新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

おバカなワタシ

センセイ、そういう言い方ってないでしょ?♪GM/葬礼

GokakuImage1  秘技・読み上げワープ
 おとといのブログ記事を書いていて、とってもイヤ~なことを思い出した。

 私は浪人生活2年目に突入せざるを得ないことになったが、卒業後1年間きちんと予備校に通い勉学に励んだ高校時代のクラスメートのY君は、晴れて(私が受験したのとは別の)大学に合格した。
 私はそれを心から喜んだ(同じ大学だったら妬んだかもしれない)。

 私がやはり高校時代のクラスメートのT君に『ニュー銀座』でランチをごちそうになった3週間ほど前に、私の不合格が発表になった。
 私が受けた大学の合格者は、合格発表の日の午前中に、合格者の受験番号と名前が民放ラジオで放送されていた。合格発表を見に行かずとも、ほぼリアルタイムに合否がわかるのだ。

GokakuImage2 「1201 コマツカズヒコ、1202 タカセキケン、1205 オダカタダアキ、1206 ツツミシュンサク、1207 アサヒナタカシ、1208 ヒロカミジュンイチ、1212 アキヤマカズヨシ、1214 イワキヒロユキ……」てな具合だ。

 つまり不合格者に待っているのは『跳ばし』。私は受験番号1213ってわけだ。

 また、北海道新聞の夕刊には、これまた全合格者の氏名が掲載されるのだった(他紙がどうだったかはわからない) 。

 Y君が受けたのは教育大だった。

 合格発表は私が悲しい思いをした数日か1週間ほどあとだったと思う。

  わかった。代わりに見てあげるね
 その発表の数日前にY君から電話が来た。
 「落ち込んでるとこ悪いんだけど、教育大の合格発表見に行くのつきあってくんない?」
 彼とはその1年間の浪人生活中もときおり会っていた仲だ。断る選択肢などない。
 「いいよ」
 「いやぁ、怖くて自分で見れないと思うんだ」

 教育大の合否発表はラジオでは放送されない。
 自分の目で確かめに行くか、じっと夕刊が来るのを待っていなきゃならない。

 その日は大粒の雪が降っていた。
 マチナカでY君と待ち合わせをし、初めて乗る市電で教育大まで行った。
 着いてほどなくして、合格者の受験番号と名前が書かれた(受験番号だけだったかもしれない)掲示板が現われた。
 Y君は、しかし、怖くてそれを観ることができない。
 私が彼の名前を見つけた。
 「Y、あったよ!」
 「ほんと?……ほんとだ。やった!」

 てなわけで、「よかったね、がんばったね」と、よくなかったがんばらなかった私は彼を称え、マチナカに戻って別れた。
 なんとなく、晴れやかな気分になりたかったので、アテネ書房でエッチな本を買って帰った。

 その後もY君とはときおり会っていたが、お互い就職してからは会う機会もなくなった。

 そうなってから3年ほど経ったとき、私は結婚することになり、Y君にも披露宴の招待状を送った。
 しかし、締め切りになっても彼から出欠のはがきが戻ってこない。

 私は彼に電話した。
 彼の声を聞くのは久しぶりだ。
 元気だった?とかという話をしたあと、私は尋ねた「結婚式の案内状着いてるよね?返事がきてないんだけど?」
 「ああ、もらったよ。で、出てほしいの?」

 はぁ?
 出てほしくない人に案内を出すバカがどこにいる。
 しかも「出てほしいの?」だって?

 その瞬間「出てほしくない」派に転向した私だが、そこは紳士的に「いや、忙しいだろうからいいよ。どうかなと思って電話しただけ」というにとどめた。

 私は彼との関係を葬った。その後は年賀状を出すこともやめ、一切接触していない。

 ああいう物言いをする人が、教師になるとはねぇ……

 ねっ?とってもイヤ~な話だったでしょ?
SprachBoulez

  悲劇に追い打ちをかける同姓同名
 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響詩「葬礼(Totenfeier)」(1888)。

 交響曲第2番ハ短調「復活(Auferstehung)」(1888-94/改訂1903)の第1楽章の初期稿である。

 ところで、さらにもう1年浪人し『3度目の正直』とばかり(あるいは『2度あることは3度ある』)受験した私。
 合格発表の日、部屋でラジオを聞いていたら、私の名前が呼ばれた。

 が、そのとき読まれていたのは私が受けたところとは違う学部の合格発表。
 つまり同姓同名。

 なのに、次の瞬間から方々から「おめでとう」っていう早とちり合格祝い電話が……(勘違いするのも無理はないけど)。
 結局私はこのときもダメだったのだが、まさに泣きっ面にハチ状態だった。

♪ 作品情報 ♪
【初演】 1983年・ベルリン
【構成】 単一楽章(約25分)
【編成】 orch(picc 1, fl 3, ob 2, E-H 1, cl 2, b-cl 1, fg 3, hrn4, trp 3, trb 3, tuba 1, timp, 打楽器各種(大太鼓, トライアングル, シンバル, タムタム), hp 1, Str)
【本作品について取り上げた過去の主な記事】
  デーはいらんのじゃないですかね……♪GM/葬礼
 
