新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の前期高齢者の元・サラリーマン。  背景の写真は札幌の「宮川本店」のうな重。 (記事内にアフィリエイト広告が含まれている場合があります)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

ノスタルジー

「スナックバンバン」ってカレーライスの店でしたっけ?

  エイトビルやコスモビルがあった時代
 18日にとち狂ったように降り、積もった雪。
 その雪をかき、運んだためにひどく脚が痛くなった私。

 その痛みは翌日も続き、スーパーに買い物に行ったもののスムーズに歩けず、貴重な卵を持ったまま転ばないようにかなり神経を使った。

 この日は妻が健康診断で病院に行き、その帰りに私にもスターバックスのサンドイッチを買って来てくれた。

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 おいしかった。
 でも、私はこれ1個では足りないので、佃煮のシソ昆布をおかずにご飯も食べた。
 実に妙な組み合わせだったがしょうがない。

 午後は写真の整理をした。

 会社で研修旅行に行ったときとか、会社の観楓会とか、会社の飲み会とか、そういうときに撮った写真である。
 そしてまた、小、中、高の卒業アルバムも捨てることにした。

 本来なら燃やすのがいちばんだが、いまの世の中は焚き火すら自由にできない。
 なので、各ページに接着剤を塗ることによって封印した。

 あらためて見ると、中学や高校の卒業アルバムの巻末には全員の住所録が載っている。
 おおらかな時代だったなぁ。

 他にもいろいろと納戸を整理していたら、むかしのさっぽろ地下街(ポールタウン)のフロアマップが出てきた。
 といっても現物ではなく、コピーしたものだ。
 あるいは何年か前にネットで見つけてプリントアウトしたものかもしれない。
 いつのころのマップかはわからない。

SapporoChikagai
 玉光堂が紀文とかま栄にサンドイッチされていたのは知らなかった。
 スナックバンバンって、いつもカレーの良い匂いが漂って来ていた店だろうか?

 それにしても「丸実デパート」って、私はまったく知らない建物だ。

♪ MUUSAN の今日の一曲 ♪
 ポールタウン入口の場所でいまでも営業し続けている喫茶店「ジュアン」に敬意を表し、グルック(Christoph Willibald Gluck 1714-87 ドイツ)のバレエ音楽「ドン・ジュアン(Don Juan)」(1761初演)。

 台本は G.アンジョリーニ(モリエールの「ピエールの饗宴」による)。

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最後の最後で大どんでん返し。外壁の色は遠州鼠、庇はチョコレート色に

  3番人気が急浮上
 外壁の塗装をすることになり、夫婦でいろいろ悩んだ末に、ここに書いたように、壁は明るめのベージュ、庇はレディシュオレンジにすることに決めた。

 候補となった色見本の写真をあらためて載せておくが、名古屋市北区にある小林塗装さんのサイト――今回はこのサイトを利用してシミュレーションなどをしたのだが、とても役に立ち助かった――によると、それぞれの色(もしくは近似色)の名前は左から「ブリッジウェザータン」「遠州鼠(えんしゅうねず)」「伽羅(きゃら)」というそうだ。

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 そして庇のレディシュオレンジは見本板の左側の色である。

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 外壁の色を「ブリッジウェザータン」、庇の色は「レディシュオレンジ」そう決めたのが6月5日のこと。

 し、し、しかしである。

 その後もこの決定内容で本当に良いのだろうかと、ときには夫が蒸し返し、またときには妻に蒸し返され、再び何度も外壁と庇の色の組み合わせを上記サイトの情報も参考にしたりシミュレーションして、結果として外壁は「遠州鼠」、庇にいたっては色見本の板を手配しなかったチョコレート色に決めた。

