
今日は「昭和の日」か……(ただつぶやいてみただけ)
クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。 背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)
熊がころり、社長さんもコロリ
帯広勤務中は十勝清水にある取引先の社長(いまは勇退)と親しくさせていただき、ときどき一緒にお酒を飲む機会もあったが、先日電話したところ「台風で大変だったが台風にめげずに元気だ」と言っていた。実際、その話しぶりは相変わらず精力的だった。何よりである。
このお方は“北海熊ころり”という日本酒が好きだった。小樽の酒で超辛口である。
ふだんは日本酒は飲まない私だが、「ほんとに美味いから、あんたも飲んでみな」と社長さんに薦められて口にしたことがあるが、とても美味しい酒だった。
そしてまた、社長さんはその酒しか飲まなかった(たまにそうでないこともあったが)。
伝統ある北の誉が廃業、その影響で……
その“北海熊ころり”の蔵元“山二わたなべ”が廃業したと、“財界さっぽろ”の11月号に載っていた。
記事で初めて知ったが、“熊ころり”は北の誉酒造に醸造委託していたのだそうだ。ところが北海道の歴史あるメーカーの北の誉が閉鎖。
゛わたなべ”は別な委託先を探したものの見つからなかったという。
社長さんは“熊ころり”がこの世から絶滅しちゃったことを知っているのだろうか?
自宅の在庫(たぶんけっこうあると思う)がなくなったら終わり。どんなに悲しむことだろう。
先見の明があった?
日本酒といえば、札幌市西区は西野に“リカーショップやまや”という店がある。
私が子どものころ祖父母の家に遊び行っていたころからあり、当時は“やまや商店”という名だった。
そのころは普通の商店だったが、その後日本酒に力を入れて珍しいものも揃えるようになった。
先日店の前を通りかかったが、なんだか入口がオープンな感じじゃなくて、立ち寄るのをやめた。
もっとも、日本酒を買う気は全然ないが……
手稲東町(現・西町)と西野(当時は手稲西野という住所)の間にある正路通り(旧国道5号線と山の手通りの中間に、両者に並行している道路)に面しているが(住所は西野1条6丁目)、いまでこそ住宅街の中にあるものの、できた当時はあたりはリンゴ畑だの空地だの、パンジー畑(もちろん出荷用)が多く、そんなに住宅はなかった。
道も大きな通り以外は砂利道で、それも角ばった砕石だった。この砕石はたぶん西野の奥の福井や平和の砕石場で採取されたものだ。転んで手をつくと、出血必至。革靴なんかはすぐに傷ついたに違いない。
そんなところに開店したのだが、いまでは札幌でも日本酒を専門的に扱う有名店になった。たいしたものだ。
めくると“500円”の文字が!
一方、山谷商店よりももっと発寒川側。住所では西野1条4丁目になるが、やはり正路(まさみち)通りに面して“広島商店”というのがあった。
ここは奥行もけっこうあり、肉屋や魚屋、おもちゃ屋に駄菓子屋などがテナントで入っている市場形式の店だった。あのころはここでふだんの買い物をしている人も多かったはずだ。
広島商店の広島というのはこの中の酒屋の名前で、ペプシコーラの王冠の裏蓋をはがすと現金が当たるというキャンペーンで、ここで買ったものの1本で私が500円を当てたことがあり、当たりの王冠を持っていくと店主が大感激し、共に大喜びした記憶がある(その500円でまたコーラを1カートン買った)。
広島商店の並びには喜久恵堂(字は違うかもしれない)というお菓子屋(和洋)があり、浦河から西野に引っ越してからは毎年クリスマスケーキはここに注文していた。昭和51年に西友西野店(西町店ではない)がオープンしたとき、この店はテナントして西友に入り店舗を移した。
広島商店とお菓子屋の間には電器屋と洋品店があったような気がするがはっきり覚えていない。また広島商店の向かいには日立のチェーンの電器店もあった。
その電器店の隣には、あとの時代になってからのことかもしれないが食堂があり、さらそのあとは喫茶店(トーテムだかいう店名)になった。その隣にはタマキという床屋があった。
西野1条5丁目の4丁目側の角(正路通りに面しているところ)には、これまたあとになってからのことかもしれないが、マリ美容室っていうのもあった。マリさんってどんな人だったのかいまだに気になる。
当時を思い返すと広島商店が無くなり、やまや商店が生き残るとは思わなかった。もっとも広島商店の主人と、同じく店に出ていた奥さんとの間にゴタゴタがあり、さらには主人が病気で亡くなったということもある。
正路通りとT字交差するマリ美容室の前の通りを山の手通りまで進むと、その手前に手稲東中学校がある。
校舎は右手、グラウンドは左手である。
にしてもこの道、こんなに狭かったのかと思うくらいいま通ると細い。
この辺りがおそらくは無計画に分譲されたことがうかがい知れる(条丁目になる前の住所は番地だったが、ひどいとび番だった。というのも家が建った順に番地が付けられたらしいからだ)。
知る人ぞ知る東中近くに住む有名人
中学校の裏手には昔から市営住宅があり、当時はそこに住む“丹前じじい”というはげで細身の無気力そうな爺さんが界隈ではちょっとした有名人だった。
いつも丹前姿で、日中に中学校の敷地内を通って山の手通りの方に行く。ほぼ毎日だ。
しばらくするとコカコーラのホームサイズのカートンをぶら下げて帰って来るのである。
いまの若い人は知らないだろうが、ペットボトルのない時代、500mlのビンに入ったコーラをホームサイズといい、その4本が入る厚紙のカートンがあったのだ。
丹前じじいはどこに出動するのか?
