新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

楽譜・スコア

ご家庭のものでも、たまには蓋を開けて中に異常がないか確認すべきこと

  私は定期的に確認しています
 先日、紀伊国屋書店に行ったときに、楽譜売り場でスコアの棚を眺めた。

 私自身はオーケストラ曲のスコアを買わなくなって久しいが(むしろ終活の一環でヤフオクに出品している)、国内譜のスコアもずいぶんとレパートリーが増えたものだ。むかしは高い輸入譜を買わなきゃならなかった曲のスコアも、全音楽譜出版社や音楽之友社、日本楽譜出版社から出版されているのを目にすると、私の青春時代のころよりもクラシック音楽が世の中に幅広く普及・浸透しているのだろうかと思ってしまう(もちろん、そんなことは悲しいかな、ないのだろうが)。

 むかしと変わらないのは、いまだに全音楽譜出版社のマーラーの交響曲第3番の背表紙の自社の会社名が、逆行カノンのように反転していることだった。
 9年前の店頭在庫がそのまま残っているのかもしれないけど……

20241004Fugaku

 逆行カノンというのは、2つのパートのうち、上のパートのテーマ(メロディー)を下のパートはそのテーマを逆に進行するもの。
 上のパートが、ドレミファソラシというテーマだとすれば、下のパートはシラソファミレドと進行する。

 この楽譜は J.S.バッハの「音楽の捧げ物」のなかの「逆行カノン」である(音楽之友社のスコア)。

20241020BachCanon

 ところで、紀伊国屋書店(sapporo55の1~2階)の北側玄関の横に、汚水桝が2つ並んでいる。
 そこには『定期的に掃除をして下さい』と書かれている。
 これに最初に気づいたのは、今年の7月のことだった。

202409KinokuniyaOsuimasu

 一般家庭にある汚水桝には、たまに手入れをしなきゃいけませんというようなことは書いていない。
 けど、やっぱりたまには点検した方が良いらしいということを、このメッセージは示唆している。

 私は、これまでに2度水漏れし(詰まった本当の原因は地盤沈下による排水管の勾配の変化)高圧洗浄もするはめになったキッチンからの排水管がつながっている家の外の汚水桝を1~2カ月に一度、汚れの塊が付着したりしていないか確認しているが、私のこの神経質すぎないかと思われるような行動も、決して病的ではないということなのだ。

♪ 今日の一曲 ♪
 J.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)の「音楽の捧げ物(Musikalisches Opfer)」BWV.1079(1747)。

 「音楽の捧げ物」で最初に買った音源(当時は LP。この CD と同じジャケット写真)がこれ。
 1975年に西野の「ぴぴ」で購入した。

Bach1079Graf




こんなに補助金がいただけるなんて!♪CPEB/助奏cemb付きflソナタ

  54億6,000万円お得になります
 残念ながら、このあいだの土日で Nissho の「省エネリフォーム 新補助金相談会 in イオンモール平岡」が終わってしまった。補助金申請によって失禁、いや、失神しそうになるほどキックバック、いや違った、キャッシュバックされるというのだ。あまりにもオイシイ話なので、X メンバーズ-旧ツイッターをやっていて、かつ、私とつながりのある人たちのことである-には、新聞チラシが入った段階で「ねえねえ、おいしい話があるんだけど、聞いて聞いて」とばかり、ポストした。その私のポストを見て、外窓3カ所パックについて尋ねるために相談会に行った人もいるかもしれない(が、いないに違いない)。

 相談会に行けなかった人も、あきらめるのはまだ早い。
 というのも、広告有効期限は来月、3月15日までと書かれているからだ。

20240216Nissho1

20240216Nissho2

 にしても、このミス。
 担当者は叱られただろうなぁ。当日、相談会でタチの悪い人に難癖をつけられなかったかな。ちょっと心配してしまった私である。

 C.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-88 ドイツ)の「チェンバロ・オブリガートとフルートのためのソナタ(Sonata a cembalo obligato e flauto)」

 C.P.E.バッハはこのタイトルの曲を5曲書いている。

 ・ニ長調Wq.83, H.505(1749) ※トリオ・ソナタWq.151と同一楽想
 ・ホ長調Wq.84, H.506(1749) ※トリオ・ソナタWq.162と同一楽想
 ・ト長調Wq.85, H.508(1754) ※トリオWq.157と同一楽想
 ・ト長調Wq.86, H.509(1755) ※トリオWq.153と同一楽想
 ・ハ長調Wq.87, H.515(1766) 

