新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

北海道新聞

ピーク時282店舗 ⇒ 2月17日から2店舗

  そのうち社名も変わる?
 1月29日の北海道新聞に、 JR 新札幌駅のキヨスクが閉店するという記事が載っていた。

20250129Doshin

 「じゃあ岩見沢の釜めしはもう新札幌では買えなくなるのか」とかいう話はともかくとして(って、私が買ったのは4年以上も前の話だし)、これで残るキヨスクは2店舗のみだって(kiosk の写真は「JR北海道フレッシュキヨスク」のホームページから転載。順に、新札幌駅、ラッチ東、ラッチ中。新札幌店の写真は、まだダイエーがあったときのものが使われている)。

k新札幌

キヨスク札幌ラッチ東-scaled

キヨスク札幌ラッチ中-scaled

 小学生のころ、浦河に住んでいたときには、浦河駅にもキヨスクがあった(当時はキヨスクという名称ではなかったかもしれない。鉄道弘済会売店?)。そこのキヨスクで初めて「道内時刻表」を親に買ってもらったのだが、表紙は711系車両の写真だった。ということは、711系がデビューした1968年のことだったんだろう。
 浦河から札幌の祖父母の家に急行「えりも」に乗って一人旅で遊びに行くときは、ここのキヨスクでおみやげの「サラブレット煎餅」を買って持って行った(ような記憶がある)。

20250202TimeT1968Erimo
(JTB 時刻表復刻版 1968年10月号)

 それにしても、kiosk は札幌駅改札内の2店だけになるのか。
 まあ、「JR北海道フレッシュキヨスク」は四季彩館やセブンイレブンの運営も行なっているわけだから、もうキヨスクにこだわる意味もないのだろう。そのうち社名も変わるかもしれない。

 私も久しく、かつてはよく利用していた「ラッチ中店」で買い物をしていないので、不義理を反省して、たまには弁当を買うとするか。でも混んでて買いづらいんだよなぁ、朝は。

♪ 今日の一曲 ♪
 サティ(Erik Satie 1866-1925 フランス)の「競馬(Les courses)」。
 ピアノ曲「スポーツと気晴らし(Sports et divertissements)」のなかの1曲。

SatieTakahashi



トイレではリフォーム作業中、キッチンではチャーハン調理中

  おじさんはいま仕事を始めたばかり
 先週の水曜日の朝は、札幌駅立売商会(弁菜亭)のワゴン自体はすでに定位置に置かれていたものの、おじさんが一人、「さて弁当を並べるとすっか」的状況。つまり情勢は『これから』ってことが横目で見てわかったのでスルー。

 ということで、会社に行く途中にファミリーマートに寄った。ファミマといえばこないだ「山ちゃん」の『山賊焼弁当』を買って食べたが、この日はチルド弁当の「肉汁じゅわっと 大きな鉄板焼ハンバーグ弁当」を買って、昼に職場にある電子レンジの中に置き500Wで4分30秒回転させて食べた。

IMG20250122110509

IMG20250122110518

 嘘偽りなくじゅわっとジューシーなハンバーグでデミソースもおいしかったが、でもやっぱりどこかコンビニフレーバーを感じるものだった。いや、それが良いとか悪いとかではなく、示し合わせたようにそういうふうな味になるのが不思議といえば不思議だ。

IMG20250122115917

  決め手はピーマン?
 木曜日は在宅ワーク日。
 そしてまた、この日はトイレのリフォームで工務店の方々がわが家にやって来た。つまり、私としては仕事どころではないのだ。古い便器の取り外しや床材の張替え、新しい便器の取り付けなどの作業を興味をもって眺めさせていただいた。といっても、狭い空間なのでのぞき見状態。だから、あまりよく見えなかった。トイレの話については、また日をあらためてご報告する予定。

 この日の昼は炒飯を作った。
 チャーハンの素は使わず、鶏がらスープの素とオイスターソース、しょうゆで味つけ。弱火で卵を半熟状態までゆっくりと炒めたあとご飯を投入するのだが(ごはんは冷たいままだとダメ)、そのときにしっとり仕上がるように少量の酒を振りかける。そのあと、細かく刻んだ長ねぎ、ピーマン、粗びきウインナーを入れて炒める。
 これが出来上がりの図。

