エッグの中にはポーク
ちょうど一週間前は、通勤するために朝の7時少し前に江別駅に着いたが、私が着く10分ほど前に白石⇔苗穂間で発生した人身事故によって、JR も利用客もこの先電車の運行はどうなってしまうのだろうという、まさに困惑の現在進行形状態に置かれてしまったが、あきらめのよい(あるいは根性のない)私は、早々に出勤する意思を放棄し、家に朝帰りしたのであった。
朝帰りした翌日の26日は、朝帰りの途中で寄ったセイコーマートで買ったカップみそ汁(とん汁と長ねぎ)を made in Nagakute のバックパックに忍ばせて出勤した。
ところで、バックパックとデイパックという言葉は同じように使われているが、厳密にはバックパックよりも小型のものをデイパックというらしい。私が使っているものは、メーカーのパンフレットにバックパックと書かれている(でも商品名はエッグパックという)。
札幌駅に着き、西改札前の札幌駅立売商会(弁菜亭)のワゴンへ。
「日替り弁当 A」は「すき焼き風」。
う~ん、その気分ではないな。ってことで、定番中の定番の「幕の内弁当」を購入(この日の幕の内弁当は、3月1日に『この日の幕の内はハズレ』と X に書いたものではない。『ハズレ』だったのは2月28日に買って食べた幕の内弁当である)。
そして、セコマの「とん汁」(税込価格148円)をお供にした。
セコマの「とん汁」は初めて食べたが(って、セコマのカップみそ汁自体、初めて買って食べた)、七味唐がらしまで入っていることに、まずは感激(って、オーバーか?)。告げ口しちゃうが、『七士』の豚汁には唐辛子は一味も七味も添付されていない(家族市場や法律息子のものは未確認)。
パッケージに書いてあるとおり、しっかりと生姜の風味がしておいしかった。
あの朝、一緒に買ったセコマのカップ麺はこれ。
で、会員カード(Pecoma)を提示すると、この価格。
このご時世に、なんてすばらしい!レジ袋も無料だし、しかも "777"。
でも、私にはこの日そのあと良いことなんて起こらなかった。
自分で『山賊』作りに挑戦
翌日は在宅ワーク。
天気予報に反し、朝から雪。こういう日に在宅のシフトとは幸運である。。遅ればせながら "777" 効果?
朝のうちに業務を済ませ、あとは勤務時間中にもかかわらずブラームスとかハイドンを聴きながら、気が抜けた炭酸水のようにのたぁっと過ごした。
昼はラーメン。麺もスープも「菊水」。うなぎふりかけをかけた小ライスをお供にした。
夜は「山賊焼き」作りに挑戦した。
しかし、冷蔵庫にあったのは鶏肉ではなく、トンテキ用だかトンカツ用だかの豚肉だったので(トンカツ用の鶏肉や牛肉が売っていたら世の中は無秩序に陥る)、豚肉版山賊焼きと私が認定したこちらの「黒胡椒ソース焼き」にメニューを変更した。
山賊焼きのレシピをネットで検索すると、多くが『揚げた』山賊焼き。そんななかで、揚げないレシピの一つを採用することにした。
おろしにんにく、おろししょうが、しょうゆ、みりん、酒を合わせたたれに、塩コショウ少々を振りかけた肉をしばらく漬け込む。この時点で、弁菜亭の「豚の黒胡椒ソース」や「鶏の山賊焼き」とベクトルが違うのが明らか。でも、(塩コショウではなく)コショウを少々ではなく多めにかけて、そのまま調理を継続。
さらに焼くときもコショウをふりかけた。
弁菜亭の「豚の黒胡椒ソース」も「鶏の山賊焼き」もニンニクやショウガの味は感じない。
なので、当初想像した通り、弁菜亭の味とは違うものが出来上がったが、これはこれでなかなかおいしかった。
でも、弁菜亭の味に近づけるべくこれからも私の『山賊修行』は続く(だろう)。
♪ 今日の一曲 ♪
ブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)のピアノ協奏曲第2番変ロ長調Op.83(1878-81)。
前にも書いたが、アラカン(アラウンド還暦)あたりかその少し前あたりから、ブラームスを聴きたいと思うことも増えた。特にこのピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲を発作的に聴きたくなることが多い。この演奏会のときなんか、長く感じて退屈でお尻が痛くて涙目になったのに(終楽章のメロディーが聞こえてきたときにはほっとした。終楽章はそのころから好きだったので)。