 このように、まるで10回ぐらい物言いがついたかのような決まらなさだった。

 そして、ようやく先週の火曜日に江別工務店(仮称)に色を伝え、見本を返した。
 いつまでも見本を置いておくとまた心変わりそうだが、これでもう安心だ。

 塗料は実際に壁に塗って面積が広くなると、色見本より明るく見えるという。

 そのことを考えると壁はわずかにオレンジ色がかったこの色(上記サイトによると、赤みの鈍い橙色)にしてよかったように思う(仕上がるまで心配だが)。

 また、庇の色についても濃い色にしたことで全体が引き締まるものと思われる(いまの庇の色とあまり変わらないが)。

 ところで18年前となる前回塗装したときの色――つまり今の壁と庇の色――は何を選んだのだろう。
 当時の書類がいろいろ残っているのに、なぜか色名が書かれたものは1つもない。
 不思議なことだ。
 
 なお、「遠州鼠」の『遠州』とは江戸時代の茶人・小堀遠州に由来するという説がある。

 遠州が気に入っていた桂離宮の茶室「松琴亭」の色(どこの色かは知らないが)がこの色なんだそう。

  旧「遠州」はコンパ会場として酪大生の御用達
 遠州といえば、江別に「遠州」という鮨屋(寿司屋)がある。

 私が大学生のときには、何度かこの店でゼミのコンパを行なった。
 当時は今の場所とは違い、国道12号線よりも野幌駅側にあった。

 鮨なんてそうそう食べる機会がなかったビンボー学生にとっては、遠州でコンパと聞くと少しばかり嬉しく思ったものだ(「村さ来」でやるよりも)。
 とはいえ、きっとコンパ向けの安いコースがあったんだろうと思う。
 メインはタラの鍋だった。

 これが当時の写真。ただでさえボケた写真なうえに、当時主流だったシルク地(絹目)の印画紙なわけで、鮮明さに欠ける。
 この写真は1984年1月のゼミのコンパ。私はまだ3年生。4年生の卒論発表の打ち上げか何か。

 矢印の先に、確かにお鮨が載った皿がある。

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 こちらの写真は1985年2月の、所属していたサークル(植物研究会)のコンパ。

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 このときの鍋の横にも鮨が載った皿が(もうタコとしめ鯖しか残っていないようだ)。

 鮨が載った皿もガスコンロも同じなので、間違いなく同じ店、ほぼ間違いなく「遠州」だと思う。

 なお、2枚目の写真でストーブの横にある塗りつぶしは、酔いつぶれて眠り込んでいる人の顔である。

 また、不思議なのは、鍋から何かをすくっている後輩の O 君が手に持っている器、お猪口じゃない?ってこと。お猪口に鍋つゆを入れて飲んでたのかしらん?

 その「遠州」だが、江別に移り住んで28年になるというのに、なんとなく縁がなくて利用したことがない。

 現在の「遠州」の建物がこれ(2024年8月撮影)。

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 宝くじが当たったので現在の場所に新築移転したという噂があったが、本当の話だったのだろうか?

♪ MUUSAN の今日の一曲 ♪
 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の「貧乏の歌(The Song of Poverty)」。
 歌曲「ユダヤの民族詩より(From Jewish Folk-Poetry)」Op.79(1948.全11曲)の第7曲。

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『毒』の字の思い出……

  痛恨!上履き(スリッパ)忘れる!
 先週の日曜日(あいまいさ回避のために申し添えると、昨日の11月3日ではなく10月27日)、「江別市都市と農村交流センター・えみくる」で開催された「Country Market in 江別」に行って来た。

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 会場を見て回っていると、あるものが目に入り55年くらい前のある光景がガチョーンと鮮烈によみがえった。

 それはこの催しの主催者が出している恵庭の「Sweet onion」という店で売っていた商品である。
 
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 この『消毒器』と書かれた琺瑯(ホーロー)の容器。

 小学生のときに行っていた浦河町堺町にあった床屋(理容室)「くずの」にこれとそっくりな容器が置いてあって、なんというかなぜか『毒』という文字に強烈な記憶が残っていて、その思い出がよみがえったのだ。

 予約制ではなかったので店が混んでいると、延々と待たされる。マンガ本を読むのも飽きる。あと何人待てばいいのだろう。そう思いながら『毒』の字をぼんやりと眺めたものだ。

 ネットで検索すると、どうやらこのホーローの消毒容器はいまでもまだ製造販売されているようだが、ここで売られていたのは骨董品、というか、中古品なのだろう。いくらだったのか確認すればよかった。

 この三角の容器も売られていた。
 これって揚げ油をとっておくものだったっけ?

