新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は札幌の「宮川本店」の鰻重。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

本・雑誌

鮭へのトラウマを消し去るために至宝の力を借りる

  再冷凍後再解凍したのでまったく傷んでいません
 鮭の切り身に関し、私がとても気の毒な経験をしたことを、昨日書いた

 しかし、この思いをずっと引きずることは、自分自身のためにも、さけ・ます類のためにも、さらには弁菜亭のためにも、決してプラスになるものではない。鮭の切り身(それも一切れの半分にも満たないサイズだ)で私と札幌駅立売商会との関係にひびが入るようなことがあってはならない。

 気を取り直すために、日曜日の朝、私は鮭の切り身を焼いた。

 いやいや、心配には及ばない。
 とっくに消費期限が過ぎているが、買って来てすぐに冷凍庫にしまいこんだ。業界筋からは再冷凍はお薦めしないと言われそうだが、どうしようとこっちの自由だ。
 それにしても、このところ飲食店での食中毒発生(ノロウイルス)のニュースをよく目にする。飲食店で、それもミシュランに載ったこともある店なんかで大当たりとなっちゃうと、客としてはもう防ぎようのないお手上げ状態ののゲロゲロピーってもんだ。気をつけようがないもの。まあ、ミシュランガイドも、「えっ、この店が?」っていうのが載ってることもあるけど。

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 このイオン(マックスバリュ)で売っている「天然紅鮭 至宝」は、なかなか味が良い。
 甘塩なので、私は焼く前にほんの少しだけ振り塩をする。

 で、十数分後。「グリルの調理が終了しました」とグリル嬢(本名:日立ラク旨グリル HT-M8STF)が美しい声で私に教えてくれた。

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 この日の朝刊を背景にしたのは、「トランプってひどい奴、でもゼレンスキーって人もどうなのかな」と思ったことを、私の記憶にとどめておきたかったから。ってわけではなく、この二人とは違い、やはり私と弁菜亭との関係に決裂はないということを象徴的に訴えたかったのだ。決裂した記事を載せたんじゃ説得力がないかもしれないけど。

 焼き上がった鮭の切り身からは、骨がその存在を自己主張することなく「ごめんね。食べるのに邪魔でしょ」という謙虚な姿勢が伝わってきた。
 私のほんの気持ちばかりの振り塩が功を奏し塩加減もばっちりで、鮭のうまみが最大限に引き出されている。口に入れると、口腔内で香ばしさがスカッシュのボールのように飛び跳ねまくった。

  意気込みも大切だが形だって大切
 ところで、阿部直美・阿部了の「おべんとうの時間(3)」(木楽舎:2015年)な中で紹介されている音威子府村の「砂澤ビッキ アトリエ3モア」名誉館長の河上實さん。

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 河上さんは、中学生のころから木材店をやっていた父親の手伝いで雪深い山に入って丸太運びを手伝ったが、そのときに食べる弁当は、その状況から握り飯以外考えられなかった。仕事師たちが持ってきて食べていたのは豪快なでっかい握り飯だったと語り、こう続けている。

 僕の握り飯は母親が作ってくれる普通のだったけど、どうやったら冷えずに食えるか必死に考えたなあ。塩引き鮭の周りのご飯は、味が浸みてて旨かった。あの強烈な思い出もあって、今もうちの(妻)に毎日おにぎりを作ってもらってるんです。

 わかる、わかるなぁ。
 いや、丸太運びの過酷さじゃなく、鮭の周りの味が浸みたご飯の味。
 あれ、おいしいけど、ちゃんと焼いた鮭じゃないとそんな味はしない。フレーク?まったくしない。
 ちょっと塩が強めの焼き鮭じゃないと。
 けど、たとえば弁当のご飯の上に切り身をボンッと載せたりすると(どーだ、鮭弁当だぞ!みたいな弁当にありがち)、一歩間違えると、味が浸みるのを通り越して魚臭くなっちゃって、そうなると私は苦手(鮭の焼き方ー例えば大量調理のための蒸し焼きーの問題もあるのだろうけど)。

 で、何を言いたいかというと、味が浸みるのもいいけど、焼きたての鮭で炊きたてのご飯を食べるのがいちばん、ってこと。

 今回、鮭が焼き上がったあと(焼き時間はクッキングヒーター任せ)、もうちょっと焼き目がついた方がいいかなと思い、2分間の追加焼きをした。そのせいで、ちょっとパサつき気味になってしまった。

