ヘンデル(Georg Friedrich Handel 1685-1759 ドイツ→イギリス)の合奏協奏曲ハ長調「アレクサンダーの饗宴-音楽の力(Alexander's feast - Power of music)」HWV.318(1736)。
オラトリオ「アレクサンダーの饗宴」の初演時に、第2幕の前に演奏されたのでこの名で呼ばれている。
編成は、2obと弦楽、通奏低音。
クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。 背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)
当時のシーズン会員は“札響友の会”
私が初めて札幌交響楽団の定期演奏会に行ったのは1973年12月14日のこと。
第133回定期演奏会だった。
今週末(19・20日)に開催される札響の定期演奏会が第599回目を数えるということで、隔世の感がある。
当時のチケットの値段。
私が買ったC席の12月から3月までの4回分のシーズンチケットが1,200円(いきなり定期会員になったのだ。当時の定期会員は“友の会会員”と称した)。セラフィムの廉価盤LP1枚と同じ価格で、1回あたり300円!
これまた隔世の感がある。
チェリストだったシュバルツの弾き振り 私が定期デビュー(もちろん聴き手として)したこの日のプログラムは、
① R.シュテファン/オーケストラのための音楽
② J.S.バッハ/ブランデンブルク協奏曲第5番
③ ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」
指揮はP.シュヴァルツで、②のソリストはヴァイオリンが佐々木一樹、フルートが細川順三(ともに札響の団員でコンサートマスターとフルートの首席奏者)。
そしてチェンバロが当時札幌に居を移したばかりの小林道夫だった(プログラムに“小林道夫氏札幌在住歓迎”と書かれているのがなんとも微笑ましい)。
また、シュヴァルツはブランデンブルク協奏曲ではチェロを弾きながら指揮をしていた。
ブランデンブルク協奏曲で私が最初に聴いたのは、第2番と第6番。
この定期の何か月か前にNHK-FMをエアチェックして知った。ただ、誰の演奏だったのか、なぜか汚い字で書かれた録音帳に記録が残っていない。
バロック音楽ではヴィヴァルディの(「四季」のなかの)「春」を聴いたときに、なんて魅惑的な音楽だろうと思ったが、衝撃度、うずうず度、幸福度はそのはるか上をいった。
第2番の華々しさと躍動感、第6番の音の織り成し重層する渋さに、一発で虜になった。
これらの響き、メロディーはモノラルながらもスピーカーから部屋に宝石を散りばめたような感じがした。
札幌市民会館の古臭さを忘れさせる新鮮な音
そして初の第5番を生で聴くことになる。
この曲はチェンバロ協奏曲並みに長いチェンバロの独奏が特徴。バッハはチェンバロという通奏低音の楽器を独奏楽器へと格上げした(バッハがチェンバロ協奏曲を書くのは、この作品よりもあとのこと)。
そんなことも知らないまま演奏が始まった。
しょっぱなからメロディーのすばらしさに心が打ち震えた。
また、初めて見るチェンバロという楽器。鍵盤の色がピアノと白黒が逆なのも神秘的だった。
そして長大なチェンバロのソロに入る。
こんなに美しい響きがあるのかと思った。
会場にいた誰もが幸せな気持ちになっていたと思う。そして、たぶんほとんどの人がこの曲を生で聴くのは初めてだったのではないだろうか。
この演奏会のあと、たまたまレコード芸術に広告が載っていたブランデンブルク協奏曲全曲の2枚組LPを注文した。駆け込んだ店はカスタムパルコに入っていたコーヨー無線のレコードショップ。
演奏はメニューインが弾き振りしたバース音楽祭管弦楽団。
セラフィム・レーベルなので、2枚でも2,400円だった。
そのLPは年明けの1月8日なってようやく入荷した。
その後、今日までいろいろなブランデンブルク協奏曲の録音を聴いてきた。ブログでも少なからずの録音を取り上げている。
当時はなかったピリオド演奏。“正統的とは言えないかもしれない”カザルスの演奏etc.etc……
しかし、私にはこのメニューインの思いっきりモダン・スタイルな演奏を忘れるわけにはいかない。