♪ 作曲家情報 ♪
  ⇒ こちらをご覧ください。

 
♪ 紹介したディスク ♪
 ブーレーズ/シカゴ交響楽団。
 1996年録音。グラモフォン(TOWER RECORDS PREMIUM CLASSICS)。
 交響曲第2番の第1楽章になる前の、ある意味、野暮ったい音楽を楽しめる。

松任谷正隆氏と私の共通点♪リスト/エステ荘の噴……

201812JAFmaite  でも、私の場合は家系ではなく
 『JAFMate』12月号。
 音楽プロデューサーでありモーター・ジャーナリストでもある松任谷正隆氏が連載記事『車のある風景で』でこう書いている。


 松任谷家の家系は、ほぼおなかが弱い。なにかとおなかを壊す家系である。おやじもしょっちゅうトイレに立てこもっていたし、叔父にいたっては、自分の結婚式のときにトイレから出られなかったそうだ。いったいどういう結婚式だったのか見てみたかったものである。
 いやいや、他人事じゃない。そういう自分も子供の頃からおなかが弱くて、ひどく苦労した。……


 ただ、子供の頃からおなかが弱かったという記憶は私にはない。


  私の場合は歩き〇〇した過去がある
 そんなわけで、当時は家以外で大便をするなんてことは考えられなかったし、その必要性もなかったわけだが、小学生のとき、ある日1人で買い物に出かけた先から帰る途中、ジワジワと押し寄せていた便意-腹痛ではなく、純粋に本能的なもの-が急に激しくなり、自分に課した掟-つまり家以外では大便はしない-を破るどころか、田舎の街だったのでどこにも便所なんてなく、そのまま漏らしたことがあった。

 が、硬いものだったので、延焼は避けられた。めでたしめでたし(今思えば、あたりにいくつもあった原っぱで野〇〇という選択肢もあったが、たぶん『チリ紙』を持ち歩いていなかったのだろう)。


 ……通学中のことで言えば、電車に乗っていてしばらくして、いわゆる「差し込み」が襲ってくる。参ったな、で済めばことは簡単だが、差し込みのひどいやつは始末が悪い。貧血まで引き起こすのである。顔は青ざめ、脂汗だらだら、意識は朦朧とし体中の力は抜ける。何度こんな目に遭ったのか分からない。意識は朦朧としたまま、駅のトイレを探す。トイレが間に合わない、と思ったこと数知れず。しかし、人間の底力というものは侮れないところがあって、一度として歩き〇〇をしたことはない。……


 上に書いたように、残念ながら、かつ、恥ずかしながら、私にはある。


  “おなかをカラにしたい”に深くうなづく私

 ……そんなわけで僕は、松任谷家の慣例に従って日常的にトイレの個室に立てこもる。とにかく差し込みが怖いのだ。トイレから出て、数分も経たないうちにまた立てこもる。もしかして……と思うから。そこで完遂出来なかったらまた数分して立てこもる。おなかを空にしたい、の一念である。たぶん中学の頃からこうだったのではないか。大人になっても変わらないどころか、むしろ悪化しているかもしれない。


 私は日常的にトイレに立てこもることはない。差し込みっていうのもほとんどない。
 あるのは、肛門を急に襲う高い内圧である。そうなると、すでに筋肉の衰えがないはずのない肛門が大噴火し、火砕流が発生するという恐怖にかられるのである。


 「おなかを空にしたい」という気持ちは、もっっっっっのすごく、よくわかる。

 家にいるときは平気だ。
 しかし、外出するときはその願望が強くなり、乗り物-特に飛行機-に乗る前は、そうしておかねばならないという強迫観念にかられるのである。
 もう出ないのに、まだ残っているかも知れないといきむ。このまま脱肛してしまうんじゃないかと思うことさえある。
 しかも厄介なことに、空港でもどこでも、だいたいトイレっていうのは混んでいる。

 落ち着いて時間をかけてなんてやってられない。時間との勝負だ。
 精神的にも肉体的にも実に負担が大きい。

 完全防臭、外観から装着しているのがわからない、全天候型ともいえる使い捨てパンツは開発されないものだろうか?


 電車に乗らなくなったのも、きっとこの経験が大きく影響している。他人様の前で恥をさらしたくない。だからクルマに乗るようになった。動く個室。とはいえ、おなかが悪くなるのはクルマを運転していても変わるわけはなく、何度となくぎりぎりのところまでいった。……


 車だって、オプションでおまる型シートを選べるようになるととっても便利……誰も買わないか……

LisztBolet リスト(Liszt,Franz 1811-86 ハンガリー)の「エステ荘の噴水(Les jeux d'eaux a la Villa d'Este)」。

 「巡礼の年第3年(Annees de pelerinage troisieme annee)」S.163(1867-77。全7曲)の第4曲。

 エステ荘というのは、ローマに近いティヴォリにある観光地。

 1550年にローマ教皇選びに敗れたイッポーリト2世デステがこの町に移り住み、やがてもともとはベネディクト派の修道院だったものを、別荘と多くの噴水がある庭園に改築させた。


 イッポーリトは1572年に亡くなったが、改築は紆余曲折を経ながらも続けられ、現在4.5haの敷地内には大小500ほどの噴水があるそうだ。ユネスコの世界遺産にも登録されているらしい。

 リストは1868年からこのエステ荘に、ホーエンローエ枢機卿(この人物についての詳細については調べ上げられなかった。ローマ・カトリック教会の司教枢機卿のグスタフ・アドルフ・プリンツ・ツー・ホーエンローエ=シリングスフュルスト(1823-96)のことだろうか?)の客として滞在。さらに、翌69年から85年までは、毎年ここで冬を過ごした。

 「エステ荘の噴水」は印象主義音楽を先取りしたような曲と言われており、晩年のリストの作品の中でも人気が高い。


 ボレットのピアノで。


 1983年録音。デッカ。

 〇〇〇の話のときに取り上げてしまって、リストさん、ごめんなさい。

上と下とで別なパジャマに……♪イベール/バッカナール

  音楽を聴きながらお酒をチビリっていう方限定です
 1か月ほど前に、タワーレコードからメールが届いた。

 な、なんと、タワレコで酒類を扱うというではないか!