 この先1年後に会社勤めの生活が終わったら、雌鶏(めんどり)並みに朝起きるのが早い私は(最近、雌鶏にも雄鶏にもお目にかかったことがないが、きっといまでも早起きの習慣は変わっていないのだろう)、毎朝ちゃんとしたー健康的なという意味でー朝ご飯の用意をし、よく噛み噛みして食べるようにしなければならないが、それに向けて、いまから中までちゃんと火が通っているけどジューシーな鮭の焼き方、適正な塩加減でだしの旨味が舌をうならせる美味なみそ汁の作り方、妻がバイト先に持って行く弁当に入れても恥ずかしくないと合格点を得られる玉子焼きの味つけと仕上げ方を習得しなければならない。

 ただ、こういう前向きな姿勢も大切だが、『形』も重要である。
 ということで、エプロンが欲しいと妻にお願いしているところだ。

♪ 今日の一曲 ♪
 ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第83番ト短調Hob.I-83めんどり(La poule)」(1785)。

 子どものころ、ニワトリを飼っていた。
 スーパーで買い物をした景品がひよこだったのだ。
 どうしてひよこだったのだろう?

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七味唐がらしが入っている。そんなささやかなことがじわりとうれしい

  エッグの中にはポーク
 ちょうど一週間前は、通勤するために朝の7時少し前に江別駅に着いたが、私が着く10分ほど前に白石⇔苗穂間で発生した人身事故によって、JR も利用客もこの先電車の運行はどうなってしまうのだろうという、まさに困惑の現在進行形状態に置かれてしまったが、あきらめのよい(あるいは根性のない)私は、早々に出勤する意思を放棄し、家に朝帰りしたのであった。

 朝帰りした翌日の26日は、朝帰りの途中で寄ったセイコーマートで買ったカップみそ汁(とん汁と長ねぎ)を made in Nagakute のバックパックに忍ばせて出勤した。
 ところで、バックパックとデイパックという言葉は同じように使われているが、厳密にはバックパックよりも小型のものをデイパックというらしい。私が使っているものは、メーカーのパンフレットにバックパックと書かれている(でも商品名はエッグパックという)。

 札幌駅に着き、西改札前の札幌駅立売商会(弁菜亭)のワゴンへ。
 「日替り弁当 A」は「すき焼き風」。
 う~ん、その気分ではないな。ってことで、定番中の定番の「幕の内弁当」を購入(この日の幕の内弁当は、3月1日に『この日の幕の内はハズレ』と X に書いたものではない。『ハズレ』だったのは2月28日に買って食べた幕の内弁当である)。
 そして、セコマの「とん汁」(税込価格148円)をお供にした。

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 セコマの「とん汁」は初めて食べたが(って、セコマのカップみそ汁自体、初めて買って食べた)、七味唐がらしまで入っていることに、まずは感激(って、オーバーか?)。告げ口しちゃうが、『七士』の豚汁には唐辛子は一味も七味も添付されていない(家族市場や法律息子のものは未確認)。

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 パッケージに書いてあるとおり、しっかりと生姜の風味がしておいしかった。

 あの朝、一緒に買ったセコマのカップ麺はこれ。

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 で、会員カード(Pecoma)を提示すると、この価格。

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 このご時世に、なんてすばらしい!レジ袋も無料だし、しかも "777"。
 でも、私にはこの日そのあと良いことなんて起こらなかった。

  自分で『山賊』作りに挑戦
 翌日は在宅ワーク。
 天気予報に反し、朝から雪。こういう日に在宅のシフトとは幸運である。。遅ればせながら "777" 効果?
 朝のうちに業務を済ませ、あとは勤務時間中にもかかわらずブラームスとかハイドンを聴きながら、気が抜けた炭酸水のようにのたぁっと過ごした。
 昼はラーメン。麺もスープも「菊水」。うなぎふりかけをかけた小ライスをお供にした。

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 夜は「山賊焼き」作りに挑戦した。
 しかし、冷蔵庫にあったのは鶏肉ではなく、トンテキ用だかトンカツ用だかの豚肉だったので(トンカツ用の鶏肉や牛肉が売っていたら世の中は無秩序に陥る)、豚肉版山賊焼きと私が認定したこちらの「黒胡椒ソース焼き」にメニューを変更した。

 山賊焼きのレシピをネットで検索すると、多くが『揚げた』山賊焼き。そんななかで、揚げないレシピの一つを採用することにした。

 おろしにんにく、おろししょうが、しょうゆ、みりん、酒を合わせたたれに、塩コショウ少々を振りかけた肉をしばらく漬け込む。この時点で、弁菜亭の「豚の黒胡椒ソース」や「鶏の山賊焼き」とベクトルが違うのが明らか。でも、(塩コショウではなく)コショウを少々ではなく多めにかけて、そのまま調理を継続。
 さらに焼くときもコショウをふりかけた。

