新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

レクイエム

むかしの札響公演パンフを画像データ化してご紹介♪第285回定期演奏会

 ※ このシリーズを始めたきっかけについてはこちらをお読みください。

  ソーセーヂ……
 デュリュフレという作曲家の作品を、私はこの日初めて聴いたが、きれいな響きであると同時にドラマティックな音楽だと思った記憶がある。このレクイエムは、その後 Kitara でも聴く機会があったが、それもとても良い演奏だった。

19871015SSO285th_01

19871015SSO285th_02

19871015SSO285th_03

19871015SSO285th_04

19871015SSO285th_05

19871015SSO285th_06

19871015SSO285th_07

19871015SSO285th_08

19871015SSO285th_09

19871015SSO285th_10

19871015SSO285th_11

19871015SSO285th_12

19871015SSO285th_13

19871015SSO285th_14

19871015SSO285th_15

19871015SSO285th_16

19871015SSO285th_17

19871015SSO285th_18

19871015SSO285th_19

19871015SSO285th_20

19871015SSO285th_21

19871015SSO285th_22

DurufleRequiemChung

 それにしても、なぜソーセージではなくソーセーヂなんだろう?特別なこだわりがあるのだろうか?(5ページ)。

この部屋、居心地悪いですか?♪ブリテン/シンフォニア・ダ・レクイエム

  自分の部屋がほしい私……
 自宅の私の部屋-といっても、独立した息子の部屋を無断で使っているのだが-に置いてあるベンジャミン。
 いつも目にしているのだが、先週の水曜日の夜に、いくつか実がついているのを発見した。
 このベンジャミン、買ってから確か25年以上になるが、実がなるのは初めて。そしてまた、花が咲いたのにも気づかないうちに、実がなったのも不思議だ。
 なお、葉にほこりだらけなことをお許し願いたい(おととい、外に出して、この散水ノズルのシャワーモードで洗った)。

DSC_1237

DSC_1238

DSC_1239

 ネットで調べてみると、ベンジャミンはイチジク(漢字で『無花果』と書く)と同じように、実の内部に花があるんだそうだ。

DSC_1240

 実の大きさは直径8mm ほど。
 切ってみると、

DSC_1242

おお!、内部に無数の花が!って言いたいところだが、まだよくわからない。

 ふだん花を咲かせない植物が花を咲かせるときは、育っている環境が悪いために子孫を残して別な環境に移る(種を飛ばしたり、鳥に食べてもらったりして(種は糞として別な場所に落とされる))ことを目的とすることが多い。

 ウチのベンジャミンも何年も植え替えをしていないので鉢の中が根詰まりしているか、あるいは純粋の老化しているのかもしれない。ただ、いまのところ元気で枯れるような気配はないので、あわてて植え替える必要はなさそうだ(←実は面倒くさいだけ……)。
 また、ネット情報では「毎年実がなってます」とか「植え替えたあとだけ1回実がつきました」という、枯れる予兆とは正反対の情報もある。

 ウチのベンジャミンはどっちの道を選ぶのか?

 ブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)のシンフォニア・ダ・レクイエム(Sinfonia da requiem)Op.20(1940)を。

BrittenStern

丸美屋?Cook Do?いえ、今日はMUUSAN亭♪ベルリオーズ/レクイエム

  辛さ控えめにしてみました
 陳建一が先月亡くなった。

 私は、赤坂四川飯店の系列店だったころの ESTA 10階の札幌四川飯店の担担麺と麻婆豆腐が大好きだった。だが、閉店してしまった今となってはもう食べられない。(赤坂四川飯店系列としては札幌では、ガーデンパレスに四川飯店があり、とてもおいしいが、かつての ESTA の四川飯店の麻婆豆腐や担担麺とはちょっと味が違う)。

 となれば、自分で作ろう。
 ということで、陳建一とその父である建民の料理本のレシピに従って、先週、久しぶりにMUUSAN特製麻婆豆腐を作った。ただし、レシピにある豆腐の量が3丁というのは多いので2丁にし、調味料の分量もテキトーに変えた。

 ① 弱火でニンニクとショウガのみじん切りを炒める。

20230330Mabo1

 ② 挽き肉を投入。パラパラになるまで炒める。

20230330Mabo2

20230330Mabo3

 ③ 豆板醤と甜面醤を入れて(各小さじ1くらい)、さらに炒める。

20230330Mabo4

 ④ 水と鶏がらスープの素を入れ煮立ったら水切りしておいた豆腐を入れる。
   ガラスープにも塩分があるので、味見しつつしょうゆを加える。
   豆腐は塩を入れた湯でゆでておくのが、本当なら理想的。