TowerRecoSake

 おお!これでもうAmazonに4リットルのブラックニッカクリアを頼まずに済む。

 朝にチェックしてもずっと『配達中』のままで、結局届いたのは夕方なんていう、無駄な時間を過ごさずに済む(根がまじめなので在宅していなければと思ってしまうのだ)。

 でも、サイトを調べると、ちょっぴりお高い、おサレなお酒ばかり。

 そうだよねぇ~。音楽を聴きながらだもんね。
 ひたすら煽るような飲み方をする私に合うような品ぞろえではなかったってワケ。でも、庶民的ウイスキーでハイボールを何杯も飲みながら、チャイコフスキーに涙するっていう人だって、この世には、ここ大阪にはいるんですのよ。

 でも、考えてみれば、タワレコだって配送時間の指定が(無料で)できるかどうかわかんないし……

  あのとき、そのチョコはとってもまずかった
 イベール(Jacques Ibert 1890-1962 フランス)の「バッカナール(Bacchanale)」(1956)。

 古代ギリシアのの酒の神の名はバッカス。
 私がバッカスの名を知ったのは、まだ幼いとき。チョコレートの名前で。
 そう考えると、商品のネーミングって、けっこう学習に良いものだ。

 酒の入ったチョコレートで、妊婦は食べてはいけない。当時の私は妊婦でなかったが(その後も妊婦になったためしはない。人夫だ)、子供だったので食べてはいけない部類に入っていた。
 しかし禁断の一口で……とっても不幸せな思いをしたものだ。苦い、辛い、まずい…・・・

 そのバッカスをまつる、まあ言ってみればやりたい放題の祭りがバッカナールである。

 音楽も、なかなか激し!

 佐渡裕/ラムルー管弦楽団の演奏で。

 1996年録音。ナクソス。

DSCN0391  人に見せられないずぼらさ
 先日、パジャマ姿ですっかりくつろぎモードになって家飲みしていたときのこと。
 パジャマの色は心が穏やかになるブルー。

 ところがそのズボンに炒めたベーコンを落としてしまった。

 あ~ら、油じみ。

 私はさっそうとズボンを脱ぎ、それを洗濯機に投入。かわりに赤のチェック柄のパジャマのズボンをはいた。
 めんどうだから、上はそのまま。

 つまり、上半身はブルー、下半身は赤いチェックの状態。

 系統の違う、あるいは同じ系統でも塗装が違う車両を連結した列車みたいだ。

 「まるで721系電車3両1ユニットに731系電車3両1ユニットを連結したみたいだな。ふふふっ」と呟いてしまった(写真はイメージ。721でも731でもない)。

 われながらバッカみたいと思った。

 ※ 今日の文には現在は使ってはいけない不適切な言葉が含まれておりますが、ご了承ください。

でも、良いってことなんですよね?センセ!♪シベリウス/Sym2 by KAMU

最新レコード名鑑交響曲  勝手に秋のテーマ曲
 このところ2回ほど、紅葉(というか『観楓会』)のことを書いていたら、なんだかちょっぴりおセンチな気持ちになって、シベリウスの交響曲第2番を聴きたくなった。

 シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957 フィンランド)の交響曲第2番ニ長調Op.43(1902)が、特定の季節の情景や雰囲気を表現しているなんてことは、作曲者はまったく言っていない。

 実際、音楽は澄んだ響きが全体を貫くが、「なんだかアタシ、物寂しいの」ってもんではないし、むしろ曲調は明るく伸びやかで、最後なんて輝かしく終わる。

 でも、私にはこの曲は秋のイメージがつきまとう(って、もう冬なんですけどね)。

 この曲を初めて聴いたのが秋だったんじゃないかって?
 いえ、あれは1975年の4月のことでした……

 いま部屋で聴いているのは、カム/ベルリン・フィル盤。1970年の録音だ。

  鮮度が良くないのが良い?
 そのむかし、『レコード芸術』の付録でついてきた『最新レコード名鑑 交響曲編』(門馬直美編著)で、この曲のイチオシのレコードとして取り上げられていたのが、このカム盤。

SibeliusKamu お国もののシベリウスに誠実な解釈をみせている。カムの本格的なデビュー盤ということもあって、カムは、慎重さをみせているのだろうが、それが逆にことさらの新鮮さを打ちださないという結果にもなった。だからこのレコードの価値が低いというわけではなく、北欧的な感覚や全体のごく自然なまとめあげ方、綿密な計算なども、貴重なものである。