20250123Cyahan

 この日もおいしく出来上がった。
 少し取り分けておいたのを夕食時に妻が食べたが、「今日のはおいしい」とお褒めのお言葉をいただいた。

  ラッキョウと迷ったが結局福の神に
 金曜日の朝も札幌駅立売商会(弁菜亭)のワゴンは開店前の準備中で購入できず。
 午前中に出かける用事があったので、久しぶりに「わくわく広場」に寄って「アジト」の「鶏五目ご飯」弁当を買った。

20250124Ajito1

20250124Ajito2

 あいかわらずおいしかったが、この日はご飯の炊きあがりがちょっと硬めに感じた。

 そして土曜日。
 「もう20日以上雪かきしてない。こんなんでいいのだろうか」と思いながら、午前中のうちに散歩がてらスーパーに行って福神漬を買い(今宵はカレーライスだと妻から情報を得たので)、昼はこのときと同じ組み合わせ、つまり「菊水」の麺とスープでしょうゆラーメンを作って食べた。

20250125Ramen

 前にも書いたように、このスープも西山製麺のスープと同じく和弘食品で製造している。

 その和弘食品だが、1月6日の北海道新聞に広告を出していた。

20250106WakouAd

 すごいね!隠れた大企業だ。

♪ 今日の一曲 ♪
 ケージ(John Cage 1912-92 アメリカ)の「4分33秒(4'33")」(1952)。

CageRadio


むかしの札響公演パンフを画像データ化してご紹介♪第320回定期演奏会

 ※ このシリーズを始めたきっかけについてはこちらをお読みください。

  1.5代目常任指揮者・山岡重信
 この日の定期演奏会にも、私は行っていない。
 前回書いたように、シュロモ・ミンツが「~かしら」と不思議がっている(13ページ)。

 ところで、10ページに書かれている伊福部昭の交響詩曲って別な曲名の書き間違いだろうが、何の曲のことだろう?交響譚詩だろうか?
 
19901211SSO320th_01

19901211SSO320th_02

19901211SSO320th_03

19901211SSO320th_04

19901211SSO320th_05

19901211SSO320th_06

19901211SSO320th_07

19901211SSO320th_08

19901211SSO320th_09

19901211SSO320th_10

19901211SSO320th_11

19901211SSO320th_12

19901211SSO320th_13

19901211SSO320th_14

19901211SSO320th_15

19901211SSO320th_16

19901211SSO320th_17

19901211SSO320th_18

19901211SSO320th_19

19901211SSO320th_20

19901211SSO320th_21

19901211SSO320th_22

19901211SSO320th_23

19901211SSO320th_24

 1月23日に秋山和慶氏が引退を発表。翌日の北海道新聞にはそれを報じる記事も載った。
 札響との数多くの名演奏で私にたくさんの感動、興奮をもたらせてくれた。未知の名曲もたくさん紹介していただいた。
 ほんとうにありがとうございました。
 早く治りますように!

20250124Akiyama

 それにしても、すごい83歳だ。
 やったことはもちろん悪いが、この欲の強さ、パワー、バイタリティーに感心すべき点はある。

♪ 今日の一曲 ♪
 ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937 フランス)のピアノ協奏曲ト長調(1929-31)。

RavelAbbado



改革を進め札響を再建した元事務局長、新型コロナでお亡くなりに

  コントラバス奏者は優れた改革者
 9連休最後の日。
 この日の北海道新聞にはーそれにしてもずいぶんと薄い朝刊だった。たったの20ページだー札幌交響楽団の元の事務局長だった宮沢敏夫さんの訃報記事が載っていた。

20250105Doshin

 私が転勤で東京から札幌へ戻った2008年から帯広に転勤する2012年までの間は、けっこう高い頻度で札響の定期演奏会を聴きに Kitara に行っていたが、ロビーで宮沢さんの姿をよくお見かけした。
 謹んで哀悼の意を表したい。

 そしてまた、多くの人がもう忘れかけている感があるが、やはり新型コロナはいまでも怖い病気なのだ。日々の暮らしの中で、そのことを忘れてはいけない。

 話はガラッと変わるが、この日の昼食は今年最初となるラーメン。家ラーだった。
 麺は菊水、スープも菊水。スープはお値段お高めの「濃厚醤油」ではなく、レギュラー価格(73円)の醤油スープ。このスープを食べるのは久しぶりだ。

20250105Ramen1

 うん。このスープはこのスープでおいしい。大衆食堂(って死語じゃないだろうけど、使わなくなったな)で食べるような、あっさり系の懐かしい味。

20250105Ramen2

 血圧が高めなので完飲はしなかったが、けっこうスープも飲んでしまった。これもまた、脂っぽくないおかげ。
 ふぅ~、おいしかった!