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 会場は多くの人が訪れていて盛況だった。

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 妻は小物を何点か買ったが、私自身は受付時に一足110円のスリッパを買っただけ(妻も買った)。上履きやスリッパをご持参くださいということを、すっかり失念してしまっていたのだ。夫婦そろってやれやれである。

♪ 今日の一曲 ♪
 ロッシーニ(Gioacchino Rossini 1792-1868 イタリア)の歌劇「セヴィーリャの理髪師(Il barbiere di Siviglia)」(1816初演)の序曲。

RossiniOvtGrohs



おいしい中華を食べたあと、レトロで由緒ある喫茶店で昭和気分を味わう

 北鎌倉駅から東京駅に着き、ホームから上の階に行くと(横須賀線のホームは地下深くにあるのだ)、たまたま偶然、改札内に鉄道系のおみやげを売っている店を発見。「東京駅グランスタ TRAINIART TOKYO」という店だ。

20240527Trainiart
(GRANSTA のホームページから転載)

 そこで、残り1つと書いてあった特急の絵が描かれたパズル(パズトレ)をお孫ちゃん(兄)に買った。対象年齢5歳以上なので、まだ早いんだけど……

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 そのあと丸の内側から改札を出て、丸ビルの地下を見て、丸の内仲通りを歩いて日比谷方向へ。
 帝国劇場の並びにある「パティスリー サダハル アオキ パリ」(*)でジャムとお菓子を買い、ルミネの「DEAN & DELUCA」(*)に寄り、そのあと御茶ノ水へ。
 御茶ノ水駅から「ソラシティ」と「ワテラス」を通り抜け、「近江屋洋菓子店」(*)に行き、お菓子を購入。

  様変わりしていた淡路町
 ここで私は驚いた。
 というのも、老舗の「近江屋洋菓子店」は、私が昭和60年代の勤めて間もないころ、東京出張のときはほとんど毎回使っていた「ホテル ニュー神田」の並び、すぐ近くのところにあったからだ。「ニュー神田」は現在「ホテル マイステイズ 御茶ノ水」にかわっているが、かつてよく泊まっていたホテルのすぐ近くにこんな洋菓子店があったなんてまったく気づかなかった。そしてまた、「ニュー神田」の目の前に「ワテラス」という大きなビルが建ち、さらにそれが「ソラシティ」に連絡通路でつながっていて、御茶ノ水駅前にすぐにたどり着けるとは思ってもみなかった。

202405AwajichoMap

 思い起こしてみれば、当時、時間があるときは「ニュー神田」から歩いて昌平橋を渡り秋葉原の石丸電気に CD を買いに行ったものだが、御茶ノ水の方向へは出かけることはあまりなかった。
 それにしても、あれから40年近く。時の流れを強く感じた一瞬だった。神田郵便局の存在が懐かしかった。

 来たときと逆ルートで、再び御茶ノ水駅へ。
 さらに聖橋を渡り、同じく老舗の洋菓子店「小川軒」(*)へ。ここでもお菓子を購入。

 こうして旅行前に妻が調べて行きたいところとしてリストアップしていた施設や店(この日は * を付けたところ)のほぼ全部に行くことができた。

  ミルクセーキ!
 この日の夕食は神保町の「三幸園」。
 土曜日の夜に次男と食事をしたときに、次男が何度か利用したことがある店ということで、ここにしようと決めた。しかし、日曜日に電話をしたが予約エリアは満杯。当日、並んで席が空くのを待つことにした。

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 最大で1時間ほど待つかもと言われたが、30分ほどで店の中に案内された(ここのフロア係の人たちは、みな実に感じが良かった)。
 サラリーマンや友達同士、家族連れなどで店内は大賑わい。こういう雰囲気は、私は一人なら絶対無理。でも、今日はこちらも家族連れなので、全然平気。

