あえて洋皿を使ったあまのじゃくな私
2週間ほど前に「帯広2015の会」が開催されたことはここで報告した。
そのメンバーの一人、橙野さんが私に勝るとも劣らないほどの、あるいは引けを取らないほどの、もしくはどっこいどっこいの「『ホンコンやきそば』好き」なことはここで書いたが、この日橙野さんは私に「MUUSAN がホンコンやきそばを食べるときは、あの皿に盛ると決めているんですね」と言った。私のブログを見て、この皿に決めていると思いこんでいるらしい(なお、前々から橙野さんはこのブログに登場したかったらしく、過去に日向山さんがしばしば登場していたことに強い妬みを持っていたとかいなかったとかで、「帯広2015の会」の記事のときにようやく自分が登場したことがとてもうれしかったという)。
で、皿のことだが、「カメラはヨドバシカメラ」「マーボといったら丸美屋」「味はバターで決まります」「馬子にも衣装」じゃないが、料理は盛り付ける器によって見栄えが変わり、味まで違って感じるってことはあるだろう。中華なら中華皿って具合に。
かといって、ホンコンやきそばや炒飯を家で作って食べるときに、決まって私があの皿を使うかというとそんなことはない。確かに頻度は高いが違う皿に盛ることもある。
そして、先週も「ホンコンやきそば」を作って食べたのだが、橙野さんがこのブログを読むことを想定し、あえて別な皿にしてみた。ふふふ。
うん、皿が違えど、いつものおいしい「ホンコンやきそば」だった。
で、どうです?橙野さん。ホンコンやきそばを作って食べるときの私に対する固定観念が払拭されましたでしょうか?
このあいだの日曜日の昼は、妻もアルバイトが休みだったので、家で自分と妻の分のラーメンを作って食べた。
麺は「菊水」。スープは妻が「菊水」の「旨塩」、私は「西山」の「しょうゆ」(→参考写真)。
ラーメン丼を2つ買っておいてよかった。私だけ、そば用どんぶりだったら悲しいから。
トッピングの絹さやえんどうは、My Garden の野菜コーナーで収穫したものである。
音楽で「固定観念(イデー・フィックス)」といえば、私の場合、まず頭に浮かぶ作曲家はベルリオーズ(Louis Hector Berlioz 1803-69 フランス)。
恋人を表わす主題=固定観念(固定楽想)が形を変えながら全曲を通して用いられている「幻想交響曲(Symphonie fantastique)」Op.14,H.48(1830/改訂'31)を。