新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

ペテルブルク派

ヤマトが朝刊を投函しに来てくれた?♪リャードフ/8つのロシア民謡

  ありえない時刻。つまり書き手は愉快犯か?
 一週間ほど前のことだと思うが、ヤマト運輸が宅急便の配達日数や指定時間帯について、これまで配達日が翌日だった区間でも一部で翌々日になると発表した、という報道があった。
 6月からで、東京から西日本の方の話のようだ。というのも、関東から北海道はすでにもう1日遅れになっているらしい。その理由はドライバー不足だという。

20230417YamatoHP

 そりゃそうだろう。
 こんな早朝から走り回っているんだから、もう限界だ。

202304YamatoSpam

 って、こっちは迷惑メール。一応念のためお断りしておこう。
 こんな時間に来るわけない。このメールを送りつけたヤツは、きっと送りつけられた人に嘲笑されたかったんだろう。そうとしか思えない。

 そして今日のこの記事。悪乗りで早朝すぎる時間に投稿してみた。
 って、こんな時間に私が起きているわけがない(絶対無いこともないが)。
 予約投稿である。

 リャードフ(Anatol Konstantinovich Liadov 1855-1914 ロシア)の「遅歌(Plaintive Song)」。
  「8つのロシア民謡(8 Russian Folksongs)」Op.58(1906)の第3曲。

 この「遅歌」という訳は、井上和男編「クラシック音楽作品名辞典」(三省堂)に書かれているもの。
 日本楽譜出版社のスコアでは「愁いの歌」となっている。

Liadov

誰かがやってしまったらしい……♪リャードフ/アマゾン女族の踊り

  アマゾンなら『注文』だって購入できる!
 私にとってはいままでに見たことがない傾向のスパムメールが届いた。

202207amazonSpam

 誰かが、だって?
 この注文を購入した、だって?
 すぐにキャンセルって、もう間に合わないんでしょうが……
 何を買ったんでしょうね?

 〇〇政弘(表記は名+姓だが)って誰?実在するの?
 この住所は実際にあって、そこには賃貸マンションが建っているようだけど……

 リャードフ(Anatol Konstantinovich Liadov 1855-1914 ロシア)の「アマゾン女族の踊り(Dance of the Amazon)」Op.65(1910)を。

Liadov

暗黒の世界は不調のオーメン?リャードフ/「ヨハネの黙示録」から

  朝なのに漆黒の世界
 昨日、悪い虫に乱暴を受けている絹さやえんどうの話を書いたが、その写真を撮るべくPENTAXの一眼レフカメラでまずは小さな菜園の様子を撮影すると、そこは月の出ていない漆黒の世界だった。

20210710PENTAX1

 2枚目はこう。

20210710PENTAX2

 そして3枚目で、まともな露出に。

20210710PENTAX3

 変でしょ?
 いや、モニターにモザイクがかかっているのがおかしいのではない。だってそれは私がかけたのだから。

 最初は変なボタンを押したのかなと思ったが(変なボタンなんてないけど)、3枚とも1/60、F5.0、ISO100と、同じ撮影データ(条件)になっている。
 にもかかわらず、撮った写真の最初の1枚は真っ暗、2枚目は露出不足、3枚目で正常。このときの撮影モードは絞り優先自動露出。

 そのあといろいろやってみたが、電源スイッチをONにした最初、もしくは最初と2枚目に撮影したものが真っ暗かかなりの露出不足になることが判明。ただし、毎回毎回スイッチON後にこの現象が起こるかというとそうではなく、気分次第って状況。

 私のものと機種は違うが、PENTAX機の同じような現象についての質問と、的を得ているような答えと的を得てないような答えが載っているサイトを発見

John666 どうやら、故障の前兆(オーメン)っぽい(って、もう故障しているってことか)。
 買って5年半。カメラってこれぐらいでダメになるものなんだろうか?(ニコンのコンデジは1年半でダメになったが)

