シアターミュージック
鉄路は五線譜だ
「音盤考現学 片山杜秀の本(1)」の第49話「鉄道の
そのなかに次の記述がある。
だいたい音楽は鳴ればすぐ消える音を聴く者に覚えさせつつ脈絡をつけていこうとする面倒なもので、その覚えには反復による刷りこみが手っ取り早い。別の言い方をすれば、繰り返しの嫌いな人は音楽好きになれぬだろうし、鉄道にただ乗っているのもうんざりだろう。音楽の阿呆と鉄道の阿房は反復嗜好症という共通の病をもっている。そういえば、枕木に仕切られながら延びてゆく二本の鉄路のヴィジョンは、小節線で区切られながら連なってゆく五線譜と似ているようにも感じられる。
なるほどねぇ。
ということは、鉄道ファンだった私にとって、音楽を好きになる素地がもともと備わっていたわけだ。
何杯もハイボールを飲んでしまうのも、反復嗜好症だと考えれば、説明がつく。単なるのんべぇではない。反復嗜好症なのだ。オスティナートだ!パッサカリアだ!シャコンヌだ!
けど、五線譜のような線路だったら置石だらけみたいだ。
すべての出来事は反復だ
で、鉄道についてだが、同書の第39話「ブランキスト・ライヒ?」(初出は、同2003年3月号)では、ライヒ(Steve Reich 1916- アメリカ)の「ディファレント・トレインズ」(1988)について触れられている(片山氏の表記は「ディフェラント・トレインズ」)。
――音楽の反復・変奏の上には、芥川の『藪の中』どころか、人類の歴史の一切合切をさまざまなタイプの出来事の反復・変奏に分類しつつ乗っけてしまうことも可になる。そしてじじつ、ライヒは、そういう音楽作品を1980年代末から意識的に作りはじめた。その初っぱなに来るのは《ディフェラント・トレインズ》で、そこでは弦楽四重奏のやる繰り返しの音楽の上に、汽車の響きが重なり、さらにいろいろな世代の人々が汽車の旅について語る思い出話の録音が被せられる。もちろん、その録音のひと声ひと声は別の人間が個々に固有の体験を語っているのだが、その声がみな一様に、繰り返しの音楽の上にモンタージュされてしまうと、われわれはそこからブランキ的感慨しか得られなくなる。いつの時代にも人間はけっきょくは似たような希望と絶望を抱え、旅をして空しく死んでゆくのだなと。それぞれにはたしかにちょっとした違いがあるにはあるが、だからどうしたんだと。――
ブランキとは19世紀フランスの思想家だそうで、すべての出来事に進歩などなくて、すべての出来事は過去にあったことの繰り返しに過ぎないと唱えたという。
ライヒはミニマル・ミュージックの大御所である。私は一時期、ライヒに夢中になった。ここにも書いたように、彼の作品のなかでも最も好きなのが「ディファレント・トレインズ(Different Trains)」(1988)である。
片山氏の文を知る前から、この曲を聴くとなんとも言えない切ない思いを感じていたが、こりゃあもう、切なさを通り越してむなしくなっちゃうかも。
さて、鉄道好きとして有名な作曲家といえばドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 ボヘミア)。
彼にとって何が幸せだったかって、ここに書いたように、機関士とお友達となれたときが至福のときだったのだ。
ここの記事でもスコアを載せているが、これは交響曲第9番「新世界より」の第1楽章。
下線の音型が、列車が走るときにレールが発する音を模しているという。本人がそう言ったのかどうか定かではないし、あるいは偶然そう聞こえるのかもしれないが。
もうすぐ車止めだ!
