新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

邦楽作品

二度目の「しょう」体験は味噌ラーメンにポポンのポン♪伊福部昭/鬢多々良

  20分×〇〇日の修行
 あなたがお気づきかどうか、あるいは興味があるかどうかは知らないが、驚いたことに今日は1月最後の土曜日である。もうすぐ2月である。2月は私の誕生月である。ほら、深みを増すこともなくまた1つ歳をとってしまうではないか!

 それはともかく、今週の月曜日はなぜか通勤のときにいつも乗っている江別7:48発の札幌行きの列車 142M がなぜか運休(車両点検だっただろうか?もう忘れた)。なので、岩見沢からやって来た江別7:25発の小樽行き列車136M に乗った。
 実は私はいつも7:23ころに江別駅に着いているのだが、江別始発の電車に乗るべく、7:25発、7:34発、7:43発を見送り、7:48発が7:40に江別駅に到着するまでホームにたたずんで舞って、いや、待っているのだ。なんて、もったいない時間の費やし方をしているのだろう?

 そして今回、7:25発に乗ってみて、この電車でも座れてしまったという一大事を経験した。札幌駅にはいつもより22分も早く着いた。
 要するに私は、ふだん20分以上早く札幌駅にたどり着けるチャンスを与えられているのに、修行僧のようにただただホームに立って待っているのだ。修行僧と私との違いは、修行しているという概念がないことと、頭の中が邪念だらけだということだ。
 もう一度書こう。なんて、もったいない時間の費やし方をしているのだろう?

 そしてまた、136M は札幌駅の3番ホームに入線する。ということは、狭いホーム、狭い階段のせいで改札階に下りるのに長い時間がかかるというトラブルに巻き込まれなくて済む。
 もし毎回座れるのなら、JR北海道のホームページの『マイ列車』に登録してある7:48江別発の列車に固執する必要などないのではないか。そんな気がしてきた。いまさらながら。

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 ただ、この列車が札幌駅に着くのは7:55である。ということは、8:00頃に設営される西改札前の弁菜亭のワゴンの姿はないはずだ。と、改札内の Kiosk を見ると、あまり混んでいないではないか。ということで、この日はキヨスクで弁当を買った。しかも、前の週の金曜日に続いて札幌駅立売商会(弁菜亭)の「ハンバーグ弁当」を。だって、ほかにこれって思うものがなかったんですもん。連ちゃんでもおいしくいただくことができたし……。それにしても、ものすごく久しぶりにキヨスクで弁当を買った。
 そしてまた、罪深い私はミニサイズの「サッポロ一番 塩らーめん」を弁当のお供にさせてしまった。だって、食べたかったんですもの。

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  在宅のはずが半日を外で過ごす
 火曜日の朝は、けっこう雪が積もっていたものの、除雪は入っていなかった。きっと明け方あたりから急に降り始めたのだろう。
 この日は在宅勤務。
 朝のうちにやるべきことをやってしまい、9時から雪かき&雪運び開始。湿り雪ということもあって、予想(予定)に反して午前中いっぱいの時間をこの作業に費やしてしまった。在宅勤務中に業務にあまり関係のない『外勤』をしたことは申し訳ないが、やらないと気になって仕事が手につかないのだ。良い仕事をするために、雪かきはやっておかなければならないのだ。

 昼は久しぶりに炒飯を作った。永谷園の焼豚チャーハンの素を使い、必須の卵以外に、ネギ、コマツナのみじん切り(少々)、ギョニソ(魚肉ソーセージ。1/2本)を投入。午前中の過度な運動のせいで塩分が体内から流出したのだろう。チャーハンの塩味(えんみ)が舌に心地よかった。

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  珍しく味噌にトライ
 水曜日は、前日から「明日は大荒れの天気になる」とどこのテレビ局の気象予報士も言っていたし、YAHOO!の天気もそう訴えていた。なので、帰れなくなったらまずいと思い、朝のうちに午後は半休をいただいて早退しようと決めた。
 そのため早めに会社に行ってやることをさっさと済ませようと、いつもより早く家を出て、江別7:15発札幌行きの134M 列車に乗った(江別始発。札幌駅で快速エアポート76号になる)。
 恐れていた通り、その後午前中には暴風雪警報が発令され、札幌中心部も11時ころには一度けっこうな風雪となった。ただ、それはすぐに治まった。