 いま読むと、不思議な推薦文である。

 書いている途中で直美ちゃん(注1)の頭の中に邪念が浮かんだかどうかはともかく、薦めてくれていたのは間違いないんだろうし、私もこの曲ではカム盤を再生することがいちばん多い。
    注1) 男です。

 グラモフォン(TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLECTION +plus)。

 今日から札幌に出張。
 コートを忘れないように気をつけなきゃ。靴も冬底のものを履いて行かなきゃ。

 そして、今年はまだ札幌の道路や歩道はアスファルトが出ているようだが、ちょうど1年前、私はしこたまケツを打ってしまった要警戒だ。

 今日は移動はするが有給休暇扱い。札幌に着いたらいつもの採血&診察、そのご褒美としてお薬を出してもらう予定。

 昼は「弟子屈」にしようか……いや、採血前にラーメンはまずいかも。

冬初めてのカッコウをして♪ディーリアス/春初めてのカッコウを聞いて

DeliusCookoo  マチナカとは思えない危険な街中
 先週のある日の夕方。

 私はある用事があって、その会場へと向かうところだった。
 場所は“東京ドームホテル札幌”の近くである。

 先々週末に名古屋から札幌へ移動。
 もちろん冬道対応の底の靴を履いて来たが、まだこの時季。昨シーズンにも履いた靴でも大丈夫だろうと、スリップサインが出てきそうなくらいに底のギザギザが減ったのをあえて選んで旅に出た私。というのも、ひどくギザギザしたものは、名古屋ではミスマッチだし、せっかくの新品の底も減りそうだからだ。

 ところがすでに報告したとおり、日曜日になると、あらまあ、外はすっかり冬。
 月曜、火曜とで積もった雪は減っていったが、札幌市内の歩道はロードヒーティングがあるところ以外はガチガチの氷道になったままだったのである。

 西4丁目で地下から地上へ。
 4プラ前の出口である。
 こんなマチナカなのに歩道のあちこちは手入れが行き届いていないスケートリンクのようだ。
 豆まきのように砂をまきながら歩きたいくらいだ。

 この靴では危ない!いや、新品の靴でも要警戒なほどだ。
 私は応急的な滑り止めを買って装着することを決意した。

Suberidome  「厳粛に、葬列の歩みのようにゆっくりと」みたいな
 東急ハンズまで、私は異様な遅さの歩みで歩いた。
 こんなに注意して歩いたのは、生まれて初めて立ち上がったとき以来じゃないだろうか。
 そのおかげで東急ハンズまではなんとか無事にたどり着いた。

 どの滑り止めにしようか?
 とりあえずは今日をしのげればいいわけで、あんまり高価なものを買うのも馬鹿らしい。
 金属製スパイクが仕込まれたものにだいぶ心動かされたが、それまた仰々しいかなと思いとどまり、結局ゴム製のものにした。800円くらいだったろうか。

 このゴムスパイクを装着して歩くと、う~ん、なんだか不思議な感触。
 だがそんなことを味わっている場合ではない。
 私は目的地へ向かった。《ゆっくりと、しかし先ほどよりやや速く、慎重さを失わないで着実に》と、マーラーが自作の交響曲スコアに書き込んだ速度指示のように。

  伊藤みどり顔負けのスッテンコロリン
 西に進むほど、氷は厚くツルツル度も増してゆく。でも、あとほんの少しで到着だ。
 そのときである。後ろからカッカッカッとなかなか軽快な足音が。
 気をとられたその直後、私は悪魔に足をすくわれたように氷上に横たわっていた。

 臀部(でんぶ)をしこたま打った。

 横たわったまま呆然としているわが姿は、金満色欲おやじに押し倒され斜め寝姿勢になった若き芸子のよう。
 買ったばかりの滑り止めは効かず、私は早くもこの冬初めての滑降をしてしまったのだった(平地だけど)。

 そしてまた、その直後に「あっ、MUUSAN!大丈夫ですか?」と叫ぶ声。
 頭を打つことは回避したと思ったが、幻聴が起こるとはやはり頭にもダメージを受けたのか?

 かと、思いきやその声は同じ目的地に向かう三奏さんだった。
 彼は偶然にもこの氷上パフォーマンスを至近距離から目にすることができたのだが、私を案ずるこの声が逆に、“あっ、いま崩れ落ちたのはMUUSANという名の人なのだ”と、辺りにいた数人の札幌市民に知らしめてしまった。

 そしてまた、私を“煽った”人物は、そのままいなくなってしまった(って、彼には何の罪もない。ただ私の後ろを歩いていただけだ。むしろ私の転倒に巻き込まなくてよかった)。
 滑り止めがいくらだったか記憶からぶっとでしまったのも、瞬倒のショックのせいだ。

  春が待ち遠しいという意味も込めて
 ディーリアス(Frederick Dekius 1862-1934 イギリス)の「春初めてのカッコウを聞いて(On hearing the first cuckoo in spring)」(1911)。「小管弦楽のための2つの小品(2 pieces for small orchestra)」(1911-12)の第1曲である。

 これから本格的な冬が到来ってときにこういう曲を取り上げるなんて、真夏でもよれよれのコートを着込んでいる浮浪者なみに季節感がないが、そこは話の流れによるものだから許していただきたい。

