ペテルブルク派
ふだんしないことをして飛行機に乗った私。
3並びじゃなく2並びなので
6月6日である。
666なら意味ありげだが、残念ながら1つ足りない66。
2÷3なので、66.6……%、
あら、強引に“オーメン”の日にしちゃった。
ヨハネの黙示録第13章第18節。
ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
なんか怖~い!
先日blogramでヘンテコな画面が出ることがあることを取り上げたが、自宅のウィンドウズ10のPCでツイッターを使いログアウトすると、こんな画面が!
何?きれいだって?
どーゆーセンスしてるんですか、まったく!
不気味です。気色悪いです。何か良くないことの前兆のようです。
主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。(同第22章第21節) 頭が七色?
リャードフ(Anatol[Anatoly] Konstantinovich Liadov[Lyadov] 1855-1914 ロシア)の交響的絵画「『ヨハネ黙示録』から(From the Apocalypse)」Op.66(1910-12)。
ウィキペディアによると、この曲はヨハネの黙示録の第10章第1~3節の様子を描いているという。
この部分の聖書の記述は、
1
わたしは、もうひとりの強い御使が、雲に包まれて、天から降りて来るのを見た。その頭に、にじをいただき、その顔は太陽のようで、その足は火の柱のようであった。
2
彼は、開かれた小さな巻物を手に持っていた。そして、右足を海の上に、左足を地の上に踏みおろして、
3
ししがほえるように大声で叫んだ。彼が叫ぶと、七つの雷がおのおのその声を発した。
である。
小さな巻物が燃えてしまわなかったのが不思議だとか、ししとキングギドラのどちらが強いんだろうとか、そういうしょうもない邪念を抱いてはいけないのが、抱いてしまう私。
そんな邪念も吹き飛ぶぐらい、おっそろしい御使であり、とにかく世も末の状況である。
そのすさまじい光景を、リャードフは金管のファンファーレやらティンパニのドロドロドロで描いたのだった。
なお、この曲にはリムスキー=コルサコフの序曲「ロシアの復活祭」にも使われていたロシア正教会の聖歌のメロディーが現れる。
シュピラ(シュピレル)指揮クラスノヤルスク交響楽団の演奏で。
2001年録音。ブリリアント・クラシックス。
作品番号が66っていうのは単なる偶然か?はたまたウケ狙いか?
疲労骨折かと思ったが……
土曜日はあまりふだんは行なわない立ち仕事で、夕方にホテルに向かう途中、いきなり太ももにつるような痛みが走り、このまま大都市東京の歩道上で仁王立ちしたまま動けなくなるんじゃないかと思った。
このとき、私は大学生の時の生物学の時間に行なった、食用ガエルを解剖し脚の筋肉をむき出しにして電気刺激を与えピクピクさせる実験を思い出した。
あの実験の目的はなんだったのだろう。それがちっとも思い出せない。
しかしなんとかホテルの部屋に入り、椅子に座るとじきに回復。
筋肉痛程度の痛みに治まった。
まるでジジイだ。
でも、よかったぁ。
やはり、もう若くない。
札幌から帰るより早い!
実は昨日はたまには時間に余裕をもって昼すぎの便で帯広に戻る予定だったのだが、金曜日に出発する前にアサイチ便で帰ろうと気が変わり、というのも1日に行なわれるフードバレーマラソンを観に行こう、などという気は毛頭なく、要するにどうせゆっくりするなら早く帰ってからゆっくりした方がいいやと思い、7:00発の便に変更したのだった。
都営浅草線のイチバン電車に乗って、ちょっとウトウトしたら京急蒲田駅に着き、「あれっ?いつ蒲田駅が地下駅になったのか」と不思議に思ったが、なんのことはない日の出前で単に暗かっただけだ。
飛行機に乗ってからは珍しく40分ぐらい完璧に眠ってしまった。
そのせいで機長のアナウンスを“聞き漏ら”してしまった。
「この先の航路の天候はおおむね順調ですが降下し始めると若干揺れる場合がございます」と言ったのか、それとも「この先は電柱にしがみつかないと立っているのがやっとのほどです」と言ったのかわからない。
この日は驚くほど尿意を感じなく、このままだとトイレに行く必要は全くないと思われた。
しかし、情報を聞き漏らしたために安心ができず、突然ひどく揺れることが万が一あった場合に備え、着陸20分前にトイレに行った。
でも、断水後の水道のような出だった。
リャードフ(Anatoly Konstantinovich Lyadov 1855-1914 ロシア)の「キキモラ(Kikimora)」(1909)。
サハロフによる「ロシア民間説話集」のなかにある、人間に災いをもたらす邪悪な妖精キキモラの民話を題材にしている。
リャードフはこの曲を“交響的絵画”と呼んでいる。
私が聴いているのはシュピラ指揮クラスノヤスク交響楽団による演奏のもの。
2001年録音。ブリリアント・クラシックス。
空港連絡バスに乗って、帯広駅に着いたのは9:20。
エキナカを歩いているとちょうどスーパーおおぞら1号が到着するところだった。
帯広、釧路方面に向かう特急では、この日いちばん早く札幌を出発する列車である。
でも、当日移動の場合、東京からの方が札幌より早く着くなんて、なんだか不思議。
リャードフ(Anatoly Konstantinovich Lyadov 1855-1914 ロシア)の「音楽玉手箱(Muzikalnaya tabakerka)」Op.32(1893)は、実に愛らしい曲。私はこれまで管弦楽編曲版しか聴いたことがなかったが、今回ピアノ原曲版のCDを手に入れた。
この曲はごくごく小さな作品であり、CDには彼のピアノ小品が他にも収められている。
リャードフっていつごろの人なんじゃい?