そして、これまた以前に書いたのだが、走行音じゃなくてもっとマニアックな鉄道音を。
ヴァイス(Harald Weiss 1949- ドイツ)の「別れの曲(ADE)」(1986-88)の第6曲「コボルデの踊り(Tanz der Kobolde)」の最後。
そこで刻まれるリズムと音色がJRの列車の運転席から漏れ聞こえてくるATS(自動列車停止装置)の警告音にそっくりなのだ。
それにしても、ヴァイスは絶対人気が出ると私が信じ続けて20年近くになるが、ぜ~んぜんその兆候はない。
ディスクが入手しずらいせいもあるし、そもそも名前が知られていない。
とってもすてきな曲を-こっちが気恥ずかしくなるようなものも-書いているんだけど……
「ADE(アデー)」は舞台作品の音楽(シアター・ミュージック)で、ヴァイス自身とノモス弦楽四重奏団他による演奏のCDが出ていたが、タワレコのオンライン・ショップでは発見できず。
そうそう、ドヴォルザークの「新世界より」のCDが欲しいけど、どれがいいのか迷っちゃうって人がいあたら、エリシュカ/札響のものをお薦めする。
それにしなさい。
持ち歩き続けると傷みます
名古屋に戻るときの新千歳空港は、ガラガラかと思いきや、全然混雑していた(快速エアポートはあまり混んでいなかったのに)。
朝のうちから羽田便がことごとく欠航していたので、多くの人があきらめてすでに空港をあとにしてしまっているかと思いきや、運航再開を待つ人でごったがえ、とまではいかないまでも、なかなかな賑わいだった。
考えてみれば翌日は翌日で、関東で猛威をふるっているこの台風が北海道に来るわけで、たとえ暇だとしても「明日にしよ!」とはいかないのだろう。1泊分余計な出費になるし。
私だって名古屋便は平気だもんと思いつつも、もし明日までさらに怠惰な生活(精神的には緊張しているが)を引き延ばしていたらまずかったかもしれないのだ。
空港売店の冷蔵保存のおみやげが並んでいるストッカーには“飛行機の遅延をよくお確かめになってお買い求めください”と貼り紙がされていたが、さりげなく親切であると感心してしまった。
伊丹に引き返したばかりなので傷みません
いまから10数年前の12月の夜。
伊丹空港から乗った飛行機がなかなか千歳に向けて降下を開始しないことがあった。
ようやくアナウンスが流れたのだが、その内容は千歳空港が突然の大雪になり秋田上空で待機のため旋回しているというもの。
乗っている私は、ぐるぐる回っていることなどつゆ知らず、目も回すことなく読書していたのだった。
こういうケースは珍しい。
出発前に条件付きでの出発というアナウンスもなかったし、この雪はまったく予想できなかったようだ。
やがて燃料が限界に達してきていつまでもここでグルグルしてられないので伊丹に引き返すというアナウンスが。
私は当時まだ備え付けられていた機内公衆電話のところまで行き大阪支社に電話をしてホテルの予約の手配をお願いした。もう1泊大阪に泊まる羽目になったのだ。
鞄には搭乗前に買った要冷蔵の“プリン大福”が入っていた。
子どもたちが好きなのでおみやげに買ったのだった。
ホテルに着き、チェックインの手続きを終えた私はフロントのお兄さんに“よかったらこれ食べてください”とプリン大福を渡した。
いま思えば、「飛行機が引き換えしたせいで賞味期限が今日いっぱいのプリン大福を持ち帰れなくなった。だから皆さんで食べてください」と、自分が置かれた状況を説明をしなかった。
あのお兄さんが妙な誤解をして心が高まり、夜に私の部屋のドアをコンコンとノックしなかったことは幸いだった。
堤防がない?いずれ三日月湖が生まれるかも
私と入れ違いで休みを取って関西に遊びに行っていた長男が帰ってきたはずだが、彼も私同様台風の上を通り抜けることができただろう。
さて、火曜日はその台風の影響で北海道は再び大雨に見舞われた。
名古屋にいると当たり前のことだが北海道の天候の状況はほとんど報道されない。
関東圏が襲われるとNHKなんかは全国ネットで放送し続けるが、それとは雲泥の差だ。住んでいる人の数が違いすぎるといえばそれまでだが、あれだけ農作物に被害が出ていそうなのを見ると、もっと注視すべきことなんじゃないかと思う。
わが家は石狩川の下流近くにあるし、その支流である川はもっとそばを流れている。
そのすぐ近くの川の水位がジワジワと上がっていくのを見ると、まったくもって心穏やかではない。
昨日の早朝にようやく水位が上昇から下降に転じた(“はん濫注意水位”ではあるが)。
過去の災害経験からいまはもう十分な治水対策ができているとは聞くが、災害が実際に起こってしまったあとで「あれは想定外でした」で済まされてはたまらない。
ホント、よかった。
ところでその前日、つまりおとといの夕方に石狩川の下流が氾濫した。
場所は深川市である。
札幌からは100kmほど北に位置する。
なのにそこも“下流”なのである。
石狩川って、どこからが下流に相当するのだろう?(と考えていたら、疎菜課長が神居古潭から下が下流だと言っていた)。
氾濫した場所は堤防のないところだったそうで、つまりは治水対策が施されていない場所。
ということで、申し訳ないがそれなら氾濫もありうるかもと思ったが、これが堤防もきちんと整備されているとこ
ろだったら、私としては「まさか!」と10連発叫びをあげるところだった。
その氾濫箇所も昨日の朝には通常水位に戻っていた。
にしても、このあたり深い!