20230330Mabo5

 ⑤ そのまま少しの間煮立たせ、そのあと軽く混ぜる。
   水溶き片栗粉を入れ(ここはキンチョーする場面)、さらに長ねぎのみじん切りをくっわえる。
   大きくかき混ぜて完成。

20230330Mabo6

20230330Mabo7

 うん、あの四川飯店の味にかなり近い。
 今回は、ちょっとしょうゆが足りなめだったことが減点ポイント。
 でも、自分で言うのもなんだが、実においしかった。
 はっきり言って、妻と2人で完食した(その多くは私が食べてしまったのだけれど)。

 そうそう、先日むかし使っていたビジネスバッグを捨てようと、中に何か残ってないか確認したら、こんなのが出てきた。(笑)、である。

ShisenhantenYouji

 ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz 1803-69 フランス)の「死者のための大ミサ曲(レクイエム)(Grande messe des morts(Requiem))」Op.5,H.75(1837)を。

BerliozRequiemDresden さあ、週末の夕飯の一品に、陳建民レシピであなたもお手製麻婆に挑戦してみては?















報われた感たっぷりの去年の苦労♪WAM/レクイエム

20210429c  予定を前倒しし、そのあとは『無』
 さあっ!今日からゴールデンウィーク、通っぽく略すと GW である。

 でも、私には予定がない。

 いや、ある。
 タイヤ交換とベランダに物干し竿を取り付けるという仕事だ(物置にしまっておいた物干し竿を、家の中の壁や天井にぶつけないように2階まで運びのは、けっこう面倒くさい作業なのだ)。

 だが、その作業予定も無くなった。

 というのも、週末は雨が降るという予報だったので、ゴールデンウィーク突入前の「昭和の日」に作業を終えてしまったのだ。

 さて、どうしたものか……

  姿を消した土の筆
 ところで、いまの時季はツクシ(土筆)のピークである。この世の春とばかり、胞子放散を謳歌している。
 マラソンの第2集団のように、ツクシのあとを追うようにその栄養体であるスギナ(杉菜)も顔を出し始めている。上の近所の道ばたの写真を見よ!ぞっとするではないか!

 例年だと、わが家の庭にもこの憎きツクシとスギナが『顔出しOK!』のごとく土のなかから出てきて、スギナは抜いても雪が降るまで繰り返し出てくるのであった。

 これを退治するにはどうしたらよいか?
 去年からスギナ対策に本腰を入れた私。そして、いちばん効果的なのはとにかく出てきたら根気よく繰り返し抜き続けるということだと、ネットで知った。

 そしてこの春。
 わが庭で特にひどいのがこの場所だが、なんとツクシの姿は今のところひとつも確認できていない。

20210429a

 スギナの姿も、いまのところは10本以内。
 それも土から顔を出そうとしている段階で「草抜くぞう」で即座に抜いている。

20210429b

 やはり本当だったのだ。
 とにかく抜き続けることが勝利の秘訣ということが。
 それによって光合成が出来なくなり、地中に張り巡らされた根も弱ってきているのだ。
 昨年、見つけては一生懸命抜いた、その努力が報われた格好だ。

  飛び散ったときの脱力感
 雑草といえば、これも厄介だ。

20210429d

 小さい株のものは目立ちにくくもある。気づかないうちに莢が熟し、それがはじけて中のタネが方々に散るのである。名前はたぶん「タネツケバナ」だ。

 これは根の張りが浅いので根ごとに容易に抜くことができるが、なんせ数が多い。
 これまた根気よく抜くしかないが、莢が熟したものを処理するときには要注意だ。

 名古屋で「拾った」多肉植物を外に出したら枯れた。
 名古屋でも、たまに雪が降る寒さでも露地で大丈夫だったはずなのに、なぜか枯れた。

20210429i
 
 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91)のレクイエム ニ短調K.626(1791)を。

MozartRequiem

 なお、本日は本館の記事を萌え萌えに更新したことをここに密かに報告しておく。

小分けの攻めだったので気づくのが遅れたが……♪ブリテン/戦争レクイエム

20210207Garden  屋根まで届く雪の山(物置の屋根だけど)
 今冬は雪があまり多くないイメージがあったが、昨日庭に積みあがった(私がせっせと投げ飛ばして積み上げたのだ)雪を2階の窓からあらためて見ると、決して降雪が少なかったわけではないってことをあらためて知った。