リャードフ……
彼の作品をあまり聴いたことがないという人も多いと思う。
ムソルグスキーに才能を見込まれ、ペテルブルク音楽院でリムスキー=コルサコフに作曲を学んだものの、あまりに休むので除籍処分。しかし、そのあと戻ることができ、1878年からはこの音楽院で教鞭をとった。学校に来なくていったんは除籍になった人間が教師になるとはトホホである。
教え子の1人に反ロマン派だったプロコフィエフがいるが、学生だったプロコフィエフは
リャードフには私の作品を見せない。もし見せたら、彼はおそらく私をクラスから追い出すだろう。
(H.C.ショーンバーグ著「大作曲家の生涯」下巻:共同通信社)
と述べている。
ところで、なんとかドフやらなんとかスキーだのいろんな名前が出てくるので、ここで一肌脱いでご奉仕。ご親切に、ロシア、ソヴィエトの主な作曲家を生年順に並べてみよう。
グリンカ 1804-57 近代ロシア音楽の父。
ボロディン 1833-87 本業は化学者。ロシア5人組の1人。
バラキレフ 1837-1910 大学では数学専攻。ロシア5人組のまとめ役。
ムソルグスキー 1839-81 元軍人。ロシア5人組の1人。
チャイコフスキー 1840-93 最初は法務省に勤務。
R-コルサコフ 1844-1908 海軍に所属。ロシア5人組の1人。
リャードフ 1855-1914 ペテルブルク音楽院卒。同音楽院で教鞭をとる。
S.I.タネーエフ 1856-1915 モスクワ音楽院卒。作曲の師はチャイコフスキー。
I-イヴァノフ 1859-1935 ペテルブルク音楽院卒。のちにモスクワ音楽院で教鞭をとる。
グラズノフ 1865-1936 ペテルブルク音楽院の院長を務める。ショスタコーヴィチの師。
カリンニコフ 1866-1901 モスクワ音楽院中退。
スクリャービン 1872-1915 モスクワ音楽院卒。作曲では単位をとれず、ピアノの単位で卒業。
ラフマニノフ 1873-1943 モスクワ音楽院卒。スクリャービンと同級生。
グリエール 1875-1956 モスクワ音楽院卒。同音楽院で教鞭をとる。プロコフィエフの師。
ストラヴィンスキー 1882-1971 サンクトペテルブルク大学で法学を学ぶ。R-コルサコフに師事。
プロコフィエフ 1891-1953 サンクトペテルブルク音楽院卒。
A.チェレプニン 1899-1977 サンクトペテルブルク音楽院に入学するが、1918年パリへ亡命。
ハチャトゥリアン 1903-78 モスクワ音楽院卒。
カバレフスキー 1904-87 モスクワ音楽院卒。
ショスタコーヴィチ 1906-1975 ペテルブルク音楽院卒。同音楽院やモスクワ音楽院で教鞭をとる。
ウストヴォリスカヤ 1919-2006 ペテルブルク音楽院(レニングラード音楽院)でショスタコーヴィチに師事。
グバイドゥーリナ 1931- カザン音楽院卒業後モスクワ音楽院に進む。
シュニトケ 1934-98 モスクワ音楽院卒。同音楽院で教鞭をとる。
シルヴェストロフ 1937- キエフ音楽院卒。
はて、この作業に果たして意味があったのだろうか?数字の頭の位置がきちんとそろわないし……
いずれにせよ、リャードフがチャイコフスキーやロシア5人組よりもあとの世代であり、ラフマニノフよりは前の世代であることがわかってもらえるだろう(最初っからそう書けば事足りたか……)。
キュイがないって?
