
私がやはり高校時代のクラスメートのT君に『ニュー銀座』でランチをごちそうになった3週間ほど前に、私の不合格が発表になった。
私が受けた大学の合格者は、合格発表の日の午前中に、合格者の受験番号と名前が民放ラジオで放送されていた。合格発表を見に行かずとも、ほぼリアルタイムに合否がわかるのだ。

つまり不合格者に待っているのは『跳ばし』。私は受験番号1213ってわけだ。
また、北海道新聞の夕刊には、これまた全合格者の氏名が掲載されるのだった(他紙がどうだったかはわからない) 。
Y君が受けたのは教育大だった。
合格発表は私が悲しい思いをした数日か1週間ほどあとだったと思う。
「落ち込んでるとこ悪いんだけど、教育大の合格発表見に行くのつきあってくんない?」
彼とはその1年間の浪人生活中もときおり会っていた仲だ。断る選択肢などない。
「いいよ」
「いやぁ、怖くて自分で見れないと思うんだ」
教育大の合否発表はラジオでは放送されない。
自分の目で確かめに行くか、じっと夕刊が来るのを待っていなきゃならない。
その日は大粒の雪が降っていた。
マチナカでY君と待ち合わせをし、初めて乗る市電で教育大まで行った。
着いてほどなくして、合格者の受験番号と名前が書かれた(受験番号だけだったかもしれない)掲示板が現われた。
Y君は、しかし、怖くてそれを観ることができない。
私が彼の名前を見つけた。
「Y、あったよ!」
「ほんと?……ほんとだ。やった!」
てなわけで、「よかったね、がんばったね」と、よくなかったがんばらなかった私は彼を称え、マチナカに戻って別れた。
なんとなく、晴れやかな気分になりたかったので、アテネ書房でエッチな本を買って帰った。
その後もY君とはときおり会っていたが、お互い就職してからは会う機会もなくなった。
そうなってから3年ほど経ったとき、私は結婚することになり、Y君にも披露宴の招待状を送った。
しかし、締め切りになっても彼から出欠のはがきが戻ってこない。
私は彼に電話した。
彼の声を聞くのは久しぶりだ。
元気だった?とかという話をしたあと、私は尋ねた「結婚式の案内状着いてるよね?返事がきてないんだけど?」
「ああ、もらったよ。で、出てほしいの?」
はぁ?
出てほしくない人に案内を出すバカがどこにいる。
その瞬間「出てほしくない」派に転向した私だが、そこは紳士的に「いや、忙しいだろうからいいよ。どうかなと思って電話しただけ」というにとどめた。
私は彼との関係を葬った。その後は年賀状を出すこともやめ、一切接触していない。
ああいう物言いをする人が、教師になるとはねぇ……
交響曲第2番ハ短調「復活(Auferstehung)」(1888-94/改訂1903)の第1楽章の初期稿である。
ところで、さらにもう1年浪人し『3度目の正直』とばかり(あるいは『2度あることは3度ある』)受験した私。
が、そのとき読まれていたのは私が受けたところとは違う学部の合格発表。
つまり同姓同名。
なのに、次の瞬間から方々から「おめでとう」っていう早とちり合格祝い電話が……(勘違いするのも無理はないけど)。
結局私はこのときもダメだったのだが、まさに泣きっ面にハチ状態だった。
♪ 作品情報 ♪
【初演】 1983年・ベルリン
【構成】 単一楽章(約25分)
【編成】 orch(picc 1, fl 3, ob 2, E-H 1, cl 2, b-cl 1, fg 3, hrn4, trp 3, trb 3, tuba 1, timp, 打楽器各種(大太鼓, トライアングル, シンバル, タムタム), hp 1, Str)
【本作品について取り上げた過去の主な記事】
≫ デーはいらんのじゃないですかね……♪GM/葬礼
♪ 作曲家情報 ♪ ⇒ こちらをご覧ください。
♪ 紹介したディスク ♪
ブーレーズ/シカゴ交響楽団。