新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

ロシア国民楽派

これはマルハナバチなんだよ♪R-コルサコフ/熊蜂の飛行

  だってクマみたいに毛深いし……

 私はずっとクマンバチ(クマバチ)と呼んでいたのだが、どうやらクマンバチではなくマルハナバチのようだ。


 My Gardenにやって来ているずんぐりしたハチのことである。

 彼らはよっぽど紫色が好きなようで、ラベンダーやサルビアの花に集まってくる。

               ↓ どこにいるかわかるかな?

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               ↓ どこにいるかわかるよね?
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  外人さんですか?

 わが家にやって来ているのがそれかどうかはわからないが、セイヨウオオマルハナバチというのが在来種を追いやって勢力を増しているそうだ。だとしたら、セイヨウオオマルハナバチには厳しく対処しなくてはならない。でも、在来種と区別がつかないのでどうしようもない。


RKorsakovScheherazadeAshkenazy リムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908 ロシア)が書いた有名な「熊蜂の飛行(The flight of bumble bee)」も実はクマバチではないという。

 ロシア語はわからないが、英訳されたbumble beeというのはマルハナバチのことなんだそうだ。


 「熊蜂の飛行」は歌劇「サルタン皇帝の物語」(1900初演)の第3幕に出てくる曲。


 今日は組曲「サルタン皇帝の物語(The Tale of Tsar Saltan)」Op.57(1899)をご紹介。
 歌劇の中からリムスキー=コルサコフが『音画』として作ったものである。もちろん「熊蜂の飛行」も入っている。


 アシュケナージ/フィルハーモニア管弦楽団の演奏を。


 1986年録音。ロンドン(デッカ)。


 今日は北見から富良野経由で札幌に向かう。

果たして本名?謎に包まれた廉価な指揮者たち♪ボロディン/中央アジア

Recogei201806Renka   ビアンカはまったく知らない……
 『レコード芸術』(音楽之友社)6月号の特集は“アナログ絶頂期「1970年代」に生まれた名盤たち”。
 書店で表紙を見たときには“アングラ絶頂期”と読み違えてしまった私。

 それはともかく、その特集のなかで、“70年代 廉価盤の世界 ― 名作の文庫本のように”という記事を、芳岡正樹氏が書いている。

 30センチ・ステレオLPの千円盤が、はじめて発売されたのは1969年5月のこと。日本コロムビアが「ダイヤモンド1000シリーズ」として10枚の千円盤を発売したのを嚆矢(こうし)とすることに端を発する。但しアーティストはハンス=ユルゲン・ヴァルター、ギンペル、ビアンカなどと地味で、「安かろう、悪かろう」のイメージがついて回った。 

 「おぉっ!」と私はヒジョーに懐かしく思った。
 私はこの最初に名が出てきた指揮者の、まさに『ダイヤモンド1000シリーズ』の1枚を買ったのだった。

  《帯》に『1200円』のシールが貼られていた
 購入したのは1973年12月27日のこと。コーヨー無線西野店という記録が残っている。『カスタムパルコ』の1Fにあった店だ。
 価格はオイルショック後だったので、1000円ではなく1200円(か、1300円)になっていた。

 このLPに収録されていた曲は、

 ① L.モーツァルト/おもちゃの交響曲
 ② ウェーバー/歌劇「魔弾の射手」序曲
 ③ ボロディン/交響詩「中央アジアの草原にて」
 ④ ラヴェル/ボレロ
 ⑤ チャイコフスキー/スラヴ行進曲

 名曲集とはいえ、おそろしく統一性のない選曲である。 指揮者だが、①③⑤はハンス・イェルゲン=ヴァルター(芳岡氏はユルゲン=ヴァルターと記しているが)、②がヴィルヘルム・ブリュクナー=リュッゲバーグ、④がC.A.ビュンテ。

 ユルゲン=ヴァルターの名を目にして、なんかピンときた私は、なかなかすごいと自分でも思う。
 この名に再会できたのは、ラブラドライトのパワーのせいか(ラブラドライトには『再会する』力もあるそうだ。いや、単なる偶然と信じてやまない私だが)。

 どっちにしろ、これらの指揮者の名前については、その後現在に至るまで、目にしたことがない。
 なおオーケストラは、①②④がハンブルグ交響楽団。③と⑤がハンブルグ放送交響楽団である。

  いまは好きになった「スラヴ行進曲」
 どんな演奏かはあまりよく覚えていない。 けど、きっと“安かろう、良いとは言えないだろう”だったに違いない。
 その証拠にってわけでもないが、その後長らくの間-別な演奏を聴くまで-「スラヴ行進曲」も「ボレロ」もあまり好きになれない曲だった。

 でも、「中央アジアの草原にて」-この曲は手元にあった『オールカラー版 学研学習大百科事典』の第10巻『国語・美術・音楽・英語』のなかで、音楽鑑賞曲として詳しい解説が載っていた-は何度も聴いたし、それ以上に「おもちゃの交響曲」は楽しめた。「魔弾の射手」序曲も繰り返し聴いた。

SilvestriBox あのころの、夢多きわが若き時代を思い起こしながら、どうせなら当時聴きなれていたちょっぴり古い録音のサウンドで、ボロディン(Alexander Borodin 1833-87 ロシア)の交響詩「中央アジアの草原にて(In the Steppes of Central Asia)」(1880)。
 シルヴェルトリ/ボーンマス交響楽団の演奏を。

