ヴァイス
H.ヴァイス(Harald Weiss 1949- ドイツ)の「冬の歌(WINTERGESANGE)」(1984-86)。
何か今まで聴いたことのない作曲家の音楽を開拓してみたいと、当時「MALSA2」に入っていた「PALS21」の現代音楽コーナーでこの CD を買ったのは1997年の春のことだった。
ヴァイス1人の演奏よる多重録音で、録音の良さにしびれたのと(あの長岡鉄男氏が優秀録音盤として紹介していたのをあとで知った)、親しみやすいメロディーにも魅かれ、そのあとは手に入るヴァイスの CD を買い集めた(レーベルは wergo が多かった)。
クラシック音楽のジャンルとはちょっと違う気もするが、当時の私はかなり熱中し、この人の曲はもっと人気が高まると信じていたが、あれから30年近く経つものの、そんな気配は感じられない。
私のヴァイスに対する『お熱』もいまではかなり冷めたが、でもたまに聴くとおもしろいし、やっぱりメロディーはなかなか良い。
でもヴァイスの作品の音源を見つけるのは、いまはますます難しいのかもしれない。
この広い敷地、この先どうなるのだろう。
いずれにせよ、色褪せ度合いが店を閉じてからもうずいぶんと経つことを語っている。
濃厚と煮干し、どっちから味わおうかなぁ
というわけで、結局理容室からの帰り道はセコマには寄らず、スーパーに寄った。
そこで、ラーメンのスープを3種買った。
もちろん名古屋に持ち帰って食べるためである。
いうまでもなくスープを食べるのではなく、名古屋で買った西山製麺製の麺をゆで、このスープを指定通り希釈してラーメンの姿に仕上げて食べるのである。
敏感な方でもなかなか気づかないだろうが、今回は西山製のスープではなく菊水製の醤油2種にした。また鈍感な方ならお気づきにならないだろうが、担々麺のスープは以前にも記事で紹介したベル食品製のものである。
スープ片手にルンルン気分で家路を急いだ私は、ふと街路樹に目をやった。
なにやら騒々しかったからである。
樹がうめいていたのではない。
ナナカマドの実はすっかり色づいていて、「あぁ、もうホントに秋なのね」と、吟遊詩人のように思った。
で、騒々しかったのはこの実をついばもうと上の電線に待機しているスズメ(逆光だったのでよくわからないが、スズメじゃないとしたら、なおのこと、なんという鳥だかわからない)たちのせいだった。
負傷したのはちゃんと履いてなかったから
さて、自分の髪だけさっぱりすればいいってもんじゃない。
伸びに伸びたバラの枝々の剪定だ。
が、手袋は“履かないで”やっていたら。左手中指にグッサリととげを刺してしまった。
子どもなら泣き叫ぶ痛さと血の出方だ。
私は子どもじゃないので「やられた~」と独白し、作業を中断せざるを得なかった。
なお北海道の場合、“履く”という言葉は靴や靴下、足袋など足に関するものだけではなく、手袋、軍手、指サックなどを着用する場合にも“履く”と使う。指サックについては自信がないが……ヴァイス(Harald Weiss 1949- ドイツ)の「MY WOODEN DANCING SHOES」(1990)。
ここに書いたように、それぞれ音楽様式の名がついた10曲からなる。
演奏しているのは作曲者のヴァイス1人。
録音を重ねて行き-つまり多重録音-へんてこなおっさんが何人もいるような曲になっている。
ジャンルとしてはクロスオーヴァーってことになるのかもしれないが、ちょっと意味不明ながら奇想天外な世界が広がる。
1990年録音。wergo。
今日は札幌で会議である。
乳舞係長と一緒に出席してくる。
鉄路は五線譜だ
「音盤考現学 片山杜秀の本(1)」の第49話「鉄道の
そのなかに次の記述がある。
だいたい音楽は鳴ればすぐ消える音を聴く者に覚えさせつつ脈絡をつけていこうとする面倒なもので、その覚えには反復による刷りこみが手っ取り早い。別の言い方をすれば、繰り返しの嫌いな人は音楽好きになれぬだろうし、鉄道にただ乗っているのもうんざりだろう。音楽の阿呆と鉄道の阿房は反復嗜好症という共通の病をもっている。そういえば、枕木に仕切られながら延びてゆく二本の鉄路のヴィジョンは、小節線で区切られながら連なってゆく五線譜と似ているようにも感じられる。
なるほどねぇ。
ということは、鉄道ファンだった私にとって、音楽を好きになる素地がもともと備わっていたわけだ。
何杯もハイボールを飲んでしまうのも、反復嗜好症だと考えれば、説明がつく。単なるのんべぇではない。反復嗜好症なのだ。オスティナートだ!パッサカリアだ!シャコンヌだ!