いま聴くとさすがに古い録音の聴き苦しさを否定できないが、当時の演奏スタイルのものとしては決して悪くないものだと思う(LPを処分したあと、簡単にCDが手に入るかと思いきや、なかなか発見できずにずいぶんと苦労した)。
LPジャケットの中面にはメニューインの写真が載っていた。
まだ若いヴァイオリニストなのでびっくりした。じゃあこの録音をしたときはまだ少年だったんじゃないか?と無意味(だとのちにわかる)な想像もした。
が、実は写真は若き日のメニューインの姿だったということ(たぶん録音当時)。
そのときはすでに56歳(でも、若かったか)。
セラフィム盤では、指揮者のケンペやチェリストのトルトゥリエなど、この“若き日の写真”にずいぶん騙された。
メニューインのブランデンブルク協奏曲は第1番から第6番まですべてがはつらつとしていて聴いていて楽しくなるが、とりわけクリフトが吹く第2番のトランペットの高音は他ではなかなか耳にできないほどの華やかな輝きを放っている。
1959年録音。EMI。
先週、会議が行なわれた金沢のホテル。
廊下にはBGMでブランデンブルクの5番が流れていた。
誰の演奏かはわからないが、なんだかテンポを大胆に動かしたり、強弱のメリハリをつけた個性的で奇妙な演奏だった。
なお、R.シュテファン(1887-1915)の作品は、その後聴く機会がないままである。
もちろん本来の目的は会議です
時刻表を手に入れることの苦労話を2日間にわたって書いたが、今回の出張の用務の間に私が行なったことは時刻表を探し求めることだけではもちろんなかった。
恒例の通院も行ったし、床屋にも行った。
会議があったホテルでは、廊下にブランデンブルク協奏曲第4番がBGMで流れていた。
ということで、手っ取り早くバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)のブランデンブルク協奏曲第4番(Brandenburgisches Konzert Nr.4)ト長調BWV.1049(1720頃?)。
独奏ヴァイオリンと2本のブロックフレーテ(リコーダー)、弦楽(2ヴァイオリン、ヴィオラ、ヴィオローネ、チェロ)、通奏低音のためのコンチェルト。
今日はここで大絶賛している(私が)、コンチェルト・ケルンによる演奏を。
ブロックフレーテの代わりにエコー・フルートなる奇怪な楽器を用いている。
2013~14年録音。ベルリン・クラシックス。
黒い涙のよう
今回は、寒い季節-つまり新芽が動き出す前-にしか散布できない石灰硫黄合剤の散布も行なった。
石灰硫黄合剤は、ひどく臭う。
硫黄山のふもとでゆで卵を食べるより強烈な、あのゆで卵のような臭いがする。
しかしこれはカイガラムシに効果的であり、殺菌作用もある。
現在は少量ボトルでは売られていないようだが、私の家には500ml入りボトルがある。
実は10年も前に買ったものだ。
それをずっと使わないまま保管してあった。なぜなら、寒い時期に農薬散布するのが億劫だったから。
ということは、もう薬効が失われているかもしれない。いや、失われているに違いない。
でも、気休めで散布することにした(臭いだけは効果がありそうなほどじゅうぶんにくさかったし)。
散布する木は桃色ナツツバキ。
ポーポーちゃんが巣を作った木だが、この木には夏の間、アリが富士山登山を目指す人のように殺到する。
つまりカイガラムシがついていて、こいつが排泄する甘い露を手に入れるために大挙してやってくるわけだ。
おまけに害虫ハンドブックに書かれているとおり、まさに教科書的にスス病がちゃんと発生。
樹皮はひどく汚くなっている。
どれくらい汚いかお見せしよう。
おとといからまた出張で北海道に来ている。
今月の私はあまり支社にいる日がない。
それで千葉課長がひどくさびしがっているのは、その瞳の色でわかる。
しかし、許してくれ。
こっちでの仕事があるし、それにあわせて(あとで書くように、移動の効率化も考慮して)休みも取ってるし、ポーポーちゃんの様子も見なきゃならないし、バラの剪定や落ち葉拾いもしなければならないのだ。
肺気腫予備軍が集う、薄暗い喫煙ルームの中。
さびしげな千葉課長の瞳にさっと桃紫色の光が走ったかと思うと、こんな意地悪なことを言った。
「MUUSAN、今月は単身赴任手当要らないんじゃないですか?」
な、な、何を言う!