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 さすが人気店だけあって、どの料理もおいしいし、価格もリーズナブル。
 この麻婆豆腐は、見た感じは丸美屋似で私の好きな系統の麻婆豆腐ではないが、食べてみると実においしかった。蒸し鶏、焼餃子、鶏のから揚げ(ハーフ盛り。ハーフなのに6個)、エビマヨネーズ、かに玉、五目チャーハン(ハーフ)を食べたが、隣の席の親子連れが頼んだラーメンがこれまた実においしそうで食べたくてしょうがなかったが、もうだめ、満腹でおなかに入らないということで断念した。

 食事のあと、次男ともまたしばらく会えないからとお茶をすることに。
 三幸園の近くの老舗喫茶店「ラドリオ」に行ったが、店の前の黒板に書かれたメニューが食事主体みたいだったので、隣の「ミロンガ・ヌオーバ」へ(ミロンガ・ヌオーバはラドリオの姉妹店。ラドリオはシャンソン喫茶、ミロンガ・ヌオーバはタンゴ喫茶)。

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 私はハイボール、妻はミルクセーキ、次男は、、、なんだっけかな。
 ミルクセーキがこれまたすごくおいしいと妻が言っていた。

 LPレコードをターンテーブルに置き、針を落とす。その店員さんの動きが、自分もむかしよく行った札幌のクラシック喫茶「クレモナ」や「シャンボール」、「ウィーン」の記憶をよみがえらせた。レコードのスクラッチノイズがまったく聞こえなかったのが不思議で、すごいと思った。

 昼の「ニュー神田」跡といい、この名曲喫茶といい、偶然にもダブルで昭和感覚に浸ることができた。

 こうして、3日目の東京の夜が終わった。
 3日間、夕食に付き合ってくれた次男にも感謝である。

 ピアソラ(Astor Piazzolla 1921-92 アルゼンチン)の「ミロンガ・アン・レ(Milonga en re)」(レのミロンガ)。
 ミロンガとはアルゼンチンなどの音楽のジャンル、およびその音楽で踊るダンスのことである。

 「ミロンガ・ヌオーバ」のヌオーバは『新しい』の意。1995年に店をリニューアルした際に『ミロンガ』の店名に『ヌオーバ』を加えたそうだ。

 それにしても、ホテルに戻って調べて、そこで初めてすごく由緒ある喫茶店だったと知った私たち夫婦であった。

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捨てずに残したのは「はたち」の中身だけ♪シューマン/5つのアルバム

  自分のときはこそこそと過ごした成人の日
 本日は成人の日である。
 私が成人式の招待を受けたときは、成人式は1月15日に固定されていた。しかし、2000年からは1月の第2月曜日が成人の日にあてられるようになった。だから今年は今日が、来年は1月13日が成人の日である。

 1981年の1月に私は札幌市長さんから成人式に来ていただきますようにとのお誘いを受けたのだが、当時受験浪人2年目の私は、どのツラさげて会場に行けるというのだろうと、晴れやかな思いをするのを自主的に辞退した。その式典の日が共通一次試験の直前だったか、それとも直後だったかは記憶が定かでない。

 後日、招待状を持って手稲東町(現在の西町。手稲区ができるまでは西町は手稲東という町名だった)にあった市の出張所に行って、表紙に「はたち」と書かれたアルバム(ページが追加で増やせるフエルアルバムタイプ)と交換してきた。市長さん、区長さん、その節はありがとうございました。

 そのアルバムには、その後の大学時代に撮った写真を主に貼っていたのだが、徐々に進めている『終活の一環としての断捨離』で、昨年末になかの写真だけ剥がして、アルバムを捨てた。とにかく、アルバムというのはかさばるし重い。なお、江別市の場合は、アルバムは「燃えるゴミ」である。今回は「はたち」アルバムと、別のもう1冊、これまたフエルアルバムの2冊を捨てたが、このたった2冊を入れたゴミ袋でさえ、かさばり重かった。