 弁菜亭の「豚の黒胡椒ソース」も「鶏の山賊焼き」もニンニクやショウガの味は感じない。
 なので、当初想像した通り、弁菜亭の味とは違うものが出来上がったが、これはこれでなかなかおいしかった。

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 でも、弁菜亭の味に近づけるべくこれからも私の『山賊修行』は続く(だろう)。

♪ 今日の一曲 ♪

 ブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)のピアノ協奏曲第2番変ロ長調Op.83(1878-81)。

 前にも書いたが、アラカン(アラウンド還暦)あたりかその少し前あたりから、ブラームスを聴きたいと思うことも増えた。特にこのピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲を発作的に聴きたくなることが多い。この演奏会のときなんか、長く感じて退屈でお尻が痛くて涙目になったのに(終楽章のメロディーが聞こえてきたときにはほっとした。終楽章はそのころから好きだったので)。

 このところ、いまから45年以上前に買った、そして私にとっては作曲家を知る上でのバイブル的存在だった H.C.ショーンバークの「大作曲家の生涯」をときおり読み直しているのだが、「ブラームスが書いたコンチェルトってそんなことになってたの?聴いていても気づけない私は全然船酔いしなかった」と思う記述に出会った。前に読んだことがあるくせに記憶がない。マーラーやショスタコーヴィチなど、好きな作曲家のページは何度も何度も読み返しているが(余談だが、最近はマーラーよりもブルックナーを聴きたいと思うことが多い)、たいして興味のない作曲家は一回読んでそのままだったからだ。当時、ブラームスは年寄りが好む作曲家だと、私は思っていた。つまり、私は年寄りになった

 ……ピアノ、バイオリン両協奏曲には、異例で、演奏しずらい指の動きを要求する部分が数多くあり、ほとんど演奏不可能の部分さえある。右手は三拍子、左手は四拍子という混合リズムで、いくつかの小節を弾かねばならぬ部分もある。ブラームス時代の聴衆は、「こんなリズムを聴かされれば、船酔いする」と言った(アーノルト・シェーンベルクは後年、「多くの現代曲の多リズム的構造は、恐らくブラームスに始まった」と書いている)。
 ブラームスの器楽的技術は、けばけばしさとは無縁で、広い指使いと、弾きにくい音型を要求した。しかし、弾いて弾けぬことはないことは、後世の名演奏家が立証したとおりである。リストの高弟の一人、ユージン・ダルベールが、最初に『協奏曲第2番』を演奏した。人々は彼が、かくも長大な難曲を暗譜で弾きこなしたことに仰天した。今日では、どのような若手演奏家も、ブラームスの協奏曲や器楽曲に、平然と取り組んでいる。彼の作品に、もはや克服しがたい技術上の問題はないとしても(ブラームスの協奏曲はやさしい、と主張する者は皆無だが)、演奏家の意欲をかき立てる音楽上の問題は、いまなお厳然としている。

 あなたはブラームスの曲を聴いて、船酔いしたことはある?

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朝早くから降りる人と乗る人が入り混じりホームはごったがえ

  駅の券売機でチャージするのもたいへん
 先週の金曜日。
 このところは恒常的になっているのだが、私が朝の通勤で乗っている『マイ列車』として登録してある134M 列車は、数分遅れで札幌駅に着いた。遅れるのは江別駅を発車する前に先行させる「ライラック4号」が、雪だの霧だのの影響で3回に1回くらいの頻度で遅れて通過するからだ。

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 前にも書いたように、134M 列車は定刻7:42に札幌駅に着くと7:48発新千歳空港行きの快速「エアポート28号」になる。だから、134M 列車が遅れるとエアポート28号をホームで待っている人たちはさぞかしイライラしてるんだろうなと思ってしまう。

 それにしても、まだ8時前だというのに134M が入線する6番ホームは快速エアポートを待っている人でいっぱいだ。新札幌方面への通勤客もいるのだろうが、圧倒的に観光客が多い。そして134M から降りた人はエアポートに乗る人の列に阻まれなかなか階段に行けない。つまりホームはごったがえだ。
 観光客だろうと何だろうと JR 北海道の売り上げが増すのは良いことだが、この混雑なんとかならないものだろうか。いや、ならないんだろうな。これもまた、オーバーツーリズムってやつだ。日中に札幌駅の券売機で Kitaca にチャージしようとしても混んでて全然できないし(特に西コンコース側)。

 と、いま確認のために「北海道時刻表」を開いたら、なんか変。千歳線の上りの最初のページの隣が何でいきなり下りなの?って、今初めて『乱丁』に気づいた。これ去年の9月号だけど。

