曲を聴きながらウイスキーを舐めてみたいわい、なんてことはまったく思いつかなかったが、のちにクラシック音楽を聴くようになって、この曲がクラシックだと知ったときには、なぜか自分のことのようにうれしく思ったものだ。
で、なんつーウイスキーだったんだろう?覚えてない。
ところでこの曲のCDだが、私は1960年録音の名演と言われるフルニエによる演奏のものしか持っていない。
すごい曲だとは思う。畏敬の念すら感じる。
けどいろいろな演奏を聴き比べてみたいという気持ちにまではならないのだ。
やっぱ、私にはけっこう多くの部分が退屈に感じるからか?
リビングで読書とかいうときのBGMにはいいのかも。
おっと、なぜ今日無伴奏チェロ組曲を取り上げたかというと、「天国までの百マイル」に次のような記述があるからだ。
海の底のように静まり返った薄闇に、チェロの無伴奏曲が流れていた。
これだけだと、誰の無伴奏チェロ作品かはわからない。意表をついてプロコフィエフの無伴奏ソナタ嬰ハ短調かもしれない。
耳を澄ませばチェロの音色とともに潮騒が聴こえた。まるで遥かな沖合に浮かぶ小舟の上で、天使がそれを奏でているようだ。
天使ってラッパばっかり吹いてるんじゃんないんだ……(それと犬に天使の羽根をつけないでほしいな)
婦長が扉を開けると、ふいにたおやかなチェロの音色が安男をおし包んだ。
「じきに終わりますから、しばらくお聴きになっていらして」
祭壇にかしずいて祈りを捧げる神父のうしろで、曽我医師がバッハを弾いていた。ステンドグラスの彩かな光に隈取られた巨体が、弓弦(ゆづる)の動きとともに左右に揺れる。……
やがてバッハの無伴奏曲を弾きおえると、曽我はおもむろに、安らかな曲を奏で始めた。
羽生のことではない。あっ、それは結弦か。
ここでようやくバッハと無伴奏チェロ作品が結びついた。
それにしてもこれから繊細な指先の動きを必要とする大手術をしようというのに、チェロを弾くなんて信じられない。
私なんぞ、電車で脚を組んで座っているだけで、いざ降りようと立ちあがるとしびれ気味でふらつくことがあるというのに……

いま、浅田次郎の「日本の「運命」について語ろう」(幻冬舎)を読んでいる(電子書籍)。
本来なら終戦記念日前に読んだ方が良かったのかもしれないが、来年の終戦記念日の前だということで良しとしよう。
浅田氏は「終わらざる夏」で(集英社文庫)、終戦したにもかかわらず千島列島の占守島にソヴィエト軍が攻め込んできたことを書いているが、この小説を読んでもちょっとわからなかったことが、本書を読むと理解できる。推測ではあるが、なぜ日本がポツダム宣言を受諾したあとにソヴィエト軍が侵攻してきたのか。そして、小説のなかでなぜソヴィエトの軍人の視点での描写があるのか、が。
敵国の音楽だからけしからん?
これまた古い話で恐縮だが、7月後半からテレビで“「DVD 日本の戦争」、8月3日まで」というコマーシャルがずいぶんと流れていた。
どれぐらい売れたのかはともかく、このコマーシャルで使われていた、しんみりする、けど美しい音楽は、ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943 ロシア)の「ヴォカリーズ(Vocalise)」Op.34-14である。
ここに書いたように、もともとは歌曲。「14の歌曲」Op.34(1912/改訂'15)の第14曲を作曲者自身が管弦楽編曲した(あまりに有名な曲なので、他にも多数の編曲版がある)。
今日はスラットキン/デトロイト交響楽団の演奏で。
2009年ライヴ録音。ナクソス。
日本の戦争のDVDのCMに、になぜ最後の最後に攻め入って来たソヴィエトの曲を使うのか!とお怒りになる方もいたかもしれない。ほとんどいないと思うけど。
でも、コマーシャルを作った側はそこまで考えてないと思うし、郷愁をそそる「ヴォカリーズ」のメロディーはぴったりだったと思う。あれで軍艦マーチなんか流されたもんなら興ざめはなはだしいだろうから。
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