BachFluteBox

 オブリガートとは助奏のこと。アドリブに対する語で、主旋律と競うように演奏される必要不可欠な声部をいう。 

 マーラーの交響曲第5番の第3楽章では、ホルンがソロが活躍するが、このパートには『オブリガート・ホルン』と記されている(掲載した楽譜は全音スコアのもの)。

MahlerSym5ObligatoHrn

譜面の指示に従い休みます♪ブリテン/春の交響曲

 明日は歯科医院に行かなきゃならないので、そのこととは関係ないものの、

Britten_Spring_Score25p

させていただきます注)

 注)Britten/Spring Symphony ~“Spring, the sweet spring”より
 
BrittenSSHickox


 このディスクの演奏の感想は ⇒ こちら(いや、感想は書いてないな……)

譜面の指示に従うように私の指示に従いなさい!♪GM7

 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)は、小姑のようにスコアにあーだこーだと指示を書いているが、交響曲第7番の終楽章(第5楽章)には、こんなことが書かれている。

MahlerSym7_5mvt_Score

 じゃあ何かい?他の箇所は、書かれたとおりに演奏しなくてもいいのかい?って揚げ足のひとつも取りたくなる。

 って、なんの楽器も演奏できない私には、何も言う権利はないが。

 ということで、今日あなたはすこぶる元気に過ごしなさい! ← 書かれたとおりにすること。

Mahler07Feltz

 このディスクの演奏の感想は ⇒ こちら

 私は昨日から妻と GoTo トラブル、いや、トラベル中である。

譜面の指示に従い休みます♪ネゼ=セガンのベルリオーズ/幻想交響曲

 本日は副座長 注1) のやる気不足のため、

BerliozSF_Rest

させていただきます注2)

 注1)そうです。私のことです。
 注2)Berlioz/Symphonie Fantastique 第3楽章より

BerliozSFSeguin

 このディスクの演奏の感想は ⇒ こちら

譜面の指示に従い休みます♪ポンマー/札響のブルックナー/Sym4

 本日は当ブログ専属ライター 注1) のやる気が乏しいため、

Bruckner4_4ScoreRest

させていただきます注2)

 注1)そうです。私のことです。
 注2)Bruckner/Symphony No.4 終楽章より

Bruckner4Pommer

 このディスクの演奏の感想は ⇒ こちら

譜面の指示に従い休みます♪ヤナーチェク/シンフォニエッタ

 本日は従業員 注1) 慰労のため、

Zenkyuufu

させていただきます注2)

 注1)そうです。私のことです。
 
JanacekSinfoniettaSapporoso

小うるさい男性は嫌いですか?♪GM7

  “良く売れてる楽譜”という意味ではなくて
 「注文の多い料理店」は宮沢賢治の童話だが、『注文の多い楽譜』というと、ご存知の方も多いと思うが、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)である。

 例えば、彼の交響曲第7番ホ短調「夜の歌(Lied der Nacht)」(1904-05)の楽譜を見るとこんなことが書かれている(掲載譜は音楽之友社のスコア)。

 
  傷めちゃうかも

IMG_0004

  模倣ったって、聞いたことないし……
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  だいたい?
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  ちょっとだけ?
IMG_0001

  どんなポーズで?
IMG_0002

  はい……
IMG_0006



 これだけあーだこーだ注文をつけても、指揮者とオーケストラが違うと演奏も異なる。
 最後の譜面の指示なんて、逆にとらえれば、ほかの箇所は書かれたとおりに演奏しなくてもいいのかなと思えなくもない。
 そんなわけで、同じ曲のCDを何枚も買わなきゃならないハメになる。

MahlerKlemperer  数ある7番の録音のなかでも、ほかの多くの演奏とはまったく異質なのがクレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏。
 ここに書いたように、異様なまでにテンポが遅いのだ。


 もしマーラーがこの演奏を聴いたとしたら大絶賛するのか?それとも激怒するのか?
 興味深いところだ。


 1968年録音。EMI。






いつも4発ずつ殴られてました♪LvB/Sym5

KatayamaMeikyuu4  最初は《遅いもの》が主役だった
 片山杜秀の「続・クラシック迷宮図書館 片山杜秀の本(4)」(アルテスパブリッシング:2010年,電子版2017年)。


 そのなかの“「楽聖」はアダルト・チルドレン”の章では、福島章著「ベートーヴェンの精神分析 愛と音楽と幼児体験の心理」(河出書房新社:2007年4月)が取り上げられている。
 この章の初出は2007年7月。


