昭和で生きた年数は28年、平成は元年から31年まで全期間
火曜日の『昭和の日』は、江別も朝から強い雨。そして寒い。ニュースでは雪が積もっている帯広市内の様子なんかを映していた。
先日私が通った中山峠も、この日は雪が積もったとニュースキャスターが言っていた。
どこのテレビ局も中山峠で一休みしているドライバーに同じような質問をし、聞かれた方は「驚きました」と同じように答えていた。きっと「まっ、こんなことがあってもおかしくないでしょう」なんて答えたら、それはカットされるのだろう。どんなことになるかわからないから、やっぱり4月中はまだ夏タイヤに交換しない方がいい。
ところで、このブログの読者の方々は、昭和生まれの人が多いような気がする。平成生まれよりも。なんとなくだけど。昭和の最後の年になった1989年に生まれた人が、今年の誕生日を迎えると
36歳。うん、やっぱり36歳より若い人よりも36歳よりも年上の人の方が、私の読者には多いような気がする。Google Analytics を見たら男女の割合とか年齢層の推定値がわかるんだっけ?
昭和36年生まれの私だが(札響と同い年)、考えてみれば生きてきた年月は昭和の時代よりも平成の時代の方が長い。どっぷり昭和人間だと思っているのだが、平成の方が長かったなんて不思議な気がする。そしてまた88歳まで生きてしまったら、平成で過ごしたのと同じ年数を令和の時代で生きたってことになる。いえ、そんなに長生きしませんけど。
そんな天気の中、外に出て庭いじりなんかをしても風邪をひいて肺炎になりかねないので、ゴールデンウィーク中は休むと宣言していたブログの記事をちまちまと書いた。
ほかにやったのは、エアコンの電源のブレーカーのスイッチを ON にしたこと。これで、いつからでもエアコンが使えるようになった。試運転は『暖房』で行なった。
ちなみに、家の暖房(セントラルヒーティング)は、もちろんまだ作動させ続けている。
180g・約2人前……たべすぎでせうか?
で、寒い日なのに昼は冷たい蕎麦。
「まるなか」の「蝦夷開拓そば」をもりそばにして食べた。今回はライスは付けず。でも、そばを一人で一袋食べてしまった……(出来上がり写真に写っている麺の量は1/2)。
パソコンに向かう以外何もせずに夕食の時間に。
この日の調理担当は私。
鶏のもも肉があったので、照焼きを作った。味付けは砂糖としょうゆとみりんとコショウ(酒は切らしていた)。札幌駅立売商会(弁菜亭)の「鶏照焼き弁当」を真似て、ナポリタン風スパゲティを添えた(味付けはイオンの「基本のトマトミックスソース」)。
よし、まあまあの出来上がり。合格点だ。
で、私のこのブログの来訪者の年齢層について、Google Analytics の4月分のレポートを見てみた。
やはり若い人は年寄りのたわごとにあまり興味がないようだが、でもいちばん多い年齢層は『Unknown』だった。
♪ 今日の一曲 ♪
アミルカニアン(Robert Amirkhanian 1939- アルメニア)のピアノ曲「春の雫(Spring Drops)」(2009)。
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⇒
Armenian Piano Music
アミルカニアン(Robert Amirkhanian 1939- アルメニア)のピアノ曲「春の雫(Spring Drops)」(2009)。
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