 1968年録音。EMI。

 シルヴェストリが指揮した録音は、当時、東芝EMIの千円盤レーベル(当時は1200円)であるセラフィムから発売されていた(うんこ色のジャケットがやれやれって感じだった。のちにグリーンがベースのものに変わったが)。

 私も、「シェエラザード」(R=コルサコフ。ボーンマスso)、ドヴォルザークの第8交響曲と序曲「謝肉祭」(ロンドンpo)などを持っていて、繰り返し聴いたものだ。 その演奏が懐かしくて、上で紹介したCDボックスを購入したのだった。

私の札響感動史(11)♪マリちゃんの想い出

SSO172nd  重鎮現る!
 札響が岩城時代(1975年10月正指揮者、1978年10月音楽監督・正指揮者、1981年8月音楽監督)になってから、集中的に(ってほどでもないが)客演した指揮者にジャン・バティストゥ・マリ(Jean-Baptiste Mari 1912- )がいる。

 1977年6月に行なわれた第172回定期演奏会では、ラヴェルの組曲「マ・メール・ロア」、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番(独奏:D.アレクセーエフ)、リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」を振った。

 当日のプログラムノーツには、マリのプロフィールが次のように記されている。


 パリのコンセール・ラムルー管弦楽団の首席指揮者。日本にも屡々(しばしば)来演しており,諸外国ではアメリカ,ドイツ,オランダ,ルクセンブルグ,スイス,ポーランド,ユーゴスラヴィア,ルーマニアなど数多くの国で活躍しており,シャルル・ミュンシュと共にオルケストル・ナショナールとのアメリカ演奏旅行で絶賛を博す。63年~69年にはパリ交響楽協会の会長をつとめている。札幌は今172回定期が初指揮。


 ONTOMO MOOK「指揮者のすべて」(音楽之友社:1996年)での記述はこうだ(執筆は吉村溪氏)。

 東フィルへの客演が多い。アルジェリアのパレストロに生まれた。父にチェロを教わり、同地の市立劇場の奏者を経験した後、パリ音楽院でP.バズレールに師事。26年にはレオポルド・ベラン賞を受けている。卒業後アルジェリアに帰国し、アルジェリア放送響のチェロ奏者として様々な指揮者の下で研鑽を積んだ。46年からパリなどで本格的に指揮活動を始める。62年にラムルー管の常任指揮者に就任。76年まで同ポストにあった。その間フランス交響楽協会の会長を2期務めている。81、85年来日時のライヴが東フィル創立80周年記念の「名演集」の中に収録されており、ドビュッシーの「小組曲」や「アルルの女」組曲は濃厚な表情を伴った熱い演奏。

 「小組曲」で濃厚で熱いというのが想像できないけど、まあ、それはよいとして、何度か来日しているわりにはそんなに話題にならないのは評価が高くないのか?
 いや、これがN響ならテレビに映っちゃって、国内での知名度はそれなりに上がった可能性もある。


 もともとはチェリストだったところは、P.シュヴァルツと一緒だ。単なる偶然だろうけど。


 1912年生まれということは、77年のときにはまだ65歳くらいだったわけだが、元気ながらもけっこう老いて見えた。そのせいか、風貌はまったく異なるのだが、エリシュカを最初に見たときにはマリのことを思い出してしまった。
 重鎮とは書かれているが、当時は外国人指揮者ならメジャー・レーベルに録音しているようじゃないと二流みたいに見られる風潮があったが、世が世ならマリだってエリシュカのようにブレイクしたかもしれない。

  工藤の魅力をたっぷり引き出した指揮
 私がマリの演奏を聴いたのは、初来札となった第172回を含め計3回。

 残りの2回は、

 第198回定期('79.11.20)
  ・ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲
  ・イベール/フルート協奏曲(独奏:工藤重典)
  ・ベルリオーズ/幻想交響曲


SSO198th

 第205回定期('80.6.23)
  ・シャブリエ/狂詩曲「スペイン」
  ・モーツァルト/ピアノ協奏曲第17番(独奏:小林道夫)
  ・ムソルグスキー(ラヴェル編)/組曲「展覧会の絵」


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 このころは、定期会員をずっと続けていながらも、何かと忙しくというかちゃらちゃら出歩いている状況下になく-なにせ浪人生の身-コンサートに行けないことが多かったのだが、マリが登場するときには欠かさず-といっても3回だが-足を運んでいる(3回目のときは定期会員をやめていた)。

 マリが登場するときのプログラムが、またまたか、たまたまか、私好みの曲ばかり。その点でもひじょうに印象に残っている指揮者だ。
 ただ、プログラムが魅力的だっただけではない。マリが登場した夜は、いつも盛大な拍手がおくられた。つまり、札幌の聴衆にとっては毎度毎度期待を裏切らない良い指揮者だったのである。

 私もどの回も、日々の憂うつから解放してもらうことができたのだった。やっぱりマリちゃんは私を裏切らなかったのだ。

 第172回は、1曲目のラヴェルの「マ・メール・ロア」がとってもチャーミングに演奏された(ような気がする。あるいは濃厚だったのだろうか?)。
 プロコフィエフの第3協奏曲も興奮もの。そして、「シェエラザード」で叩きのめされた。