 この曲はこれまでも何度も何度も取り上げている(ここなどのように)。
 それぐらい好きな曲なのだ。高級饅頭のようなしっとり感がたまらない。

 「あぁ、春の到来だ!」と叫びたいところを、じっくりとその歓びを噛みしめているところがまたすばらしい。だからムンクの『叫び』が好きな人とは相容れないかもしれない。

 そしてまた、この曲の演奏ではやっぱりデル・マー/ボーンマス・シンフォニエッタが好きだ。

 1977年録音。シャンドス。

 余計な個人的考えだが、ウィキペディアでは「春初めてのカッコウを聴いて」と表記されている。
 だが、Listenではなくhearなので、「聴」ではなく「聞」の方が原意に近いように思っている。

 それにしても、まだ臀部が痛む。

明日?予約入れてませんけど♪吉松/忘れっぽい天使

YoshimatsuForgetful  完璧なる時間計算
 先週のことである。

 9:30に予約を入れていた歯科に私が到着したのは9:23。
 仕事を抜け出して通院しているということの是非は別として-直接も間接にも関係ないが、政治家がしばしば使う「是々非々」って言葉は、ふつうの人は使わない。もっと一般的な言葉をお使いなさいと申し上げたい-絶妙に見事な到着時間である。

 9:31。「MUUSAN、どうぞ」と衛生士さんのお迎え。

 治療用椅子に座り、いろいろと処置を施され、最後に医師が言った。

 「今日はこのへんで。明日またお待ちしています」
 「明日?……ですか?」

 明日も来いということか?明日の仕事の予定はどうなっていたっけ?8MBぐらいまで記憶力が乏しくなっている私にとって、手帳が手元にないとこの医師と約束することはできない。

  えっ、では本日は?
 が、医師はたたみかけるように言う。

 「ええ、予約入ってますよね?」
 「えっ?」

 私は、そんなことは信じたくないが、口にしてみた。

 「ということは……」
 「ええ、今日は予約は入ってませんでした」

 なんてこった。

 私は予約していた“明日”を今日のことと思い、当たり前の権利のように受付し、呼ばれるのが当たり前のように待合室に鎮座し、治療してもらうのが当然というように口を開けたのだった。

  あとからジワジワと強くなる羞恥心
 だったら受付に診察券を出したときに「今日は予約は入ってませんよ」と優しく行ってほしかったものだ。たまたま予約の空きがあったのだろう。だから受付の彼女は何もおかしなところはございません。きちんと地球は自転していますとばかり、私の診察券を受け付けたのだ。

 が、最後の最後になってこのように真実を伝えられるのは、あなたが思うよりも私にとって恥ずかしいことだった。
 いままでこんなことなかったのに……

 そんなわけで2日連チャンで私は口の中をいじくってもらったのであった。

 吉松隆(Yoshimatsu,Takashi 1953-  東京)の「忘れっぽい天使(Forgetful Angel)」。

 ⅠからⅢ集まである。

 Ⅰはハーモニカとピアノのための作品で、1978年作曲(Op.6)。
 Ⅱはハーモニカとギターのために書かれており、1979年作曲(Op.8)。
 そしてⅢは、ハーモニカとアコーディオンのための作品で、1985年の作(Op.24)である。

 崎元譲のハーモニカ、白石光隆のピアノ、芳志戸幹雄のギター、御喜美江のアコーディオンで。

 録音はⅠが1998年、Ⅱが1985年、Ⅲが1986年ライヴ。

 カメラータ。

 つまり、天使だって忘れっぽくなるのだ。

 準天使とも言うべき私が忘れ、いや、勘違いしたって地球の公転に影響はない。

根底からすべてが覆る致命的勘違い♪RVW/Job

V-WilliamsBoult  義ではなく養だったわけで……
 今回名古屋駅から中部国際空港まで μSKYに乗ったとき、またたまたま(←意外とお読みにくいわね)進行方向に向かって左側の席だったので、車窓からあの義父の家を見ることができた。

 一瞬にして通り過ぎるわけだが、よく注意して観察した。

 というのも、あのぼやけた写真をよく見ると、書かれている文字は“義父”ではないのではないかという、自分の観察結果に疑問を持ったからだ。

 こんな世の中にもかかわらず、“義父の家”でネットで検索してもまったく該当するものにヒットしないこと。そして、あの記事をアップしてすぐに“養父町の養父の館です”という、私にとってはよく意味が呑み込めないメッセージが“義父”なる方から寄せられたからだ。

 そして今回、“義父の家”ではなく“養父の家”であることがわかった。

 ネットで“養父の家”と検索してみると、ヒットした

  育ての父ではなくて……
 養父というのも何か意味ありげ、かと思ったが、実はここの住所が東海市養父町だった。
 しかも、養父は“ようふ”ではなく“やぶ”と読むことが、日本郵便の郵便番号検索で調べてわかった(建物の漢字にもルビがふられているが、よく見えなかった)。

 たとえば石狩の生振に仮に“生振(おやふる)の家”という何かの施設があったとして、それを私は“生振(なまぶり)の家”って、ナマで何を振るんでしょうね?ってバカ丸出しで誤解したようなものだ。

 関係各位にご迷惑をおかけしたかもしれない。まったくもってお恥ずかしい限りで申し訳ない。この場を借りてお詫びしたい。
 無知というのは実に恐ろしいことだ。そもそも私は東海市という市があることすら知らなかった。

  元になったのは挿絵
 ヴォーン・ウィリアムズ(Ralph Vaughan Williams 1872-1958 イギリス)の仮面劇「ヨブ(Job)」(1927-30)。
 8場からなるバレエ音楽である。

 このバレエはG.ケインズとG.レイヴェラの「ヨブ記」、へのW.ブレイクが描いた挿絵に基づく、というわかるようなわかんないようなもの(私には)。つまりは、ヨブ記そのものではなく、聖書に描かれた挿絵によるバレエってことらしい。

 私が持っているのはボールト/ロンドン交響楽団のCD(1970年録音。EMI)だが、廃盤のよう。

 え、ヨブじゃなくやぶだろって?