考えるだけで恐ろしい。
にしても急に増えたり、すぐに水が下がったり、相当たちの悪い病的気まぐれ女のようだ。
この地図で石狩川が真っ黒の線で表示されていたのを見たときは、そりゃそりゃ恐ろしいものを感じた。
なお、余計な情報かもしれないが、川の右岸と左岸がどっちがどっちかご存じだろうか。
上流から下流を見て左が左岸、右が右岸だ。
えっ?アフリカの国?それはウガンダ。
去年も取り上げているが、私が好きなヴァイス(Harald Weiss 1949- ドイツ)の「箱舟(Arche)」(1984)。
シアター・ミュージックであり、初演時のライヴ録音。
すでに入手困難なようだが(NAXOS MUSIC LIBRARYでは聴ける)、彼のユニークで斬新な(しかもこの曲はなじみやすいメロディーが次から次へと現われワクワクする)音楽はもっと人気が出てもいいような気がしてならない。
このH.ヴァイスだが、このところ新譜も見かけないが、お元気なんだろうか?……
お値段は高かったけど、経年劣化かユラユラしすぎ
日曜日に帯広駅に降り立った私が、そのまま100円ショップに行きビス(日本語で言えば木ねじ)を買ったのにはワケがある。
だいたいワケもなくこんなことをしたら、私の頭の中はちょいとネジが緩み、お調子が悪くなっているということになる。
5月13日の朝。
TVから緊急地震速報のチャイムがしつこく流れた。チャランチャラン!チャランチャラン!チャランチャラン!
大きな地震が来る場所は東北と道南という予測だったが、画面を確認せずに音だけ聞いていると、2年ほど前のCDラックやスピーカーがグァラグァラガッシャーンっと倒れるような揺れがすぐに襲ってくると勘違いしてパニック状態になり、でもどうしていいかわからないままムンクの叫びのようなポーズをとっただろう。
緊急地震速報が鳴って1分か2分経ったころにユラユラユラ~リと横揺れが来た。
3つあるCDラックのうち2つもユラユラユラーリ。ラックの形は左向き平行四辺形、本来の姿、右向き平行四辺形と一反木綿のように形を歪めながら振り子のごとく揺れた。
が、震度2なのになんでこんなにぐらつくんだ?もっと頑丈であるべきではないのか?それとも実は、自らが積極的に揺れに身を任せダメージを逃す、免震構造ってやつなのか?
いや、やっぱりおかしい。
こんなにヤワなら地震じゃなくても心もとない。私がクシャミしただけで崩壊する日が近いかもしれない。
実はこの2つ、オーディオテクニカ製だ。一流メーカーである。だから信頼はしている。が、その思いも揺らいだ。
転勤で引っ越しするたびに持ち運んだせいだろうか?
なお、実はその2年前の地震ではこの2つのユラユララックは倒れなかった。揺れの向きも違ったのだろう。派手に倒れたのは、もう1つの、つまりは第3のラックだった。これは今回の地震では奈良の大仏級にどっしり落ちついていた(アカルイハダカを下に敷いたおかげだ)。
オーディオテクニカのラックは棚板が背面に向かって少し下り傾斜になっており、前後に揺れた場合は後ろの壁に力がかかるようになっている。だからあのとき前に倒れなかったのだ。
しかし、もう1つのラックは背も高く棚板は水平。側面から力を加えても平行四辺形型に外枠が変形することはほとんどないが、前後の揺れに弱い。
いまは底の手前側に週刊ポストを噛ませて背面の壁に少しもたれるように置いてある。アカルイハダカが重さに耐えているのだ。 アタシが強くしてあげる
そこで私は金属金具で補強することを決意した。
列車を降りてからの私の行動は不可解ではなかったのだ。金具を取り付けるためのビスを買いに行くという、正常な行為だった。このように、世の中話せばわかってもらえることは少なくない。
金具については土曜日にホーマックで購入した。実はこのとき、用意周到な私は、もちろんビスも一緒に買っておいた。だが、帰りのJRの車中で考えた結果、あのビスでは短いという結論に達した。
そこでもう少し長いビスと、さらには下穴を開けるためのキリと、棚板間の狭い空間での作業を考慮し軸の短いドライバーも調達した。
マンションに戻るとさっそく作業開始。
それがおととい書いた“ビスを必要とする”作業だったわけだ。
平折り金具と金折り金具 - こういう名称だとは知らなかった - を用いて、数か所を補強。2つやり終えたころにはすっかり手首が痛くなった。
補強後のラックは横から軽く押してもビクともしなくなった、とは言わないが、なかなかがっしりした手ごたえ。
軽くじゃなく、力を込めて押すことは……崩壊しては困るのでやめておいた。
しかし少なくとも免震構造マンションの模型のようなユラユラした動き方はもうしないだろう。
阿古屋係長、動く!