 12時になり退社。
 江別行きの列車に乗ったが(定時運行)、天気はまったくもって上機嫌。風もなければ、雪も落ちてこない。気温も高い。
 そこで、私は高砂駅で降り、「らーめん しょう」に寄っていくことを思い立った。店がすいてくるであろう13時過ぎまで DCM で時間をつぶし、そのあと店に。
 私が店に近づくと立て続けに4人のお客さんがドアから出てきて帰るところだった。店の中をのぞくと、いまの人たちの退店でいったん客がゼロになった。そこで、私はここで食べることを決意。カウンター席に座ったが、そのあと、1人&2人組の3人の客が間を開けずに入ってきた。1時を過ぎてもなかなかの人気だ。
 カウンター席といっても、厨房の中が直接見えるようになっていない、つまり対面でないので、へんな緊張感はなかった。

 ふだんはしょうゆラーメン一筋の私だが、ここの『売り』らしい味噌を頼んでみた。

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 最初に一口スープを飲んで、「この味噌スープはうまい!」と思った。
 私があまりみそラーメンを食べないのは、味噌の味はするがコクが乏しい、極端な言い方をすれば濃い目のみそ汁のようなスープにラーメンが入っているようなものに何度か出くわした経験からがあるからだ。それだとスープが麺に負けてしまい、味気ない(もっとも、みそ味が有名な店でみそラーメンを食べた経験はほとんどない)。

 しかしここのみそラーメンは、甘さが最初に来るが深さを感じさせるコクがある。でも、脂っぽさはない。また塩加減は強めかもしれないが(私にはちょうどよい)、味はマイルドで角(かど)がない。優しい味だ。このスープが太めの麺にまったく負けていない。相思相愛のように麺とスープが絡み合っている。これはおいしいと思った。
 2回連続で、舌鼓!ごちそうさまでした(ここのネギの切り方がとても気に入ったし、ラーメンにぴったりだと思ったので、その後自宅でラーメンを作るときも真似ている)。
 また今度行くときは、うん、どうしよう。醤油も食べたいしなぁ……困ったなぁ……

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 ポン、ポン、ポポン、ポポンのポンと小鼓が鳴り響く伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の郢曲「鬢多々良」(1973)を。

Eikyoku

私の『お注射』履歴書♪伊福部昭/鬢多々良

  欄は最大7回分まであります
 先週、江別市から私のところに郵便で封筒が届いた。

 そのなかには私の令和3年からの『履歴』が書かれた紙が入っていた。

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 確かに5回受けた。そう、新型コロナワクチンの接種である。
 でも、あらためてこの5行にわたる記録を見ると、なんというか、こんなに受けてきたんだなぁとコロナが世の中に及ぼした威圧感をあらためて感じる。

 そしてこの紙は、そう、ただ記録を記したものではない。
 第6回目の接種の案内なのである。

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 5類感染症に移行したので、もう費用負担のないワクチン接種は行なわれないと思いこんでいたが、64歳以下の基礎疾患のある人は、過去5回と同じようにワクチン接種を受けられるんだそうだ。

 さて、6回目を受けるべきかどうか?
 せっかく市長さまがお誘いくださっているので、喜んでそれを受けるべきなのだろう。
 けど、過去5回が全く平気だったからといって、6回目も副反応がないとは限らない。しかも、過去5回受けていた特設の集団接種会場の青年センターは今回は設けられない。
 となると、どこの会場にすべきかも悩むところだ(おそらく受けるとしたら江別市民会館の集団接種会場になると思う)。

 日本音楽集団の演奏で、伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の郢曲「鬢多々良」(1973)。

Eikyoku

でも、読者は『毎日』から解放されない?♪伊福部/物云舞

OgawaYokoTanpenbako1  褒められた直後に……
 一週間前の、昨年の大みそかの朝。
 masa さんからこのブログにメッセージが届いた。

 一年間お疲れさまでした。あなたも毎日更新したけど、私も毎日拝見しました。お互いえら~いではありませんか。 来年もよろしく!