 気づいちゃったかぁ~……

アメリカ、そしてナス・なす・茄子♪ドヴォルザーク/SQ12

HaydnSunrise  同郷の人に会えた喜び
 先週の土曜の夜、観て見ぬふりをしていた、ただつけっぱなしだったテレビから「アメリカ」のメロディーが流れてきた。


 サックスなどのためにアレンジされたものだが、なかなか感じがいい。


 それはAJINOMOTOの企業CMだった。

 AJINOMOTOの企業CMといえば、以前はショスタコーヴィチの「タヒチ・トロット」を使っていて(というよりは、ユーマンスの「二人でお茶を」というべきか)、これまたセンスがよかった。さすが、サトウキビからAJINOMOTOである。意味不明の納得だが。

 
 ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 チェコ)の弦楽四重奏曲第12番ヘ長調Op.96,B.179アメリカ(The American)」(1893)。

 「新世界交響曲」「チェロ協奏曲ロ短調」とともに、ドヴォルザークがアメリカ滞在中に書いた傑作である。

 この曲は、ドヴォルザークがアイオワ州スピルヴィルというチェコからの移民集団が住む街を訪れたときに作曲された。アメリカに入植した人々に触れ、望郷の念と温かな感情が沸き起こったのだろう。そういう感情にあふれた音楽だ。

 アメリカ的なメロディー、つまり黒人霊歌などの宗教的な民衆の歌(スピリチュアル)を思わせる旋律で(タイトルが'America'ではなく'The American'なのだ)、ちょっぴりおセンチになる第2楽章もあるが、活き活きとしていて、聴いていて気持の良い曲。
 まさにドヴォルザークにしか書けない音楽だ。

 タカーチ弦楽四重奏団の演奏を。

 1989録音。デッカ。

  一人で茄子を
 このときのTVではCook DoのCMも流れた。なぜなら、その番組はAJINOMOTOの提供だからである。

 商品は“きょうの大皿 豚バラなす用”であった。

 そういえば冷凍庫に豚バラ肉を大切にしまってあることを思い出した。


201705Matsuzaka 翌日。
 スーパーに行き、まずは野菜売り場でナスを見てみる。
 いやだわ、とっても太くて大きい黒々としたナスが1つの袋に3本も入ってる……(写真は間接的イメージ。ったく、どーしよーもない)。


 私はカゴに入れた。


 次にCook Doなんかが置いてある売り場に行ってみる。

 いろんな商品があるが、目的のものが見当たらない。


 いやっ!この黒々とした大きくて太くてたくましいナスを手放すことなんてもうできない。


 何度も棚を見返して、ようやく“きょうの大皿 豚バラなす用”を発見。以外にもすぐ目の前にあった。
 アタシったらどうしちゃったのかしら。

 夕方になって豚バラなす用を使って-これだけじゃ、読んでいるあなたはいったいどんな味かわからないだろう-料理を完成させた。

 “米みそに濃厚な風味の八丁味噌をブレンドして、きざみ生姜でアクセントをつけたソース”なわけで、要するにナスと豚ばら肉の甘みそ炒めである。

 で、さすがCook Doだけあって、なかなかおいしい。
 独り暮らしの私は、たっぷりできたみそ炒め-量的に大皿の看板に偽りなし。わが住まいには、その盛り付けに合った大皿はないが-を、懸命に食べた。


 懸命に食べたが、1/3は翌日の朝食に持ち越すことになった。


  しかも、ミックスフライといってもメインはコロッケ……
 朝から前夜と同じもの-すでにナスはふにゃふにゃにしぼんでいた-を食べたわけだが、この日の昼はHotto Motto に買いに行った。


 何の考えもなしに、日替わりランチを頼んだあと、私は愕然とした。
 この日は“ミックスフライ&なす味噌”弁当だったのだ。


 やれやれ……


 しかも、私が作ったCook Do プレゼンスのなす味噌の方がおいしかった。


 も一度、やれやれ……


 しばらくなす味噌は勘弁だ。

 アメリカといえば、カフカに「アメリカ」という小説があるが、いまでは「失踪者」というタイトルにあらためられているらしい。

 知らんかった……

真っ黒でわからなかったんです♪スクリャービン/pソナタ9

ScriabinPsonatas  そこにいない人の希望って……
 先日、札幌からお偉い方(A氏とB氏)がやって来ることになり、老舗の鶏料理店・錠前御殿(仮称)で食事を供にした。

 A氏とB氏の他に、第3の男としてC氏がカバン持ち(といっても、C氏もじゅうぶんに偉い)で来ることになっていて、錠前御殿を予約しておいてくれというのはC氏からの指令だった。