 片山氏は、バロック時代は速い楽章よりも緩い楽章の方が上位にあったがそれが次第に逆転する現象を紹介し、こう続ける。


 その逆転劇でのいちばんの働き手は、もちろんハイドンだろう。彼はなぜそんな音楽を書いたか。生家が鍛冶屋だったせいともいう。ハイドンは幼少時代、父親の仕事の騒音にがまんならず、それを打ち消すべく音楽に走った。その音楽はとうぜん、無秩序なノイズのつけいる隙のないほど、速く秩序あるものでなくてはいけなかった。そういう心理的欲求が、ハイドンに主題労作にもとづくアレグロ楽章を確立させたというのだ。


 そして、ハイドンに続くのが楽聖・ベートーヴェンだ。


  ベートーヴェンが心に負った傷

 精神医学者の福島氏は、この本で“「楽聖」がアダルト・チルドレンだったと主張”しているのだそうだ。


 ……狭義のアダルト・チルドレンとは、アルコール依存症で情緒不安定でしょっちゅう暴力を振るう親に育てられ、その傷を心に刻んだまま大人になった者をいう。それなら、子供が容易には治癒不能なトラウマを背負うのもわかる。そして「楽聖」の父親はアル中で、息子に音楽の特訓をほどこすと称しては、いつも殴りつけていたというのだ。


 そして福島氏は、


 ・ベートーヴェンは交響曲第3番で父殺しの内的儀式を執りおこなった
 ・しかし、それでは一件落着とならず、内なる父親はすぐに蘇り、反撃してくる


と分析。

 その反撃とは?


BeethovenSym5-1Score  父親は4回1セットで殴ってくる


 著者は、その反撃が4つの音でおこなわれたと主張する。4つの音とは、交響曲第5番のいわゆる「運命動機」だ。-(中略)-著者はその4音を父親の反撃の響きと解する。そして、その4音は、運命が扉をたたく音ではなく、父が子を4発殴る音であったにちがいないとする。


 ベートーベンは幼少期の記憶に支配されている自らの運命を打破するために、この曲を書いたということになる。


 これを読むと、「運命動機」が執拗に繰り返される意味がわかったような気がした(掲載譜は全音スコア)。


 そのあとに「運命」を聴くと、運命に対峙する勇ましい闘いではなく、いじめにおびえ必死に耐える弱者の苦悩に聴こえてくるから不思議なものだ。


 さて、そのベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第5番ハ短調Op.67(1805-08。通称「運命」)を、今日はラトル/ウィーン・フィルの演奏で。

 どんな演奏かというと、こんな魅惑的な演奏です。


 2002年録音。EMI。


 で、じゃあスズメ目ホオジロ科のキアオジ鳴き声由来説はどうなった?

同じことを男がやったら捕まるだろうに♪リスト/パガニーニ練習曲

UrahisaLiszt  あまり知られていない生涯
 浦久俊彦の「フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか」(新潮新書)。

 先日、新千歳空港1Fの文教堂の担当にワゴンが置かれ、何種類かの新潮新書が並べられていた。
 そのなかにこの本もあり、でも私はそれを買わずに大阪に着いてから電子書籍版を購入した。

 リストという作曲家にそう興味があるわけではないが-そもそもピアノ独奏曲をそんなに好んで聴かないので-、なんだかこの本からは「ためになるぞ」オーラが出ているような気がして買ったのだが、とてもおもしろく、ためになる内容だった。


 著者はリストについて《まえがき》のなかで、


 これだけの人物にもかかわらず、その生涯は一般にほとんど知られていない。そもそも、リストに関する書物が、いま日本で何冊刊行されているか、ご存じだろうか。本書初版刊行時、すでに絶版となっている書を除けば、たった一冊である。


と書いているが、なるほど、確かにリストにスポットを当てた本を見かけた記憶がない。

LisztCampaScore  春樹氏のおかげでマニアックな曲のCDも売れた?
 リストの名は、せいぜい「ハンガリー狂詩曲第2番」の作曲家。あるいはここ10数年の間でフジ子・ヘミングのおかげで「ラ・カンパネラ」の作曲家として一般にも名が知れるようになったレベルなのかもしれない(掲載した楽譜は「ラ・カンパネッラ」。全音ピアノピース。人里離れたところにある沼の春の様子のよう=おたまじゃくしがいっぱい)。


 村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」には、リストの「巡礼の年」が出てくるが、この曲をすべて(全4集26曲)聴いたことがある人は、クラシック音楽ファンのなかにだってそういないだろう。

 この本のなかで特に印象に残ったのは、ヨーロッパで立て続けに起こった革命によって、音楽が貴族のものからブルジョアのものになり、『奴隷的聴衆』が台頭したというところ。

