新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

ヴァイオリン・ソナタ

梅はぁ~咲ぃぃたぁか~♪伊福部昭/vnソナタ

  うなづきマーチが頭に流れ自然と足早に
 先だっての某日、某取引先さまのところに伺った際に、お昼ご飯のお誘いを受けた。
 そのあたり経緯や誰と、といったことを細かに説明することはもちろんできるのだが、今回は細かいことは割愛しておくことにする。お相手はお二人、こちらは私一人。

 案内されたのは大丸札幌店の「宮川本店」。
 久しぶりのうなうなウナウナで、この店に行くと聞かされた私の足は「うなづきマーチ」モード(「うなづきトリオ」が歌っていた1982年の曲である)。

 そして、もちろんなんておいしいのだろう!
 こんな贅沢をさせてもらって、爺は思い残すことがないくらいだ(お孫ちゃんと遊びほうけた疲れも吹き飛んだ)。

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 お取引さまのお二人-いつも親しくお付き合いさせていただいている-には感謝、感謝の『春のパンツ祭り』だ(←歓びのあまり言動の意味不明)。
 私の舌はとろけるうなぎの身に小躍りし元気はつらつになったが、しかしながら私の(しも)は特に元気になることはなかった(←当たり前!)。

 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)のヴァイオリン・ソナタ(1985)を、小林武史のヴァイオリン、梅村祐子のピアノで(1988年ライヴ録音)。

IfukubeJokun

「菊水」の「濃厚醤油」、常備決定♪コレッリ/ラ・フォリア

  この差は『ガラ炊き』にあり?
 ふだんは家で食べるときも、たまにラーメン店に行ったときも、私はしょうゆ派でみそラーメンはほとんど食べることはないのだが、先日たまたま買って作ってみた「菊水」の「濃厚味噌」スープの味は、家ラーでここまでのみそラーメンが味わえるのかというほどおいしかった。これなら、みそラーメンを作って食べる頻度も増えてくるかもしれない。

 そして、今度は「濃厚醤油」を『お試し』してみた。

 家でしょうゆラーメンを作るときの私の定番スープは「西山製麺」の「しょうゆ味」である。製造しているのは小樽の和弘食品。長年にわたり、私は家ラーのしょうゆラーメンを作るときは基本的にこのスープを使っている。むかし風のくどくないしょうゆ味がおいしく、食べ飽きしない。
 液体スープと顆粒の調味料、調味油の3つに分かれている。

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 今回初めて買ってみた「菊水」の「濃厚醤油」も製造しているのは和弘食品。

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 そして食べてみた。
 上の「西山」の「しょうゆ」もじゅうぶんにおいしいのだが-だからこそこれまでずっと買っているのだ-、「濃厚醤油」はそれに加えて複雑な奥深さのようなものを感じる。濃厚といっても油が強いとかいうのではない。味自体はスタンダードで王道を行っている(セコマのスープのようなちょっとしたワイルド感はない)。つまり変な小細工をしているところはない。「西山」のスープよりもコクが強い。「西山のしょうゆ味」に通奏低音が加わったような感じだ(って、自分で言っていることがわかっていない)。原材料の『しょうゆ』と『ガラ炊き醤油』、『オニオン』と『炒め玉ねぎ』なんかの違いが味に反映しているのだろうか?
 このスープもおいしい。

 西山のスープは私にとって『標準のおいしさ』であり、これからも食べ続けていくだろうが、ときどきは「今日は『濃厚醤油』な気分!」ってことになりそうだ。両方買い置きしておかなければ(あっ、それと「濃厚味噌」も)。なお、1食あたり値段は、私が購入したスーパーでは「濃厚」が「西山」のスープの約1.7倍である(「菊水」には『濃厚』ではないふつうの「醤油」もあることを申し添えておく)。

 さて、実際に出来上がったラーメンがこちら。
 上が『濃厚醤油』(2月24日)、下が「西山のしょうゆ味」(2月27日)である。麺は両方とも「菊水」。

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 見た感じから……わかんないな。

 コレッリ(コレルリ Arcangelo Corelli 1653-1713 イタリア)のヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集Op.5(全12曲。1700刊)から、第12番ニ短調「ラ・フォリア(La follia)」を。