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 前置きが長くなったが、この日札幌駅立売商会(弁菜亭)のワゴンで買ったのは、これまた私が愛好する「日替り弁当A(鶏ももスパイス)」。「山賊焼き」だったら二日続きでまったく違う山賊を味わうことになって面白かったんだけど、そうはうまくいかなかった。けど鶏ももスパイスはうまかった。

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  駆け込んでも待っている間にガソリンを消費するのでは、という考え方
 ついでに言うと、かなり雪が降るという予報が外れ、金曜日から土曜日にかけても新たな積雪はほとんどなかった。うれしいはずれだ。だから気象予報士を恨む気はまったくない。

 土曜日は朝のうちに車にガソリンを入れにSSに行った。
 1日だか2日前にガソリンの価格が上がったばかりだ。妻はそれなら値上がりする前に入れに行けばよかったのにと言うが、5円上がったとして30リットル入れても、150円だ。値上がり前の駆け込み給油で混みあうスタンドで、アイドリング状態で待つことを考えると、150円余計に払ってでもふだん通りに給油するのを選ぶ。それが私の価値観だ。
 ちなみに今回レギュラーガソリンの価格はリッター175円。会員割引が6円だったので、リッター169円だった。

 スタンドから帰ると、この一週間で積もった少しの雪を雪かきし、空き地に運ばず庭に捨てた。
 昼はまたまた江丹別そばを茹でて食べた。何日か前に妻が作った親子丼の具(鶏肉が少なかったので麩も入れてあるが、案外イケる)でミニ親子丼を作って、そばのお供にした。
 60歳過ぎにしては食べ過ぎだ。
 でも食べられるということは健康の証だ。仮にそれが不健康になる入り口であっても。

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♪ 今日の一曲 ♪
 C.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-88 ドイツ)の「専門家と愛好者のためのロンド付きピアノ・ソナタと自由な幻想曲第6集(Clavier-Sonaten und freye Fantasien, nebst einigen Rondos furs Fortepiano, fur Kenner und Liebhaber. 6 Sammlung)」Wq.61(1787刊)。

CPEBach55


いったいどこの誰が私にそんなに荷物を送ってくださっているのか?

  特に熱心な送り主はヤマトに佐川、東電にえきねっと
 私のところに届くスパムメール(迷惑メール)については、このブログでもしばしば取り上げているところだ。

 『迷惑メール』っていうくらいだから、もらっても迷惑なだけなのだが、とはいえ、たまには笑えたり、突っ込みどころ満載の内容のものもあってー15年ほど前には「スパムメール大賞」という本が出版されたほどイジレルものが多々あるのだー、全然来なくなるとこれまた寂しい限りなのも事実。いや、もちろんこれらのメールに引っかかったりしない、だまされたりしない、被害に遭ったりしない、という大前提のもとに、ということではあるが……

BookSpam

 先月も大量に来るメールについて話題にしたが、そこでは迷惑メールフィルターの設定次第では私の目に触れる前にはなからはじいてしまうこともできるが、フィルターの判定ミスで間違って大切なメールも迷宮入りしてしまう恐れがあるので [meiwaku] をタイトル前に付けたうえで受信ボックスに入るように設定していることを報告した

 しかし、先月あたりから [meiwaku] の称号を与えられたメールが、さらに増えてきた。

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 ここまで多くなってくるとさすがに、たまにはおもしろいスパムメールもあって楽しいわ、なんて悠長なことも言ってられない。まったくもって迷惑だ ← だから『迷惑メール』なんだってばぁ。

 そしてまた、この1カ月ほど注意してみていると、まともなメールに対して間違って [meiwaku] が付けられているケースはゼロであることがわかった(逆に迷惑メールのくせに、由緒正しきメールのようにすり抜けてきているものは2通ほどあった。これらは迷惑メールとして au に報告した)。
 なので、いっそのこと私の目には一切触れないまま闇に葬る設定にしようかと思ったが、でもやっぱりちょっぴり心配で、そうは踏み切れない煮え切らない私。

 そこで『迷惑メールの処理方法』を下から2番目の『破棄する/破棄通知メール送信』に変更して様子を見ることにした。

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 これで送信されてくる通知メールをしばらくの間チェックし、迷惑メールではない『恩恵メール』がブロックされずに受信ボックスに無事に届くようなら、いちばん下の『破棄する/破棄通知メール停止』に変更するつもりだ。

♪ 今日の一曲 ♪
 今年が生誕150年となるラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937 フランス)の作品から、「高雅にして感傷的なワルツ(Valses nobles et sentimentales)」(1912)。

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復活する人たちとチェックが入る人たち。そして抹消される人びと