 要するに一度に大量に降る日があまり多くなかったために、そのように勘違いしてしまったのだ。

 積みあがった雪の山は、高いところでは物置の屋根の高さに追いつこうとしている。

 ここ数日も中途半端な降雪量だったので市の除雪が入らず、道が細くなっている。車はすれ違えないし、道路から右折バックでカーポートに車を入れるときも、車の先端を道路わきの雪山に擦りそうになるので神経を使う。

 今日、この記事を投稿する前には、すでに市の除雪車が来たが、けさも雪は降り続いており、焼け石に水って感じだ。

  立会してて迷惑にならないよう心する!
 ただ、もう少しの辛抱である。
 というのも、もうすぐハイセツするからだ。

 ちょっと待て!
 私が、ではない。
 そもそも『排泄』ではない。
 排雪である。

 今週後半から、シーズンに一度の町内の排雪作業が始まるのである。
 そうすれば道も広くなる。心も開放的になる(か?)。

 そしてまた、その期間のうちの半日は、私はそのお手伝いに行かなければならない。
 除雪車を華麗に操縦するのではない。華麗に操縦できるはずがない。足腰が柔軟でないので、運転席に乗り込むことさえできないかもしれない。

 何度かお知らせしているように、今年度、私は町内会の役員の1人として名を連ねさせられている。
 お手伝いというのは、その任務の一環として、排雪作業の立会人を務めるのである。

 ロータリー車のあたりをうろついて、立会人が逆に邪魔者にならないよう気をつける所存である。

BrittenWarRequiem ところで、ブロ友さんがこのところブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)を取り上げている。

 それに感化され、先日久しぶりに「戦争レクイエム(War requiem)」Op.66(1960-61)を聴いた。ブリテン自身が指揮をした演奏である。

 ブロ友の七味とうがらしさんが書いているように、スピーカーに向かって真剣に全曲を聴き通すのはなかなかシンドイ曲だ。ってことで、在宅勤務中にBGMとして再生(良い子はまねしてはいけません)。

 不思議な魅力を持った作品であることは確か。そして傑作であることも確か。
 けど、仕事中のBGMには合わない曲であることは、決定的に確かだった。




「花咲くMUUSAN邸ぃ~」2020.6.第3週♪フォーレ/レクイエム

  写真の色が鮮やかでないのは天気のせい(たぶん)
 この一週間はどうもパピッとしない空模様と根性不足の気温だったが、それでも My Garden では続々とローズちゃんたちが花を咲かせ始めた。
 その姿をご覧あれ!(例年と変わりばえしないけど)。

20200620Matilda
▲ 開き切るとちょっと平たい顔族系なマチルダ

20200620Bossa
▲ 香りがないのが惜しまれるボッサノヴァ

20200620Buff
▲ 枝が横に広がりちょっとだらしなくなりやすいバフ ビューティー

20200620MHR
20200619MHR
▲ この花が咲くと良いことが起こりそう。メニー ハッピー リターンズ

20200620Nicole1
▲ 縁取りが鮮やかなニコル

20200620GT1
20200620GT3
▲ イングリッシュローズの代表格と言えるグラハム トーマス

20200620GW
▲ 日が差しくると花を開くゴールデン ウィングス

 フォーレ(Gabriel Faure 1845-1924 フランス)のレクイエム(Messe de Requiem)Op.48(1887-88/改訂1890)。

 よりによって、なんで今日の選曲がレクイエムなのかって?

 フォーレのレクイエムの第7曲(終曲)が「楽園にて(In Paradisum)」だから。

DurufleRequiemChung

20200620Rakuen
▲ 本来はもっと鮮やかなオレンジ色の楽園

 そしてまた、風で左に右になびくホルジューム・ジュバタムも美しい。私の人生のようだけど……

20200620Holj

三浦綾子が描く《妙なる家族のひずみ》♪ベルリオーズ/レクイエム

Miura_Zanzou2  何もカイゼンされないままに……
 三浦綾子の「残像」を、前回の出張の際に機内で読み終えた。

 最後の行に到達したときの感想は「えっ、これで終わり?」というもの。濃霧の手稲山山頂に置いてきぼりにされたようなものだ。

 あらゆることが解決されぬまま終わる。いや、どいつもこいつも(あの家もこの家も)世も末状態で、救済なんてしませんよっていうことなのだろう。ディエス・イレやトゥバ・ミルムで歌われる情景を思わせる。

