三重奏曲
もしれない。とすれば、今年に入って読んだのは3回目ということになる。
で、村上春樹の小説をポツポツと読み返してみようと、次に選んだのが「TVピープル」。短編集である。引き続き松阪の街を散歩していると、なんだかこだわりがありそうというか、成り立ちの事情が想像できない飲み屋が。
大仏が飲食業に浸透しつつあるのか?
個人的には楽しそうな、というか、落ち着いて時を過ごせるLandのような気がしないのだが……
すごい特技
その向かい辺りには、とっても器用なおじさんが(いや、若者か?)。
なかなかできることじゃないです。逆さ書きは。
そのならびには、この辺りでは唯一輝きを放っている店が。
そうです、小豆は北海道産に限る!
買ってみなかったけど。
俗物の原点?
そして、これこそ時が止まるってもの。
ポルノでっせ、だんな!
魅惑の俗物の極みが、この街のレトロな雰囲気にぴったり。いや、シンボルだ。
その後の千葉課長の調べではこの映画館は“松阪大映劇場”という映画館で、1970年にそれまでの方針を転換して潔く成人映画の上映に特化したという。
この看板を見ると、簡単に差し替えできるようなものではなさそうだが、意外と色あせていないことから、このときもきちんと上映中だったに違いない。
これまた千葉課長の調べでは、ここの映画館はいまだに35mmフィルムによるプリント上映しかできないそうだ。つまり最新鋭の技術には対応していない。
だから、むかしの日活などの-いや、大映ということか-ピンク映画のリバイバル上映を行なっているわけなのだ。
豊丸……
1988年にデビューした“淫乱派”なる流れに属する大女優である。
“かまきり”というと五月みどりのシリーズが有名だが、そちらは“かまきり夫人”だったはず。
“かまきり熟女”が、そしてまたあまり特徴がないタイトルの“秘書のお姉さん”が、誰の主演なのかはわからなかった。せっかくだから映画館の入り口まで行って確かめてみればよかった。
不思議なほど豚がない
夜は焼肉。
千葉課長の下調べで-いろいろ調べてもらって感謝している-“脇田屋”という店へ。
ここの特徴は肉に特製味噌をからめて焼くこと。
他では味わえないものだ。
前回松阪に来たときに行った別な焼肉店もそうだったが、この店も豚がメニューにない。
若鶏はあるのに、トントロといった豚肉のメニューが一切ないのが、北海道人としては不自然なほどである。
もっとも、トントロとか豚ホルモンがあっても注文はしないけど。
こちらはイセカンの1/3の価格
店の中にはこんなポスターが……
あぁ、デビューしたてのころのあべ静江って、ほんとうにきれいだったなぁ。
まさにあこがれの“お姉さん”だった。
あべ静江だけではない。
こちらはピンクレディーのMIEのことか?
あっ!ミエ……三重ってことね。
ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)のピアノ三重奏曲第4番変ロ長調Op.11「俗歌(Gassenhauer)」(1797)。
ピアノ、ヴァイオリン、チェロの三重奏だが、ヴァイオリンの替わりにクラリネットを用いることも可能。
「俗歌」という名は通称で、第3楽章の主題が、当時ウィーンで流行ったJ.ワイグルのオペラ「海賊」の三重唱からとられたことによる。
今日は、クラリネット版を。
デネマルクのクラリネット、ドロビンスキーのチェロ、アルゲリッチのピアノ。
2002年ライブ録音。EMI。
このCDの詳しい情報 【タワレコ】
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盗み見してもわからんでしょ?ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)のピアノ三重奏曲第2番ホ短調Op.67(1944)。
第2次世界大戦中に書かれた作品であり、主要作品としては、この前には交響曲第8番Op.65が、このあとには弦楽四重奏曲第2番Op.68や交響曲第9番Op.70が作曲されている。
チャイコフスキーは親友ルビンシテインの死を悼みピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出のために」を作曲したが、このショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲第2番は、この年、1944年に亡くなった友人・ソレルチンスキーの思い出のために作曲されている。
ソレルチンスキー(1902-44)は音楽学者であり、ショスタコーヴィチは“よい教師に恵まれた”として、彼の名をまっさきにあげている。
それはS.ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」(中央公論社)の中においてだが(p.46)、この本の中ではソレルチンスキーの名がたびたび出て来る(この本ではソレルチンスキイという表記)。
ところで「ショスタコーヴィチの証言」は偽書と断定されてしまったようだが、本当なのだろうか?ここに書かれていることにはとても納得できるというか辻褄が合うと思われることが多い。私には100%ねつ造された偽書だとはとても思えないのである。
この本の中の一節。
いま、ソレルチンスキイのことは誰でも、それこそどんなばかでも知っている。しかしこれは、いまは亡き友人のためにわたしの望んでいたような人気でではない。人人はソレルチンスキイを笑い草にしているだけのことだ。これはテレビ番組に出演した文学史家イラークリ・アンドロニコフの罪である。彼はテレビでソレルチンスキイをばか扱いしたのである。
だが実際は、ソレルチンスキイはきわめて勤勉な人だった。二十ヵ国以上の外国語を知っており、そのうえ、何十という方言も知っていた。どんな詮索ずきな者にも読解できないように、古代ポルトガル語で日記をつけていた。(p.63)
他にも意味が?