 第198回は、私のとって初めての生「幻想」だったが、打楽器奏者の動きとその響きにすっかりメロメロ。
 受験勉強なんてやめて、大太鼓奏者の弟子入りをさせてもらいたいと思ったほどだ。
 札幌出身の工藤重典のテクニックも最高!演奏後のカーテンコールでマリが工藤を盛んに讃えていたのが印象的だった。

 第205回は最初の狂詩曲「スペイン」が、これまたチャーミングで楽しくて……
 で、この日の演目でいちばん印象に残っているのも、シャブリエである。
 
 私が知る限りでは、マリが札響を振ったのはこの3回。
 それが正しいとすると、なぜそのあと来なくなったのか気にかかるところ。

 まだご健在なのだろうか?いや、100歳超えてるってことになるからなぁ……

  岩城/札響 黄金時代の1枚
 リムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908 ロシア)の交響組曲「シェエラザード(Scheherazade)」Op.35(1888)は、札響でも何度も聴いている作品。

 そのなかでも強烈に印象に残っている演奏は、この曲を初めて聴くことになった北電ファミリーコンサート(指揮は飯守泰次郎)だが(ここでも触れている)、現在、札響の「シェエラザード」では岩城宏之が指揮したCD(SACDハイブリッド=通常のCDプレーヤーでも再生できる)がリリースされている。

SSO263rd

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 1985年10月に行なわれた第263回定期演奏会のライヴ。

 岩城にしては-という言い方はまっこと僭越だが-情感豊かにたっぷりとメロディーを歌わせていて、アンサンブルもピシッと決まっている、ドンチャン騒ぎに陥らない高レベルな演奏。

 なのに私には記憶がない。
 会場で聴いた音楽も、ステージの光景もすっぽり記憶から欠落している。

 どうしちゃったのかしら、ワタシ?
 んっ?だから勉強しても頭に入っていかないんだって?
 それって、核心を突きすぎです。

 なお、もともとレコーディングするために収録した音源ではないため、音響的にはちょっぴりハンデがある。
 だが、透明度の高い札響サウンドはきちんと耳にできる。

30年ぶりの稚内②♪R-コルサコフ/3つのロシアの歌による序曲

  アーケード街に響き渡るのは?……
 稚内駅から、とりあえずなんとなく少しはにぎわっていそうな、北洋銀行やサツドラの看板が見える方へ足を向ける。

 そこは中央アーケード街というところの入り口だった。
 中央アーケード街を進んでみる。

 平日の昼間ということで、人影はまばら未満。シャッターが下りている店も多い。
 スピーカーからなぜか祭囃子のような音楽が流れている。なぜ、祭りなんだろう?祭りが近いのだろうか?でも、雰囲気にそぐわないし、かえって物悲しくなる。

 それにしてもさすが稚内だ。店の日本語表記よりも、統一されたロシア語表記の方が目立つ。
 マトリョーシカもかわいいではないか!太り過ぎではあるが……

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 アーケード街にもラーメン屋があった。
 が、店の中の様子をうかがい知ることができず、ちょいと勇気がなくそのまま通り過ぎた。

  店主はSUZUKI派?
 私は国道には戻らず、山側の道(たぶん道道)を南稚内に向け進んだ。

 入り口がいかにも昭和半ばの雰囲気を感じさせる薬局。
 でも、上の看板によると“株式会社”のようだ。やるねぇ。

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 この店は、明らかにH〇N〇〇の方には力が入っていないと思われる。

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 ここが稚内という名の発祥の地なんだそうだ。立て看板によると。

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  私のお肌、ほんとにきれいになりますか?
 あのぅ、いえ、見た目で判断してはいけないのはわかってるんですけど、ここでワタシ、本当に美しくなれるんでしょうか?ちょっと心配です(写真を拡大してみないと書いている意味がわからないかも)。

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 なぜ“おおかみ”なのか、私にはわからないのですが、山本さん。

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 では、今日はマトリョーシカがCDジャケットに描かれているものを。
 ただしあらかじめ断っておくが、このディスクは廃盤になってしまっていると思われる。

RKorsakovVox リムスキー=コルサコフ(Nikolai Andreevich Rimsky-Korsakov 1844-1908 ロシア)の「3つのロシアの歌による序曲(Overture on 3 Russian Themes)」Op.28(1866/改訂1879-80)。

 このディスクは2枚組のR-コルサコフの作品集で、Op.28の演奏はMaga指揮Bochum交響楽団。

 1978年録音。VOXBOX。

 空腹なまま、私の徘徊はまだ続く。


20年ぶりのオリエンタル♪五嶋みどりによるキュイ唯一の有名曲

Cui_Midori  安全のためとはいえ、やり過ぎでは?
 あさってから道北-つまり北海道の北の方-に出張なので、この週末は自宅に戻ってきている。

 先週は北海道も(北海道としては)かなりの暑さだったということで、この先の一層の地球温暖化にも備えるため、わが家のリビングにもいよいよもってエアコンをつけなければならないかもと、水曜日から妻と非公式に電話会談による協議を始めた。