あの人、おもだった人じゃないし……
少なくなかった音楽界への影響度
リャードフだけでなく、上の一覧には今や数曲でなんとか名を残している、大作曲家とは呼べない人物もいる。しかし、そうなってしまったのには当時のロシア(ソヴィエト)の社会情勢が少なからず影響している。そしてむしろ、彼らはロシア音楽の発展、次世代の育成に大きく寄与している。
ロバート・P.モーガン編(長木誠司監訳)の「西洋の音楽と社会 11 現代Ⅱ 世界音楽の時代」(音楽之友社)の最初のページにはこう書かれている(リャードフはリャドフと書かれている)。
ロシアにおける政治の激変は、音楽家の世代交代と時期を同じくしている。ニコライ・リムスキー=コルサコフが1908年に世を去ったのに続き、アナトル・リャドフが1914年に、セルゲイ・タネーエフが1915年に、そして〈力強い仲間〉の最後のひとりであるセザール・キュイが1918年に亡くなっている。アレクサンドル・スクリャビンの後期の作品にその時代の社会的動乱の反映を聴きとった革命家たちは、この作曲家が1915年に早世したことに落胆した。尊敬を集めていた年長の2人の作曲家、アレクサンドル・グラズノフとミハイル・イッポリトフ=イヴァノフは、世代の隔たりを埋め、それぞれペテログラード音楽院、モスクワ音楽院の高い水準を維持し、教育の伝統を守ることに貢献したが、彼らの作曲家としての活動とその影響力はすでに頂点を過ぎていた。 トランプに夢中
ところで、いまではすっかり偽書のレッテルを貼られているS.ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」(水野忠夫訳:中央公論社)。
この本の中で、ショスタコーヴィチの師であったグラズノフがたびたび登場するのは理解するにしても、グラズノフと同時代のリャードフが出てくるのはたったの2か所しかない。
……音楽院で、ときどき、フーガを書いてくるようにと、リャードフに宿題が出された。宿題などやっていかないのを彼は自分でもあらかじめ知っていた。そこで同居していた姉に言った。「フーガを書かないうちは食事をしなくてもいいよ」。食事の時間となったが、フーガは依然としてできあがらなかった。「食事はあげませんよ、だって、あんたは宿題をしていないのだから。自分でそう頼んだでしょう」とやさしく姉はリャードフに言った。「それなら、それでもいいよ。ぼくは伯母さんのところにご馳走になりに行くから」とこの魅力的な若者は姉に答えて、出て行った。(ハードカバー版80p)
ここはショスタコーヴィチが、自分はフーガの課題を真面目に書いていった、という話の場面で引き合いに出されている。腹を抱えて笑うほどの話じゃないな……
また、ショスタコーヴィチは一時期トランプに熱中し、“あまり立派とはいえぬトランプのゲームのとりことなって喜んでいた”そうだが、そこでまたリャードフがの話が引き合いに出されている。
リャードフは外出嫌いで、そのうえトランプ気ちがいときていた。どこにも出かけず、なにも見物せず、家に閉じこもっては、トランプばかりしていた。あるとき、すばらしい自然でも見に行こうと、ベリャーエフがリャードフをなんとか説得して、コーカサスに連れ出した。音楽のパトロンと作曲家はコーカサスに到着し、高級ホテルに宿をとったが、三日間というもの、朝から晩までトランプをしつづけていた。ベリャーエフもリャードフも自然のことなど思い出しもせず、ホテルの部屋から一歩も出なかった。それから列車に乗ってペテルブルグに戻ってきた。こういうわけで、リャードフはすばらしい自然を眺めもしなかったので、あとになってから、いつも不思議そうに、「本当に、ぼくはコーカサスに行ったのだったかな?」とたずねるのだった。(同379p)
誘う方も誘う方だ。
「ショスタコーヴィチの証言」におけるリャードフの扱い。それが彼の地位がどんなものだったかを示しているように思える。
とはいえ、地味ながら心地よい小品の数々
才能はあるのにだらしない。度胸がないから大きな作品に挑まない(ディアギレフは最初、バレエ「火の鳥」の音楽をリャードフに依頼した。しかし、いつまでも煮え切らないのでストラヴィンスキーに依頼した)。
ここで紹介するクームズの独奏によるピアノ作品集に収められている曲も、もちろん小品ばかり。
ショパンのような響きも聴こえるし、特にBGMとしては悪くない。
1997年録音。Helios。
これから庭の雑草とりとバラの剪定作業。
午後は札響の定期演奏会を聴きに行って来る。
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