 だが、私は今年から毎日更新を貫くという無理をしないことを、元日のブログ記事で宣言した。
 メッセージを送ってくれた masa さんを裏切るようで心苦しい。

 しかし、更新をお休みする日がいつなのかは読者にはわからない。
 ということは、masa さんをはじめ、毎日訪問してくださっている人は、これからもとりあえずは毎日のぞきに来なくてはならない(新着通知みたいなものを設定していれば別だが)。
 私は今年『えら~い』から脱落するが、masa さんにおかれては引き続き『えら~い』行ないを継続していただくことを願っている。そしてまた、今年もよろしく!である。

  読んで寝つきが悪くなった『絶望』小説
 ところでこの記事で触れている “切ない内容” の小説。
 「小川洋子の偏愛短篇箱」に収められている作品の一つで、三浦哲郎の「みのむし」である。
 私は三浦哲郎という作家自体を知らなかったが、この「みのむし」のストーリーはあまりにも絶望的で悲愴だ。
 この小説も、ぜひお薦めしたい。

20210102Yukikaki  交換できるということは、壊れるものっていうこと
 それにしても大晦日と正月三が日は雪かきするのを強いられた天候だった。
 もともとヒビは入っていたのだが、この間に雪かきスコップ2本が破損した。硬くなった雪を削っていて割れたのだ(右のスコップは、矢印部分に直線状のヒビが入っている)。
 まったく同じスコップがもう一本あるのでご心配なく。
 さらに、このような事態を予期して、12月30日には別なタイプの雪かきスコップも購入した。憧れの緑色の雪かきである。
 この製品は先端の強度が高いということで、お値段も高かった。

20220102Green

 そんなわけで、2本破損したものの、わが家のママさんダンプだかスノーダンプだかスノークーペだかは赤色だが、雪かきスコップは黄色と緑の2本がまだあるのである。
 破損した雪かきスコップはヘッドだけを交換できるので、ヘッドを購入しておこうと思っている。

 そうそう、アルミのスコップも柄の付近でアルミ自体に亀裂が入っているのを発見。

20220102Scoop

 Homac に買いに行こうかとも思ったが、なんとなく出かけるのが面倒で-ガソリンも高いし-ヨドバシ.comに注文した(ポイントたまるし)。1月2日に注文し、指定した昨日に届いた。

  町民アンケートで「ゴジラ」の声、多数
 この春に新築移転する道の駅「おとふけ」に、ゴジラの巨大フィギュアが展示されることになったと、スコップを注文したのと同じ日、2日のNHKのニュースでやっていた(もちろん道内ニュース)。
 ゴジラの音楽を書いた伊福部昭が幼少期を音更で過ごしたという縁からだ。

 これまでの音更の道の駅は、なんというかどーでもいいっていう品ぞろえで残念な感じだったが、新しい道の駅はどんなふうになるのだろう?
 柳月のすぐそばという立地でもあり、「ピア21しほろ」に負けないような人気の駅になるかもしれない。

Eikyoku 音更町にからむ話を書いたときは、ワンパターン的に伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の作品を取り上げる私だが、今回は音更町だけでなく伊福部昭の名前がニュースに出てきているわけで、ここで伊福部昭の作品をスルーするわけにはいかない。

 でも、ゴジラではなく筝の作品を。
 二十絃筝のための「物云舞(MONO YU MAI)」(1979)。
 


惜しんでいたら、いつの間にか2か月近く超過♪伊福部/鬢多々良

20210112GinzakeBentou  鱈でなく鮭の話ですが……
 新春の仕事始めの一週間(つまり先週のことだ)の職場に-おける私の昼食についてチンタラ多良鱈と書いているうちに、仕事始めの週の翌週が終わろうとしている。
 で、今週の火曜日の昼は、今年初めてとなる「銀鮭弁当」をいつものキヨスク-札幌駅改札内のラッチ中店-で買った。

 うん。この銀鮭は何度食べてもやっぱりおいしい!

 なお、夕方にツイッターを見ると(私は出勤中はツイッターとはお付き合いしないのである)、フォローさせていただいている yさんも、朝にキヨスクで「銀鮭弁当」を買った(買えた)と、歓びのつぶやきをしていた。

 【問題】
 私が買ったとき棚にあった「銀鮭弁当」は2つ。そのうち1つを私が買いました。そのあとに y さんが同じキヨスクに行ったとしたら、棚には同じサザエ食品製の「おふくろの味弁当」はいくつ並んでいたでしょうか?