 それにしても、プリンターもおかしくなって買い替えたばかりなのになんてこったい……

 まあ、修理するにしてもけっこうかかりそうなので、ダメになったら一眼レフはもう持つのをやめようと思っている(私にはカメラには運がないような気がする)。で、レンズだけでもどこかに売ろうか……

 オーメンってことで、リャードフ(Anatoly Konstantinovich Liadov 1855-1914 ロシア)の交響的絵画「『ヨハネの黙示録』から(Fragment from the Apocalypse)」Op.66(1910-12)。

Liadov 聖書のページの写真(666のところ)は第13章の終わりの箇所だが、リャードフは第10章の第1節から第3節を、この交響的絵画として音楽で描いた。






共通した挽き肉のフレーバーの素は何?♪リャードフ/挽歌

  若者ぶったわけじゃないけれど……
 まぁ、考えてみれば、私が昼食にどんな弁当を買って食べたのかなんて話題はどうでも良いことなんだろうけど、ブログを書いている身としてはそんなことも大事件のように扱わないとネタが切れてしまうので、また報告してしまおう。

 月曜日の朝のことである。
 札幌駅に電車が到着したとき、私は今日も Kiosk で弁当を買うことにした。
 電車に乗っている間、セブンにしようか、その手前のファミマにしようか、あれこれ考えていた。通勤電車の中で弁当をどこで買うかこんなに悩んでいる人間が他にいるだろうか?そして、周りの乗客は私がそのことで頭がいっぱいになっているなんて想像もしていないだろう。

 そして、上に書いたように、電車が着くや否や、すべてがめんどうになり、Kioskで買うことにしたのだった。あれだけ悩んだのがすべて無駄になった。

 弁菜亭の「幕の内弁当」にするつもりが、気がつくとレジに差しだしていたのは、「デミメンチ&塩だれ焼鳥丼」という、ベジタリアンなら卒倒しそうな弁当だった。あの弁当と同じ日糧製パンの商品である。

20200622PL1

 昼に、このたびもレンジアップして食べた。

20200622PL2

 税込430円でこのボリュームならコスパは高いだろう。若い人にとっては「やったぜ!」的な弁当に違いない。
 けど、ベジタリアンだけでなく、若くない人間にとっても不向きな弁当だ。重い、、、

Liadov そしてまた、私はチキンはやっぱり照り焼きの方が好きだ。断然。
 メンチカツも、弁当や総菜の挽き肉物-ハンバーグや肉シューマイなど-にありがちな特有のフレーバーのげっぷが、のちに私の喉元から上がってきたことを申し添えておこう(それが悪いという意味ではない)。

 リャードフ(Anatoly Konstantinovich Lyadov 1855-1914 ロシア)の挽歌(Nanie)Op.67(1914)。

 札幌で新型コロナ感染症が集団発生した昼カラ店の名も「挽歌」だが、リャードフも昼カラ店も、どっちとも肉を挽くこととは関係ない(言うまでもないことだが)。

昼に朝食を食べてみた♪リャードフ/音楽玉手箱

  並んで高いものを食べるほどの意欲と食欲はなし
 先週金曜日。
 千歳便に乗るために大阪伊丹空港に着いたのは12時半過ぎ。たまには空港内の飲食店で食事をしてみようかと、早めに行った。

 しかし、あったりまえのことながら、時間的にどこの店も順番待ちの列。
 あの店は「もういいや」って感じだし、カレーショップは氷山係長曰く「サンプルと違って、全然盛りが少ない」らしいし、美々卯はこんなに立派なもの要らない上に当然高いし、がんこ寿司も、昼食でここまではねぇって価格帯。

 結局、価格問題と行列問題のため、空弁を買ってラウンジで食べることにした。
 ご存知のように、私は原則搭乗前は食事をとらないのだが、この日は朝食もたいして食べていなかったので、イチかバチかで食べることにしたのだった。

  食べている間に油が浸透?
 ANA FESTAで買ったのは昼なのに『日本の朝食弁当』、520円。
 朝食なのに期限は大丈夫かって?
 大丈夫!
 前回のちょっぴり残念な思いをしたことを学習し、ちゃんと確認。当日の24時までOKだった。