 C氏-かつて名古屋支社に勤務していたことがある-が言うには、あの店ならA氏もB氏も満足するに違いないという、サラリーマンの鏡のようなみごとな気の遣いよう。
 だが、実のところはC氏自身が錠前御殿の鶏鍋が大好物で、この機会にぜひ食べたいというのが、信頼できる筋からの信頼できる説得力のある真実らしい。

 そして、同情はしないがかわいそうなことに、会食の1週間ほど前になって、急きょC氏が来られなくなった。
 来るのはA氏とB氏の2人。

 そこで、こぎれいで、飲み物の好みが異なる2人の欲望をともに満足させられる店を探して変えようと考えた。
 しかし、来ることができないにもかかわらず、C氏は「あの店ならA氏もB氏も満足するに違いない」という主張を変えず、C氏の執着にこれ以上抵抗する必要もないので、私たちはその老舗、つまり逆説的に言えばこぎれいではなく、店員の女性スタッフも老舗で、テーブルは狭く、座布団はせんべいで、個室ではなくほかの何組かの客と一緒の広間の荒れた畳の上におっちゃんこという状況下で会食をすることになった。

 結論から言えば、A氏もB氏もたいそう満足したどころか、はっきり言って無感情だった。
 A氏はたいした食べもせずにビールを飲み続け、B氏は、やはりたいした食べもせずに好きなワインが飲み物メニューにないことを(たぶん)嘆き悲しんでいた。

 自分の好物だからと選んだC氏は、なぜ来られなくなったのにもかかわらずあの店に執着したのだろう?
 謎の解明のためにファミリー・ヒストリーで調べ上げてほしいものだ。

  黒いベールの下は生々しいピンク
 ついでにいうと、スタッフが歴史を刻んでいることは別にかまわないのだが、複数いるどのお方もオーダーをとっても混乱してすんなりいかないし、料理を運んできても態度がぞんざい。

 私なら偉い人との会食には絶対に選ばないタイプの店だ。


 この店で過ごしたおよそ2時間。
 後半の1時間の私は、さらにテンションが下がった。


 というのも、実はやってしまったのである。8年ぶりに。

 生の鶏肉を食べてしまったのである。


 前回は生焼けだったが、今回は生煮え。


 鶏鍋で鍋に入れたばかりの鶏肉をがぶりと噛んでしまったのだ。
 しかも、アタシ、その一部を飲み込んでしまっちゃったんです。


 八丁味噌だが出前一丁味噌味だかしらないが、汁はほぼ真っ黒。
 赤ミソというよりも黒ミソだ。

 当然、中の具も真っ黒けのけ。
 だから、生だと判別できずに、男らしくムニュっと噛んだしまったのだった。

 すぐに口の中の異変には気づいたが、上に書いたように真っ黒で状況がわからない。
 そのうちに一部をのみ込んでしまい、箸につままれた残りの部分をよく観察した結果、ナマであることがわかってしまったのだった。
 そのあとは病は気からじゃないが、なんとなく変な味が口の中にずっと残っている感じがした。

 鍋用の鶏肉が生食に耐えうるものなのかどうかはわからないし、そのせいかどうかもわからないが、そのあとちょっぴりおなかをこわした。


 今回は店ではなく、私自身に落ち度がある。


 ばかばかばかばかばか!と、若いころの酒井和歌子演じるドラマの主人公が音信不通となっていた彼氏が突如目の前に姿を現したときのように叫びたくなった(←勝手なイメージです)。

 どうか、得体のしれない寄生虫が肉線維の中に忍び込んでいませんでしたように。アーメン。


 スクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915 ロシア)のピアノ・ソナタ第9番Op.68黒ミサ(Messe Noire)」(1913)。


 ここでも書いているが、「黒ミサ」の名は作曲者自身の命名ではなく、友人のポトガエツキーが第7ソナタの「白ミサ」と対照的な性格なことからつけたもの。

 単一楽章で、調性は無い。

 私が持っている唯一の盤はアシュケナージによる演奏のもの。

 1972年録音。デッカ。


 翌日の昼は、鶏にリベンジとばかり、HottoMottoの親子丼を食べた。

 こちらの肉は、原材料はともかく、安全で安心な完全加熱、タンパク質変性済みであった。

お金がかかる子……♪ブラームス/ホルン・トリオ

FranckVnSonata  店員さんに配慮した即断
 おとといの昼は、“八雲”に行った。
 ごまそば処である。

 大好きなかしわそばにしようか、ちょいと背伸びして親子そばでいこうか若干迷ったが、かしわが740円、親子が780円ということで、40円の差なら良質なたんぱく質を確保するためにも、こちらを食べるべきだろうと思った。

 店に入ると妙に混んでいた。
 まだ、11時15分なのに……

 実はこの日、私は午後からの会議の会場に早めに行くために、ランチなのかブランチなのかあいまいな、こんな時間に店を訪れたのだった。

 しかし、がらがらだろうという目算がはずれ、テーブル席ではなく囲炉裏席(要は四角いカウンター席である)に案内された(「囲炉裏席でよろしいですか?」と言われ、「いやです」と答える勇気は私にはない)。