Eikyoku そんなわけで、久しぶりに伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の作品を。
 郢曲「鬢多々良」(1973)。

 『「銀鮭弁当」姫はじめ』の翌日は在宅勤務だった。

 昼は朝に炊いたご飯のおかずに好物のこれを焼いて食べようと思ったが、なんというか虫の知らせというかでチェックしてみると、私は「ホンコンやきそば」を食べなければならない事態になっていることに気づいた。
 
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 ちょっぴりしゃれて、中華の皿に盛りつけちゃったりなんかしてみた。

 で、なぜいきなり「ホンコンやきそば」を食べなければならないと思い立ったのかというと、大切に保管しているうちに時が過ぎ去っていたからである。

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 でも、いつもと変らぬチープなおいしさだった。

 今日は本館の記事も更新。そちらの記事の内容も中華な感じだ。

 その翌日の昼食は、これまた今年初めての弁菜亭の「幕の内弁当」にした。
 記録によると、なんと昨年の11月30日以来の購入ってことになる。が、このときすでにホンコンちゃんの旬は過ぎていたのだった。

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1年ぶりの東京~3「歌舞伎映像を機内で堪能」♪伊福部/鬢多々良

 【前回のあらすじ】
 むかし仕事で世話になった人と東京で再会。夜は私が予約した『松尾ジンギスカン』でラムにマトンにラムハツ。「松尾ジンギスカン、楽しみです!」って久々に食べるかのような言い方をしていた彼は、そもそも『松尾ジンギスカン』を知らなかったという事実が暴露された。

  大阪で買うつもりが、羽田で……
 翌日。

 私は10時過ぎに大阪空港に到着する便に搭乗した。つまり羽田出発は9時。

 なんでそんなに早い便に乗るのって?(しかも空港に着いたときには、1時間前に出発する1本前の大阪行きの搭乗すら始まっていなかった)。
 答えは簡単。首都圏の朝のラッシュに遭遇したくないからである。だから、朝も早から、まだ暗いなか羽田空港に向かったのだ。

 当然、朝食は食べない。
 その代わり、大阪に着いたら、この空弁を昼食用に買って支社に向かおうと前夜から心に決めていた。

 が、羽田空港のANA FESTAで平積みされていた崎陽軒の『シウマイ弁当』と目が合ってしまい、あっけなく計画変更。

 860円のこの弁当をカバンに忍ばせ、帰阪したのであった(移送中にアンズの位置がずれたことをおわび申し上げる)。

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  日本の航空会社ですもの
 ところで、12月から放映されているANAの機内安全ビデオ。新たに作られた歌舞伎バージョンである。
 今回、行きと帰りで2回観たが、これはいい!
 これまで画面を観ることはあまりなかったが、思わず見入ってしまった。
 歌舞伎とはみごとな着眼点。ちょっと事務的かつ厳しめのナレーションも実に良い。
 企画・立案した人、この案を採用した人に敬意を表したい。

 はっきりとは聴こえないが、音楽(歌舞伎の音楽)にも魅せられる。もし、私が西洋人だったら思わず「ワァ~オッ!」って言ってしまったかも知れない。

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 降機のときにはメイキングビデオが流れ、これを観てると「なかなか列が先に進まないな」というイライラ感も軽減される。

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 それでも、慣れてくると観なくなっちゃうのだろうか?

Eikyoku 歌舞伎にかかわる楽曲は手元にないので、和楽器合奏の作品を。

 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の郢曲鬢多々良(えいきょく びんたたら )(1973)。

 実際、出張から戻った日の夜は、あのビデオのことが頭から離れず(←なんだか誤解を招きそうな表現)、この曲を聴いたのだった。

 作品についてはこちらをご覧いただきたいが、この曲もまた伊福部の傑作のひとつである。

 田村拓男/日本音楽集団の演奏。

 1981年録音。カメラータ。

 ところで、『シウマイ弁当』のパッケージは2種類あるそうだ。

 横浜の本社工場と横浜工場で製造されたものは掛け紙を紐で結わくスタイルで、東京工場のものはかぶせ蓋スタイルだと、崎陽軒のサイトに書いてあった。

 ということは、この日私が買ったのは Made in Yokohama ってことになる。

親切をありがとう。でも負担、増しますよね?♪細川俊夫/さくら

Hosokawa  個人の番号が知れるのも恐れない必死さ
 2週間ほど前のことだが、0120から始まる電話番号から着信があった。
 その着信に気づかないでいたのだが、その数十分後には070から始まる電話番号からショートメールが届いた。