 その剥がした写真の中に、その年の夏にKbys 君と岩手出身の Yht 君と一緒にアポイ岳を登ったときの写真があった。札幌から様似行きの急行「えりも」に乗り、途中の苫小牧駅でホームで立ち売りしていた「サーモン寿司」を買い-そのときが私とサーモン寿司との出会いだ-、私のたっての希望で列車を浦河で降り、私が小学生のころに暮らした浦河の街を徒歩で散策した。

 これが堺町にあった、品田商店。私にとっては文房具もお菓子も、父のタバコも、なんにでもよく利用した店で、なによりもクリスマスの思い出が強く残っている店だ。私が住んでいたころの品田商店はこの新しい建物ではなく、またこの81年の時点では息子の代になっていたはずだ。

IMG_0001

 これが、私が通っていた堺町小学校。これまた、私がいたころから改築されていた。

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 浦河の街を見たあと、私たちはお願いしてあった私の父の仕事関係の人の車でアポイ岳の麓の宿に向かったのだった。

 このアルバムには、当時使っていた AIWA のカセットデッキと、Aurex のチューナーと Adres(ノイズリダクションシステム装置)を写した写真もあった。

 あのデッキは良い製品だった。

IMG_0001 - コピー (2)

 シューマン(Robert Schumann 1810-56 ドイツ)の「5つのアルバム(5 Albumblatter)」。
 14曲からなるピアノ曲「色とりどりの小品(Bunte Blatter)」Op.99(1836-49)の第4~8曲である。

 で、成人式を迎えるみなさん、おめでとうございます。
 でも、決して式典でルールを逸脱した騒ぎを起こさないように。ただただ純粋にみっともないだけだから(式典開催のピークは昨日だったようだけど)。

SchumannBiretBox

むかしの札響公演パンフを画像データ化してご紹介♪1987 第9の夕べ

 ※ このシリーズを始めたきっかけについてはこちらをお読みください。

  バニーさんがそこにいたらしい
 1987年12月16日の札幌交響楽団第287回定期演奏会では、新進気鋭の山下一史が初めて札響の指揮台に立ったが、その2日および3日後の「'87札響特別演奏会 第9の夕べ」も山下が指揮を務めた。
 たまたま、チラシと当日のパンフレットが出てきたのだが-第九などの特別演奏会のパンフは定期演奏会のパンフレットとは別に無造作に保管してあったので、紹介したりしなかったりとムラがあって申し訳ない-、特にホテル アルファ・サッポロの広告が印象的なために、取り上げることにした。プレイボーイクラブなんていうのがあったのね。誰かに連れて行ってもらったことあったっけかなぁ?ないな、間違いなく。

 それにしても、表2ページ(表紙の裏側)のホクレンの広告の、文字の読みにくさよ!なんで、こんなフォントの組み合わせにしたのだろう?

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▲ チラシ

▼ パンフレット

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 余談だが、共済ホールがあるのは共済ビルだが、この当時共済ビルの地下に「レストラン 赤れんが」という店があった(「赤レンガ」だったかもしれない)。ときおり昼に利用したが、日替わりランチもカレーも、どの料理もとてもおいしかった。
 なんだか、懐かしいなぁ。

 今日は(この2カ月後に行なわれたが、私は行かなかった定期演奏会の出し物の)メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn(-Bartholdy) 1809-47 ドイツ)のヴァイオリン協奏曲ホ短調Op.64(1844)を。

MendelsshonVnMIDORI

思い立ったけど思い切れなかった私♪CPEB/fl協イ短調

  週のスタートは『華』がある昼食で
 昨日、こんなふうに札幌駅立売商会(弁菜亭)の「幕の内弁当 いしかり」について触れたが、そんなことを書いてしまったせいで「いしかり」が食べたくなり、連休明けの月曜日の朝は、迷いもせずに札幌駅西改札前の弁菜亭ワゴンで「いしかり」を買った。