 妻が複数の家電量販店に問い合わせたところ、エアコンを設置する場合は専用回路のコンセントが必要であり、それがないと取り付けできないという(そのことは昨年知った)。

 これは法律で定められたことではなく、業界(メーカーと家電量販店)の自主規制なんだそうだ。

 いまから6~7年前に子供部屋の1つにエアコンを取り付けたときは、購入した家電量販店でそんなことは言われなかったので、ここ数年の間にできた規制なのだろう。子供部屋のエアコンは、ふつうにコンセントに差し込んで使っている。

 確かにタコ足配線だと発火する危険性がある。あるいはリビングなどで比較的大きなエアコンをつけるとなると専用回路があった方が安心だ(あるいは200Vなら、専用回路にせざるを得ない)。

 しかし6畳程度の部屋で使う-それも毎日ではなくたまに-小さめのエアコン(15A以下)を取り付けるのにも専用回路が必要となると、ちょっと規制しすぎなんじゃないかと思う。
 そのうち、電気ストーブを使う場合も、アイロンを使う場合も、あるいはハンダごてを使う場合にも専用回路が必要と言いださないことを願っている。

  商品だけの販売はできかねます
 いまのところ予定は全然ないが、将来リビング以外の部屋(6畳や8畳)にエアコンをつけたいと思っても、家電量販店に頼む限りは専用回路のコンセントをつけないと設置してもらえない。あるいは、現在子供部屋についているエアコンの寿命が来て買い替えようとした場合も、今度は専用回路が必要となる。

 実は昨年の秋に、ある家電量販店でエアコンが安くなっていたので購入を検討したことがある。
 そのときに初めて専用コンセントが必要だということを知った。そのエアコンは100Vのタイプだったのでふつうのコンセントに差し込んで使えばいいと思いきや、それはダメという。

 では回路を設けるにはと見積もってもらうと、けっこうなお値段。結局、取り付け工事費込だったにもかかわらず、専用回路だのなんだので、見積り額は本体価格の倍くらいになった。
 しかも、納戸の中にあるブレーカーから壁に穴をあけて専用回路のコードを引き出し、キッチンやリビングの壁にコードを這わすという見た目も鮮やかな隠し事なしの工法。それじゃみっともないので取り付けをやめたのだった。

 その後、ハウスメーカーに聞くと、床下を這わして壁の内側にコードを通してコンセントを作ることができるということだった(ヨドバシもそうできると言っていた)。

 今回あらためてハウスメーカーに聞いてみると、リビングに専用回路を引っ張るのは4万程度でできると言う。また、ハウスメーカーでもエアコンを扱っていると言う(もちろん取り付け工事もできる)。
 回路の工事は価格面と、そして家の構造を熟知している観点からハウスメーカーに頼んだ方が良いかなと思っている。家の構造という点では、取り付け工事もハウスメーカーに頼んだ方が安心できる。
 
 私に残された選択肢は次の4つ。

 ① 家電量販店に回路の工事とエアコン購入・取り付け工事の一切を頼む
 ② ハウスメーカーに回路の工事とエアコンの購入・取り付け工事の一切を頼む
 ③ 回路の工事のみハウスメーカーに頼み、エアコンの購入・取り付け工事は家電量販店に頼む
 ④ 家電量販店からエアコン本体のみを購入し、回路と取り付け工事はハウスメーカーに頼む

 ただし、新製品が安いらしい家電量販店-私は新製品を買ったことがないのでどれくらい安いのかわからない-に電話で問い合わせると、④には応じられないと言っていた。
 専用回路の有無が分からない先に売るのは自主規制に反するからだろう。

 あとは価格を比較して、どちらから買うか、あるいは今年も購入を見送るか考えることする。
 と、言ってる間に決断と、そして買うと決めてからも納品まで時間がかかり-実際、1カ月待ちというところもあるらしい-すっかり涼しくなってしまっている可能性もある。

 なお、専用回路の工事をしてもらうにしろ、安いからといって悪質な電気工事会社に頼むととんでもない工事になっているケースもあるようだから注意が必要だ。

  良く言えば“渋い”?
 先日キュイ(Cesar Cui 1835-1918 ロシア)の「オリエンタル(Orientale)」を取り上げたが、そのときに自分で聴いてもいないのに紹介した五嶋みどりのCDを購入、ちゃんと聴いてみた。

 この曲を聴くのはおよそ20年ぶり。

 こんな曲だったっけ?

 考えてみれば、私がむかし聴いていた演奏は、トランペット・ソロとヴァイオリン合奏用に編曲されたものだった(ドク・シツェルのトランペットとボリショイ劇場ヴァイオリン・アンサンブル)。だから、オリジナルのヴァイオリンとピアノのものより華があったのだろう。
 今回聴いた感想は、「あら、まぁ、地味でございますこと」

 キュイの作品中最も有名な作品がこれなら、ほかの作品が忘れ去られてしまっているのも納得。同時に、キュイが置かれているいまの立場もやむを得ないと理解できた。

 みどりさんに落ち度がないのはもちろんのことである。

 ピアノはマクドナルド。

 1992年録音。ソニークラシカル。

この変化、まんげきょうのごとし?♪キュイ/オリエンタル

  金の風が吹くぅ~
 イギリスだのフランスだのと書いてきたが、もちろんアメリカで作出されたバラもある。

 ここで突然業務連絡。

 Goten Morgen!若園課長!
 昨日はおいしいハラミにサガリにロースにタンにキムチに冷やし担々ミェンに野菜各種、ごちそうさまでした!