 「重要なご案内がありますのでこちらへお電話をお願いします」と書かれていた。

 相手は保険の相談窓口-『保険の窓口』とか『保険市場』といったところ-だった。

 かつてそこに相談しに行って保険を見直したことがある。
 だからこそ私の電話番号を知っていたわけだが、それにしても個人のスマホからショートメールを送って来るとは、ある意味たいしたものだ。

 電話をしてみると、私の誕生日が近づいているのでいま加入している医療保険の見直しのチャンスだという。

 私にとってどういうチャンスなのかというと、私が入っている医療保険はいまなら問題ないが、この先20年後、30年後になって高度医療による治療を受けるようになると、高度医療には適用されないので見直した方がよいと言う。

  状況は180度変わった?
 しかし-今回の担当者とは違ったが-この医療保険に入ったときにアドバイスされたのは、北海道では高度医療治療をできる病院は数えるほどしかないので、その特約をつける必要はないというものだった。

 あれから10年ちょっと経っているとはいえ、あのとき無駄になると言っていたことと反対のことをお勧めしてきたのだ。

 しかも、私の医療保険は65歳で払い済みになりあとは一生保障が続く。
 ここで切り替えれば保険料を払う年数が延びるうえに、間違いなく保険料も上がるだろう。そうでなければ、ボランティアじゃあるまいし、保険の見直しを勧めてくるはずがない。

 そしてまた、20年後はともかく、30年後の私なんて高度医療なんて高尚な治療など全く必要のない、単なる老弱で寝たきりになっているか、もう死んでいるだろう。

 細川俊夫(Hosokawa Toshio 1955-  広島)の「さくら-オットー・トーメック博士の80歳の誕生日に(Sakura - for the 80th birthday of Dr.Otto Tomek)」(2008)。

 笙のための作品で、日本古謡「さくらさくら」を素材にしているそうだが、「さくらさくら」のメロディーが姿を現すことはない。どうしたことざんしょ?

 宮田まゆみの笙による録音がある。

 2009年録音。ECM。

 この博士は(誰なんでしょう?)は、いまもお元気なんでしょう。きっと。

  勧誘電話はカード本体の契約にも悪影響を及ぼしかねない
 そんなわけで見直すのは無駄だ。どう考えても見直すだけ無駄だ。

 この保険相談の会社(単独の保険会社ではなく、いろいろな保険会社の総合窓口になっている)には、ニッセイから切り替えるときに相談にのってもらったので感謝しているものの、お断りした。

 ここには全然ハラはたたなかったが-むしろ「お疲れさまです」とねぎらってあげたいくらいだ-、迷惑なのがクレジットカード会社からしばしばかかってくる保険の勧誘だ。

 JCBだのセゾンだのから保険の勧誘が来るが、これは迷惑だ。
 「今度電話してきたら、カード自体を解約しますよ」と言いたくなる。

 そう思っていながらも、いつも言えないでいるけど……

 さて、本日で年内の業務終了。
 夕方の『北海道の翼』で北海道へ帰らさせていただきます。

 みなさんは『プレ金』ですてきな時間をお過ごし……って人いるのかね?

伊福部の邦楽作品と解剖実習を思い出した1月6日♪鬢多々良

P1070458  毎年恒例、おバカショー
 昨日は成人の日だった。

 昭和の人間としては、成人の日たるもの1月15日であるに違いないという感覚がいまだに残っている。

 と同時に、成人式を迎えるにあたって、その時点でもまだ共通一次試験を受ける身で、試験をそのあとに控えていたのか、試験は終わったけどかんばしい結果に終わらなかったのか定かでないが、いずれにしろ式に行くような状況になかったことが思い起こされる。

 毎年のことだが、式で大暴れする頭の悪い連中を見ると、重~い罪に処すべきだと思う。
 方向性としては、そういうおバカなことから卒業します。だって、ボクたち今日からおとなだもん。って考えるのが自然だと思うが、あれじゃ幼児返りだ。