 おいしかったが、やはり私は「ふきの胡麻味噌和え」より「ふき煮」の方が好きだ(ふき煮の方が軟らかいし)。

20231106Ishikari

  今回は年賀状、何枚買おうかなぁ
 ところで昨日は在宅勤務だったのだが、天気が良かったら『外勤』と称して庭の冬囲いに取りかかり始めようかと思っていた。しかし前夜のうちから雨。そこで、納戸の片づけに予定変更(おいおい、在宅勤務はどうなった?)。
 子どもが小さい時に写したネガフィルムを細断して捨てようと思ったのだ。
 実はフィルムスキャナーでほぼパソコンに取り込みが終わっているのだが windows が 10になって、このスキャナーが使えなくなった(ソフトが未対応)。そのタイミングで、これから取り込もうと思っていたのに取りこめなくなったネガフィルムが20本分ぐらいあった(取り込み済みのネガは細断して処分した)。それっきりそのフィルムをしまいこんでいたのだが、あらたにフィルムスキャナーを買うこともないだろうし、もし新たに買って取り込んだとしてもその写真を見返すことはまずないだろうし、考えてみれば当時プリントしたものはくそ重くて場所をとるアルバムに貼って残してあるので、思い切って捨てる決意をしたのだ。

 ところが、反転しているのではっきりとはわからないが、でも小さいころのかわいかった子どものネガを捨てるのは(パソコンで取り込み終わっているのならともかく)忍びない感じがして、やっぱりもう少し置いておくことにした(ダメだよなぁ、こういうんじゃ)。

 なお、そのときに、ネガの束からこんなのが出てきたことを併せて報告しておく。
 今年の話題となった人の一人の、1990年のころの姿である。

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 昨日はグラウン兄弟を取り上げたので、今日はグラウンと同時代に活躍した、そして私の大好きな作曲家C.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-88 ドイツ)の作品から、フルート協奏曲イ短調Wq.166,H.431(1750)を。

Bach,CPEFLcon


46年前、私はここで市営バスを待っていた♪サティ/喫茶店の音楽

  それは豆腐料理のページにあります
 このあいだの水曜日の夜は、凸川さんにお声かけしていただき、名古屋支社勤務時代の仲間とお酒を飲んだ。
 凸川さんとは1年ちょっと前に氷山さんと3人で飲んだが、中華素さんとは顔を会わせること自体3年ぶり、オディールさんとは顔を会わせることはあっても一緒に酒を飲むのは名古屋勤務時以来5年ぶりである。
 ここでおさらいしておくと、凸川さんとは名古屋で1年、大阪で2年一緒に仕事をした。中華素さんとは名古屋で2年、大阪で1年一緒に仕事をした。オディールさんとは帯広で2年、名古屋で2年一緒だった。現在は3人とも札幌に転勤してきている。

 場所は私が中華料理好きということをご配慮してくれ、オディールさんのアドバイスを参考に中華素さんが大通バスセンター近くのおでん屋、ではなく、中華料理屋を選んでくれた。私も初めて行く店だ。

 始まりまで少し時間があったので、このあたりを散策。

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 帯広勤務時代に都市間バス「ポテトライナー」に乗るために何度か使った、中央バスターミナルに行ってみた。
 昭和そのものというノスタルジーを感じさせる食堂街を見るためだ。

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 看板に配管が貫通しているところがすごい。

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 そば屋でかん酒なんてなんか良さそうな感じだが、この時間、お客さんはだぁれもいなかった。

 次に大通バスセンターに行ってみる。
 札幌市営バスが運行されていたときには、ここは多くのバスの発着拠点だった。いまは寂しくなっている。

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 私も自転車で通学できないシーズンは、高校に通うのに西野ターミナル → 西28丁目駅 → バスセンター前駅 と乗り継ぎ、バスセンターから市営バスの丘珠線に乗っていた。
 おぼろげな記憶だが、写真を撮った場所が丘珠線が発車するレーンだったと思う。

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 さて、このあと中華素さんが予約してくれた中華料理店に行ったが-念のために断っておくが中央バスターミナル地下の「リトル・チャイナ」ではない-、そのころには心がウキウキしすぎて店の写真も料理の写真も撮り忘れた。
 メニュー表に麻婆茄子はあるのに麻婆豆腐がないと焦ったが、そこは野菜料理のページだったとか、そういう平常心を失ったほど楽しく、話は尽きず、時間はあっという間に過ぎた。料理もとてもおいしかった。
 なごやかな雰囲気をはるかに上回る活気があふれすぎの「なごやか会」だった。