♪ 今日の一曲 ♪
 今年没後200年となるヴォルジーシェク(Jan Vaclav Vorisek 1791-1825 チェコ)の交響曲ニ長調Op.24(1821)。

Tchaikovsky6Sapporo

 この演奏(ライヴ録音)は宮沢さんが退任した翌月に行なわれた定期演奏会のものである。

2025年の仕事始めの日なのに、去年の大晦日から正月3が日にかけてのご報告

  終わってしまえば瞬息の間だった9連休
 「わぁ、9連休のスタートだ!」と喜んでいたのも Long long ago のことのよう。
 今日から2025年の仕事が始まる。それにしても令和になってもう7年目。これまた早いものだ。

 そんな新たな幕開けの日に、去年の大晦日の話。
 この日はときおり雪がちらついたが、まあまあ穏やかな天気。
 窓にくっついた雪が、ちゃんと結晶の姿を残していたので PENTAX K-S1 で撮影。黒死病を患っている私の K-S1。お孫ちゃんを撮るために回復させようと、グリーンボタンを100回以上繰り返し押し続け、復活させたタイミングで撮れたのだった。

20241231Snow2

  うま煮、半身揚げ、ザンギ ← チキントリオ
 昼すぎに長男一家がやって来た。
 お孫ちゃん(兄)とは完全にフレンドリーな関係を築いている『自称・江別の友蔵』的存在の私。しかし、生後10カ月のお孫ちゃん(弟)はまた私のことをお忘れになったようで、私を見て最初のうちは邪悪なものにおびえるように号泣。しかし、徐々に慣れ、夕方には笑顔で見つめ合える関係になった。

 そして妻による大晦日の夜の料理。
 手巻き寿司がメイン。いちばん下の鶏の半身は冷食の「小樽なると屋 若鶏の半身揚げ」。

20241231Dine1

20241231Dine2

20241231Dine4

20241231Dine3

 かつての池田バンビのコマーシャルの「豆まきに、ピィーナッツ・トーリオ!」じゃないが、大晦日に鶏肉をけっこう食べたので翌日の元日の朝、起床した私の第一声が「コケコッコー」になってしまわないか心配になったが、杞憂に終わった。しかし、今年が酉年だったらその可能性があったかもしれない。←アホか!

 年越しそばを食べたあと、まだ22時前だったがお孫ちゃん(兄)と私は一足先に寝室へ。お孫ちゃん(兄)は遊びに来るといつもおじいちゃんとおばあちゃんと寝ると言って、ジジババと『川の字』になって寝るのである。

  穏やかな元旦
 翌日は新たな雪もほとんど積もっておらず、私は心も体も穏やかに新年の朝を迎えることができた。除雪作業に携わる人々にとってもそうだったに違いない。

 元旦仕様でいくつかの部で構成された分厚い-といっても、むかしに比べると迫力がなくなった-北海道新聞の通常面を見ると、やれやれ、元日から訂正記事。これじゃあまるで未明に執り行われる秘密の儀式みたいだ。