 式に参加している人たちの中には、こういうアクシデントを喜んでいる人もいるかもしれない。
 が、参加している大半の良識ある人たちにとっては、人生に一度しかない成人式というものを-そりゃ単なる儀式かもしれないが、参加するということはその儀式を尊んでいるはずだ-少数のおバカのせいで台無しにされたことになる。

Eikyoku  演奏水準は不明
 ところで1月6日は、支社の管理職全員で熱田神宮にお参りに行った。
 巫女さんが舞楽を演じているのを観ながら、その音楽-雅楽だ-を耳にすると、当たり前のように伊福部昭の鬢多々良のことが頭に浮かんだ。

 神宮での雅楽(たぶんちゃんとした曲のタイトルはあるのだろう)は、それがアヤなのか、アンサンブルが合っていないのかよくわからなかったが、まあ味のあるものだった。

 にしても、伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の郢曲「鬢多々良」(えいきょく「びんたたら」。1973)は、これまた名曲である。
 こういう邦楽器合奏の作品ももっと残してほしかったなぁ。

  ほかの人は喜んでいたと思います
 神宮帰りに新年会。
 店は居酒屋。

 もちろん料理の好みを私に合わせる必要はまったくないし、好みに合わないと私が文句を訴える権利もない。しかし、しょっぱなから私が忌み嫌う品が出てきたときには、今年は食うに困る1年になるかも知れぬとおののいたものだ。
 向かい座っていた千葉課長がそれをすぐに察知し、ニヤリとする。サディストか?

 お通しが、鮟肝とたちぽんである。
 全然好きでないものだ。いや、はっきり嫌いと断言しても完璧に間違いではない。

 メインはあんこう鍋。

 こう書くと高級料理店かと思うかもしれないが、すでに書いたように居酒屋である。

 コース料理だったが、冒頭でここまで私の好みの裏をかかれるとは、やはり今年はあんこうならぬ暗黒の年になるかもしれない。
 私は病変した肝臓標本のような色の鮟肝と萎縮した脳標本のようなたちぽんを千葉課長に押しつ、いや、献上した、

 もっとも鴨肉や天ぷらなんかも出てきた。が、私がもっとも堪能したのはなんだかんだ言っても、あんこう鍋だった。白菜と豆腐……

P1070460 まぁ、どっちにしろアルコールを飲み始めるとあまり食べないからいいと言えばいいんだけど……

 気の毒に思ったのか、千葉課長が私を含め数人に声をかけ(彼は優しい心をもったサディストなのだ)、計5名でお口直しのために居酒屋へ。

 北海道産チーズの盛り合せで良質なたんぱく質を補給することができた(驚くべきことに他に頼んだのは大根のおでんだけ。あとはひたすら飲料のみ)。

  遅ればせながら初詣
 とはいえ、翌朝はさわやかだった。
 天気が、だが。見よ、東山動物園(方向)の朝焼けを(上の写真)。
 
 私は1人、どうか食うことに困りませんようにと神社にお参りに行った。

 上に書いたように私は成人式に縁がなかった。

 いま、代わりに成人病の日でも作ってくれれば、毎年でも参加する権利を得られるだろう。

 が、案内状が来ても、やっぱり行かないかも(それに行きたくても体の調子が悪くて行けない人も多数でてくるだろう)。


私にお知らせってなぁに?♪伊福部昭/物云舞

20151216Tel  誰もメッセージをくれない……
 私が東京でよく利用するホテルの部屋にはこういう電話機がある。

 メッセージランプがあって、それがピコピコ点滅しているときには何か伝えたいことがあるのでフロントに電話してちょーだいっていうシステムだ。

 こういう機能を備えた電話機は、他にも少なからずのホテルで見かけたことがある。
 が、いままで一度もそれがピコピコしていたという経験が私にはない。
 だぁれも私には知らせることなどないってことか?

 それも確かにそうだが、そもそもこの機能って意味があるのだろうか?どーもよくわからない。
 そしてきっと今やこれを使っているところはないんじゃないだろうか?

 ところで先日自宅の無線LANルーターの、いつもは消えているランプがオレンジ色に光っていた。
 そのランプの役割は“お知らせ”。
 つまり何かの私に知らせたいことがあるときに、このランプはいつ気づかれるかわからぬまま、物言わず光り続けるのである。

Eikyoku 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「物云舞」(1979)。

 作品についてはこちらを参考にしていただきたいが、二十絃筝のための作品である。

 野坂恵子(現・野坂操壽)の演奏で。

 1980年録音。カメラータ。

  急がば回れ、みたいな……
 さて、無線LANルーターは私に何を知らせたかったのだろう?