 以上、業務連絡終了。


 My Garden ですでに咲き始めているアメリカ生まれのローズちゃんは、“カレイドスコープ(Kaleidoscope)”(1998年 John Walden)と“ゴールデン ウィングス(Golden Wings)”(1956年 Shepherd)。


 カレイドスコープとは“万華鏡”のこと。
 このバラは万華鏡のように、とまではいかないが、開花してから散るまでに花色が変化する。


20170702Kaleid

 ゴールデン ウィングスはロサ・スピノシッシマという原種バラを親にしており、大輪で目立つが見た感じも原種バラっぽい。

20170701GoldenW


 どうも私が知る限りでは Made in USA のバラは、ERなどに比べ華やかさ、上品さに劣る気がする。

  唐突ですが……
 ところで、あなたはロシアの国民楽派ともいうべきロシア5人組の名前を全員しっているだろうか?

 ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフ、ボロディン、、、えっとえっと、、、、あっ、バラキレフ、、、んーと、あれあと1人誰だっけ、、、、えーと、、、、……Time up!


 それはキュイ(Cesar Cui 1835-1918)である。


 ムソルグスキーには「展覧会の絵」や「はげ山の一夜」が、R-コルサコフには「シェエラザード」が、ボロディンには「だったん人の踊り」といった、広く知られている作品がある。


 バラキレフにはそういう曲はないが、5人組の中で指導的立場にあった人物だし、いくつかの作品の録音も出ている。


 ところがキュイとなるとまったくといって知られていない。
 ここ数十年でキューイフルーツが日常の暮らしに当たり前のようになったのとは対照的だ。唯一生き残っている作品は「オリエンタル」だけだ。

 「オリエンタル(Orientale)」はキュイが1893年に書いた24曲からなるヴァイオリンとピアノのための「万華鏡(Kaleidoscope)」Op.50の第9曲。

 まさにオリエンタルなメロディーが心に残るのだが、実はこれはセルビア民謡「明るい太陽」から採られたもの。同じメロディーはチャイコフスキーの「スラヴ行進曲」などでも使われている。


 かつて私はエアチェックしたものを聴いていたが、カセットテープを処分したあとは音源が手元にないまま。20年以上耳にしていないことになる。

 ここでは五嶋みどりが弾いた演奏のCD(Midoriさんがこれまでソニークラシカルで録音した演奏を10枚のCDに収めた超お買い得盤)をご紹介しておく。当然、現時点で私は未聴(が、注文しちゃった……)。

  ぶんぶんぶん、蜂が飛ぶ
 バラ以外の植物では、ラベンダーが開花間近。
 サルビアは満開でハチたちの憩いの場となっており、名前はわからないがブルーの花も旺盛に開花中だ。

20170702Laben2

20170701Sarubia

20170701Garden

 オリエンタルカレーが食べたくなってきたな……

夕方のベランダに流れる煮込みの香り♪ボロディン/よその家では

20170523Curry  おぉ、魅惑の香り
 昨日の夕方。

 洗濯をして干してあったシーツとバスタオルを取り込もうとベランダに出ると、あの匂いがした。

 カレーの、カレールゥを入れる前の、肉や野菜を煮込んでいる匂いである。

 それは隣からなのか、階下からなのか、はたまた上の部屋からなのかわからない。

 が、私は無性にカレーが食べたくなり、その日の夜はご飯ものについてはお茶漬けにしようかと考えていたのを変更(もちろんお茶漬けの前に、ササミをソテーしたりしてハイボールの友を作ることは考えていた。レタスだって買ってあるし、いざとなったら鯖缶のストックもある。夕食にお茶漬けだけを食べてふて寝するわけではない)。

 ボロディン(Alexander Borodin 1833-87 ロシア)の歌曲「よその家では(At the Homes of Other Folk)」(1881)。

 ここに詳しく書いたように、よその家の豊かな暮らしに比べ、自分の暮らしときたら……と嘆く内容。詞はN.I.根暗ネクラーソフ。
 素朴さがかえって心にしみる曲だ。

 Dyadkovaのメゾ・ソプラノ、ロジェストヴェンスキー指揮ロイヤル・ストックホルム・フィルの演奏で。

 1993-94年録音。ブリリアント・クラシックス。

  むかし魚肉ソーのクリームシチューってのは食べたけど
 さて。
 よその家の夕げの匂いにすっかり感化された私だが、冷蔵庫の中にはタマネギもニンジンもない。肉は鶏のササミしかない。なぜかカレールゥはある。魚肉ソーセージカレーという奇異なるものも頭に浮かんだが、そんなものを何食にもわたって食べ続けるのはいやだ。

 そのとき、先般氷山係長がこちらに来たときのおみやげでいただいたレトルトカレーのことを思い出した。

 レトルトといっても、自称“上等カレー”である。大阪で大人気と書いてある。
 しかもなかなか食通な氷山係長のセレクトなのだ。
 大いに期待できそうだ。

 さぁ、食べるぞ!