 にしても、弘子たちが“磯部きしめん”なるシャレオツなランチを食べたのはどこかと、その痕跡を探るべく、私はわざわざ現地(中村屋旅館と札幌グランドホテル)まで足を運んでみたほどなのにやれやれである。

 この小説に出てくる人物でいちばんまともに見える主人公の真木弘子も、近くにいたらややこしそうだ。西井市次郎だっておかしい。西井修は「続・氷点」の三井達也と同一人格だ。

 三浦綾子の小説は読んでいてイライラする(その登場人物のおかしさに)。
 けど、おもしろいのである。別な作品も読みたくなるのである。
 困ったものだ(いえ、うれしい悲鳴です)。

 ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)のレクイエムOp.5,H.75(1837)。

 作品についてはあの記事この記事をご参考にしていただきたいが、次の10の楽章からなる。

  1 レクイエム - キリエ(入祭唱 - 主よ、憐みたまえ))
  2 ディエス・イレ - トゥバ・ミルム(怒りの日 - 妙なるラッパの響き))
  3 クィド・スム・ミセル(そのとき憐れなるわれ)
  4 レックス・トレメンデ(おそるべき御稜威(みいつ)の王よ)
  5 クェレンス・メ(われをさがし求め)
  6 ラクリモサ(涙の日)
  7 オッフェルトリウム(奉献唱)
  8 オスティアス(賛美のいけにえ)
  9 サンクトゥス(聖なるかな)
 10 アニュス・デイ(神の子羊)

BerliozRequiem 録音は古いが、自分が知っている範囲内ではこの曲の最良の演奏と思っている、C.デイヴィス/ロンドン交響楽団、同合唱団、ウォンズ・ワース・スクール少年合唱団による演奏を。テノール独唱はダウド(この曲で独唱が登場するのは第9楽章のみである)。

 1969年録音。フィリップス。

 


 ※参考~ウィキペディアの「レクイエム」のページに載っている「ディエス・イレ」と「トゥバ・ミルム」の歌詞。

Dies irae

Tubamirum

散っているのより巻かれた方が好き!♪ブルックナー/レクイエム

Miura_Gomen  最後の晩餐はチラシズシ
 「雨はあした晴れるだろう」の次に読んでいる三浦綾子の著書は「ごめんなさいといえる」(小学館文庫)である。
 これは小説ではなく、エッセイ集-というか「氷点」にまつわるドキュメンタリー-である。

 ところで、三浦の最初のエッセイ集は「道ありき 青春編」だが、そのなかには、自らの命を絶とうとしたときのことが書かれている。

 ……その夜、一郎の母が心づくしに作ってくれたチラシズシはおいしかった。そのおいしいことが、わたしには不思議だった。
 (これが最後の食事になるというのに、どうしてこんなにおいしいのだろう。人は生きるために食べるとか、食べるために生きるとかいうけれど、今夜のこの食事は、生きることとは何の縁もない食事なのだ)……


 そして、いよいよかってときには、

 ……その重大な死を前に、私はその夜のチラシズシがおいしかったことを記憶している。……

ってことは、おそらく、彼女はチラシズシが好きなのだろう。

 時代を考慮すると、刺身が散りばめられた生ちらしではなく、「すし太郎」みたいなやつだろう。

BrucknerRequiem  神の国に召される希望
 ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の「レクイエム(Requiem)」ニ短調WAB.39(1848-49,改訂'92)。

 レクイエムというのはご存じの通り「死者のためのミサ曲」。
 そしてブルックナーといえば敬虔なクリスチャン。

 ところがこのブルックナーのレクイエム、古今東西のレクイエムのなかでもほとんど聴かれることがない。
 多分その理由は、ブルックナーのこの曲はなんだか尻軽な感じがするから。

 ここに書いたように、特に「ディエス・イレ(怒りの日)」なんて全然恐怖のどん底、世の中の終わりって感じじゃない。ベルリオーズやヴェルディとはえらい違いだ。

 でもこれってちょいと意味ありげ。
 クリスチャンにとって死ぬということは神の御許に帰ること。だから「怒りの日」は必ずしも「恐怖の日」ではないのかもしれない。

 この曲で上のリンク記事で紹介した音源以外があるのかどうかは不明。
 この音源も廃盤のようだ。

  病床でもちらしずし
 さて、「青春編」の続きとなる「この土の器をも-道ありき 第二部 結婚編」では、病気で臥ているときに三浦綾子が元所属していた教会の武内牧師がとった行動について書かれている。