20180928a

 ふたを開けると……中身はサンプルどおり。ウソ偽りなし。

20180928b

 これで520円は空弁としてはすばらしいコストパフォーマンス。
 玉手箱を開けたときのような-そんな経験はないけど-気分だ。
 鮭にかまぼこ、昆布巻きにひじきの煮物に鶏肉。
 海苔が袋入りなのが珍しい。

 味も良い。特にご飯のおいしさと鮭のハラスの絶妙な塩加減に満足、満足。
 えっ?アメリカ産?……違った、“米:国産”だった。焦ったぁ~←焦る必要はないけど。

20180928d

 しかも食べ終わったあとの「あぁ、食べ終わっちゃった」という虚しさをまぎらわせてくれる、間違い探しのサービス付き。
 あなたは3つの違いがわかるだろうか?

20180928c

 この弁当は、おススメだ。
 唯一の欠点は、食べているうちに鮭のハラスの脂が紙箱の底にしみ出たことだ(それだけ脂ののったジューシーな鮭だとも言える)。

LiadovCoombs  観光客も戻りつつある?
 リャードフ(Anatoly Konstantinovich Lyadov 1855-1914 ロシア)の「音楽玉手箱(Muzikalnaya tabakerka)」Op.32(1893刊)。

 クームズのピアノで。

 1997年録音。Helios。

 ふだんしないことをして飛行機に乗った私。
 ちょっとおなかが張ったが、トイレに駆け込まねばならないような事態にもならず、無事北海道に着いた。

 そしてまた、飛行機は見た感じで8割くらいの搭乗率。
 団体客もいた。新婚旅行の外国人もいた。
 北海道に来てくれる人たちが、このように早く戻って来てくれて何よりだ。

ささやき終わると……♪リャードフ/「ヨハネ黙示録」から

20170603TwitterSCR  3並びじゃなく2並びなので
 6月6日である。
 666なら意味ありげだが、残念ながら1つ足りない66。
 2÷3なので、66.6……%、
 あら、強引に“オーメン”の日にしちゃった。

 ヨハネの黙示録第13章第18節。

 ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。

 なんか怖~い!

 先日blogramでヘンテコな画面が出ることがあることを取り上げたが、自宅のウィンドウズ10のPCでツイッターを使いログアウトすると、こんな画面が!

 何?きれいだって?
 どーゆーセンスしてるんですか、まったく!
 不気味です。気色悪いです。何か良くないことの前兆のようです。

 主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。(同第22章第21節)

Liadov  頭が七色?
 リャードフ(Anatol[Anatoly] Konstantinovich Liadov[Lyadov] 1855-1914 ロシア)の交響的絵画「『ヨハネ黙示録』から(From the Apocalypse)」Op.66(1910-12)。

 ウィキペディアによると、この曲はヨハネの黙示録の第10章第1~3節の様子を描いているという。

 この部分の聖書の記述は、

 1

 わたしは、もうひとりの強い御使が、雲に包まれて、天から降りて来るのを見た。その頭に、にじをいただき、その顔は太陽のようで、その足は火の柱のようであった。

 2

 彼は、開かれた小さな巻物を手に持っていた。そして、右足を海の上に、左足を地の上に踏みおろして、

 3

 ししがほえるように大声で叫んだ。彼が叫ぶと、七つの雷がおのおのその声を発した。

である。

 小さな巻物が燃えてしまわなかったのが不思議だとか、ししとキングギドラのどちらが強いんだろうとか、そういうしょうもない邪念を抱いてはいけないのが、抱いてしまう私。

 そんな邪念も吹き飛ぶぐらい、おっそろしい御使であり、とにかく世も末の状況である。

 そのすさまじい光景を、リャードフは金管のファンファーレやらティンパニのドロドロドロで描いたのだった。
 なお、この曲にはリムスキー=コルサコフの序曲「ロシアの復活祭」にも使われていたロシア正教会の聖歌のメロディーが現れる。

 シュピラ(シュピレル)指揮クラスノヤルスク交響楽団の演奏で。

 2001年録音。ブリリアント・クラシックス。

 作品番号が66っていうのは単なる偶然か?はたまたウケ狙いか?