20250101Doshin

 朝食はお雑煮。
 昼は前日の年越しそばの残りの麺でかしわそば。ここに書いてあることに反し(とはいえ、朝ではなく昼だが)、ビールを飲んでしまった。

20240101Soba

 夜はふるさと納税(宮崎県小林市)の返礼品の牛肉ですき焼き。
 この日も『爺』は、お孫ちゃん(兄)と早めに寝室へ。

  挽き肉を求めて出かけたが、帰りのお孫ちゃんの手にはロングトミカ
 2日。
 朝、焼き鮭をほぐしてご飯にかけた『鮭ご飯』を食べていたお孫ちゃんが、「おじいちゃんの作ったお肉のご飯が食べたい」と、これまたうれしいことを言ってくれたので、「じゃあ、明日ね」と約束。お肉のご飯とは、肉そぼろをかけたご飯のこと。しかし、約束したはいいが冷蔵庫にも冷凍庫にも挽き肉のストックがない。スーパーも正月休みだ。いや、MaxValu なんかはやっているがわざわざ車で買いに行くほどのことでもない。
 そうだ、LAWSON や セイコーマートに冷凍挽き肉が売っているかもしれないと思い、お孫ちゃんと買い物に。でもローソンにもセコマにも、挽き肉はさすがに置いてなかった。
 そしてまた、ローソンにはトミカが何種類か売っていて、お孫ちゃんに買ってあげちゃった。
 1,045円。豚挽き肉ならけっこうなグラム数が買えそうな金額だった。

20250102LongTomica

 この日の昼は「おせちもいいけどカレーもね!」のキャンディーズのハモリフレーズを思い出しながら、レトルトカレー。けどククレじゃなくて、ボンカレーゴールド。

20250102Curry

 午後、お孫ちゃん(兄)が「はい。おじいちゃんにお手紙!」と紙を渡してくれた。

20250102Letter1

 開くと、3色ボールペンを駆使して描いた『メッセージ』が。
 トミカのお礼なのだろう。にしても、『ジジ殺し』的なかわいいことをやってくれる。

20250102Letter2

 夜はふるさと納税(当別町)の返礼品の「スマイルポーク」でしゃぶしゃぶ。
 またまた、この日も『爺』は、お孫ちゃん(兄)と早めに寝室へ行き、2人そろって即寝。

  朝から肉を切り刻む音が……
 翌朝。
 みんなより早く起きた私は、前日のしゃぶしゃぶの豚肉の残りをまな板の上にのせ、トントントンと包丁で細かく切り刻んだ。
 嫌なことがあってその怒りを発散したかったわけではない。お手製の挽き肉作りだ。
 けっこう粗めではあったが、その挽き肉で肉そぼろを作った(No Photo)。

 1時間ほど後に起きたお孫ちゃん(兄)に「今日の朝ご飯は肉ご飯だよ」と伝え、朝食のときにご飯の上に肉そぼろをのせてあげると、大喜び(←お孫ちゃんが)。何度も「お肉、もっと」と追加をせがまれ、大喜び(←じいちゃんが)。トントンした甲斐があったってものだ。

 この日の午後、お孫ちゃんたちは帰宅。
 いつもは2泊3日なのだが、今回は3泊4日の滞在。
 楽しく充実した時間だった。
 そしてまた、来た日も帰った日も天気が穏やかで、JRが平常運転だったのも何よりだった(お孫ちゃんたちは JR を利用してやってきて、そして帰ったのだった)。

♪ 今日の一曲 ♪
 今年生誕100年となる芥川也寸志(Akutagawa,Yasushi 1925-1999 東京)の作品から、交響曲第1番(1955)。

AkutagawaFoeever


2024(令和6)年を振り返る(3~最終回)「逝ける人たち」

202412DoshinOkuyami 2回にわたり私個人のこの1年のできごとを振り返ったが、そんなもの読者であるあなたにとってちっともおもしろくないに違いない。個人的なメモランダムだから。
 で、今日はそれをさらに物悲しくしたメモランダム。
 今年は北海道新聞のおくやみ欄で、知っている名前をいくつか目にした。

  2月。若いころお付き合いのあった取引先の Y さん
 おくやみ欄で目にした札幌市の、かつて仕事でお付き合いがあった人。この記事に書かれている『取引先の課長さん』である。
 もう年賀状のやり取りだけのお付き合いになって30年以上になるが、仕事で取引があったときには、一緒にいろいろなところに出張もした。
 横浜の中華街に昼食を食べに行き、頼みすぎて全然食べきれなかった思い出は、いまだに鮮明だ。
 帯広に出張したときは、近郊の食堂で大盛りのカツ丼を食べて、夜は一緒に別な取引先との会食があったのに、まったくものを食べられなかった思い出もある。
 中華料理店でふざけて「讃岐うどん2つ」と頼んだ時には大笑いしてしまった(けっこう酔っていた)。
 なんだか食べ物にまつわる思い出が多い。
 先月、奥さんの名前で喪中のはがきが届いた。
 享年74歳。