 ↓ ブロックフレーテ版

Recorder

身元がわからない人と食事してはいけません♪タルティーニ/悪魔のトリル

  私の心優しさにつけ入るお便り
 先月のことだが、私の個人スマホに一通のメールが届いた。

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 おや?誰かなぁ。
 今度連絡しますって1年くらい前に言っていた檜さんからかな?
 でも、檜さんなら私の会社貸与のスマホの方に、ショートメールでメッセージをおくってくるはずだ。

 じゃあ誰だろう。
 送信者の名前ではなくアドレスが表示されるということは、私が電話帳に登録していない人ってことになる。登録漏れしている人がいるのだろうか?だとしたら、失礼なことをしていることになる。

 『ballet』ということは、バレエ仲間の一人だろうか?
 いやいや、そもそも私はバレエを踊らない。だからそのジャンルでの人的つながりはない。
 自分と同じ au のスマホを使っている仲間だろうか?
 いやいやいや、それを仲間というなら、日本中にどれだけの人がいるかわからない。

 私のスマホには『江別市の防災情報』か『auPAYのご利用のお知らせ』ぐらいしか来ないので、このメールを受けてちょっと浮き足立ってしまったが、そして『来週』はご都合もよろしかったが、食いついて返信するのをとどまり、静観することにした。

 半日後に、再びメールが来た。
 
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 私は ballet さんを不安がらせているようだ。
 なんて罪深い人間だろう。
 でも、やはり名乗ってくれてなくて、誰だかわからないのでそのまま一夜干しにした。

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 翌日に3通目が。
 お昼にお茶はいやだ。お昼だったらランチだろう(割り勘または相手が出してくれる場合は)。
 そう思った私はまたも返信しなかった。

 これを最後に ballet********からのメールは来なくなった。

 私は誰かわからないものの友だちを一人失ったかもしれない。ではなく、こういうふうに親しげに知り合いのふりをしてアプローチしてくるメールには決して返信しないようにしましょうね!
 その先にいるのは邪悪な人に違いないですから。
 親切な人ほど騙されやすいようなので(調べてみたら、どうやら最終的には詐欺サイトに誘導されるらしい)、善人のあなたも心を鬼にして放置するように。

 タルティーニ(Giuseppe Tartini 1692-1770 イタリア)のヴァイオリン・ソナタ ト短調「悪魔のトリル(Le trille de diable)」(1789刊)を。

Tartini

想像していたよりもずっと居酒屋気分♪ビーバー/猫

  ワイルドだぜぇ~
 考えてみれば、啓子さんや幸子さん、陽子さんに明子さん、それに尚子さんや道子さんがいた。
 これまでの私の人生のなかで、学校で同じクラスや違うクラスや同じ職場や取引先の会社にいた人たちの名前だ。
 だが、新子さんという人に遭遇したことはない。

 それはそうと、この記事で遭遇できるかどうか心配だと書いた、LAWSON の「旭川・道北フェア」の一品である「ぎんねこ監修 新子焼き風焼鳥丼」に、一昨日出会い、手に取り、購入し、食べることができた。みなさまに多大なるご心配をおかけしたことにお詫び申し上げるとともに、わずかばかりの激励をいただいたことに対してわずかばかり感謝申し上げる次第である。

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 ご覧のように、けっこう色が濃い。
 バランの陰になっていてわかりにくいかもしれないが、タマネギも入っている。

 味は、探し求めてきた甲斐があったわいってほど感動的なものではなく、なるほどこういう味なのかと、冷静に噛みしめることのできるもの。おいしいのだが、どこかワイルド。それが悪いというのではなく、私の想像とはちょっと違っていたということ。
 新子焼きという食べ物自体が、こういう味なのだろう。

 偶然にもこの日、ツイッターの相互フォロアーの方がこの弁当を見つけて食べ『味つけが濃いのでビールがほしいです』と返信してくれたが、まさに的を得たご指摘。
 けっこうしょう油が効いた鶏の味付けは、ごはんのおかずというよりも、むしろお酒のお伴にぴったり。居酒屋の人気メニューって感じだ。
 この店はもしかするとあんな雰囲気なのかもと、むかし丸亀で骨付鶏を食べた店の様子を思い出してしまった。

 LAWSON の「旭川・道北フェア」は23日まで。

 ビーバー(Heinrich Ignaz Franz von Biber 1644洗礼-1704 ボヘミア)の「(Die Katz)」。
 さまざまな動物の鳴き声を描写した「描写的なヴァイオリン・ソナタ(Sonata violono solo 'Repraesentatio avium')」(1669)のなかの1曲である。