 何か楽しいお知らせかな?と思いきや、どうやらファームウェアのヴァージョンアップをしなさいという親切な要IMGP0008求だった。

 説明書(といっても1枚ものだ)に書かれたとおりに進める。
 何ステップかを終えると、そのあとは画面に従って進めるように説明書には書かれていた。
 ところがうまくいかない。

 結局“画面で見るマニュアル”というのを開き、それに従ってヴァージョンアップを無事終えることができたが、取扱説明書で中途半端な書き方をするよりは、最初から「たいへんご面倒でしょうが“画面で見るマニュアル”を見なさい」と突き放された方がマシな気がしないでもない。

 昔のパソコンの分厚い、しかも3分冊くらいのマニュアルにも困ったものだが(いったいあれに何が書かれていたのだろう?まったくもってすっかりごぶさた、じゃなく、思いだせない。フロッピーディスクは口に入れないでくださいとか、マウスは猫の手が届かないところに置いてくださいとか書いてあったんだろうか?)、あまりにあっさりしているのもねぇ……

 なお、“画面で見るマニュアル”ではLANケーブルでパソコンとルーターを接続してやるように書いてあったが、無線のままでやってみたところ“お知らせランプ”は消灯。無事、成功したことを申し添えておこう(って、じゃあなんでLANケーブルで接続するようにって書いてあったのだろう?)。

 無線とも電話とも関係ない、豚の話。

 昨日、帯広駅前の行列ができる超人気豚丼店“ぱんちょう”に行った。
 並んでる人々を目にするたびに、夏は熱中症になるのではないか、冬は低体温症になるのではないかと他人事ながら心配とその根性に感心していたが、昨日は1時半ごろなのに行列はなく、また店に入ると空席さえいくつかあった。観光時期のハザマなのか?

 実はここに行くのは帯広に住むようになってから初めて。
 いや、前回ここで食べたのは出張で来たときでいまから10年以上前のことになる。
 が、店員さんたち(ALL女性)は1人の学生バイトらしき子を除き、みな留任しているように思われた(イメージ的に)。

 実はこの店、歴史と味は間違いないが、店員の態度が殺伐としているのでも有名。

 が、昔より良くなったように感じた。
 やはり、競合店を意識してか?
 ミシュランガイドにも載った“とん田”にトップの座をすっかり奪われた感があるもんな……(私はとん田に行ったことがない。並ぶのイヤ!)。

昔のニッポンのダンスってすごかったのね♪Eテレでの伊福部/鬢多々良

Hosokawa  伊福部の邦楽傑作
 先だってEテレ(いつの間にかこの呼び名が“教育テレビ”よりもすっかり浸透してしまってる。そのスピードに驚く。いまだにホーマックのことを石黒ホーマという人だっているというのに)で放送された、「にっぽんの芸能 古典芸能玉手箱 文楽Ⅰ 作曲家 伊福部昭の世界」という番組。

 この中で郢曲「鬢多々良(Bintatara)」(1973)が取り上げられた。

 「鬢多々良」の作品についてはこちらをご参考にしていただければと思うが、日本音楽集団が演奏することを前提に文化庁が伊福部昭(Ifukube,Alira 1914-2006 北海道)に依頼したもの。

 田村拓男指揮日本音楽集団の演奏によるCDも出ている(1981年録音。カメラータ)。

 今回放送された演奏がいつ収録されたものかわからないが、指揮者をおかない演奏。田村は打楽器奏者の一員として加わっている。

 CDの演奏よりもかなり奔放なもので、私の脳幹をズンズン刺激してくる。
 なかなかすごい。

 アドリブなのか、CDの録音が行なわれた81年よりあとに若干の改訂が行なわれたのかわからないが、CDに収められている演奏とけっこう違うのが能管。そして能管を吹いている人の表情や動きが、これまた気合十分って感じのもの。なんかアタシ、この怖そうな人を好きになっちゃいそう……

 曲の終わりに向けどんどんテンポアップし、手に汗握る乱舞って感じ。丁丁発止の掛け合いなのにアンサンブルの方は乱れないのがすごい。

 良いものを観させてもらった。

 演奏者は、

 篠笛:竹井誠,遠藤悠紀/能管:一噌幸弘/笙:宮田まゆみ/篳篥:八百合啓/龍笛:岩亀裕子/薩摩琵琶:久保田晶子/筑前琵琶:藤高理恵子/筝:吉村七重,木村玲子,山田明美/十七絃:丸岡映美/打楽器:田村拓男,藤舎華鳳,藤舎呂凰,島村聖香

 再放送もされたようだが、見逃した方は再々放送に期待すべし!