  4月。ついこないだまでいつも元気に雪かきしていた千田さん
 その2週間ほどあとの2月の下旬のことだっただろうか。在宅ワークをしていた日の午後、家の前を救急車が通り過ぎ、数軒先の家の前に停まった。千田さんの家だ。
 その様子をずっと見ていたわけではなかったので、誰がどうしたのかよくわからなかったが、4月の半ばのおくやみ欄に千田さんのご主人の名前が載った。享年78歳。
 救急車が来る少し前まで、雪捨て場でよく一緒になり、あいさつを交わしたりしていたので、驚いた。
 おくやみ欄に載って、1カ月くらい経ったころ。私が庭にいるときに、千田さんの奥さんがたまたま前を通った。話を聞くと敗血症で亡くなったという。
 また雪かきの季節がやって来たが、千田さんのご主人はこまめに雪かきや雪庇落としをしていた。あんなに元気だったのに、いまだ信じられない。

  5月。山鼻に住んでいたときのお隣さんの T さん
 1990年から1997年まで札幌の山鼻にあった社宅(とても古い一軒家)の隣の家のご主人の名前がおくやみ欄に載った。
 私たち一家が江別に引っ越したあとも年賀状のやり取りは続いていたが、先月奥さんの名前で喪中のはがきが届いた。享年85歳。

  6月。小学校のとき同じクラスだった子
 浦河町で亡くなった63歳の男性。
 その名前に見覚えがあった。姓もちょっと珍しいものなので間違いない(浦河には何軒かあるらしい)。堺町小学校-この小学校に私は入学から5年生の秋まで通った-の低学年のときに同じクラスだった子だ。顔をおぼろげながら覚えている。灰色のセーターを着ていた姿が、なぜか思い浮かぶ。
 
♪ 今日の一曲 ♪
 クルターグ(Kurtag,Gyorgy 1926-  ハンガリー)の「墓碑(Stele)」Op.33
(1994)。

Mahler2Gielen



病院3軒に行っても治るどころか悪化。4軒目の医者の別な見立てで即治癒

  オディールさんの奥さん、受難
 先週の金曜日、オディール・ホッキーさんのところを訪ねた。
 鉱物の話や蜂やユキムシの話、『九帆さん』とはいったい誰かというオディールさんの疑問(かなり苦労して謎解きを試みたようだ)についてや、皮膚科の話などで盛り上がった。

 皮膚科については、オディールさんの奥さんが、唇の周りがただれたようになり、皮膚科にかかったら、「それは〇〇です。ステロイドを出しておきましょう」と医者に言われたという内容。
 ところが何日かしても一向に良くならない。いや良くならないどころかひどくなる。そこで別な病院にかかると、そこの医者も「それは〇〇です。ステロイドを出しておきましょう」と言ったという。
 でも、やっぱり良くならない。3軒目の病院へ。医師は言う「それは〇〇です。ステロイドを出しておきましょう」。これじゃあ、「大地の歌」の第1楽章で3度歌われる「生は暗し、死もまた暗し」みたいだ。そして、ただれはひどくなるばかり。

 そして、4軒目の病院にかかってみた。医者が言うには「それは△△です。抗菌薬を出しておきましょう」。そして、それを塗るとあっという間に治ったそうだ。

 3人の医者が同じことを言って、その見立てはまったく同じ間違い。
 これって怖い。
 私の腫れと痛みは本当にハチによるものだったのだろうか?まあ、それ以外考えられないか……

 私の手の甲の痛みはまだ残っているが、『強力』なステロイド剤を処方してもらい、それを10日以上塗ったので、この日(金曜)の夜で中止した。あとは自然に痛みが治まっていくのを待つことにする。

 オディールさんとの会話の中で、先日紹介してくれた『おにやんま君』の話題にもなり、そこから庭仕事 → アブラムシに対するキラキラの効果へと話題は移っていった。

 しかし、私はここでキラキラ効果については、もう1年様子を見なければならないようだと答えた。

 確かに今年の My Garden ではバラにアブラムシがついている姿をほとんど見かけなかった。間違いなく、風車(かざぐるま)にキラキラテープを貼ったことで、悪代官がかざぐるまの弥七を恐れるように、アブラムシはその光を嫌がり寄ってこなかったと確信していた。

 しかし11月9日の北海道新聞にこんな記事が載った。

20241109Doshin

 バラに被害をもたらすアブラムシとユキムシであるケヤキフシアブラムシは別な種類だろうが、同じアブラムシの仲間には7違いない。同じようにセンチュウにやられて、今年はたまたまほとんど発生しなかった可能性もある。
 来年、また状況を見続けなければならない。
 そのように、オディールさんに私は宣言したのだった。

 この日は、オディールさんが昼食をごちそうしてくれた。
 ありがとうございました!