けど、五線譜のような線路だったら置石だらけみたいだ。
すべての出来事は反復だ
で、鉄道についてだが、同書の第39話「ブランキスト・ライヒ?」(初出は、同2003年3月号)では、ライヒ(Steve Reich 1916- アメリカ)の「ディファレント・トレインズ」(1988)について触れられている(片山氏の表記は「ディフェラント・トレインズ」)。
――音楽の反復・変奏の上には、芥川の『藪の中』どころか、人類の歴史の一切合切をさまざまなタイプの出来事の反復・変奏に分類しつつ乗っけてしまうことも可になる。そしてじじつ、ライヒは、そういう音楽作品を1980年代末から意識的に作りはじめた。その初っぱなに来るのは《ディフェラント・トレインズ》で、そこでは弦楽四重奏のやる繰り返しの音楽の上に、汽車の響きが重なり、さらにいろいろな世代の人々が汽車の旅について語る思い出話の録音が被せられる。もちろん、その録音のひと声ひと声は別の人間が個々に固有の体験を語っているのだが、その声がみな一様に、繰り返しの音楽の上にモンタージュされてしまうと、われわれはそこからブランキ的感慨しか得られなくなる。いつの時代にも人間はけっきょくは似たような希望と絶望を抱え、旅をして空しく死んでゆくのだなと。それぞれにはたしかにちょっとした違いがあるにはあるが、だからどうしたんだと。――
ブランキとは19世紀フランスの思想家だそうで、すべての出来事に進歩などなくて、すべての出来事は過去にあったことの繰り返しに過ぎないと唱えたという。
ライヒはミニマル・ミュージックの大御所である。私は一時期、ライヒに夢中になった。ここにも書いたように、彼の作品のなかでも最も好きなのが「ディファレント・トレインズ(Different Trains)」(1988)である。
片山氏の文を知る前から、この曲を聴くとなんとも言えない切ない思いを感じていたが、こりゃあもう、切なさを通り越してむなしくなっちゃうかも。
さて、鉄道好きとして有名な作曲家といえばドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 ボヘミア)。
彼にとって何が幸せだったかって、ここに書いたように、機関士とお友達となれたときが至福のときだったのだ。
ここの記事でもスコアを載せているが、これは交響曲第9番「新世界より」の第1楽章。
下線の音型が、列車が走るときにレールが発する音を模しているという。本人がそう言ったのかどうか定かではないし、あるいは偶然そう聞こえるのかもしれないが。
もうすぐ車止めだ!
そして、これまた以前に書いたのだが、走行音じゃなくてもっとマニアックな鉄道音を。
ヴァイス(Harald Weiss 1949- ドイツ)の「別れの曲(ADE)」(1986-88)の第6曲「コボルデの踊り(Tanz der Kobolde)」の最後。
そこで刻まれるリズムと音色がJRの列車の運転席から漏れ聞こえてくるATS(自動列車停止装置)の警告音にそっくりなのだ。
それにしても、ヴァイスは絶対人気が出ると私が信じ続けて20年近くになるが、ぜ~んぜんその兆候はない。
ディスクが入手しずらいせいもあるし、そもそも名前が知られていない。
とってもすてきな曲を-こっちが気恥ずかしくなるようなものも-書いているんだけど……
「ADE(アデー)」は舞台作品の音楽(シアター・ミュージック)で、ヴァイス自身とノモス弦楽四重奏団他による演奏のCDが出ていたが、タワレコのオンライン・ショップでは発見できず。
そうそう、ドヴォルザークの「新世界より」のCDが欲しいけど、どれがいいのか迷っちゃうって人がいあたら、エリシュカ/札響のものをお薦めする。
それにしなさい。
持ち歩き続けると傷みます
名古屋に戻るときの新千歳空港は、ガラガラかと思いきや、全然混雑していた(快速エアポートはあまり混んでいなかったのに)。
朝のうちから羽田便がことごとく欠航していたので、多くの人があきらめてすでに空港をあとにしてしまっているかと思いきや、運航再開を待つ人でごったがえ、とまではいかないまでも、なかなかな賑わいだった。
考えてみれば翌日は翌日で、関東で猛威をふるっているこの台風が北海道に来るわけで、たとえ暇だとしても「明日にしよ!」とはいかないのだろう。1泊分余計な出費になるし。
私だって名古屋便は平気だもんと思いつつも、もし明日までさらに怠惰な生活(精神的には緊張しているが)を引き延ばしていたらまずかったかもしれないのだ。
空港売店の冷蔵保存のおみやげが並んでいるストッカーには“飛行機の遅延をよくお確かめになってお買い求めください”と貼り紙がされていたが、さりげなく親切であると感心してしまった。
伊丹に引き返したばかりなので傷みません