  一方的に「お久しぶりです」
 ところで、上のメンバーのうち、宮田まゆみの笙の演奏を生で聴いたことがある。

 2008年のPMFで細川俊夫の「笙と管弦楽のための『雲と光』」の独奏を務めたのである。

 6年ぶりにTVを通じてお顔を拝見したが、それも楽器でよく見えはしなかったが、なんとなく懐かしい思いがした。

二十絃筝という小宇宙の世界♪伊福部/物云舞

Eikyoku  典雅さへの思いから 
 昨日から私はお盆休みをとっている。

 このことは言うまいと思ったが、黙っている必要もあるまいと考え直し、ついでに今日は「物云舞(MONO YU MAI)」(1979)。
 伊福部昭(Ifukube Akira 1914-2006 北海道)が書いた二十絃筝の独奏作品。野坂恵子に献呈された。

 物云舞(ものいうまい)とは、平安朝中期に興った歌舞の一様式で、歌いながら舞うのがその特徴とされている。現在、その舞は伝わっていないが、歌詞は「群書類縦」などに十数首書き残されており、一般に見られる七・五調ではなく、一句の終わりが四と言うかなり不揃いな語数から成り立つ。この不揃いな部分が舞の仕草で補われたと考えられ、歌いながらその心情を舞うという様式がもつ典雅さへの思いが、この作品を各動機となった。

 と伊福部は書いている。

 つまり、“ものいうまい”は“ものを言わない”ということではない。
 黙っていることじゃないのだ。

 この曲は1979年の11月に行なわれた野坂恵子第8回リサイタルで初演されたが、野坂は次のように書いている。

 物云舞は、今は絶えた平安時代の芸能で、物を言い、歌いながら、舞うものであったという。歌われる詩句はしばしば字足らずで、足らないところは舞だけやったと考えられる。つまり、ずっと歌いながら舞うのではなく、歌い舞う箇所と舞うだけの箇所の組み合わせに物云舞という芸能の妙味があったと想像されるのである。そこから作曲家は、しみじみ語り歌い舞うような部分と急速な所作だけのような部分の交錯する《物云舞》を仕立てた。
 大きくは、緩急の組み合わせが二度繰り返される構成。緩も急も二度目の方が、より興がのって、規模も内容も膨らむ。
(「文藝別冊 伊福部昭」より)

  筝の音でこれほどワクワクするとは
 野坂恵子は郢曲「鬢多々良」を初演した日本音楽集団に属していたが、そういったつながりから伊福部による二十絃筝の独奏曲「物云舞」が生まれたのだろう。
 そして、このあと協奏作品である「交響的エグログ」が構想され、1982年に完成することになる。

 ふつうの筝は絃が13本。
 子どものころに望んでもいないのに、無理やり筝を習わされた私だが(最初の練習曲「ロバサン」とあと1,2曲で通うことから解放された)、13本でも多すぎるのに、20本とは……

20140814IceBurg だが、「物云舞」を聴くと、まるで小宇宙のような世界。
 音の1つ1つが星々のようにきらめき、放散される。
 メロディーはもちろんすばらしいし、優雅ながらも活発な動きがエキサイティングで、聴く者を魅了する。
 
 1980年録音。カメラータ。

 ところで、昨日の帰省、じゃないな、自宅に帰って来たんだから、ってまるで出稼ぎ先から帰って来たようだけど、とにかくそのあたりの道中のたいしたことでもない話は明日以降にご報告させていただく。

 帰ってくると、お庭のあちこちにクモの巣が私を捕らえようと張られていた。
 棒っきれで取り除いたわい。
 そんななか、バラではアイスバーグなんかが私の心のように純白に咲いてくれていた。

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