  師走、早くも中旬入り!
 もう今日から12月も『中旬』である。逆に言えば、もう12月の3分の1が過ぎ去ってしまったことになる。これは、冷静に考えると「正月が近づいた!」と喜ぶべき話ではなく、余命が10日分短くなったと憂う話だ。

 いま、部屋にはモーツァルトの交響曲第40番の第1楽章が流れている。
 12月も10日が過ぎてしまったなどと書きながらこの曲を聴いていると(在宅ワーク中のくせに)、涙がチョチョ切れそうになってくる。でも、考えてみれば『チョチョ切れる』ってどういう状態なんだろう。わからないで書いて、ゴメン(その後、ネットで調べ理解したが、関西の俗語とは知らなかった)。

 で、このあいだの日曜日に、いつまでも逃げ回ってられないそろそろ取り組むべき作業に『ちょっとだけ』取りかかった。
 年賀状である。

 私は年賀状作成ソフトに「筆まめ」の廉価版を使っている。しかも、2020年版である。

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 だってこれでじゅうぶんなのである、私には。『謹賀新年』とか『賀正』、『初春のお慶びを申し上げます』といった素材に干支は関係ないから。干支や年号の素材を使わないなら、毎年買い直す必要はないのだ。

 その「筆まめ」の住所録を開き、前回(2024年正月分)『年賀状は喪中につき失礼させていただきます』と挨拶状が来ていた人の住所録の『年賀状の宛名を印刷しない』のチェックをはずし、復活させる。

 次に、今回『喪中につき』のはがきが来た人の名簿の『年賀状の宛名を印刷しない』にチェックを入れる。
 さらに、今年の年賀状で『今回でおしまい』と年賀状じまいを伝えてきた人を、住所録から削除する。

 というところまでの作業を行なった。
 もっと減るかと思ったが、まだ住所録には90人ほど登録されている。私にはあまり友だちがいるという実感はふだんないのに、実に不思議な現象である。

 しかし、年賀はがきを買うアクションはまだ起こさない。さらに喪中はがきが来そうな感じがするからだ。年賀はがきを何枚買うかぎりぎりまで待つことにする。

  で、やめるの?やめないの?
 そしてまた、今回でウチも『年賀状おしまい宣言』をするかどうか、私は迷っているところだ。
 それにしても、郵便料金がこんなに上がらなければ、自分が字を書けるうちは、あるいはボケて字を忘れるまでは、執念深く年賀状を送り続けようと思っていたのに、ちょっぴり悩ましいところだ。
 物価高に敏感な妻も、年賀状じまいを真剣に考えているに違いない。

 で、その場合は、どういう文面にすべきか?

 『郵便値上げに断固反対のため、ペンを置いて抵抗します。そうです。今回をもって年賀状を出すのをやめることを涙を呑んで決断します』

とか、

 『もうすぐ年金生活者。ボンビーな私には年賀はがきを買うお金がないので、金の切れ目を縁の切れ目にします。私のせいではありません。郵政を民営化し、物価高を放っておいている政治のせいです』

って感じにすればいいのだろうか。いやいや、ダメダメ。失礼がないようにまじめに考えねば。

 いずれにしろ、やめるならこの先もご縁が続きますようにと、メールや SMS でのやりとりができるようにメールアドレスやスマホの電話番号をお伝えすることになるだろう。そしてまた、逆に「今年でおしまいにします」と書かれた年賀状も来るだろう。数年前からちらほらとあったが、はがきの値上げによってかなり増えるに違いない。

 ということで、妻に「ウチも今回で年賀状じまいをしようか?」と聞いてみたら、意外にも「なんで?」とあっさりと言われた。やめるほどまでには歳をとりすぎていないというのが理由だった。
 ただし、こちらがやめずに送り続けているので相手もやめられないというオーラを発している年賀はがきの送り主については-たとえば子どもが幼稚園に通っていたころに知り合った同じ幼稚園の園児のお母さん(←いや、私が、ではなく、妻が知り合ったのである)-どうするか、もう少し考えてみることにした。

 この日(日曜)の昼は、数日前の夕食の残りの親子丼の具(←妻が調理)でミニ親子丼と、「藤原製麺」の江丹別そばをゆでて前日の夕食の残りのかき揚げ(←妻が調理)をのせてかき揚げ天蕎麦を作って食べた。

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♪ 今日の一曲 ♪
 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の交響曲第40番ト短調K.550(1788)。

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高齢者よ、働け、働け、それがおまえたちの仕事なのだ!

