第三部の舞台は『壁に囲まれた街』。
そこに第二部で登場したM**くん-胸にイエロー・サブマリンのイラストが描かれている緑色のヨットパーカを着た少年-が現われる(なお、わが家ではヨットパーカ―と言っている)。
この少年、'私' に、ぼくはあなたと一体になりたいのです、と言う。
まっ、やらし!、ではなく、
むしろ自然なことなのです。あなたとぼくが一緒になるというのは。だってぼくはもともとあなたであり、あなたはもともとぼくなのですから
と言うのだ。勝手に新事実を作り上げるなっていうか、ほらねワケわからんでしょ?
ぼくらはもともとがひとつだったのです。でも、わけあって、このように別々の個体になってしまいました。しかしこの街でなら、もう一度ぼくらは一体になることができます。
ん?ってことはM**くんは、かつて門衛に切り離された '私' の影だってことか?そう思わせるに十分な発言だ。
ところが、そのあとで、M**くんは '私' にこう告げるのだ。
あなたの影は外の世界で無事に、しっかり生きています。そして立派にあなたの代わりを務めています。
やれやれ。
福島県の小さな町Z**町にある図書館に館長として勤務し、すでに死んでしまった元館長と会話したり、セックス拒絶症の喫茶店女性店主とスパゲティを食べたりしていた ’私’ は 実は ’私の影’ だったってわけだ。影のくせに夜中に出歩いたりもできるんだ。マフィンを食べたり、なかなか充実した生活をおくっているではないか!(でも、影だったら『薪ストーブ』のことは知らないはずだ)
でも、ということは、M**くんが '私' ともともとがひとつだったってどういうことだって謎は残ったままだ。ままだし、村上春樹はそれを解決しようとしない。
さらに、M**くんが門衛に見つからずに壁に囲まれた街に入りこめたのと同じように、最後に '私' は、門衛がいる出入り口に行くこともなく、あるいは『溜まり』の中へ飛び込むこともなく、『心に望む』ことで高い壁に囲まれた街から出ていくことが(たぶん)できたのだ。
なるほど、だから「不確かな壁」ってワケかい。
村上春樹の小説は、これまでも不思議な世界、不思議な出来事が描かれるのが常であり、謎が残ろうとも、そこがまたスリリングであり、魅力であった。
でも「街とその不確かな壁」はなんでもありの世界だ。
どれもこれも中途半端に放り出されているような印象。
作者自身はもちろんだが、奥さんや校正にあたった人たちは、この内容になんの疑問も感じなかったのだろうか?
ある男性のねじれた精神世界をみなさんに紹介します、ってことなら、すべてが「ヘンだけどそういうものだよね」って、未解決のままに解決するんだろうけど。
読み終わった直後はすぐにもう一度読み直そうと思った(そのうえで感想を書こうと思っていた)。しかし、その後急速に再読意欲が落ちてしまった。「で、このお話は何だったのだろう?」と虚脱感が勝って来たので。
また、読みたいと思ったとき、いまよりは少しは理解できるのだろうか?
1959年の日活映画のための音楽である。
↓ 廃盤