いまから10数年前の12月の夜。
伊丹空港から乗った飛行機がなかなか千歳に向けて降下を開始しないことがあった。
ようやくアナウンスが流れたのだが、その内容は千歳空港が突然の大雪になり秋田上空で待機のため旋回しているというもの。
乗っている私は、ぐるぐる回っていることなどつゆ知らず、目も回すことなく読書していたのだった。
こういうケースは珍しい。
出発前に条件付きでの出発というアナウンスもなかったし、この雪はまったく予想できなかったようだ。
やがて燃料が限界に達してきていつまでもここでグルグルしてられないので伊丹に引き返すというアナウンスが。
私は当時まだ備え付けられていた機内公衆電話のところまで行き大阪支社に電話をしてホテルの予約の手配をお願いした。もう1泊大阪に泊まる羽目になったのだ。
鞄には搭乗前に買った要冷蔵の“プリン大福”が入っていた。
子どもたちが好きなのでおみやげに買ったのだった。
ホテルに着き、チェックインの手続きを終えた私はフロントのお兄さんに“よかったらこれ食べてください”とプリン大福を渡した。
いま思えば、「飛行機が引き換えしたせいで賞味期限が今日いっぱいのプリン大福を持ち帰れなくなった。だから皆さんで食べてください」と、自分が置かれた状況を説明をしなかった。
あのお兄さんが妙な誤解をして心が高まり、夜に私の部屋のドアをコンコンとノックしなかったことは幸いだった。
堤防がない?いずれ三日月湖が生まれるかも
私と入れ違いで休みを取って関西に遊びに行っていた長男が帰ってきたはずだが、彼も私同様台風の上を通り抜けることができただろう。
さて、火曜日はその台風の影響で北海道は再び大雨に見舞われた。
名古屋にいると当たり前のことだが北海道の天候の状況はほとんど報道されない。
関東圏が襲われるとNHKなんかは全国ネットで放送し続けるが、それとは雲泥の差だ。住んでいる人の数が違いすぎるといえばそれまでだが、あれだけ農作物に被害が出ていそうなのを見ると、もっと注視すべきことなんじゃないかと思う。
わが家は石狩川の下流近くにあるし、その支流である川はもっとそばを流れている。
そのすぐ近くの川の水位がジワジワと上がっていくのを見ると、まったくもって心穏やかではない。
昨日の早朝にようやく水位が上昇から下降に転じた(“はん濫注意水位”ではあるが)。
過去の災害経験からいまはもう十分な治水対策ができているとは聞くが、災害が実際に起こってしまったあとで「あれは想定外でした」で済まされてはたまらない。
ホント、よかった。
ところでその前日、つまりおとといの夕方に石狩川の下流が氾濫した。
場所は深川市である。
札幌からは100kmほど北に位置する。
なのにそこも“下流”なのである。
石狩川って、どこからが下流に相当するのだろう?(と考えていたら、疎菜課長が神居古潭から下が下流だと言っていた)。
氾濫した場所は堤防のないところだったそうで、つまりは治水対策が施されていない場所。
ということで、申し訳ないがそれなら氾濫もありうるかもと思ったが、これが堤防もきちんと整備されているとこ
ろだったら、私としては「まさか!」と10連発叫びをあげるところだった。
その氾濫箇所も昨日の朝には通常水位に戻っていた。
にしても、このあたり深い!
考えるだけで恐ろしい。
にしても急に増えたり、すぐに水が下がったり、相当たちの悪い病的気まぐれ女のようだ。
この地図で石狩川が真っ黒の線で表示されていたのを見たときは、そりゃそりゃ恐ろしいものを感じた。
なお、余計な情報かもしれないが、川の右岸と左岸がどっちがどっちかご存じだろうか。
上流から下流を見て左が左岸、右が右岸だ。
えっ?アフリカの国?それはウガンダ。
去年も取り上げているが、私が好きなヴァイス(Harald Weiss 1949- ドイツ)の「箱舟(Arche)」(1984)。
シアター・ミュージックであり、初演時のライヴ録音。
すでに入手困難なようだが(NAXOS MUSIC LIBRARYでは聴ける)、彼のユニークで斬新な(しかもこの曲はなじみやすいメロディーが次から次へと現われワクワクする)音楽はもっと人気が出てもいいような気がしてならない。
このH.ヴァイスだが、このところ新譜も見かけないが、お元気なんだろうか?……
MUUSAN
クラシック音楽、バラ、そして60歳代の平凡ながらもちょっぴり刺激的な日々について、「読後充実度 84ppm のお話」と「新・読後充実度 84ppm のお話」の2つのサイトで北海道江別市から発信している日記的ブログ。どの記事も内容の薄さと乏しさという点ではひそかに自信あり。
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