Marais

伊福部昭のなかの歴史~1985年の道新記事⑩♪vnソナタ

  黄ばんだ紙面⑩
 最終回の第10話は4月8日の月曜日に掲載された。

 裏面(第1面)を見ると、この日は札幌での出来事ではなく、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が、党機関紙プラウダのインタビューの中で、欧州に向けたソ連の中距離核ミサイル配備を一方的に凍結するという、全然身近なニュースではなかった。

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 さて、最終話で伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)が語っているのは、ソナタというものを一生に一度は書いてみたいということ。
 そして、この年、1985年に、ヴァイオリン・ソナタが完成したのだった。

IfukubeJokun

仕事始めの日のアサイチ対応に深謝♪JSB/無伴奏vnパルティータ3

DououEisei_Ph  出なければ大後悔だった
 電話が鳴ったのは、昨日の朝8時前だった。
 発信者の番号は携帯電話の番号。

 朝から「新しい格安光回線へのお乗り換えはいかが?」っていう勧誘電話かなと、出ないで放置しようかと思ったが、ちょっと期待して受話器をとった。

 それは「道央衛生」からだった。

 大晦日の日に江別管工事業協同組合に、私が水漏れで窮地に立たされていることを電話して、その日の当番で来てくれたのが「道央衛生」の人。

 私が思い込んでいた、上水道管からの漏れということをやわらかに訂正し、実は排水管からの漏れだと教えていただき、「排水管を高圧洗浄すれば直ると思うが、いまは正月休暇でできないので、それまではシンクではチョロチョロと水を流すようにしてください」と説明を受けた。
 私はその場で、「その高圧洗浄を、年明けにお願いしたいのですが」と言ったのだが、年明けに係の者から電話を入れますと言われていたのである(写真は同社のHPから)が、朝のこのトルルルルルはその電話だったのだ。

 期待は現実化した。
 仕事始めの日に、真っ先に私のところに電話をしてくれ「今日は家にいます」というと、8時半ころには自宅に到着した。

  地盤沈下にも要注意
 当番だった社員の方からきちんと引継ぎがなされていて、こちらがどうのこうの説明する必要もなく作業開始。しかも、当番の方が、排水管の床上のレベルが下がっているということも言っていたようで、シンクからのホースを入れる垂直に立ち上がったパイプの床上部分を少し継ぎ足した。

 この辺りはもともと田んぼだったこともあって地盤が良いとはいえず、年数の経過とともにパイプが下がる(沈む)ことは珍しいことではないという。
 床上浸水にならなくて良かったものだと、改めて思った。

 ところでパイプ内部は密封されているはずなのになぜ床下に漏ったのかという疑問についてだが、シンクからのホースは排水管に差し込まれているだけということや、排水管の継ぎ目も場合によっては詰まって行き場を失った排水の圧によって隙間が生じそこから漏るということだった。

 高圧洗浄をを行なうと、どぶ臭い汚水が出てくる(どういうからくりか知らないが、台所側からパイプを入れるのだが、汚水もこちら側に逆流するように戻ってくる。それをバケツで受ける。

 こんな状況でまた床下にあふれているのではないかと心配になり聞くと、「大丈夫です」という答え。あとから確認すると、一連の作業中に床下に漏れた形跡はまったくなかった。

 作業は1時間ちょっとだったろうか?
 これで、ふつうに水を流せる当たり前の恩恵を、再び受けるようになれた。

 それにしても、「道央衛生」の迅速な対応には感謝するばかりである。
 ありがとうございました!

 J.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)の無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調BWV.1006(1720)を。

BachVnKuijken バッハの「6つの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ(6 Solo a violino senza basso accompagnato)」BWV.1001-1006の第6曲(全7楽章)だが、この「6つの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」は、第1、3、5曲がヴァイオリン・ソナタ(Sonata)の第1番から第3番であり、第2、4、6曲がパルティータ(Partita)の第1番から第3番となっている。

 パルティータ第3番の第1楽章(前奏曲)は、のちにバッハがカンタータ第29番「神よ、われら汝に感謝す」BWV.29(1731)のシンフォニアに転用された(ので、今日はこの曲を選んだってワケ)。