 もう注文は決まっている。
 水を持ってきた店員さんにすかさず「親子そば」と言う。この私のコンパクトに凝縮された行動によって店員さんは、注目をとりに私のところまでもう一度足を運ばすに済むというわけだ。紳士のさりげない配慮である。

 「親子でーす」と厨房に向かって叫ぶ。私ではなく、店員さんが。
 活気あるそば屋にふさわしい、実に日常的な光景である。

  即断が裏目に 
 が、その直後、私は恐ろしいものを見た。カウンターの上に置いてある、“お品書き”とは別のラミネートで圧着された“書き物”を。

 タイムサービス
 11:00〜11:45にご来店のお客様。
 たぬきそば690円→520円
 かしわそば740円→520円
 山菜そば810円→520円


 私は視線を上下に3往復させた。

 が、どうしてもそこには“親子そば”の文字も写真もなかった。


 なんてことだ!
 私は調子に乗っていたのだ。
 分相応に、それも無理せずにいちばん好きなかしわそばにしておけば、520円で魅惑の昼食を堪能できたのに、これじゃあことわざにある“40円を笑う者は260円に泣く”の成就だ。

 あの店員さんは、なぜ、知恵不足の私が親子と言ったときに「かしわなら今の時間、520円ですがよろしいでしょうか」と警句を浴びせてくれなかったのだろう?

 いや、下手に親切心からそう言うと「親子を頼んじゃいけねえっていうのかい?」とごろつく客がいるのかもしれない。
 余計なことを口にするのは慎んでいるのだろう。
 が、厨房に向かって叫ぶときに、ちょっと申し訳なさそうに言うとか、VIP扱いしてくれてもよかったのにと思った。

 私の注意力の欠如はナメクジ並みだと認めざるを得ない。
 目の前に塩があれば頭に振りかけたい気分だが、残念ながら一味唐辛子しかなかった。
 いったん落ち着いてからオーダーすべきだったのはもちろんのこと、この時間になぜこれほど混んでいるのか仮説をたて、いくつかの推論を組み立て、考察を加えるべきだった。


 あらためて店内にぐるりと視線を投げると、どいつもこいつもしめし合わせたかのように山菜そばかたぬきそばかかしわそばを頼み、食べているではないか!(誰だ?いま、私のことを“ばかたぬき”と思ったのは?)

  孤独感で味わう余裕なし
 私はこの集団から孤立していた。
 おなかが緩くなる仲間には望んでないのに入らされてしまったのに、ここでは玉子のせいでかしわ組から浮いているのである。

 260円といえば、“弥太郎さんちの赤卵”みたいなこだわり品でない限り、スーパーで卵10玉パックを買ってもお釣りが来るくらいの額だ。
 40円が260円に膨れ上がった、そんな高価な品を頼んでいるのに、なぜこんなに疎外感を覚えるのだろう。
 周りのみんなは下を向いて黙々とそばをすすっているが、頭の中ではあいつシクったなと思ってるんじゃないだろうか?
 確かに私はしくじった。でも、誰か一人くらいは、この人は医者から親子そば以外は食べてはいけないと言われているんだ、と思ってくれないだろうか?

 タイムサービスのことに気づくのが食べ終わったあとならまだしも、私のそばが運ばれて来る前にすべてを把握してしまったので、鶏肉と玉子とごまそばが織りなす三重奏だわい、なんて味わえるもんじゃなかった。
 さらに、あとから隣に座った男性が、追いうちをかけるように慣れた口ぶりでかしわそばを頼み、ほどなく運ばれてきたその澄んだつゆを目にすると、玉子で濁った私の丼の中のつゆが邪悪なもののようにさえ見えた。

 ブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)のホルン三重奏曲変ホ長調Op.40(1865)。

 ホルンとピアノ、ヴァイオリンという編成だが、ホルンの代わりにチェロを用いた版もある。
 ただ、チェロ版はブラームスが意図したものではなかったという。今回の私のように不本意だったようだ。

 タックウェルのホルン、アシュケナージのピアノ、パールマンのヴァイオリンで。

 1967年録音。デッカ。

 会計の際に、「タイムサービスでかしわそばが520円ですから、親子だと、まことに申し訳ありませんが玉子の分の差額40円がプラスになって560円です」、と言われることに最後の望みをかけたが、当たり前だが、「780円です」と言われた。

 そのとき店の中から「五目ひと~つ」という声が。
 なんとなく、ちょっぴり救われた気がした。

 つまり“八雲”のサービスタイム、実にお得である。全店舗でやっているのかどうかは知らないが(私が立ち寄ったのは国際ビル店)。

激励のお気持ち承り所
最近寄せられたコメント
これまでの御来訪者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

メッセージ

名前
メール
本文
このブログの浮き沈み状況
読者登録
LINE読者登録QRコード
QRコード
QRコード
本日もようこそ!
ご来訪いただき、まことにありがとうございます。

PVアクセスランキング にほんブログ村
サイト内検索
楽天市場 MUUSAN 出張所(広告)

カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
タグ絞り込み検索
ささやかなお願い
 当ブログの記事へのリンクはフリーです。 なお、当ブログの記事の一部を別のブログで引用する場合には出典元を記していただくようお願いいたします。 また、MUUSANの許可なく記事内のコンテンツ(写真・本文)を転載・複製することはかたくお断り申し上げます。

 © 2014 「新・読後充実度 84ppm のお話」
  • ライブドアブログ