 と思いきや、ササミ3本とレタスとキムチ&ハイボール(杯数は内緒)で満腹。

 これからトライ。

 イチローの朝カレーも真っ青の早朝カレーだぁ!(こういう食生活でいいのかね?)

読売新聞と共謀?♪R=コルサコフ/シェエラザード

RKorsakovScheFed  特定の新聞を読みゃあわかることだよ!
 ここでは、あまり政治のことを書く気はないけど、最近のABE首相の、人を小ばかにしたような態度はいかがなものかと思ってしまってワンワンワワンなので、ここで不満をグチグチ……

 「読売新聞を熟読しろ」なんて発言は、とても国会での答弁にふさわしいとは思えない。
 こうやって核心に触れることなく、微妙に論点をずらし、あげくには訊いている方が悪い、レベルが低い、やかましいっていう言いぐさだ。

 「みなさん、そんなエキサイトしないでください」って笑顔(これまた、嘘くさい笑みに見える)でかわしているが、ユーモアにもなっていない。
 上から目線であり、そうやってはぐらかせている。

 私はふだんは職場で朝日新聞を読んでいるし、自宅で購読しているのは北海道新聞。ときおり郵便受けに入っているまんまる新聞にも目を通している。

 読売新聞を読んでいない人間は、国政について知る権利がないというのだろうか?

  とはいえ、千夜一夜は全然困るけど
 あるいはこの件をどうするつもりなのか?ほとぼりがさめるのをひたすら待つつもりなのだろうか?
 国会での質問にも「ズブズブとかやめた方がいいですよ」と、質問内容より、まずは相手の言葉遣いを“諭して”いたが……

 暴君シャリアール王に聞く耳をもたせたシェエラザードは、日本にはいないのか?
 
 リムスキー=コルサコフ(Nikolai Andreevich Rimsky-Korsakov 1844-1908 ロシア)の交響組曲「シェエラザード(Scheherazade)」Op.35(1888)。

 フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団の演奏は1981年録音。

 ところでGWで長い間部屋を空けていたが、帰ってみるとオリーヴの木は、1枚の葉も落ちずしっかりと乾燥に耐えていた。
 もちろん私はたっぷり水をあげた。

 そのときちょっと木に触れてしまったが、するとパラパラパラパラと一挙に葉が床に散らばった。
 全体の半分くらいの葉が落ちてしまった。

 やっぱり10日以上の断水は過酷すぎたようだ。
 でも、勝手に散らばせずに、私が帰るのを待ってこれ見よがしに落葉するのが心憎い。

 そしてまた、年に2回か3回しか回ってこない回覧板が玄関外の廊下にある郵便ポストに。
 私のところで10日も止まっていたのだ。

 やれやれ。すいません。

 急を要する内容じゃなかったのがせめてもの救いだった。

「か」が抜けててかわゆ~ぃ!♪ボロディン/中央アジアの草原にて

P1050456  ローカルでの高速の必要性
 さて、無線LANディスク(NAS)の話である。


 前回書いたように、これまでもインターネットを利用する分には、さして遅さを感じていない私だった。しかし、PC と NAS(NAS というのは Network Attached Strorage の略) の間の通信速度の遅さに、「カメか?こいつは!」と、困ってしまってワンワンワワンになってしまった。

 契約している光回線の速度以上の能力をもつ無線LANルーターを使う意味なんてないという人もいる。
 だが、光回線による外界との通信以外の、室内の閉鎖されたネットワーク(ローカルネットワーク)の中では、高速な環境でないとみじめな思いをするケースもあるってわけだ。
 私もNASを使い始めるまで、そんなこと考えたこともなかった。

 無線ルーターの方は最大 867Mbps の能力がある。

 なのにカメ並みの速度しか実現しないのは、PC側の事情による。
 それはわかっているが、それにしても遅すぎないか?

 私が使っているNASはデータ転送の速さを前面に打ち出しており、その最大転送量は116MB/s(理論値。以下も特に断らない限り同様)である。
 だから、1秒間に116MBという最大値ははなから実現しないとわかっていても、せめてその半分、いや3分の1の恩恵を授かりたい。


  8bps=1B
 釈迦に説法かもしれないが、ここであらためて単位について説明しておこう。

 通信速度で出てきた Mbps は Mega bit per second の略で、1秒あたりに送れるビット数である。
 54Mbps なら 1秒間に54メガビットのデータを転送できる。


 1B(バイト)は8ビットなので、bps をバイトに換算するには8で割ればいい。
 300Mbps ならば1秒間に 300÷8=37.5 メガバイトのデータを送ることができる。54Mbpsだと 6.75MB だ。

 逆にこのNASの転送速度116MB/sをビットに換算すると 、928Mbps。だからいま使っている867Mbps(108MB)の無線LANルーターでは能力不足。どんなにがんばっても最大値は108MB/sまでということになる。


 ちなみにマウスやUSBメモリ、あるいは外付HDDを接続するUSBポートの速度は、USB3.0で5Gbps(625MB)、USB2.0 だと480Mbps(60MB)である。

 つまり、このNASが理論値通り働いたあかつきには、同じデータならUSB2.0ポートに挿しこんだUSBメモリへ転送する場合に比べると、約半分の所要時間で済むことになる。