♪ 今日の一曲 ♪
 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の「大地の歌(Das Lied von der Erde)」(1908-09)。

MahlerErdeNottVPO


むかしの札響公演パンフを画像データ化してご紹介♪第315回定期演奏会

 ※ このシリーズを始めたきっかけについてはこちらをお読みください。

  演奏会よりマイ・ベビー
 この演奏会も私は行っていない。
 実はこの年の春、私は会社の人事異動で同じ札幌勤務ながら部署が変わり異動当初はなかなかコンサートに予定を合わせるのが難しかった。そしてまた長男が誕生し、早く仕事が上がるときはコンサートよりもわが子ってことになった。そんなわけで演奏会から足が遠のいていたのである。

 とはいえ、札響ではない演奏会、この年が第1回目の開催となった PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)の演奏会には、3回足を運んだ。
 3回ともこの年のレジデント・オーケストラとなったロンドン交響楽団のコンサートで、

 ・6月29日 指揮:バーンスタイン、vn:五嶋みどり
   ①ブリテン/「ピーター・グライムズ」~4つの間奏曲
   ②バーンスタイン/セレナード
   ③ベートーヴェン/交響曲第7番

 ・7月4日 指揮:M・T・トーマス、vn:五嶋みどり
   ①ワーグナー/「さまよえるオランダ人」序曲
   ②シベリウス/ヴァイオリン協奏曲
   ③ストラヴィンスキー/春の祭典

 ・7月8日 指揮:大植英二(①②)、バーンスタイン(③)
   ①バーンスタイン/「キャンディード」序曲
   ②バーンスタイン/「ウェストサイド・ストーリー」~シンフォニックダンス
   ③シベリウス/交響曲第1番

という内容だった。

 さて、札響の第315回定期では、第282回でマーラーの第5番を振り、そのすばらしい演奏によって会場を興奮のるつぼと化したシャローンが、再び札響のステージに戻ってきた。
 どのような演奏だったのだろう?きっとすばらしかったに違いない。

19900619SSO315th_01

19900619SSO315th_02

19900619SSO315th_03

19900619SSO315th_04

19900619SSO315th_05

19900619SSO315th_06

19900619SSO315th_07

19900619SSO315th_08

19900619SSO315th_09

19900619SSO315th_10

19900619SSO315th_11

19900619SSO315th_12

19900619SSO315th_13

19900619SSO315th_14

19900619SSO315th_15

19900619SSO315th_16

19900619SSO315th_17

19900619SSO315th_18

19900619SSO315th_19

19900619SSO315th_20

19900619SSO315th_21

19900619SSO315th_22

19900619SSO315th_23

19900619SSO315th_24

 この日のプログラムの1曲目のバルトークのヴィオラ協奏曲は、私のとても好きな曲である。

 そうそう、現在北海道新聞に連載されている土田英順さんの『私のなかの歴史』。楽しく読ませていただいている。

♪ 今日の一曲 ♪
 バルトーク(Bartok,Bela 1881-1945 ハンガリー)のヴィオラ協奏曲Sz.120(1945)。

BartokEMI


北海道から撤退モードの東急、ここにきてサーモンのようにカムバック

  北海道に回帰の動き
 北海道には東急の鉄道路線がないのに、東急百貨店や東急ストア(現在は東光ストア)がある、ということを、前に書いた

 ホテルは現在も北海道内にいくつか展開されている(かつて北海道庁前にあった閉館した札幌東急ホテルは MUUSAN が結婚式を挙げた神聖なる建物だった)。

 その「東急」だが、先日野本弘文会長のインタビュー記事が北海道新聞に掲載された。
 会長曰く、「北海道はまだまだ可能性を秘めているエリア」。東急はこれから再び北海道の事業展開を進めていくということだった。←ざっくり言えば。