  働かざるを得ない現実だが、定義を変えるならていねいな論議を
 8月16日の北海道新聞に、こんな記事が載っていた。

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 これを読んで、もう『偽書』という説が定着してしまったものの、それでも説得力のある「ショスタコーヴィチの証言」(S.ヴォルコフ編、水野忠夫訳:中央公論社・1980年)の一節を思い出した。

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 ……いったい、あそこ(第5交響曲の終楽章)にどんな歓喜があるというのか。第5交響曲で扱われている主題は誰にも明白である、とわたしは思う。あれは『ボリス・ゴドゥノフ』の場面と同様、強制された歓喜なのだ。それは、鞭打たれ、「さあ、喜べ、喜べ、それがおまえたちの仕事だ」と命令されるのと同じだ。そして鞭打たれた者は立ちあがり、ふらつく足で行進をはじめ、「さあ、喜ぶぞ、喜ぶぞ、それがおれたちの仕事だ」という。……(265ページ)

 にしても、高齢者と定義する年齢を引き上げたんだから、もっと働けって、おかしな話だ。
 そして、そうすることによってこの新たな『社会保障の担い手』からさらに搾取するってことだ。
 新浪氏はまた勝手なことを言っている。あなたに「75歳でいい」なんて、国民の在り方に対して決めつける権利があるのか?

 記事にあるように、SNS での「悠々自適の老後は存在しない」っていう反応は、まったくそのとおりだし、じつはもうすでにそういう状態になっている。

 これだけ物価が上がり、多額の税金が引かれて-年金からも税金が引かれるとはどういう精神構造なのだ?この国は-いるいま、「すでに65歳になったからおうちでのんびり」なんてしてられない。そんなことして、年金では足りない分を貯金(退職金)から切り崩していったら、あっという間に蓄えはなくなる。
 だからアルバイトででも雇ってもらって少しでも稼がざるを得ない。

 「元気で意欲のある人」?。なにを言ってるんだ、内閣府幹部よ。意欲がどうこうじゃなく、働かざるを得ない優しくない国なのだ、ニッポンは。元気だけど、早めにぽっくり死んだ方がずっと幸せかもしれない。けど、ポックリ死ぬのもかなり難しい。

 「おまえたちはもう高齢者じゃないのだ。さあ、働け、働け、それがお前たちの仕事なのだ」。そして高齢者ではなくなった者は、震える手、痛い腰、おぼつかない足取りで職場に向かい、「さあ、働くぞ、働くぞ、これがおれたちの仕事だ」というのだ。

 やれやれ、ほぅら、「さくさくぱんだ」だって値上がりだ。

♪ 今日の一曲 ♪
 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第5番ニ短調Op.47(1937)。

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両手で持つ場所。その名は「ピロピロ」♪ドビュッシー/噴水

  ここを持っていれば噴きだす恐れなし
 お孫ちゃんたちがわが家に滞在している間、お孫ちゃん(兄)と一緒に何度かスーパーやコンビニに買い物に行った。
 そのときに200mlパックのジュース(アップルやぶどう)や、いちごオ・レ(俗にいういちご牛乳)を買ってあげた。

 あるときそのパックにストローをさして渡そうとすると、お孫ちゃんは「ピロピロは?」と私に言った。
 どうやらパック上部の両サイドに折りたたむようについている三角の部分をピロピロというらしく、ここを持って飲むことが習慣になっているようだ。
 それは通っている保育園でのやり方で、なるほど、そのままパックを持たせると握った圧力でストローから中身が飛び出してしまう。その防止策として、園児たちは『ピロピロ』を持って飲むように教えられているのだ。

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 なお、お孫ちゃんはジュースはふだんからよく飲んでいるが、『いちご牛乳』は初めて口にするものだったようで-このような甘い乳飲料をふだん親は与えていないのだ-たいそう気に入っていた。私もお孫ちゃんと並んで座って、何年、いや十何年ぶりに飲んでみたが、率直に言って、たいへんおいしく感じた。

 ところで、海外からの果汁が品薄で価格が上がっているとは聞いていたが、100%ジュースの価格がとても上がっていることに驚く。いや、よく利用しているスーパーでは、Dole のリッターパックの姿が消えた。元々安めの価格設定だった「めいらく」のものは並んでいるが、ここ数カ月で異様な価格上昇率だ。

 なんでもかんでも値上がりしているが、便乗もあると私は思っているし、コストアップ以上に価格に上乗せしているものもあるんじゃないかと疑っている。

 ドビュッシー(Claude-Achille Debussy 1862-1918 フランス)の「噴水(Le jet d'eau)」(1889)。
 歌曲「ボードレールの5つの詩(5 Poemes de Charles Baudelaire)」(1887-89)の第3曲。歌詞は詩集「悪の華」より。