方向的にコーラを買っている店は笹原商店か小沢商店と思われた。いずれも山の手通り沿いである。
視線はまっすぐ先を見ており、歩き方もゆっくり。
しかも丹前姿(なのに靴はなぜか革靴。年季は入っていたが)だから、たぶんどこか体の調子が悪いと思うのだが、あれだけコーラを飲めるなら心配ないような気もした。
「ヒ、ヒ、 フィロストラトスでご じゃ、あっ ございます。貴方のお友達セリ ヌヌヌ ヌンティウス様の弟子でご じゃ、いや ございます。」その若い石工も、 ひひひひぃ~っ メロスの ご、ご、ご?、 後について走りながら叫んだ。「も、も、も、 もう、駄目でございます。」 先生。読めまふぇん……
でもあの丹前、いつも同じに見えたけど、替えはあったのだろうか? ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937 フランス)の弦楽四重奏曲ヘ長調(1902-03)。
この作品と、以上のたわごととは何の関係もない。
むしろ今日は異例なことに音楽作品には触れないでおこう。いや、触れようがないと弱気になっていたくらいだ。
でも、メロス弦楽四重奏団の演奏を紹介しておく(井瀬詩麻子のときに続き、何と今年2回目)。
1979年録音。グラモフォン。
虫の居所が悪い教育者?
その丹前じじいが住む市営住宅に同級生も住んでいた。
まだ小学生のころ、中学の体育館の横で(なぜかそこにはポツリとブランコだけが設置されていた)彼とサッカーのボール蹴りをして遊んでいたところ、ボールが体育館のガラスを直撃。ガッシャーンと割れてしまった。
そのすぐ横には校長公宅があった。三角屋根の冬はいかにも寒そうな家だ。
正直者の私たちは校長宅の呼び鈴のボタンを押した(ブーという音が聞こえた)。
赤ら顔の校長が出てきた。単なるおっさんだった。それも寝起きを起こされたような機嫌悪そうな顔つきだった。
事情を話した。
許してくれるかと思ったら大激怒された。
でも弁償は免れた。
いまでも思う。あんなに怒ることないだろうに、と。
今日掲載したビオラや野菊の写真は本文とは一切関係ない。
文字ばかりなら嫌だろうから、イラスト代わりに挿入したに過ぎない。
偉大なる安定型?
昨日、マリネを食べていて思い出した。
マリナーさん、死んじゃったんですね。
私もマリナーが指揮した作品の録音はかなり持っている。レパートリーが広い指揮者だったが、けどこの曲はマリナーじゃなきゃっていうのがない。トヨタ車のように無難な安定感はあるが、強烈なインパクトを浴びせてくることはない。
逆にそのあたりがうまくいっているのが、ディーリアスやヴォーン・ウィリアムズのイギリスもののように思える。
マリナーが(限られた世界ではあるが)一般に知られるようになったのは、映画「アマデウス」の音楽を担当したことによってだろう。
着信するたびに気持ちはト短調
じゃあってことで、映画の冒頭で使われたモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の交響曲第25番ト短調K.183(K6.173dB)(1773)。
この曲自体が「アマデウス」で人気が高まった。いや、というよりも、こんなインパクトのある交響曲がモーツァルトにあったのかと知った人も少なくなかっただろう。
携帯電話のプリインストールされた着メロにも入っていたくらいで、私は一時期、ロクでもない報告のときにしか電話をよこさない相手からの着メロをこれにしていたくらいだ。
しかし、そういう使い方をしていると、本来大好きなこの曲を嫌いになってしまうのではないかと、早々にやめた。
マリナーの演奏だが、オーケストラはもちろんアカデミー室内管弦楽団(アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ)。
ただし今日ここで取り上げたCDの演奏は1987年録音。
映画が制作されたのは1984年なので、あの狂気じみたサリエリの顔とともに流れる演奏とは別なものである。 死にまつわる話をもう2つ
死んだといえば、まだ買って1年半も経っていないLedioが、死んだ。
正常なら白地に黒の文字が表示されるのに、古代エジプトの洞窟に描かれた象形文字のような表示になってしまった。
朝、満タンに充電してカバンに入れ、電車の中で読もうと思ったらこのザマだった。
カバンの中に何か電磁波を発するようなものがあって狂ってしまったのか?あるいは気づかないうちにカバンが象に踏まれたのか、あるいはカバンが落雷に遭いショートしてしまったのか知らないが、電源スイッチを何度押しても、リセットボタンを何度つついてもウンともスンと言わない。
って、ウンともスンとも言わないってヘンテコな言葉だ。何かの折に「うん」と言う人はいるが、「すん」と言う人に出会ったことは、たぶん私はない。
もう死んだと思った。
が、帰宅後再度充電し、充電ランプが消えたときに、よみがえった。
三途の川の手前で引き返してきたのだ。
が、満タンに充電した直後に、なんで自己放電してしまったのだろう?
謎が残る。
もう1つ死んだといえば、あの“アリの巣コロリ”の劇的な効果のせいか、ナツツバキ周辺でアリの姿をまったく見かけなくなった。
巣の穴のあちこちにはミイラ化したアリの死骸が残っているに違いない。 数百年後、アリ世界の考古学者がそこを訪れ、一夜にして絶滅した謎を究明しようとするかもしれない。
が、謎は残ったままだろう。
ガリバーのような生物が来て、巧みに罠におびき寄せ、おいしい毒餌で絶滅に追いやったなど思いもよらないだろう。
が、姿を見かけなくなったのは、単に、寒くなったから引きこもりモードに入っただけかもしれない。
ススキだって、緑の季節の終わりを告げているもの。
しょうがない、月見だんごでも食うか。十五夜はとっくに終わったけど。