すいません、機長。寝てました。♪リャードフ/キキモラ

Liadov  疲労骨折かと思ったが……
 土曜日はあまりふだんは行なわない立ち仕事で、夕方にホテルに向かう途中、いきなり太ももにつるような痛みが走り、このまま大都市東京の歩道上で仁王立ちしたまま動けなくなるんじゃないかと思った。

 このとき、私は大学生の時の生物学の時間に行なった、食用ガエルを解剖し脚の筋肉をむき出しにして電気刺激を与えピクピクさせる実験を思い出した。
 あの実験の目的はなんだったのだろう。それがちっとも思い出せない。

 しかしなんとかホテルの部屋に入り、椅子に座るとじきに回復。
 筋肉痛程度の痛みに治まった。
 まるでジジイだ。

 でも、よかったぁ。
 やはり、もう若くない。

  札幌から帰るより早い!
 実は昨日はたまには時間に余裕をもって昼すぎの便で帯広に戻る予定だったのだが、金曜日に出発する前にアサイチ便で帰ろうと気が変わり、というのも1日に行なわれるフードバレーマラソンを観に行こう、などという気は毛頭なく、要するにどうせゆっくりするなら早く帰ってからゆっくりした方がいいやと思い、7:00発の便に変更したのだった。

 都営浅草線のイチバン電車に乗って、ちょっとウトウトしたら京急蒲田駅に着き、「あれっ?いつ蒲田駅が地下駅になったのか」と不思議に思ったが、なんのことはない日の出前で単に暗かっただけだ。

 飛行機に乗ってからは珍しく40分ぐらい完璧に眠ってしまった。
 そのせいで機長のアナウンスを“聞き漏ら”してしまった。

 「この先の航路の天候はおおむね順調ですが降下し始めると若干揺れる場合がございます」と言ったのか、それとも「この先は電柱にしがみつかないと立っているのがやっとのほどです」と言ったのかわからない。

 この日は驚くほど尿意を感じなく、このままだとトイレに行く必要は全くないと思われた。
 しかし、情報を聞き漏らしたために安心ができず、突然ひどく揺れることが万が一あった場合に備え、着陸20分前にトイレに行った。
 でも、断水後の水道のような出だった。

 リャードフ(Anatoly Konstantinovich Lyadov 1855-1914 ロシア)の「キキモラ(Kikimora)」(1909)。

 サハロフによる「ロシア民間説話集」のなかにある、人間に災いをもたらす邪悪な妖精キキモラの民話を題材にしている。
 リャードフはこの曲を“交響的絵画”と呼んでいる。

 私が聴いているのはシュピラ指揮クラスノヤスク交響楽団による演奏のもの。

 2001年録音。ブリリアント・クラシックス。

 空港連絡バスに乗って、帯広駅に着いたのは9:20。

 エキナカを歩いているとちょうどスーパーおおぞら1号が到着するところだった。
 帯広、釧路方面に向かう特急では、この日いちばん早く札幌を出発する列車である。

 でも、当日移動の場合、東京からの方が札幌より早く着くなんて、なんだか不思議。

トランプ目的の旅行ですが、何か?♪リャードフ/p小品集

LiadovCoombs リャードフ(Anatoly Konstantinovich Lyadov 1855-1914 ロシア)の「音楽玉手箱(Muzikalnaya tabakerka)」Op.32(1893)は、実に愛らしい曲。私はこれまで管弦楽編曲版しか聴いたことがなかったが、今回ピアノ原曲版のCDを手に入れた。
 この曲はごくごく小さな作品であり、CDには彼のピアノ小品が他にも収められている。

   リャードフっていつごろの人なんじゃい?
 リャードフ……
 彼の作品をあまり聴いたことがないという人も多いと思う。

 ムソルグスキーに才能を見込まれ、ペテルブルク音楽院でリムスキー=コルサコフに作曲を学んだものの、あまりに休むので除籍処分。しかし、そのあと戻ることができ、1878年からはこの音楽院で教鞭をとった。学校に来なくていったんは除籍になった人間が教師になるとはトホホである。