父は息子の嫁の足をチェックしていた♪フランク/vnソナタ

20200529CFM_Toge  嵐で停電になったワケで……
 読んでは中断し中断し中断し、再び読み始めては中断し中断し中断し、またまた読んでは中断し中断し中断し中断していたが、ようやく三浦綾子の「青い棘」を読み終えた。

 在宅勤務で通勤機会が激減すると、本を読む時間もなかなかとれない。
 本来の通勤時間分を読書に充ててみればって?朝から読書なんてしていたら「いいご身分だこと」と内心思われる(誰からかはともかく)恐れがあるので、それはできないのだ。

 で、「青い棘」はアダルト動画的に言うならば、「嵐の夜、ろうそくの(ともしび)が消え、そのときお義父(とう)さまが……」ってサブタイトルをつけたくなる内容である。

 私が最初に読んだ三浦綾子作品は「塩狩峠」だった。次が「泥流地帯」(正と続)。

 この時点では、三浦綾子の書く小説がけっこう男女の性に執着しているとはまったくわからなかった。だが、そのあとの読んだものは、エロティックでドロドロしているものが多い。ここで取り上げたエッセイに書かれていることから、彼女自身、性に対する強い関心や欲求があったのだろうと思っている。

Miura_AoiToge 村上春樹の小説だと、人妻とか図書館の受付の女性とか耳のきれいな女の子とか、とにかくすぐに誰とでも寝る(ことができる)主人公が登場する。
 これはこれで非常に問題なのだが(羨んでいるのでは決してない)、三浦綾子の描く男女の秘められた思いや浮気は、もっとドロドロしていて恐ろしい。そして、村上小説では寝てくれるそれらの女性-巫女的存在-がとつじょ姿を消すが、三浦小説ではこじれたままである(が、信仰に救われるパターンが多い)。

 「青い棘」の主人公の大学教授(康郎)は、結婚してすぐに戦争の犠牲となった最初の妻と、息子の嫁をオーバーラップさせているし、その息子の嫁である夕起子は、夫になる人物があこがれの教授(康郎)の息子だったからという理由で結婚する。

 この義父と息子の嫁は、2人とも人物的には非の打ちどころがない。堅そうな教授とできた嫁だ。
 が、変態っぽいことを考えているのだ。

 たとえば、

 美しいと言えば、昨夜、風呂上がりの夕起子が、夕食を共にするために康郎たちの部屋に入った時の素足は美しかった。

なんて、お義父さまは思っているのである。

 やれやれである。でも、人間だもの、ね。

FranckVnSonataSteinbacher 許光俊が“クラシック史上稀にみるエロ音楽”と書いている、フランク(Cesar Franck 1822-90 ベルギー→フランス)のヴァイオリン・ソナタ イ長調(1886)を。

 上の赤いトゲのバラはコンラッド・フェルディナント・マイヤーである。





えっ?成績が良くて清楚なあの子が変態?♪ビーバー/羊飼娘

Aku_no_Hana1  なぜか“羊ヶ丘”じゃなく“ひつじが丘”
 ご報告が遅れたが、三浦綾子の「ひつじが丘」を読み終えてから、すでに2週間ほど経った。

 この作品にもどうしようもない人間が登場するし(筆頭は良一)、まじめで《できた》女性かと思いきやじつは変態じみていたって女性も出てくる(奈緒実)。

 何回も言うが、三浦綾子という作家は歪んだ人物を描くのがたいへんうまい。その歪みは小説ゆえに強調されているところはあるが、人間だれしもが大なり小なり持っているものである。

 ところで「ひつじが丘」だが、札幌の羊ヶ丘が舞台というわけではない。

 物語の終盤に、奈緒実と竹山(さっきからそいつら誰だと思っている方もいるだろうが、個人名はあまり気にしなくてよろしい)が『ひつじが丘』に行く場面がある。

 「ええ、そうですわ。今こうしてひつじが丘に来て、沢山の羊を見ていますと、ストレイシープ(迷える小羊)という言葉が思い出されてなりませんの」
 竹山はうなずいた。そうだ。人間たちこそこの羊たちより、もっともっと愚かな迷える存在なのだと竹山は思っ

biber ビーバー(Heinrich Ignaz Franz von Biber 1644洗礼-1704 ボヘミア)のソナタ「羊飼娘(La Pastorella)」を。