このところ、いまから45年以上前に買った、そして私にとっては作曲家を知る上でのバイブル的存在だった H.C.ショーンバークの「大作曲家の生涯」をときおり読み直しているのだが、「ブラームスが書いたコンチェルトってそんなことになってたの?聴いていても気づけない私は全然船酔いしなかった」と思う記述に出会った。前に読んだことがあるくせに記憶がない。マーラーやショスタコーヴィチなど、好きな作曲家のページは何度も何度も読み返しているが(余談だが、最近はマーラーよりもブルックナーを聴きたいと思うことが多い)、たいして興味のない作曲家は一回読んでそのままだったからだ。当時、ブラームスは年寄りが好む作曲家だと、私は思っていた。つまり、私は年寄りになった
……ピアノ、バイオリン両協奏曲には、異例で、演奏しずらい指の動きを要求する部分が数多くあり、ほとんど演奏不可能の部分さえある。右手は三拍子、左手は四拍子という混合リズムで、いくつかの小節を弾かねばならぬ部分もある。ブラームス時代の聴衆は、「こんなリズムを聴かされれば、船酔いする」と言った(アーノルト・シェーンベルクは後年、「多くの現代曲の多リズム的構造は、恐らくブラームスに始まった」と書いている)。
ブラームスの器楽的技術は、けばけばしさとは無縁で、広い指使いと、弾きにくい音型を要求した。しかし、弾いて弾けぬことはないことは、後世の名演奏家が立証したとおりである。リストの高弟の一人、ユージン・ダルベールが、最初に『協奏曲第2番』を演奏した。人々は彼が、かくも長大な難曲を暗譜で弾きこなしたことに仰天した。今日では、どのような若手演奏家も、ブラームスの協奏曲や器楽曲に、平然と取り組んでいる。彼の作品に、もはや克服しがたい技術上の問題はないとしても(ブラームスの協奏曲はやさしい、と主張する者は皆無だが)、演奏家の意欲をかき立てる音楽上の問題は、いまなお厳然としている。
あなたはブラームスの曲を聴いて、船酔いしたことはある?
ブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)のピアノ協奏曲第2番変ロ長調Op.83(1878-81)。
前にも書いたが、アラカン(アラウンド還暦)あたりかその少し前あたりから、ブラームスを聴きたいと思うことも増えた。特にこのピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲を発作的に聴きたくなることが多い。この演奏会のときなんか、長く感じて退屈でお尻が痛くて涙目になったのに(終楽章のメロディーが聞こえてきたときにはほっとした。終楽章はそのころから好きだったので)。
このところ、いまから45年以上前に買った、そして私にとっては作曲家を知る上でのバイブル的存在だった H.C.ショーンバークの「大作曲家の生涯」をときおり読み直しているのだが、「ブラームスが書いたコンチェルトってそんなことになってたの?聴いていても気づけない私は全然船酔いしなかった」と思う記述に出会った。前に読んだことがあるくせに記憶がない。マーラーやショスタコーヴィチなど、好きな作曲家のページは何度も何度も読み返しているが(余談だが、最近はマーラーよりもブルックナーを聴きたいと思うことが多い)、たいして興味のない作曲家は一回読んでそのままだったからだ。当時、ブラームスは年寄りが好む作曲家だと、私は思っていた。つまり、私は年寄りになった
……ピアノ、バイオリン両協奏曲には、異例で、演奏しずらい指の動きを要求する部分が数多くあり、ほとんど演奏不可能の部分さえある。右手は三拍子、左手は四拍子という混合リズムで、いくつかの小節を弾かねばならぬ部分もある。ブラームス時代の聴衆は、「こんなリズムを聴かされれば、船酔いする」と言った(アーノルト・シェーンベルクは後年、「多くの現代曲の多リズム的構造は、恐らくブラームスに始まった」と書いている)。
ブラームスの器楽的技術は、けばけばしさとは無縁で、広い指使いと、弾きにくい音型を要求した。しかし、弾いて弾けぬことはないことは、後世の名演奏家が立証したとおりである。リストの高弟の一人、ユージン・ダルベールが、最初に『協奏曲第2番』を演奏した。人々は彼が、かくも長大な難曲を暗譜で弾きこなしたことに仰天した。今日では、どのような若手演奏家も、ブラームスの協奏曲や器楽曲に、平然と取り組んでいる。彼の作品に、もはや克服しがたい技術上の問題はないとしても(ブラームスの協奏曲はやさしい、と主張する者は皆無だが)、演奏家の意欲をかき立てる音楽上の問題は、いまなお厳然としている。
あなたはブラームスの曲を聴いて、船酔いしたことはある?