 教え子の1人に反ロマン派だったプロコフィエフがいるが、学生だったプロコフィエフは

 リャードフには私の作品を見せない。もし見せたら、彼はおそらく私をクラスから追い出すだろう。
             (H.C.ショーンバーグ著「大作曲家の生涯」下巻:共同通信社)

と述べている。  

 ところで、なんとかドフやらなんとかスキーだのいろんな名前が出てくるので、ここで一肌脱いでご奉仕。ご親切に、ロシア、ソヴィエトの主な作曲家を生年順に並べてみよう。

 グリンカ        1804-57 近代ロシア音楽の父。
 ボロディン        1833-87 本業は化学者。ロシア5人組の1人。
 バラキレフ       1837-1910 大学では数学専攻。ロシア5人組のまとめ役。
 ムソルグスキー    1839-81 元軍人。ロシア5人組の1人。
 チャイコフスキー    1840-93 最初は法務省に勤務。
 R-コルサコフ     1844-1908 海軍に所属。ロシア5人組の1人。
 リャードフ         1855-1914 ペテルブルク音楽院卒。同音楽院で教鞭をとる。
 S.I.タネーエフ      1856-1915 モスクワ音楽院卒。作曲の師はチャイコフスキー。
 I-イヴァノフ       1859-1935 ペテルブルク音楽院卒。のちにモスクワ音楽院で教鞭をとる。
 グラズノフ        1865-1936 ペテルブルク音楽院の院長を務める。ショスタコーヴィチの師。
 カリンニコフ       1866-1901 モスクワ音楽院中退。
 スクリャービン        1872-1915 モスクワ音楽院卒。作曲では単位をとれず、ピアノの単位で卒業。
 ラフマニノフ       1873-1943 モスクワ音楽院卒。スクリャービンと同級生。
 グリエール       1875-1956 モスクワ音楽院卒。同音楽院で教鞭をとる。プロコフィエフの師。
 ストラヴィンスキー    1882-1971 サンクトペテルブルク大学で法学を学ぶ。R-コルサコフに師事。
 プロコフィエフ      1891-1953 サンクトペテルブルク音楽院卒。
 A.チェレプニン     1899-1977 サンクトペテルブルク音楽院に入学するが、1918年パリへ亡命。
 ハチャトゥリアン     1903-78 モスクワ音楽院卒。
 カバレフスキー     1904-87 モスクワ音楽院卒。
 ショスタコーヴィチ  1906-1975 ペテルブルク音楽院卒。同音楽院やモスクワ音楽院で教鞭をとる。
 ウストヴォリスカヤ   1919-2006 ペテルブルク音楽院(レニングラード音楽院)でショスタコーヴィチに師事。
 グバイドゥーリナ   1931-  カザン音楽院卒業後モスクワ音楽院に進む。
 シュニトケ        1934-98 モスクワ音楽院卒。同音楽院で教鞭をとる。
 シルヴェストロフ     1937-  キエフ音楽院卒。

 はて、この作業に果たして意味があったのだろうか?数字の頭の位置がきちんとそろわないし……

 いずれにせよ、リャードフがチャイコフスキーやロシア5人組よりもあとの世代であり、ラフマニノフよりは前の世代であることがわかってもらえるだろう(最初っからそう書けば事足りたか……)。

 キュイがないって?
 あの人、おもだった人じゃないし…… 

  少なくなかった音楽界への影響度
 リャードフだけでなく、上の一覧には今や数曲でなんとか名を残している、大作曲家とは呼べない人物もいる。しかし、そうなってしまったのには当時のロシア(ソヴィエト)の社会情勢が少なからず影響している。そしてむしろ、彼らはロシア音楽の発展、次世代の育成に大きく寄与している。

 ロバート・P.モーガン編(長木誠司監訳)の「西洋の音楽と社会 11 現代Ⅱ 世界音楽の時代」(音楽之友社)の最初のページにはこう書かれている(リャードフはリャドフと書かれている)。