  でも、いまはこの曲のCDはないみたい。
 それなのに取り上げた私は愚かな迷える存在なのかもしれない。

 このあと奈緒実と竹山の2人は羊たちを見ながらジンギスカンを食べた、って行為には至らなかったことを申し添えよう。

 ジンギスカンについては、この次に読んだ本に出てきたのだが、その話は別の日にあらためて。

Akunohana_Saeki  実はめんどくさそうな奈々子
 そうそう、「この人が変態?」って意外な展開といえば、押見修造の「惡の華」もそうだ。

 成績優秀で見た目もかわいい佐伯奈々子。でも、この子、誰よりも変態だと思う(何のことだって?いえ、独り言だと思ってください)。

 押見作品では、“究極の毒親”を描いた「血の轍」を最近買った(電子書籍)。最初は第1巻と第2巻の2冊。

 言われているように、確かに傑作のにおいがする。

 が、この不気味さは現在の世の中の状況の中では、気分がますます滅入りそうだ。なので続きは『落ち着いてから』購読することにした。

Chi_no_Wadachi

いまが旬なのは筍か蒟蒻か、それとも雁擬き?♪LvB/vnソナタ5

20190207LAWSON  あなたはどこに春を感じる?
 先週の火曜日の私の昼食は、LAWSONの『これが幕の内弁当 今度は春仕立て』。

 「今度は」ってくらいだから、前回もあるわけで、それがこれである。

 能書きの書いたシールが貼られていないので、これがデフォルト版ということになる。
 かと思えば、そうではなく、このように『今度は秋仕立て』っていうものもあった。

 ただし、よく見ると秋バージョンとデフォルト・バージョンはおかずが一緒である。
 冬になって、秋バージョンはさりげなく定番となったのだ。

 そして『春仕立て』。これはおかずが変わっている。

   秋または定番             春仕立て
 熟成紅鮭                熟成紅鮭
 煮物(蓮根・大根・椎茸・人参)     煮物(筍・ふき・蒟蒻・がんも)
 厚焼玉子                厚焼玉子
 鶏肉野菜巻カツ             ヒレカツ
 牛しぐれごぼう和え           根菜きんぴら
 小松菜ごま和え             小松菜しらす添え

 さて、いったいどこが『春』なのだろう?春が旬の食材に変わっているに違いない。
 しかし、鶏肉が秋で豚肉が春ってことには説得力がない。
 牛しぐれごぼう和えと根菜きんぴらも季節に振り回されそうにない。
 ごまとしらすはちょっぴり怪しい。怪しいが秋から春へと食べる者の意識を激変させるようなものではない。

 となると、煮物である。

 調べてみると、この弁当の中で、春が旬の食材としてあげられるのは、フキ、シイタケ、タケノコらしい。ただし、シイタケは秋も旬なんだそうで、春版、秋版の両方に入っているのには深い意味があることがわかった。

  北海道のタケノコは竹の子じゃない
 北海道の感覚だと、フキもタケノコもゴールデンウィークあたりの出回りで、今のこの2月に「春ですよぉ~」と言われてもピンとこないのだが、でもこの2つによって「春仕立て」となっているようだ。

 つなみに北海道には、いわゆる竹はなく、北海道でタケノコというのは笹の子である。
 タケノコ(ササノコ)を採るのに熱中して、下を向きながら草丈の高いササのやぶの中をどんどん先に進み、気がつけば自分がどこにいるのかすっかりわからなくなって、家族からは夜になっても帰って来ないと警察に連絡が入り、なかには発見されたときには亡くなっていた-北海道は5月になったって夜は寒い-という人が、毎年あとを絶たない。亡くならないまでもダニだらけになるだろう。

 で、一応私は当支社の女性社員(大阪出身)に「この地においては、いまがタケノコの旬であるか?」と尋ねた。
 彼女は「違うんじゃないですか」と答えた。
 「じゃあ、もう少し春らしくなったら旬になるのであるか?」
 「いや、もっと夏近くだと思うんですけど……」

 う~ん、これでまたスッキリしない気分になった。

 ところが、その翌日にはすぐにスッキリとさせてもらった。
 セブンの新発売弁当。これがすべてを物語っていたのである。

20190207_711TAkenoko

 もちろん買った。消費期限もその日の午後9時だったし。
 上品なお味でしたわ。

 ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)のヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調Op.24「(Fruhling)」(1800-01)。