今回の札幌での用務は、昨日と来週の火曜日と再来週の月曜日である。
ひどく予定が飛び石級なのだ。
昨日の業務を終え今日戻る、そして土日祝をはさみ火曜日の朝再び札幌へ飛び、水曜日に名古屋へ戻る。木曜日は祝日なので休みだが、金曜日に支社に出勤し、月曜は朝から会議なので日曜日のうちから札幌へ移動。
こうするのが王道のように思われるかもしれないが、これだと3度名古屋と札幌を往復しなければならない。
しかもそうしたところで、支社に出ることができるのは金曜日だけということになる。
つまり、私はずっと滞在することで3往復分の費用約20万円をを1往復分に抑え、3度の飯、のあとの服薬よりも好きな仕事を犠牲にして、来週金曜日は有給休暇をとるという苦渋の決断をしたのだ。
それに単身赴任手当をいただいているので、自宅のある札幌へ出張する場合は当然宿泊費は支給されない。この点でも今回長く居残っても会社に迷惑をおかけしていない。
これほどまでのコスト意識をもっているのだ。
なのに単身赴任手当を没収しようとは、まったくもってデビル千葉である。
没収されたら滞在見合いの水道料金と電気料金、食費を妻に納められなくなってしまうではないか!
って、でも千葉課長の寂しい気持ちはよくわかる。
ところで余計なことだが、ミレーの有名な絵画は“落穂拾い”である。落葉拾いではないのだ。
子どものころは落穂って何か知らなくてとっても苦労した、って経験は私にはない。
一粒残らず奪取してくれた
庭に落ちたプルーンやナツツバキなどの葉。
といっても、前回私はプルーンの木を思い切って大胆に剪定したので(「大きくなりすぎたので切って」とあれほど言っていた妻に笑われたほど、すっきりさせたのだ)、ごっそり葉が落ちているわけではない。
むしろ冬に向けて、そろそろバラを強剪定しておく方が重要な作業になるかもしれない。
それよりなにより、私は人生初めての光景を目にした。
“アリの巣コロリ”の中のエサ、クロアリ向けの黄色い顆粒が、すっかりとなくなっているではないか!
私が数日間目を離したすきに、やつらはせっせと美味しい毒餌を巣に運んだのだ。
そのわりに、まだ周囲をうろうろしているクロアリが少なからずいるのが気にかかるが、女王アリが「皆の者、よくぞこのような見たこともない魅惑のラムネ菓子を大量に運んでくれた」と働きアリたちをねぎらい、みんなでラムネパーティーの大宴会をするに違いない。
やがて地下に張り巡らされた通路には方々から断末魔の叫びが響き渡り、全体がコロリっちゃうのだ(と期待したい)。
教訓 : アリの巣コロリを設置したあとは、そのことを忘れるくらい無関心になれ!
テレマン(Georg Philipp Telemann 1681-1767 ドイツ)の「ターフェルムジーク(Tafelmusik)」(1733)。
ターフェルムジークとはテーブルミュージック、つまり「食卓の音楽」。
とはいっても、食卓を囲みながら演奏するのではなく、食卓を囲んでいる人たちのために奏でる楽曲。
いまなら、レストランのBGM、ご家庭ならTVのプロ野球中継(の音声)などと同じである。
テレマンのこの作品は、組曲やコンチェルト、四重奏曲など全3巻18曲からなる。
私も全18曲は聴いたことがなく、パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団による抜粋盤(9曲)を聴いている。
モダン楽器による、のびやかな演奏だ。
そしてまた、私は自宅で食事をするとき、ターフェルムジークをかけながら、ってことは今のところ一度もない。
1980年録音。RCA。
顆粒はなくなったのに、小さなアリ向けだという無色透明なゼリー状(に見える)黒蜜入りのエサは一向に減っていない。
わが家の敷地に不法侵入している小さなアリは、やはり黒蜜より壇蜜の方が好きなようだ。
偏った憶測だが……