 ロシアにおける政治の激変は、音楽家の世代交代と時期を同じくしている。ニコライ・リムスキー=コルサコフが1908年に世を去ったのに続き、アナトル・リャドフが1914年に、セルゲイ・タネーエフが1915年に、そして〈力強い仲間〉の最後のひとりであるセザール・キュイが1918年に亡くなっている。アレクサンドル・スクリャビンの後期の作品にその時代の社会的動乱の反映を聴きとった革命家たちは、この作曲家が1915年に早世したことに落胆した。尊敬を集めていた年長の2人の作曲家、アレクサンドル・グラズノフとミハイル・イッポリトフ=イヴァノフは、世代の隔たりを埋め、それぞれペテログラード音楽院、モスクワ音楽院の高い水準を維持し、教育の伝統を守ることに貢献したが、彼らの作曲家としての活動とその影響力はすでに頂点を過ぎていた。

Vorkov_mini  トランプに夢中
 ところで、いまではすっかり偽書のレッテルを貼られているS.ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」(水野忠夫訳:中央公論社)。

 この本の中で、ショスタコーヴィチの師であったグラズノフがたびたび登場するのは理解するにしても、グラズノフと同時代のリャードフが出てくるのはたったの2か所しかない。

 ……音楽院で、ときどき、フーガを書いてくるようにと、リャードフに宿題が出された。宿題などやっていかないのを彼は自分でもあらかじめ知っていた。そこで同居していた姉に言った。「フーガを書かないうちは食事をしなくてもいいよ」。食事の時間となったが、フーガは依然としてできあがらなかった。「食事はあげませんよ、だって、あんたは宿題をしていないのだから。自分でそう頼んだでしょう」とやさしく姉はリャードフに言った。「それなら、それでもいいよ。ぼくは伯母さんのところにご馳走になりに行くから」とこの魅力的な若者は姉に答えて、出て行った。(ハードカバー版80p)

 ここはショスタコーヴィチが、自分はフーガの課題を真面目に書いていった、という話の場面で引き合いに出されている。腹を抱えて笑うほどの話じゃないな……

 また、ショスタコーヴィチは一時期トランプに熱中し、“あまり立派とはいえぬトランプのゲームのとりことなって喜んでいた”そうだが、そこでまたリャードフがの話が引き合いに出されている。

 リャードフは外出嫌いで、そのうえトランプ気ちがいときていた。どこにも出かけず、なにも見物せず、家に閉じこもっては、トランプばかりしていた。あるとき、すばらしい自然でも見に行こうと、ベリャーエフがリャードフをなんとか説得して、コーカサスに連れ出した。音楽のパトロンと作曲家はコーカサスに到着し、高級ホテルに宿をとったが、三日間というもの、朝から晩までトランプをしつづけていた。ベリャーエフもリャードフも自然のことなど思い出しもせず、ホテルの部屋から一歩も出なかった。それから列車に乗ってペテルブルグに戻ってきた。こういうわけで、リャードフはすばらしい自然を眺めもしなかったので、あとになってから、いつも不思議そうに、「本当に、ぼくはコーカサスに行ったのだったかな?」とたずねるのだった。(同379p)

 誘う方も誘う方だ。
 「ショスタコーヴィチの証言」におけるリャードフの扱い。それが彼の地位がどんなものだったかを示しているように思える。

  とはいえ、地味ながら心地よい小品の数々
 才能はあるのにだらしない。度胸がないから大きな作品に挑まない(ディアギレフは最初、バレエ「火の鳥」の音楽をリャードフに依頼した。しかし、いつまでも煮え切らないのでストラヴィンスキーに依頼した)。

 ここで紹介するクームズの独奏によるピアノ作品集に収められている曲も、もちろん小品ばかり。
 ショパンのような響きも聴こえるし、特にBGMとしては悪くない。

 1997年録音。Helios。

 これから庭の雑草とりとバラの剪定作業。
 午後は札響の定期演奏会を聴きに行って来る。

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