しょうゆ味、イケます
 3月18日の話の続き。

 134M 列車の到着番線はダイヤ改正前と同じ6番線。

 2月よりは混雑していない駅構内をさっそうと改札に向かって進み、そして西改札を抜けて札幌駅立売商会(弁菜亭)のワゴンへ。
 この日の「日替り弁当 A」は「メンチと鶏そぼろ」という初めて目にするもの。

 しかし、私は買わなかった。かなり魅惑的だったが、ズボンのポケットの中の股間近くにある小銭入れを出すことはなかった。というのも、電車に乗っている最中に頭の中で想像をふくらませているうちに、欲望によってムクムクと大きくなってしまったからだ。チャーハンを食べたいという思いが。

 そのため、午前中にたいした用もないのに外出し、そのついでに―実はこれこそが本来の目的なのだが―東急百貨店に行って「点心札幌 翠心」で、また「炒飯中華弁当」を買おうと心に決めたのだった。
 だったら、冷やかしで弁菜亭ワゴンを覗きに行くなよって話だが。

 早々に用事を済ませ、水たまりに足を踏み入れないように気をつけながら「かに本家」前の交差点を渡りって宝くじ売り場には目もくれず東急の店内へ。

 ESTA があったころはしばしば利用した「点心札幌」の店舗だが、特に理由もないのになぜか東急百貨店の店は利用したことがほとんどなかった。
 しかし最近になって、「点心 札幌」が松尾ジンギスカンの「マツオ」のグループ会社だということを知り(ということは謎の中国人に牛耳られていないということだ)、にわかに「点心札幌」に親近感があらためてわいてきた。

 「炒飯中華弁当」はメインのおかずが違ういくつものバリエーションがあった。
 今日はキクラゲと卵の炒め物にしようかな、それとも回鍋肉(ホイコーロー)にしようかなと、『迷える小羊』ならぬ『迷える小爺』のように悩んでいたが(『ように』じゃなくて、そのものだ)、ふと(ってことはないが)「炒飯中華弁当」の横に「麻婆弁当(四川風)」というのがあるのを発見。これをお試ししちゃうことにした。
 価格はこちらの方が43円安い。

 「今日はこれ!」と、「炒飯中華弁当」と同じくメインのおかずが違ういくつものバリエーションがあるなかから、回鍋肉のものを買った。

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 「麻婆弁当(四川風)」が「炒飯中華弁当」と大きく異なる点は、もちろん麻婆豆腐が入っているからだが、そのほか焼売とエビチリが入っていない代わりに肉団子とやきそばが入っている。
 メインのおかず(回鍋肉)と炒飯の量は「炒飯中華弁当」より少なめだが、おかずとして麻婆豆腐(こちらの弁当ではこれがメインのおかずとなる)が、そして主食として焼きそばも入っているのでボリューム的には同じ感じだ。

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 麻婆豆腐はそれなりに辛い。加齢とともに舌の味蕾が鈍感になっているはずなのに、でも辛い。辛いが旨い。ただ辛いだけではない。
 なお、マーボー豆腐の下にはチャーハンは隠れていない。

 焼きそばはしょうゆ味(しょうゆだけでないのは明らか。オイスターソースも使われているのだろうか?)。これがまた、あっさりしていながらも実においしい。しつこくなくて飽きがこない私の好きな味。
 ほんのかすかに反省したのは、焼きそばにキャベツが入っているから、おかずは回鍋肉じゃないものにすれば良かったかなってこと。まっ、ちっぽけなことだが。いや、少しおさまってきたとはいえ高騰しているキャベツが食べられることに感謝だ。

 この日の夕食のメインも私が調理を担当した。
 グリル(魚焼きコーナー)で鶏の手羽中を焼いた。
 塩・コショー、または「にんにく岩塩」で食べるわけだから、調理ってほどのものじゃないんだけど。

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 あまりおいしく見えないって?
 いや、ちゃんと手羽中の味はした。

♪ 今日の一曲 ♪
 先日のブログ記事にコメントを寄せてくれたあるお方が、北海道は好きだけどシベリウスは苦手と書いていて、じゃあ自分はどうなんだろうとあらためて振り返ってみると、交響曲の第1番と第2番、ヴァイオリン協奏曲は好きでたまに聴く。交響曲第3番と第5番は年に1度か2度聴く。「カレリア」組曲はけっこう好きで、でも聴くのはたまぁに。「フィンランディア」はすっかり聴くことがなくなった。有名な「悲しきワルツ」とか「トゥオネラの白鳥」も聴くことはほとんどない。
 札響のサウンドはシベリウスの曲に合うが、それは札幌と北欧の気候が似ているせいだ、なんて言っていたわりには、私、シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957 フィンランド)、そんなにいつもいつも聴いているわけではないことが判明してしまった。

 で、過去1回か2回しか聴いたことがない交響曲第6番ニ短調Op.104(1923)を聴いてみた。ブログでは一度取り上げただけで、自分がこの曲を好きだとも苦手だとも書いていない。
 今回聴いて、第1番や第2番よりもさらに透明感のある響きでそれこそ北国の空気の中で生まれたってサウンドだなと、わかってるような意味不明のような感想をもった。
 ハッカ飴を食べたときのような爽やかさがあるが、曲が終わったあとは、スッキリしたけどなんか終わっちゃったみたいね、みたいに私の心のなかからあっという間に曲に対する印象が昇華して消えてしまった。
 この曲とは私、お友だちになれない気がする。ま、記録によると初めて聴いたのが1989年のことで、それから36年。いまさら言うことでもないんだけど。

Sibelius6and7 SanderlingK