 『奴隷的聴衆』というのはヒンデミット(1895-1963)が使った言葉だそうだが、著者はこう解説してくれている。


 音楽を聴くとき、音楽を自己の精神を高めるための道具として用い、音楽によって自分のなかにひとつの像を創りあげようとする能動的で知的な動きと、音楽の流れのままに、その音楽が与える印象に身を任せる受動的で感情的な動きという、ふたつの聴き方がある。
 前者は人間が働きかける方向(知的作用)であり、後者は音楽が人間に働きかける方向(情的作用)である。どちらが欠けても、人間と音楽の関係は成立しない。
 ところが、19世紀になって、音楽享受層が激変し、大量の「聴衆」が誕生すると、音楽における知的作用と情的作用は、大きくバランスを崩し、音楽にひたすら快楽を求め、音楽の官能的誘惑に服従し、音の洪水に身を任せるという「奴隷的聴衆」が大量に発生する。
 彼らは、音楽の精神的な内容よりも、派手で表面的な技巧(物質性)を重視する。まるでサーカスのような曲芸的な音楽に喝采を送るのだ。やがて、音楽の精神性は忘れ去られ、音楽は単なる見世物となる。
 音楽家は、外形が完全であればあるほど、聴衆を感動させられると考え、聴衆だけでなく音楽家までもが技巧の虜となり、技巧の習得のみに明け暮れ、人間性の欠いた芸術家が誕生する。こうして、音楽の精神性は空虚なものとなり、音楽は堕落への坂道を転げ落ちるのだ。


 こうして、リストもそうだったように『ヴィルトゥオーゾ』という超絶技巧を駆使するスターが生まれたのだった。


  失神する前にヌルヌルするご婦人
 リストの姿を見て失神する女性たちがいたが、むかし観た「パガニーニ」という映画では、パガニーニがステージ上でヴァイオリンを弾く姿を見ながら、ご婦人がパンティーに手を入れ自慰にふける場面があった。
 それが事実かどうかはわからないが、でも、日本でも矢沢永吉のコンサートで客席でそういうことをしている淑女(この時点でそうは呼べないか)がいたという記事が週刊誌に載っていたのを読んだことがある。そういうこと=自慰=マスターベーション=オナニーである。が、語源からすれば、女性の場合にオナニーと使うのは正しいのだろうか?

 きっと、パガニーニのコンサートの出来事もあながちウソではないのだろう(ちなみに、リストも20歳のときに聴いたパガニーニの演奏に感動し、超絶技巧を目指すようになったという)。
 
 それはともかくとして、リストというと数々の女性スキャンダルという負のイメージの方が私には強かったが、この本によって(まだ、半分までしか読み進んでいないが)、リストがリストでなければならなかった時代背景を理解することができた。

 リストさん、あなたのこと私、なかなか誤解していたかもしれません。

 リスト(Liszt,Franz 1811-86 ハンガリー)の「パガニーニによる大練習曲(Grandes etudes de Paganini)」S.141(1851)。


 1838年に作曲した「パガニーニによる超絶技巧練習曲集(Etudes d'execution transcendante d'apres)」S.140を改作したもの。

 パガニーニ(1782-1840)の「24の奇想曲」やヴァイオリン協奏曲第2番をヒジョーに難しいピアノ曲に編曲した-こうなると作曲といえるのだろうが-6曲からなる曲集である。


 6曲は、


 1. 第1番ト短調「トレモロ」
 2. 第2番変ホ長調「オクターヴ」
 3. 第3番嬰ト短調「ラ・カンパネッラ」
 4. 第4番ホ長調「アルペッジョ」
 5. 第5番ホ長調「狩り」
 6. 第6番イ短調「主題と変奏」


LisztWatts 第3番が有名な「ラ・カンパネッラ(カンパネラ)で、この曲はフジ子・ヘミングで、という気はファンの方には申し訳ないが、私にはない。

 「ミス・タッチを批判する方が愚かしい」と彼女は言ったそうだが、一度聴いた彼女の「ラ・カンパネッラ」-FMだったのかTVだったのか思い出せない-はミス・タッチがありすぎ。

 フジ子さんがどんなに強気な主張をしようとも、ミス・タッチの少ない演奏を聴きたいというのが私の正直な気持ち。


 やっぱ、ワッツだよなぁ。

 で、「パガニーニによる大練習曲」からは第3~5番の3曲が収められたディスクを。


 ワッツの「ラ・カンパネッラ」は言うことなしなのだが、1台のピアノとは思えない色彩に富んだ音色で奏でられる「狩り」の演奏もすばらしい。


 1985年録音。EMI。

  失神といえば、むか~し、オックスというグループサウンズのメンバーが、演奏していて陶酔して失神するっていうんで大騒ぎになっていた。

 私はまだお子ちゃまだったのでそれをTVで観たことはないが、いま観たらけっこうクサい演技に見えるのかもしれない。


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