ショスタコーヴィチはチャイコフスキーの前例から(同じ意味をもつものとして他にもラフマニノフの作品がある)ピアノ・トリオで友人を追悼したのだろうが、大宅緒氏は「ショスタコーヴィチ大研究」(春秋社)のなかで、“ただし《第7交響曲》、《第8交響曲》につづく作品であるだけに、ひとりソレルチンスキーの死、のみに寄せられたものかどうか。裏読みの余地は大いにある”と述べている。
曲は4つの楽章からなり、特に終楽章に現われるメロディーはロシアっぽい印象的なもの。
最後は消え入るように終わる。
アルゲリッチのピアノ、クレーメルのヴァイオリン、マイスキーのチェロによる演奏を。
1998年、東京でのライヴ。
チャイコフスキーのトリオとともに、1996年に急逝した、アルゲリッチやクレーメルのマネージャーを長年務めたラインハルト・ポールセンに捧げた演奏である。
グラモフォン。
早熟すぎて……
世の中、天才児と呼ばれる子供は意外といる。
そしてその多くは自分の才能に溺れるか、溺れなくても勘違いするか、溺れも勘違いもしないが枯れてしまいフツーの人になる。
その原因はいろいろあるんだろうが、例えば村上春樹の「ノルウェイの森」のレイコさんの説明に、私はひどく納得した。つまりはそういうことなのだ。
コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold オーストリア→アメリカ 1897-1957)のピアノ三重奏曲ニ長調Op.1(1909-10)。
この作品番号1の曲が書かれたのはコルンゴルトが12歳のとき。
12,3歳の小僧が、こんなにおしゃれでモダンで官能的な曲を書いているのだ。
しかもこのOp.1の前にすでに何曲かを作っており、すごく評判になっていた。
なんでも9歳のときにはカンタータを作曲し、それを聴いたあのマーラーが「天才だ!」と称賛したという。
おまけに彼の名前にはWolfgangとある。
そう、モーツァルトと同じだ。
そんなこともあって「モーツァルトの再来!」と言われた。まさに現代(当時の)の神童だったのだ。
シュニトケがモスクワ音楽院在学中に書いた交響曲がまだ自身の進むべき方向を模索しているのに対し(それが当たり前だ)、この神童は人生最初の『年おとこ』の頃にこんなに完成されたものを書いているのだ。
彼はリヒャルト・シュトラウスの影響を受けたが、そのR.シュトラウスでさえコルンゴルトのピアノ・ソナタ第1番(1908)にびっくらこいたらしい。
ナチス、映画音楽、そして時代遅れ
しかし彼の絶頂期は35歳ころまででそのあとは下降線をたどり始める。
というのも、ハリウッドで映画音楽を手掛け始めたからだった。
オーストリアとアメリカを行き来していたが、ナチスによるオーストリア併合によってユダヤ系だったコルンゴルトはアメリカに亡命。生活のために映画音楽に仕事の軸を置かざるを得なくなったのだった。
天才コルンゴルトは映画音楽の分野でも各種の賞をとるなど活躍したが、第2次世界大戦が終わり純音楽に戻ろうとしたときには、時すでに遅し。
ウィーンに向かったものの、映画音楽作家になった堕落した作曲家とみなされ相手にされなかった。
映画音楽が悪いわけではない。まだ映画につけられる音楽については正当な評価がなされない時代だったのである。
加えてクラシック界は前衛の時代へと移っていた。
コルンゴルトは自らの才能に溺れたわけでも枯れたわけでもないだろう。時代の犠牲者といえるのかもしれない。
幸い近年になってコルンゴルト再評価の動きが活発化しているようだ。
ピアノ三重奏曲を今日はMagalhaesのピアノ、Rowlandのヴァイオリン、Arpのチェロの演奏で。
2013年ライヴ録音。TWOPIANISTS RECORDS。
昨日12月13日は“胃に胃散の日”だったんだそうだ。
今日は討ち入りがあった日である。
いや、本文とは関係ないけど……
ろくでもないことに対する危機管理
昨日の朝は、ちょっと具合が悪く、朝食は仏壇に供える程度のご飯しか食べなかった。
おかずは冷蔵庫の中にあった皿に盛られラップをかけられていた露わな姿の、要するに別の料理に使って中途半端に残ったシーチキンだった。
なぜそのような“ありがたや~”なご飯の量にしたかというと、だから具合が悪かったと言っただろう、になわけだが、それでも食事が喉を通らないってほど食欲がないわけではなかった。
で、その具合の悪さの原因はまたまた飲みすぎと寝不足である。
こんな状態でたくさん食べて飛行機に乗ると、機内でろくなことが起きないような気がして自制したのだ。
飛行機は向かい風に懸命に立ち向かい(と機長が言っていた)、ほぼ定刻に羽田に着いた。私のトイレも1度通っただけで済んだ。