 ……自転車で家まで飛んで帰られ、奥さまの作られたちらしずしなどを、夕食に持って来てくださったりした。……

 わざわざちらしずし(なぜこちらは“チラシズシ”でないのだろう?)を持ってくるということは、やはり三浦綾子がちらしずし好きなのは広く知れ渡っていて、だからこそその好物を病気で寝ている三浦に届けたことは疑う余地がない(一般的に体調不良の人には食べたいものを持っていくものだ。栄養豊富で体に良いからといって、好きでもない生ガキを持っていく人はいないだろう)。
 どう考えても、三浦綾子の好物はちらしずし(または、チラシズシ)だったのだ。

  太いやつですか?細いやつですか?
 ところがである。
 いま読み始めた「ごめんなさいといえる」ではこんなことを書いている。

 ……この私を助けて、誠子さんは掃除や洗濯に通ってくれた。時には、私の好きな巻きずしを作ったり、……

 誠子さんというのは、綾子の夫の妹である。

 それはともかく、「えっ?」って気分だ。
 ちらしじゃないの?巻きなの?
 そんなこといままで書いてなかったじゃん。

 まっ、おすしが好きってことね、チラでもマキでも。
 にぎりはどうだったのかなぁ……

 ところで私はいい歳になるまで「お新香巻」の中というのは奈良漬け以外はないと思っていた。
 ところが大学生のとき、本州から北海道に来た連中が「沢庵じゃないのがおかしい」と言っていた。
 確かにその後、沢庵の新香巻きを食べる機会が訪れたが、そっちの方がおいしかった。
 なぜ北海道では奈良漬けなのだろう?
 いまでは私はすっかり沢庵派だが、スーパーの総菜コーナーではたいていは奈良漬けのものが並んでいる。あの甘さ、おじさんは苦手だ。
 

軽い気持ちで参加者名簿に記したせいで……♪ブリテン/戦争レクイエム

MiuraJyuko_1  恐ろしすぎる時代
 三浦綾子の「銃口」(角川文庫)を読み終えた。

 この小説の主人公も教師である。
 三浦綾子自身が教師だったため、三浦作品には教師を職業とする人物がよく登場する。

 そしてまた、主人公である竜太もまた、これでもかというくらいつらい目に合うが、それは戦争によるものだ。
 そもそものきっかけは今日のタイトルの行為のためだ。

 戦争がからむという点では、かつて浅田次郎の「マンチュリアン・リポート」や半藤一利の「昭和史」を読んだことが、物語の背景をうかがい知るのに役立った。

 それにしても、最後はめでたく結婚に至るが、竜太の純愛度はもしかすると気持ち悪いくらいかもしれない(それは女性の方の側にも言える)。

 すぐに女性と寝ちゃう村上春樹作品の主人公とは180度違う。

  でも、こちらも戦争がらみだったりする
 なんとなく「銃口」のあと、その反動で“誰とでも寝る女の子”が登場する「羊をめぐる冒険」(講談社文庫)を読んでいる。
 これを読むのは何回目になるだろう?

 このころの村上作品は、何度も読み返したくなる不思議な魅力がある(なお「羊をめぐる冒険」に出てくる『先生』は戦後の闇社会で私腹を肥やした人間である)。

BrittenWarRequiem ブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)の戦争レクイエム(War requiem)Op.66(1960-61)。

 レクイエムの典礼文とW.オーエンの反戦詩を用いた作品。

 作曲者自身の指揮、ロンドン交響楽団、同合唱団他の演奏を。

 1963年録音。デッカ。
 この曲の名盤中の名盤と言われている演奏である。

 にしても、いまの日本もどこかきな臭い雰囲気が漂っている。
 再びあんな時代にならないよう、国民は政治家たちをしっかり監視しなければならない。
 天皇陛下も、あれだけ《平和》を強調しているのだ。こんなに強調することはじつに意味深い。

ある若い社員の余興もいとたのし♪ツィンマーマン/レクイエム

IMGP1989  楓より牡丹
 土曜日に大阪支社の『観楓会』が市内の某ホテルで紳士淑女的-つまり上品-に開催される予定と書いたが、そのとおり行なわれ、美味しい料理に楓のことなどすっかり忘れて舌鼓を打った(ちなみに会場の部屋の名は『牡丹』であった)。

