再冷凍後再解凍したのでまったく傷んでいません
鮭の切り身に関し、私がとても気の毒な経験をしたことを、昨日書いた。
しかし、この思いをずっと引きずることは、自分自身のためにも、さけ・ます類のためにも、さらには弁菜亭のためにも、決してプラスになるものではない。鮭の切り身(それも一切れの半分にも満たないサイズだ)で私と札幌駅立売商会との関係にひびが入るようなことがあってはならない。
気を取り直すために、日曜日の朝、私は鮭の切り身を焼いた。
いやいや、心配には及ばない。
とっくに消費期限が過ぎているが、買って来てすぐに冷凍庫にしまいこんだ。業界筋からは再冷凍はお薦めしないと言われそうだが、どうしようとこっちの自由だ。
それにしても、このところ飲食店での食中毒発生(ノロウイルス)のニュースをよく目にする。飲食店で、それもミシュランに載ったこともある店なんかで大当たりとなっちゃうと、客としてはもう防ぎようのないお手上げ状態ののゲロゲロピーってもんだ。気をつけようがないもの。まあ、ミシュランガイドも、「えっ、この店が?」っていうのが載ってることもあるけど。
このイオン(マックスバリュ)で売っている「天然紅鮭 至宝」は、なかなか味が良い。
甘塩なので、私は焼く前にほんの少しだけ振り塩をする。
で、十数分後。「グリルの調理が終了しました」とグリル嬢(本名:日立ラク旨グリル HT-M8STF)が美しい声で私に教えてくれた。
この日の朝刊を背景にしたのは、「トランプってひどい奴、でもゼレンスキーって人もどうなのかな」と思ったことを、私の記憶にとどめておきたかったから。ってわけではなく、この二人とは違い、やはり私と弁菜亭との関係に決裂はないということを象徴的に訴えたかったのだ。決裂した記事を載せたんじゃ説得力がないかもしれないけど。
焼き上がった鮭の切り身からは、骨がその存在を自己主張することなく「ごめんね。食べるのに邪魔でしょ」という謙虚な姿勢が伝わってきた。
私のほんの気持ちばかりの振り塩が功を奏し塩加減もばっちりで、鮭のうまみが最大限に引き出されている。口に入れると、口腔内で香ばしさがスカッシュのボールのように飛び跳ねまくった。
意気込みも大切だが形だって大切
ところで、阿部直美・阿部了の「おべんとうの時間(3)」(木楽舎:2015年)な中で紹介されている音威子府村の「砂澤ビッキ アトリエ3モア」名誉館長の河上實さん。
河上さんは、中学生のころから木材店をやっていた父親の手伝いで雪深い山に入って丸太運びを手伝ったが、そのときに食べる弁当は、その状況から握り飯以外考えられなかった。仕事師たちが持ってきて食べていたのは豪快なでっかい握り飯だったと語り、こう続けている。
僕の握り飯は母親が作ってくれる普通のだったけど、どうやったら冷えずに食えるか必死に考えたなあ。塩引き鮭の周りのご飯は、味が浸みてて旨かった。あの強烈な思い出もあって、今もうちの(妻)に毎日おにぎりを作ってもらってるんです。
わかる、わかるなぁ。
いや、丸太運びの過酷さじゃなく、鮭の周りの味が浸みたご飯の味。
あれ、おいしいけど、ちゃんと焼いた鮭じゃないとそんな味はしない。フレーク?まったくしない。
ちょっと塩が強めの焼き鮭じゃないと。
けど、たとえば弁当のご飯の上に切り身をボンッと載せたりすると(どーだ、鮭弁当だぞ!みたいな弁当にありがち)、一歩間違えると、味が浸みるのを通り越して魚臭くなっちゃって、そうなると私は苦手(鮭の焼き方ー例えば大量調理のための蒸し焼きーの問題もあるのだろうけど)。
で、何を言いたいかというと、味が浸みるのもいいけど、焼きたての鮭で炊きたてのご飯を食べるのがいちばん、ってこと。
今回、鮭が焼き上がったあと(焼き時間はクッキングヒーター任せ)、もうちょっと焼き目がついた方がいいかなと思い、2分間の追加焼きをした。そのせいで、ちょっとパサつき気味になってしまった。
この先1年後に会社勤めの生活が終わったら、雌鶏 並みに朝起きるのが早い私は(最近、雌鶏にも雄鶏にもお目にかかったことがないが、きっといまでも早起きの習慣は変わっていないのだろう)、毎朝ちゃんとしたー健康的なという意味でー朝ご飯の用意をし、よく噛み噛みして食べるようにしなければならないが、それに向けて、いまから中までちゃんと火が通っているけどジューシーな鮭の焼き方、適正な塩加減でだしの旨味が舌をうならせる美味なみそ汁の作り方、妻がバイト先に持って行く弁当に入れても恥ずかしくないと合格点を得られる玉子焼きの味つけと仕上げ方を習得しなければならない。
ただ、こういう前向きな姿勢も大切だが、『形』も重要である。
ということで、エプロンが欲しいと妻にお願いしているところだ。
♪ 今日の一曲 ♪
ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第83番ト短調Hob.I-83「めんどり(La poule)」(1785)。
子どものころ、ニワトリを飼っていた。
スーパーで買い物をした景品がひよこだったのだ。
どうしてひよこだったのだろう?
ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第83番ト短調Hob.I-83「めんどり(La poule)」(1785)。
子どものころ、ニワトリを飼っていた。
スーパーで買い物をした景品がひよこだったのだ。
どうしてひよこだったのだろう?