今日はシンプルにします
ときは11時。
到着口から出た正面にあるカレー店でポークカレーを食べた。
さすがに空腹になったのだ。
しかしそこに入る前に、横に隣接するレストラン(厨房は共通だと思う)のメニューをチェックしたのだが、ビフテキカレーやカツカレー、オムカレーにはまったく食指をそそられなかった。で、ただの(無料という意味ではない)カレーはないのだ、このレストランには。
食指をそそられないということは、やはり本調子ではなかったのだ。
そのあとは、朝の気温がマイナス1℃だったゆえに着てきたコートによる暑さと戦いながら(手に持つのも邪魔だし)、でも予定したことは着実に遂行し、夕方には久々に山野楽器に寄って、チャイコフスキーのピアノ三重奏曲のスコアを立ち読みした。
実はこの曲について、スコアで確認しておかなければならないことがあったのだ。立ち読みなんてみみっちいことをしないで買うつもりで山野楽器にのりこんだのだが、輸入譜しかなく、室内楽曲に2500円出すのはなぁっていうのと、それが印刷がきれいとはいえない楽譜だったので、みみっちい方を選択したのだった。
記憶はAllegroで消え去った
山野楽器を出て、晴海通りを築地方向に歩いていたら、昭和通りとの交差点で信号待ちをしていたタクシーの中に東京支社のメンバー3名が乗っていて、開けた窓越しに「あらあら、こんにちは。東京って狭いねぇ」と言葉を交わしたのであった。
が、それで頭の中でうろ覚え状態だったスコアの速度指示が頭からぶっちぎりで吹っ飛んでしまった。
チャイコフスキー(Pyotr Ilych Tchaikovsky 1840-93 ロシア)のピアノ三重奏曲イ短調Op.50「偉大な芸術の思い出のために(A la memoire d'un grand artiste)」(1881-82)。
1881年3月、ロシアの偉大なピアニスト(作曲と指揮も行なった)ニコライ・ルビンシテインが腸結核のために亡くなった。
1866年にモスクワ音楽院を創設し初代院長を務めたルビンシテイン。
彼は、チャイコフスキーをこの音楽院に招き教鞭をとってもらっていたが、ピアノ協奏曲の作曲も依頼。しかしチャイコフスキーが作った作品を否定し、書き直さなければ初演しないとチャイコフスキーに言った。
いまや超人気曲であり傑作である、あのピアノ協奏曲第1番のことである(現在の版とまったく同一ではないようだが)。
ひどいヤツである。
繊細なチャイコフスキーは傷ついた。メソメソのしたに違いない。シクシクと涙したかもしれない。
しかし2人の関係は一時的に悪化したものの、のちにルビンシテインがこのコンチェルトへの評価を改めたこともあって、チャイコフスキーとルビンシテインは終生親友の関係を保った。
チャイコフスキーがパリで急死したこの友を追悼するために書いたのが「偉大な芸術家の思い出のために」で、ルビンシテインの死の1年後の命日に初演された。
曲は2楽章の変則的な構成だが、第2楽章が2つの部分からなっており、全体では3楽章のような形をとるように考えられなくもない。
第1楽章は「悲劇的小品」と書かれている。友の死を嘆き悲しむような暗い美しさをもった、しかし激しい音楽である。ソナタ形式で書かれている。
第2楽章は「主題と変奏」と「最終変奏とコーダ」の2つの部分からなり、第2の部分が第3楽章の役割を
果たしているとも考えられるそうだ。
「主題と変奏」では、優しげな主題が示されたあと、ときに優美に、ときに躍動的に11の変奏曲が進んでいく。
第2部の「最終変奏とコーダ」では、最終変奏で唐突に短調に転じ、コーダ(結尾)で第1楽章冒頭のメロディーがよみがえる。そして、葬送するように、実に暗く重々しく終わる。
今日はアルゲリッチのピアノ、クレーメルのヴァイオリン、マイスキーのチェロによる1998年の東京ライヴを。
いやぁ、すごい演奏だ。
この3人がステージで演奏している姿を想像するだけで、何か怖いものがある。
で、実際何かが憑依されたような壮絶かつ見事な演奏だ。クレーメルはよだれをたらしたかもしれない。
が、すばらしすぎて、すごすぎて、聴き疲れるチャイコフスキーでもある。
グラモフォン。
なんでもこの演奏、1996年に急逝したマネージャーのポールセンへ捧げるためのものだったそうである。
MUUSAN
クラシック音楽、バラ、そして60歳代の平凡ながらもちょっぴり刺激的な日々について、「読後充実度 84ppm のお話」と「新・読後充実度 84ppm のお話」の2つのサイトで北海道江別市から発信している日記的ブログ。どの記事も内容の薄さと乏しさという点ではひそかに自信あり。
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