202412DoshinOkuyami 2回にわたり私個人のこの1年のできごとを振り返ったが、そんなもの読者であるあなたにとってちっともおもしろくないに違いない。個人的なメモランダムだから。
 で、今日はそれをさらに物悲しくしたメモランダム。
 今年は北海道新聞のおくやみ欄で、知っている名前をいくつか目にした。

  2月。若いころお付き合いのあった取引先の Y さん
 おくやみ欄で目にした札幌市の、かつて仕事でお付き合いがあった人。この記事に書かれている『取引先の課長さん』である。
 もう年賀状のやり取りだけのお付き合いになって30年以上になるが、仕事で取引があったときには、一緒にいろいろなところに出張もした。
 横浜の中華街に昼食を食べに行き、頼みすぎて全然食べきれなかった思い出は、いまだに鮮明だ。
 帯広に出張したときは、近郊の食堂で大盛りのカツ丼を食べて、夜は一緒に別な取引先との会食があったのに、まったくものを食べられなかった思い出もある。
 中華料理店でふざけて「讃岐うどん2つ」と頼んだ時には大笑いしてしまった(けっこう酔っていた)。
 なんだか食べ物にまつわる思い出が多い。
 先月、奥さんの名前で喪中のはがきが届いた。
 享年74歳。

  4月。ついこないだまでいつも元気に雪かきしていた千田さん
 その2週間ほどあとの2月の下旬のことだっただろうか。在宅ワークをしていた日の午後、家の前を救急車が通り過ぎ、数軒先の家の前に停まった。千田さんの家だ。
 その様子をずっと見ていたわけではなかったので、誰がどうしたのかよくわからなかったが、4月の半ばのおくやみ欄に千田さんのご主人の名前が載った。享年78歳。
 救急車が来る少し前まで、雪捨て場でよく一緒になり、あいさつを交わしたりしていたので、驚いた。
 おくやみ欄に載って、1カ月くらい経ったころ。私が庭にいるときに、千田さんの奥さんがたまたま前を通った。話を聞くと敗血症で亡くなったという。
 また雪かきの季節がやって来たが、千田さんのご主人はこまめに雪かきや雪庇落としをしていた。あんなに元気だったのに、いまだ信じられない。

  5月。山鼻に住んでいたときのお隣さんの T さん
 1990年から1997年まで札幌の山鼻にあった社宅(とても古い一軒家)の隣の家のご主人の名前がおくやみ欄に載った。
 私たち一家が江別に引っ越したあとも年賀状のやり取りは続いていたが、先月奥さんの名前で喪中のはがきが届いた。享年85歳。

  6月。小学校のとき同じクラスだった子
 浦河町で亡くなった63歳の男性。
 その名前に見覚えがあった。姓もちょっと珍しいものなので間違いない(浦河には何軒かあるらしい)。堺町小学校-この小学校に私は入学から5年生の秋まで通った-の低学年のときに同じクラスだった子だ。顔をおぼろげながら覚えている。灰色のセーターを着ていた姿が、なぜか思い浮かぶ。
 
♪ 今日の一曲 ♪
 クルターグ(Kurtag,Gyorgy 1926-  ハンガリー)の「墓碑(Stele)」Op.33
(1994)。

Mahler2Gielen