 
 ところがである。

 リッピングした音源ファイルをNASにコピーして、私は立ちくらみがした。

20170128NAS1730K  1ケタ間違ってません?
 転送スピードが2MB/秒前後しか出ていないのである。
 換算するのも虚しいが、16Mbpsである。


 このPCの内蔵LANががんばってだしている平均通信速度は 54Mbps(6.75MB)だ。

 だったらせめてそれに近い 6MB くらい出てくれてもいいようなものだ。私がPCならそのぐらいのことは果たしてご主人様を喜ばすに違いない。

 単純な計算になるが、取り込んだCD1枚分のFLAC音源ファイルのサイズを 400MB と考えると(FLAC形式に圧縮しない、CDそのものの最大容量は700MB)、 この圧縮ファイルを毎秒 2MB で送るのに 200秒、3分もかかることになる。
 6MB のスピードが出てくれれば約1分。

 3分ぐらいならいいじゃないかって?
 まっ、カップヌードルが出来上がると同時に、転送は終わる。
 
 でも、1枚ならいい。がまんもできる。


 先日、すでに外付HDDに取り込んであったCD約100枚分のファイルをNASにコピーしたところ、5時間以上かかった(コピー当初は終わるまで14時間かかるという途方に暮れる表示が出た)。
 朝起きて作業を開始し、その間シャワーを浴び、朝食をとり、コーヒーも飲み、スーパーに買い物に出かけて帰ってきて、さてお昼は何にしようかしら(マルちゃん正麺のしょうゆと味噌のどちらにしようかしらん?)とぼちぼち考え出したころに、ようやくコピーが終わったのだった。

 転送速度が 2MB って、いくらなんでもひどすぎないか?
 NASが本来持つ能力の1.7%しか発揮していないことになる。

 送るのが遅いということは、当然受けるのも遅い。
 NASにある音源をPCで再生すると、それだけだと問題ない。
 こういう計算が正しいのかどうか自信はないが、400MBに圧縮された音源ファイルが再生時間で70分とする。
 1秒あたりのサイズは0.095MBなので、NAS→PCに毎秒2MB平均で信号が送られてくれば、音楽再生に遅れを取ることはない。
 ただこのように再生しているときに別な作業でNASにアクセスすると、CDでひどい傷がある箇所にピックアップが差しかかって、そこで進めも戻れもせずに繰り返しキュインキュインするような状態になる。別なアクセスと競合し転送速度が極端に落ちてしまうのだ。

 私は設定が間違っているのではないかと調べた。

 だが、マニュアルを見ても「カメモードになっていませんか?」なんて書いてないし、そもそもマニュアルに書かれているとおりに設定したわけで、ほかに手の施しようがない(どういう原因が考えられるのか見当がつかない)。手の施しようがないので、設定に間違いはないと信じるしかない。本体の正面と背面のランプもみな正常に光っている。

 NASはLANケーブルで無線LANルーターに接続しているわけで、この間の大きな減速は考えられない。
 つまり、PCと無線LANルーターの通信速度を上げるしかない。

 いまの平均速度 54Mbps をもう少し向上できないか?PCの能力限界の 300Mbps にできるだけ近づけることができないか?
 せめて最大値の半分の 150Mbps にまで上がってくれれば、単純に54から150へと3倍の 6MB は出るかもしれない(どっちにしろみみっちい話だ)。

 速度アップというほとんど無理そうな困難な課題に、私は真正面から取り組むこととした。


networkmap1  ふだんは物置部屋になっていr部屋でゴソゴソと
 まず、無線LANルーターの設置場所。

 私はリビングでPCを使っている。しかし無線LANルーター(図のAirPort**)は、トイレの前を通って玄関側の別な部屋にある(といってもわからないだろうけど)。
 というのも、光回線のジャック(モジュラージャック)がその部屋にあるからだ(図の地球の絵にあたる)。

 まず、その部屋の隅に置いてあったルーターを壁から離し、できるだけ中央に置いた(部屋の一辺の中央ということで、部屋のど真ん中ではない)。これで少しは電波が強くなるかもしれない。

 また電波干渉を避けるために、ワイヤーラックの上のルーターの横に置いてあるコードレス電話を、できるだけ離すために床に置いた。

201701IOSupport 電話が日常過ごす部屋にないのは極めて奇妙なことだが、上に書いたようにモジュラージャックがあるのはこの部屋だけ。だから、ホームゲートウェイ(図のPR-**MI)につながなければならない電話の充電器(台座)は、悲しいかな、この部屋に置くしかないのである。


 もっとも、2.4GHz帯の電波はコードレス電話や電子レンジの干渉を受けると言われるものの、これまでの経験では電話を使ったりレンジを使ったときに通信が切れるといった現象に遭ったことは私はない。
 それにコードレス電話機は、使わずにただ充電器の上に置かれている分には、電波は出していないだろう。たぶん。

 アイ・オー・データ機器のサポート・ページを見てみると、USB接続した外付HDDが電波干渉することがあると書いてあった。

 外付HDDはPCのすぐ横に置いてある。
 これは改善につながるかもしれない。

 HDDに付属していた 1m のUSBケーブルを、2m のものに取り換えてPCから離してみた。
 にしても、そんな甘えた聞き方しないでぇ。


 ついでに-関係ないと強く思っているが、絶対に関係ないとは(私の知識では)言い切れない-“ワイヤレスネットワークのプロパティ”で“インテル接続の設定を有効にする”を“無効”にした。
 同じ画面で“さらに優先順位の高いネットワークが利用可能な場合は、そのネットワークに接続する”のチェックも外した。

PSPriolity

 こうすることで、もっといいところがないかなぁとキョロキョロせずにAirPort**一筋で腰を据えてくれるだろう。落ち着いてくれることで、通信が安定するかもしれない。

  床に正座、から救われた電話機

 そのあとで“ワイヤレスネットワーク接続の状態”を見てみると、おぉっ!