Beethoven VnSonata 「春」のタイトルはベートーヴェン自身によるものではなく、その音楽が明るい春の到来を思わせることからつけられた通称。M.v.フリース伯爵に献呈された。

 ヴェンゲーロフのヴァイオリン、ゴランのピアノで。

 1992年録音。テルデック。

 この曲のCD、私はこれしか持っていない。
 前にも書いたが、とっても「春」っぽい写真じゃないよな。悪魔的っていうか……

 ササノコに限らないが、私には命がけで山菜採りをするという行為が理解できない。

♪ 作品情報 ♪
【構成】 4楽章(約24分)
【本作品について取り上げた過去の記事】
  「春」っぽくないジャケット・デザイン―ベートヴェンの「春」
    
♪ 作曲家情報 ♪
こちらをご覧ください
 

漂白剤?たまに酸素系のを使いますけど……♪シルヴェストロフ/PS

20171124DoshinSilve  “ 悠然と漂泊”なんて思いもつかない
 11月24日の北海道新聞朝刊に、音楽評論家の青澤隆明氏が、9日に武蔵野市民文化会館で行なわれた《シルヴェストロフ80歳記念ガラ・コンサート》について書いていた。

 氏はこう書いている。

 シルヴェストロフの音楽の時空はきわめて独特だ。広漠たる静寂から枝分かれするように響きが紡がれ、口ずさめる旋律を浮かべながら、悠然と漂泊していく。-(中略)-曲そのものが遠大な記憶の流れのようで、新しく想起されるたびに、過去も未来もなく、生まれたての郷愁とでもいうべき不思議な親密さを運ぶ。このたび演奏された「ポストリュード」、「ポスト・スクリプトゥム」、「モーメンツ・オヴ・メモリーⅡ」などの題名も示すとおり、音楽の記憶と想起が主題をなす。……

 まさにシルヴェストロフの音楽の特徴をズバリ言い表している文章だ。
 こういう文を自分も書けたらなぁ……
 そう思うと、なんだか悲しくなっちゃう……

 この日のがらコンサートは3時間にわたったそうだが、青澤氏は“その音楽は慣例的な時空を逸脱しているから、悠久とも一瞬とも言える”と書いている。

 これまた上手い!
 私だったら、「長ったらしいと感じたが、終わってみるとあっという間だった」ってな書き方にしかならない。

Silvestrov  じゃあ浮いてみろよ!って自分を突っ込みたくなる
 そのシルヴェストロフ(Valentin Silvestrov 1937-  ロシア)のヴァイオリンとピアノのためのソナタ「ポスト・スクリプトゥム(Post scriptum)」(1990/91)。

 どんな音楽かって?
 上で紹介した文に書かれている通りの音楽です。

 以前シルヴェストロフを取り上げた記事で、じゃあ私は彼の曲についてどう書いているのか?

 とにかくフワフワとした音楽。浮遊感絶頂!

 あぁ、情けなっ!やれやれ。

 私が聴いているのは、クレーメルのヴァイオリン、サハロフのピアノによる演奏(1995年録音。apex(原盤:TELDEC))。

 だが、このディスクは廃盤となっているので、ここではトロスティナンスキのヴァイオリン、ガラ・コンサートにも出演したというリュビモフのピアノによる演奏を(私は未聴)。2005年録音。ECM。

「クラシック迷宮図書館 片山杜秀の本(3)」の《序にかえて 音楽は読むことと見つけたり》の冒頭で、片山氏はこう書いている。

 音楽は音でしか語れないから音楽で、言葉でうんぬんしてもしょせんは隔靴掻痒(かつかそうよう)だ。しかし、では音楽は音だけでわかるかというと、そうでもない。音楽を作る音の言語もいろいろで、なかには聴き方を言語で説明しないとチンプンカンプンというのもある。また、音楽に意味をみいだそうとすれば、そこに言葉が生まれる。だからやはり音楽には、どうしても一歩か半歩遅れて言葉がついてまわる。……

 まったくそのとおりだと思う。

 でも、片山センセ。なぜ私は、感想においてさえ気の利いた言葉を用いることがずっとずっとできないままなんでしょうか?

 ガラ・コンサートの評が新聞に載っていた24日は、いろいろ報告すべきできごとがあった。
 それについてはまた日をあらためて。

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