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 「悪の華」といえば、何年か前に押見修造のコミック「惡の華」の電子版を買って読んだ(全10巻)。
 なかなか面白い漫画だった。

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禁煙パイポのCMが流行ったのは何年?♪ブリテン/気まぐれ

  そのときそのときの出来事の記憶がよみがえる
 私が大学を卒業して就職し、最初に配属となった課では、取扱商品の販売促進業務も行なっていた。そのため、広告代理店と折衝する機会も多かった。

 そんなときにたまたま見つけたのが、ホイチョイ・プロダクションズの「気まぐれコンセプト」という4コマ漫画の本だった(小学館)。買った店は今はなき、ルーブルなにわだった。
 この漫画はビックコミックスピリッツに連載されているもので、それが単行本化されたものだった(1984年)。広告業界を題材にしており、専門用語の解説もあり私は教科書として重宝した。

 その本を誰かに貸したのだが、返って来ずそれっきりに。

 連載開始から2015年までの35年間のベストセレクション版である「気まぐれコンセプト完全版 35年分」が2016年に発刊となり、さらに2020年に電子書籍版も発売されていたことを今年の7月にたまたま知り、8月の初めに電子書籍版を購入。ただ、完全版といっても全作品を収録しているのではなく、ベストセレクション。それでもかなりのボリュームで先日ようやく読み終えた(ずっと連載が続いていたということにも驚いた)。

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 そのときそのときの流行や時事ネタなどが盛り込まれていて、こんなこともあったなぁ、あんなものが流行ったなぁと、たいへん懐かしく、そしてとてもおもしろかった。
 1981年から2015年までの35年間の『歴史』や『文化』に興味がある人は、けっこう楽しめるのではないだろうか?

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 ただスマホで読むと文字が小さくて、老眼がさらに進んだ私にはけっこうしんどかった。
 最初にこの本の単行本を買ったときは、まだ20代半ばで老眼のだったのに……

  私のあとにもお客さんが2人
 時事ネタといえば、先週の金曜日の朝のこと。

 札幌駅西改札前の弁菜亭ワゴに向かうと、二人連れの先客が。外国人のカップル。おそらくは夫婦だ。二人は悩みながらも「幕の内 いしかり」と「知床とりめし」を買った。
 その間待っていた私は、2人が買い物を終えたあと、続いて「幕の内 いしかり」を買った。
 私の後ろにはすでに2人のお客さんが並んでいた。
 お客さんが増えてきて何よりだ。

 9時過ぎから札幌は暴風雨となった。
 朝のうちに昼食を調達しておいて良かったと思った。

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 あれ?あんまり時事ネタじゃないな……

 で、今日のタイトルの答え。

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 ブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)の「気まぐれ(Fancie)」(1961)。
 ピアノ伴奏の斉唱の曲である。
 
BrittenNaxos

失効しそうなポイントを元気のために使う♪ピエルネ/鉛の兵隊の行進

  私は『元気ビンビン』非対象者
 やっぱり無駄にするべきではないと思い直した。


 スマホの au PAY アプリの PONTA カードと連携しているはずなのに、移行できなくて涙ぐんだポイントだ。おそらく、私が致命的な勘違いをしていて、きっとそういうことはできないのだろう。
 だが、やはり約900円分のポイントをそのまま流してしまうなんて、金持ちでもあるまいし、もったいない。そんなもの要らないよという態度自体が、感じ悪いではないか!

20230826Aen ということで、au PAY マーケットで『送料無料』のサプリメントを買うことにした。
 亜鉛のサプリである。
 私は365日毎日ではないが、亜鉛のサプリメントを飲んでいる。
 亜鉛は、セックスミネラルと言われるミネラルで、性腺機能の維持に重要だとされる。精力アップの健康食品に含まれている亜鉛成分のおかげで「このサプリを飲んで、あっちが回復しました」と、新聞広告でお語りになられている男性老人を目にすることがあるが、そっちの方の効果については、悲しいことに少なくとも私は感じたことはない。

 私が亜鉛を飲むのは、パッケージに書かれているように『健康を維持したい』とか『食べ物をおいしく食べたい』というひじょうに漠然とした目的のためではなく(そういう表現しかできないのだろうが)、免疫力のアップと下痢の予防の効果を期待してである(蒲原聖可著「サプリメント小事典」:平凡社新書2003年初版、に書かれていた)。これまた、効果が出ているのかどうか判断がむずかしいが)。

