今週の月曜日の午前中にインフルエンザの予防接種を受けた。いつも通っている病院で、である。
予約したのは10月の20日ごろだった。
この日、(おそらく)飛び込みでやって来て、受付に「インフルエンザのワクチンを接種して欲しい」と図々しい態度で言い放ったおじいさんがいたが、「もう予約がいっぱいで受付できません」とていねいな口ぶりだがきっぱりと断られていた。やはり、今年はワクチンが不足気味だというのは本当だったようだ。私も早めに予約をし、無事接種を終えることができて良かった。
この日は初心貫徹
その帰りに以前お話しした(いや、書いた)「穴子の押し寿司」を東急百貨店地下の「魚一心」で買った。
東急百貨店の地下の寿司店ではむかしから「穴子の押し寿司」を置いてあるのを知っていたし買ったこともあるのだが、意外なことに ESTA の地下や大丸百貨店の地下では見かけない(見落としていたらごめん)。なので、東急百貨店の「魚一心」は貴重なのだ(って、前はこの場所、「日乃出寿司」だかとかじゃなかったっけ?)。
しかも、見るといつも1パックしか置いてない(他にハーフサイズが1~2パック)。1パックずつ出しているのかもしれないが、いざ買いに行くとなると「なかったらどうしよう」と、格別な不安に襲われるのである。
この日は1パックだけ鎮座していたフルサイズの商品を無事ゲットできた。
生魚が苦手だった私向きのお寿司
ところで、私と「穴子の押し寿司」との出会いは1976年までさかのぼる。
この年、西友西野店がオープンした。地上3階建てのワクワクする「デパート」のようなショッピングセンターだった。
ここの1階に、テナントとして手稲東町(現:西町)に店を構えていた「ひかり寿司」入っていて、「穴子の押し寿司」(穴子のバッテラ)も売っていた。それを初めて食べたとき、私はこんなおいしいものがあるのか!と驚愕、その後も何度も食べるようになった。なお、当時の私は、まだ生寿司はひどく苦手で全然食べられなかった。だからこそ、魚に火の通ったこの寿司との相性がばっちりだったのだろう。
余計なことを書くと、西友西野店は現在ジェーアール生鮮市場やサツドラ西野1条店がある場所にあって、マンションのクリーンリバーが建っている場所は第2駐車場だった。
西友西野店は1993年に西町店ができたことで閉店したが、西野店に対し西町店は「新たにより快適な郊外生活の提供を図る『生活コミュニティ館』をテーマにした新タイプの店舗」としてオープンしたんだそうだ(当時の日本食糧新聞の記事による)。
「ひかり寿司」が西野店時代にすでに撤退したのかどうかはわからないが、「ひかり寿司」そのものの店も、もうない。
ということで、私には「穴子の押し寿司」について、この青春の謳歌とも言うべき美しい思い出があるのである。
さて、今回食べた「押し寿司」はとてもやわらかで上品な味。
関西の方ではご飯の間にかんぴょうが入っているが、「魚一心」のは入っていない。穴子一本やりだ(ひかり寿司のも同様だった)。私もその方がお好み。
しょうゆの小袋が入っていたが、私にはこの完成された味で十分。しょうゆは使わず。だって、これにしょうゆをかけたら味変しちゃうでしょ?
でも、ガリの小袋が入っているともっとうれしいような気がする。
この魚の名前、あらためて漢字を見ると『穴の子』って、なんだかすごいものがある。
デュファイ(Guillaume Dufay 1400頃-74 フランドル)の3声のロンドー「コノ喜バシキ世界ハ 光ヲカカゲ(Hic iocundus sumit mundus)」(原歌詞は消失)を。
なお、このディスクは廃盤。