 サティ(Erik Satie 1866-1925 フランス)の「乗合自動車(L'omnibus automobile)」。
 歌曲「喫茶店の音楽(Cafe-concert songs)」(1900頃)の中の1曲で、詞はV.イプサ。

SatieCiccolini

宝塚関係の雑誌とかが目立つ場所にあったんです♪スクリャービン/Sym3

  9月30日で弘栄堂書店はゼロに
 昨日に続き弘栄堂書店の話だが、むかしあった「地下鉄店」にはレコード売り場もあって、学生のころはここで LP レコードを何枚か買ったものだ。メロディアの廉価盤が置いてあって、昨日取り上げたショスタコーヴィチの「黄金時代」(組曲「ボルト」とのカップリング)の LP もその1枚(指揮はマキシム・ショスタコーヴィチ)。
 全音のスコアなんかも置いてあったんじゃないかと思う。

 アピア店の閉店で残る弘栄堂書店は北郷店とパセオ西店だが、昨日載せた道新記事に書かれているように、北郷店は入居する施設の建て替えにより閉店、そしてパセオ西店はパセオの営業終了(記事では“休業”と書かれている)に伴い閉店する。

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 弘栄堂書店の魅力はけっこうマニアックな品揃えだった。自分が買うかどうかはともかく、こんな雑誌を置いてるの?、とか、ちょっと変わった文房具!、という発見があった。

 2014年3月23日に閉店したエスタ帯広東館にあった弘栄堂は、出張で帯広に行ったときや、その後帯広に住むようになってからもときどき利用したが、宝塚の雑誌などマニアックな品揃えで、おもしろいなぁと思って見ていた。

 かつて地下鉄店で LP を買って、それで私がこの曲を知ることになったスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915 ロシア)の交響曲第3番ハ長調Op.43神聖な詩(Le divin poeme)」(1902-04)を。

Scriabin 1979年10月にスクリャービンの交響曲を初めて知って(NHK-FMで第1番)けっこう気に入り、同年12月に第2番の LP を買って(@玉光堂すすきの店)かなり気に入り、年が明けた1月13日に 弘栄堂でスヴェトラーノフ指揮の第3番のメロディア盤を買ったのだった。
 にしても受験浪人中になにウロウロしてんだか……

 あっ、この日は共通一次試験だったのかもしれない。試験が終わって(会場は北大だった)、上出来な気分になどまったくならないで、「ポエムの世界に逃避しちゃおう」と、帰りにこのレコードを買ったような気がする。

秋山違いかもしれないけど懐かしい思いが……♪カプースチン/思い出

  縁がなかったけど……
 先日、札幌のマチナカでこんなトラックを見た。

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 北海道秋山造園(株)と書いてある。

 大学生のときの就職活動で-私の専攻は植物育種だったのだが-植物栽培に携わる仕事はないだろうかと、職業別電話帳で調べて電話した会社がある。
 それは「秋山萬栽園」という会社だった(漢字が間違っていたらごめんなさい)。

 このときは大卒は採用する予定はないということで縁はなかったが、もしかして北海道秋山造園ってあのときの「秋山萬栽園」なんじゃないか?勝手にそう思って、懐かしかった。全然違っていて関係ないかもしれないけど……

KapustinPrelude カプースチン(Nikolai Girshevich Kapustin 1937-  ウクライナ)の「思い出(Remembrance)」。
 「8つの演奏会用練習曲(Eight concert studies)」Op.40(1984)の第4曲。

 本日は本館の記事も更新したので縁があると思って見に行っていただきたい。




御多分にもれず参加中・・・
プロフィール

MUUSAN

 クラシック音楽、バラ、そして60歳代の平凡ながらもちょっぴり刺激的な日々について、「読後充実度 84ppm のお話」と「新・読後充実度 84ppm のお話」の2つのサイトで北海道江別市から発信している日記的ブログ。どの記事も内容の薄さと乏しさという点ではひそかに自信あり。

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