202308KamoharaSap

 ということで、900円を無駄にせずに使い切ったという報告を終える。

 ピエルネ(Gabriel Pierne 1863-1937 フランス)の「鉛の兵隊の行進(Marche des petits soldats de plomb)」。
 6曲からなるピアノ曲「私の子供たちのためのアルバム(Album pour mes petits amis)」Op.14(1887)の第6曲(オーケストレーションされた版で演奏されることも多い)。

GrovesPO

 なお、亜鉛と鉛はまったく別の元素である。元素記号は亜鉛が Zn で、鉛は Pb。そして、鉛には毒性がある(そんなものを兵隊のおもちゃにしてはいけない!)。

腹ペコなアオムシとの付き合い方 2023♪ショパン/練習曲Op.25-9

  ブロッコリーはお嫌い?
 庭でバラや野菜を育てている私にとって、最大の敵は害虫である。
 しかし、一口に害虫と言っても、アブラムシサンゴジュハムシ(オオデマリの葉を食い荒らすイモムシ)、アブラナ科の野菜にやって来るナガメなんかに対しては、私はお情け無用で駆除作戦を遂行するのだが、アオムシ、つまりモンシロチョウの幼虫に対しては、それがモンシロチョウの子どもであると思うと、なんとなく退治するのが申し訳ない気持ちになってしまう。モンシロチョウが好きだというわけではないのだが、それでも殺すには忍びないと思ってしまうのである。

 それでも、昨年はダイコンの葉を食い散らしているアオムシどもを退治した。あたりが糞だらけになっているのが耐えられなかったのである。

 しかし、今年はアオムシは駆除しないでおこうと私は決めた。
 というのも、お孫ちゃんが好きな本のなかに「はらぺこあおむし」というのがあるのを知ったからである。

HarapekoAomushi1

 それなのに、わが家庭菜園に潜む腹ペコなアオムシを駆除するなんてことが、私にできようか!

 ストーリーは、葉っぱの上にあった小さな卵からちっぽけなアオムシが生まれ、食べ物を探しては食べ続ける。そして、すっかり大きくなってアオムシはさなぎになり、やがてきれいな蝶になる、というもの。
  アオムシが食べたあとのように、ページに穴が開けられた造りとなっている。

HarapekoAomushi2

 この絵本は、たくさん食べたら大きくなれるということを子どもに示唆しているし、また食べ過ぎておなかが痛くなったあと緑の葉っぱを食べたらおなかの具合もすっかり良くなったという、野菜を食べるといいんだよ、ということも訴えており、短いながらも奥深い話になっている。

 半年ほど前に、お孫ちゃんがわが家に遊びに来たときに、廊下に飾ってある絵を指さし、つたない言葉で「あ お む し」と言った。
 「えっ?」と私がその絵を見ると、なんとそれは「はらぺこあおむし」のものだった。

HarapekoPoster

 いつも目にしているのに、まったく「はらぺこあおむし」という認識が私にはなかった。なんてこったい……。それにしても、この絵はいつどこで買ったのだろう?妻が一人で買って来たってことは考えられないから、一緒にいるときに買ったのだろう。けど、記憶にない。

 さて、今年はダイコンを植えていないし、アオムシが好むアブラナ科の野菜はルッコラとコマツナを収穫したあとの今はブロッコリーだけだ。

 で、ブロッコリーは葉が食べられても食用にする花蕾まではアオムシに食べられないだろうし(だったらダイコンだってそうじゃないか!)、どっちにしろ収穫のピークは過ぎた。ということで、もしアオムシを発見したとしても、温かい目で見守ることにした。

 葉を見ると、いた。アオムシが。でも2匹だけだ。

Aomushi20230716

 5日後。
 ちっぽけなアオムシは、少し大きくなった。

Aomushi20230721a

Aomushi20230721b

 ところが、その数日後に観察しに行くと、アオムシの姿はなかった。
 葉の穴も広がっていないし、糞も見当たらない。
 誰かに連れ去れたのだろうか?
 ブロッコリーの葉は見るからに硬そうなので、おいしいものを求めてどこかに行ってしまったのだろうか?
 今年の夏は仲よく付き合おうと思ったのに、いまのわが家の家庭菜園には、アオムシはいない。

 ショパン(Frederic-Francois Chopin 1810-49 ポーランド→フランス)の練習曲変ト長調Op.25-9蝶々(Butterflies)」を。
 「12の練習曲(12 Etudes)」Op.25(1832-36)の第9曲。

ChopnEtudesGav

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MUUSAN

 クラシック音楽、バラ、そして60歳代の平凡ながらもちょっぴり刺激的な日々について、「読後充実度 84ppm のお話」と「新・読後充実度 84ppm のお話」の2つのサイトで北海道江別市から発信している日記的ブログ。どの記事も内容の薄さと乏しさという点ではひそかな自信あり。

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