そりゃ人間だから動くのは当たり前。
埴輪が大魔神に変身してズコーンズコーンと歩き始めたり、乙女の像がメヌエットを踊りだしたら腰を抜かすほど驚きであり恐怖だが、阿古屋係長の場合は健全な青年以上壮年未満の男の子。冬眠中を別として動かない方がおかしい。
が、ここでいう“動く!”とは、そういう意味ではない。
彼は転勤することになった。つまりマネジメント用語における“異動”ってやつである。
天然な位相のズレによって当ブログに友情出演してもらわざるを得ないほどの貴重な人材だっただけに残念だ。
転勤先は札幌である。
ヴァイス(Harald Weiss 1949- ドイツ)の「Ade」(1986-88)。
この曲、全然と言っていいくらい日本では知られていない作品で、全国共通の邦訳タイトルは定まっていない。アデーは“別れ”の意味でなので、「別れの曲」っていうような感じになるのだろう。
シアター・ミュージックであり、ジャンルとしてはクロスオーヴァーという位置づけになるのかもしれない。
作品については過去に書いているが、この過去記事、OCNからlivedoorにブログを引っ越したときにヘンテコなことが起こったようで、この記事とはまったく関係ない写真が別記事から移行され載っている。それだけでは済まず、その写真は上下が圧縮されている。巨大な石が頭に落ちてきて身長が縮んだトムのように。
ヴァイスの音楽は親しみやすく心に訴えかけてくるメロディーが特長だが、これもそう。そしてまた録音もすばらしい。左右の広がりや重低音が聴く者の体を包む。特に長い第2曲がそうだ。
ノモス弦楽四重奏団やヴァイス(シンセサイザー)他の演奏。
1988年録音。wergo。
阿古屋係長の後任で来るのは、どんな人なのかしらん?
“方舟”とも書きます
ほんの数日前だ。
だから久しぶりにこの曲を聴き、そのすばらしさに感嘆したのだ。
なのに思い出せない。
それがどういう場面でだったか。
そう、どこかで“箱舟”という文字を目にしたのだ。
広告だったろうか?
宗教勧誘のチラシだったろうか?
新聞記事だったろうか?
全然思い出せない。
カツ丼のことは執念深く思い続けているのに不思議である。
私が好きな“音楽家”ハラルト・ヴァイス(Harald Weiss 1949- ドイツ)の「箱舟(Arche)」(1984)。
この箱舟というのは“ノアの箱舟”のことである。
旧約聖書の箱舟の舞台化ではないようで……
この曲はかなり以前にも取り上げているが、そのときの記事はOCNブログ人からlivedoorブログに移行した際に、このように別な写真まで入り込んでしまっている(どっからハロルドがやって来たんだ?)。私のせいじゃないけど、すいません。
さらに言うと、とにかく私はヴァイスが好きである。
ブログを始めたころに立て続けに氏の作品を紹介しているが、あれから8年近く経っている。すばらしきヴァイスの音楽を1人でも多くの人に知ってもらいたい。私には何の得にもならないが、でも、紹介していきたい。
ということで、あらためてヴァイスを取り上げる。今日はその第1弾だ。
ジャンルとしてはクロスオーヴァーってことになるのだろうか?
ヴァイスが曲を作り、演奏にも主体的に参加している。というか、中心的存在だ。
この曲は大きな編成を要するようで(他の作品ではヴァイスが1人、多重録音でこなしているものもある)管弦楽に声楽が加わる。
というのも、本作品は舞台音楽というかシアター・ミュージックで、ストーリーはわからないが、ライナーノーツの中の写真からして聖書の箱舟物語を舞台化したものでないことは間違いない。
音楽はミニマル的要素もあり、親しみやすいメロディがこれでもかこれでもかと続々と現れる。
あなたは次々に出てくる魅惑的なメロディーに息をつく暇もないだろう。窒息しないように!
1984年ライヴ録音。wergo
なお、このディスクはオーディオ評論家の故・長岡鉄男氏が優秀録音として推薦していたものの1枚でもある。
ネットでハラルト・ヴァイスについて調べてみると、
本発明は……エレクトロコート材料顔料は……金属効果顔料微笑板を含み……正に荷電したアミノ官能基を含む……
ってな記述にぶつかる。が、よくよく見るとこれはハラルド・ヴァイスという人のこと。
“音楽家”であるハラルト・ヴァイスについての情報は、HMVなどのCDショップのサイト以外では見当たらない。
昨日ノ昼ハ、ツイニカツ丼ヲ食ベマシタ。
セイコーマートノホットシェフノデシタ。
満足シマシタ。
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