指定席区分は1等、2等
 中学生のときに旧友に会いに浦河まで急行「えりも」に乗って小旅行をし、静内か鵡川で駅弁を買って食べたことを先日書いた

 その記事を読んでくれた氷山さんから「昔は急行が多く走っていたことはなんとなく知っていましたが、日高本線から直通して札幌までいく急行もあったんですね」と書いたメールが届いた。

 そーだよな。
 若い人は知らないよな。
 さらにもっと若い人は、日高本線は鵡川までと思っているだろうし。

 ということで、自分の頭の中を整理するために(当時の急行に関し)、1968年10月(ヨンサントオと呼ばれる大規模ダイヤ改正)の復刻版時刻表でまずは千歳線とそこから分岐する線を走っていた急行について、あらためて確認してみた。

196810千歳線

 まず現在と大きく違うのは、指定席が1等と2等という設定であること。2等は現在の普通指定席であり、1等はグリーン車だ。
 そしてまた、特急列車には食堂車が連結されている。

 あのころ札幌と函館を結んでいたメインの列車は急行「すずらん」。
 季節列車の「すずらん1号」の48分後には特急「北斗1号」が出発しているが、函館着は「すずらん1号」が11:48、「北斗1号」が11:55である。

  苫小牧でいったんホームを出発する「えりも」
 さて、札幌発の急行列車を見ると、日高線を走る様似行きの急行「えりも1号」は単独運行だが(「えりも」にも指定席の設定があったのだ)、そのあとの12:00発の急行「えりも2号」は室蘭行きの急行「ちとせ3号」、洞爺行きの急行「とうや2号」の2本と連結して出発する。
 苫小牧で「えりも」を切り離し、室蘭で「ちとせ」を切り離すのである。
 私も子どものころ何度もこういった他方面行きの列車が連結された「えりも」に乗ったが、苫小牧では列車が到着し乗客を降車させたあと、「えりも」の車両は切り離されていったんホームからいなくなってしまう。それを知らないでホームに降りていたりすると、置き去りになったと思いひどく焦る。そんな記憶がある。

 「ちとせ2号」は「えりも」ではなく、「とうや2号」と札幌行きの急行「いぶり」との連結である。
 室蘭で「ちとせ」を切り離し、伊達紋別で「いぶり」を切り離し、「とうや」は洞爺へと向かう。
 「いぶり」は札幌発札幌行きの列車である。

196810TimeTable

 ところで、千歳線の時刻表を見ると、定山渓行きの列車が載っている。
 あるいは千歳行き8:29発の726D 列車ではカッコ書きで『定山渓着11:43』という記載がある。

 当時は定山渓鉄道が運行されていて、国鉄と定山渓鉄道の間で乗り入れる列車があったのである。下りの場合だと、国鉄札幌駅を発車した気動車は定山渓鉄道の電車を併結し(定山渓鉄道は電化されていたが国鉄は非電化だった)は、東札幌駅で千歳方面へ行くディーゼルカーと定山渓方面へ行く電車が分離されたていたようである。また、定山渓鉄道もディーゼルカーを保有し、その車両で札幌駅まで乗り入れもしていたらしい。

 ウィキペディアによると、1969年3月時点で、定山渓鉄道の18往復のうち、半数は千歳線経由で札幌駅に乗り入れしていたという。

 ただ、たとえば札幌駅8:29発の千歳行きに併結された列車が定山渓に着くのが9:43と記載されてるのに対し、定山渓鉄道の時刻表のページでは9:55になっている(苗穂発の時刻も違う)。他にも時間が異なる列車がある。
 おそらくこれは、国鉄の方は10月からのダイヤ改正後の運転時刻が載っているが、定山渓鉄道の方は『9月3日現在』であり、"改正が予定されていますので" という注意書きがあるように、旧時刻表のままであるためだろう。

196810じょうてつ


 なお、当時の千歳線は現在と経路が異なっていた。
 当時の千歳線は、札幌→苗穂→東札幌→月寒(つきさっぷ)→大谷地→上野幌→ である。
 そう、白石駅を通ってはいなかった。

1968RailMap

 1975年10月号の時刻表を見ると、すでに現在と同じ経路になっている。

197503千歳線

1975RailMap

♪ MUUSAN の今日の一曲 ♪
 クラシック音楽ではなく、チロル民謡の「アルプスの牧場(Auf der Alm)」。

 国鉄時代から列車内での車掌のアナウンスの前と後でのチャイムとして使われている曲。

 チャイムはゼンマイ式だったので、曲の途中から始まったり、曲の途中で途切れたりすることがほとんど。通しできちんと鳴ったときにはうれしく思ったし、几帳面な性格の車掌さんに違いないだと思ったものだ。