Tokyu20241029

 なお、私は2020年の北海道新聞の日曜版を、実は保管しておいた。
 この特集では、東急と北海道のつながりが書かれている。
 ご参考になればと思い(と、まるで道新社員のような態度で申し訳ないが)載せておく(紙面全面にわたるものを分割してスキャンしているため見づらいが、がまんしていただかねばならない)。

Tokyu20200614_1

Tokyu20200614_2

Tokyu20200614_3

Tokyu20200614_4

Tokyu20200614_5

Tokyu20200614_6

Tokyu20200614_7

Tokyu20200614_8

 そうそう、北海道新聞社さん、新社屋完成おめでとうございます。

 ※ 11月7日9:00追記:タイトルの「カンバック」を「カムバック」に変更しました。

♪ 今日の一曲 ♪
 コープランド(Aaron Copland 1900-90 アメリカ)の「ジョン・ヘンリー(オーケストラのための鉄道のバラード)(John Henry - A Railroad Ballad)」(1940/改訂'52)。

CoplandBox


カラスどもよ、途中で休憩などせずに一目散に帰り給え!

  カラスの楽園の跡地、開発始動
 先日野幌駅周辺の開発について発表されたが、そのことを知っている人も少なくないだろう(江別市民や江別に関心がある方に限るだろうが。群馬に住んでいる Kbys 君はこのこと知らないだろう)。
 これは、10月17日付けの北海道新聞の記事である(下は江別の地域面)。

20241017Doshin

20241017Doshin_EbetsuVer

 その JR北海道が計画する戸建て用地とコープさっぽろの新店舗が建つという場所がここ。JR 車内から21日に撮影。写真が不鮮明なのは、夕暮れ時なのと電車が走行中なのと窓が濁っているから。

20241021Nopporo1

20241021Nopporo2

20241021Nopporo3

 このあたりはかつて鉄道防風林だったところ。ここのほかに、イオン江別の裏手あたりの鉄道防風林も伐採され公園になったため、これらの広大な林地に営巣していたと思われる多くのカラスたちは立ち退きせざるを得なくなった。いったいどこに転居したのだろう?

 棲家を失ったことと関係あるのかどうかはわからないが、6~7年ほど前から高砂駅周辺は夕方になると不気味なほどカラスが集まりだし、電線で一休みしたり、辺りを飛び回っている。

 先日は高砂駅で電車を降り、歩道を歩いていたら、上から私のすぐ脇に糞が投下された。危ないところだった。
 マックスバリュやツルハ界隈は、相変わらず一大中継地となっている。

20241018Karasu

  休憩場所、徐々に拡大中?
 しかし、最近はさらに上江別方面まで勢力を拡大しつつあるのが嫌な感じである。きらら街道旧恵庭線の交差点を中心とした周辺の電線もやつらの休憩場所になってきている。

 観察していると、南幌方向から飛んできている。
 南幌方面で何をしてきているのだろう?
 そして、どこに帰るのか知らないが、寄り道しないでまっすぐ帰ってくれ。

20241021Karasu1

20241021Karasu2

20241021Karasu3

 わが家の周辺も、マックスバリュの駐車場界隈のようになったら耐えられない。
 何か有効な対策はないのだろうか?ないんだろうな。

♪ 今日の一曲 ♪
 シューベルト(Franz Schubert 1797-1828 オーストリア)の歌曲集「冬の旅(Winterreise)」Op.89,D.911(1827.全24曲。詞:W.ミュラー)から、第15曲「(からす。Die Krahe)。

Schubert Winter


激励のお気持ち承り所
最近寄せられたコメント
これまでの御来訪者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

メッセージ

名前
メール
本文
このブログの浮き沈み状況
読者登録
LINE読者登録QRコード
QRコード
QRコード
本日もようこそ!
ご来訪いただき、まことにありがとうございます。

PVアクセスランキング にほんブログ村
サイト内検索
楽天市場 MUUSAN 出張所(広告)

カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
タグ絞り込み検索
ささやかなお願い
 当ブログの記事へのリンクはフリーです。 なお、当ブログの記事の一部を別のブログで引用する場合には出典元を記していただくようお願いいたします。 また、MUUSANの許可なく記事内のコンテンツ(写真・本文)を転載・複製することはかたくお断り申し上げます。

 © 2014 「新・読後充実度 84ppm のお話」
  • ライブドアブログ