 この写真はイメージ。だいいち楓(もみじ)ではない。
 プラタナスか同じスズカケノキ属の樹の紅葉(こうよう)だ(紅葉というより、そのあとの落葉だ)。

  牡丹より肉
 料理のメインは『シャリアピン・ステーキ』だった。

 肉を焼く料理としては、私は豚肉ならしょうが焼き、牛肉やらシャリアピン・ステーキがいちばん好きだ。
 シャリアピン・ステーキなんて言うと、よっぽど凝ったもののように思われるかもしれないが-実際、同じテーブルだった猿田さんは、解のない方程式を見るような目で献立表をにらんでいた-、それほどではない(きちんと作ろうとすれば別だが)。それよりも、このステーキを考案した(1936年のことだ)帝国ホテル『ニューグリル』の料理長・筒井福夫氏に、私は尊敬の念を禁じ得ない。

 シャリアピンというのは人の名前である。歌手である。声域はバスだ。

 1873年生まれ、1938年に没したロシア人。当時、世界で最高のバス歌手と絶賛されたという。

 そのシャリアピンが1936年に来日したとき、歯の調子が悪くなり、ふつうのステーキが食べられなくなった。柔らかいステーキを作らねば。こうして考案されたのがシャリアピン・ステーキ。つまり日本固有のステーキだ。

ChariapinSteak 牛肉をよく叩いて薄く延ばす。それをみじん切りにしたタマネギに漬けこむ。肉はタマネギのタンパク質分解酵素によって柔らかくなるという仕組み。

 ソースはみじん切りにしたタマネギをソテーして塩コショウで味付けしたもの(写真は『アメリカン・ビーフ&アメリカン・ポーク公式サイト』に載っていたもの。でも、北海道産牛肉をお店で見かけたら、できればそっちを選んで復興支援を!)。

 私は肉を玉ねぎに漬けることはしない。玉ねぎをソテーしたものを焼いた牛肉(もしくは豚肉)にのせて出来上がりとする。それだけでもおいしい。
 このところ、またビミョーに歯ぐきが腫れることがあるが、やがてどうしようもなくなったときには、肉も玉ねぎに漬けこまねばならなくなるだろう。

  生誕100年なのに入手不可
 シャリアピンは録音ももちろん残しているが、なんせむかしの人なので、それは古い。
 古い録音(モノラル)はよほどのことがない限り聴かない私。
 なので、この名歌手とされる人の歌声を聴いたことはない。

 だが、シャリアピンとは全然関係ないが、一応声楽曲を。

ZimmermannRequiem ツィンマーマン(Bernd Alois Zimmermann 1918-70 ドイツ)の「ある若い詩人のためのレクイエム(Requiem fur einen jungen Dichter)」(1967-69)。

 ここに書いたように、突然ビートルズやベートーヴェンのメロディーが現れたりするが、とにかく重い、暗い。不気味だ。真夜中に墓石泥棒するようなイメージか?イメージ湧かないけど……

 2人の語り手の朗読が-何を言ってんだか知らないけど-またまた怖~い雰囲気。
 この悩める作曲者-彼は1970年に自殺した-の叫びを聴いておくのは、悩めるいまの時代には必要なことなのかも知れない(必要じゃないかも知れないし)。

 ベルティーニ/ケルン放送交響楽団他の演奏で。

 1986年録音。wergo。

 でも、どうしようもなく入手不可能状態にあるよう。
 すいません。

 今年は、そんなツィンマーマンの生誕100年の年なのであった。

激励のお気持ち承り所
最近寄せられたコメント
これまでの御来訪者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

メッセージ

名前
メール
本文
このブログの浮き沈み状況
読者登録
LINE読者登録QRコード
QRコード
QRコード
本日もようこそ!
ご来訪いただき、まことにありがとうございます。

PVアクセスランキング にほんブログ村
サイト内検索
楽天市場 MUUSAN 出張所(広告)

カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
タグ絞り込み検索
ささやかなお願い
 当ブログの記事へのリンクはフリーです。 なお、当ブログの記事の一部を別のブログで引用する場合には出典元を記していただくようお願いいたします。 また、MUUSANの許可なく記事内のコンテンツ(写真・本文)を転載・複製することはかたくお断り申し上げます。

 © 2014 「新・読後充実度 84ppm のお話」
  • ライブドアブログ