PS130M

 たまに 54.0Mbps の数値が出るが、78.0、104.0、117.0、130.0、144.0 という、大喜びでとまではいかないまでも、努力が報われる数字が表示されるようになった。

 コードレス電話はまた元の位置に戻した。それで速度がまた落ちることはないようなので、おそらくはPCの近くにあったHDDと、ほんの30cm程度だが中央寄りにルーターの位置を動かしたことが功を奏したと思われる。

 でも、ここに表示される速度って、PC⇔ルーター間の速度なんですよね?
 そのことも、実は私には確証がない。

 期待に胸ふくらませ、でもどうせだめだろうという自虐的な気持ちの中、ふたたび外付HDDからNASに音楽ファイルをコピーする試験を行なった。

 ▽※$◆%?……

 まったく速度は変わらない。
 自虐は的中した。
 まいった……

 とそのとき、私はあいつのことを思い出した。……まだ続く

  コンパクトだが、交響詩の傑作
 ボロディン(Alexander Borodin 1833-1887 ロシア)の交響詩「中央アジアの草原にて(On the steppes of centrak Asia)」(1880)。

 交響詩と呼ぶには小さな(身近な)作品だが、交響詩-標題音楽の1つの形式だが-で、これほど情景がわかりやすく描写されたものはない。

 ひじょうに有名だが、ポピュラーになりすぎて、逆にいまでは演奏されたり、聴かれる頻度が落ちているかもしれない。

 作品についてはこの記事で詳しく書いているが、場所は中央アジアの草原。

 アジアの隊商がロシア兵に護衛されながら進んで行く様子を描いたもので、楽譜の扉には以下のように記されている。

 《見渡すかぎり広々と広がる中央アジアの広原を平和なロシアの歌が不思議な響きを伝えてくる。遠くから馬とらくだのあがきに混じって東洋風の旋律が響き漂う。アジアの隊商近づく。かれらはロシア兵に護衛されながら果てしない砂漠の道を安全に進む。近くなり、やがて遠ざかっていくロシア人の歌とアジア人の旋律がうまく合して不思議なハーモニーを作る。そのこだまは次第に広原の空へ消えていく》(全音楽譜出版社のミニチュア・スコア解説より)。

 ここに書かれている通り、ロシアの歌とアジアの歌が交互に聴こえてきて、それが融合し、遠のいていく。
 いやまったく、いつ聴いても新鮮な気分にさせられる。

 N.ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団による、このような小さい曲ながらも丁寧に、そして民族色がきちんと表現されている演奏を。

 1989年録音。グラモフォン。

魔物が去り実に清澄なる朝が来た♪ノヴァークのムソルグスキー/はげ山の一夜

MussorgskyPictureNowak  絶妙なるバランス
 前にラヴェル編ではない「展覧会の絵」を紹介したノヴァーク指揮ロイヤル・フィルによる、本日はムソルグスキー(Modest Petrovich Mussorgsky 1839-81 ロシア)の「はげ山の一夜(Night on the Bare Mountain )」(1867/改訂1886【R-コルサコフ編】)。


 ここにも記しているように、この曲は、聖ヨハネ祭の前夜のはげ山で魔物や幽霊などが現われて大騒ぎするが、夜明けとともに消え去るという言い伝えを音楽化したもの。


 ノヴァークの演奏はパワフルさは充分ながら、ギスギスしない常に上品な装いを失わないもの。
 そのため土臭さあるいはロシア的な臭いは強烈ではないが、都会的に洗練されてつまらなくなっているわけでもない。
 このあたりのバランスが絶妙である。


  心洗われるような美しさ
 そしてこの演奏で特筆すべきは化け物たちが去り夜明けを迎える時のクラリネットやフルートのソロの美しさ。
 もう化け物が去ったというのに、別な点で背筋がゾクゾクさせられる。
 上手いなぁ~。

 ここだけでも一聴の価値ありだ。


 2010年録音。Royal Philharmonic Orchestra。


HanafudaSusuki はげ山というと、どうしても花札の8月に当たる“すすき”の絵柄を思い浮かべてしまう。これは山を描いたものではないのだが ― 芒(すすき)である ― 私にははげ山に見えてしまう。みなさんはいかがだろうか?
 なお、私の母方の祖父はボンズと呼んでいた。

 そしてまた、私は「はげ山の一夜」の名を目に、耳にするたびにこれを連想してしまうことにけっこう嫌気がさしている。だがこの呪縛から逃れられない(花札好きということではまったくないので、念のため)。

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