陽気につられ、ビニールをとっちゃいました
今日の話題も「東京旅行記」ではなく、@江別のもの。しかも、いつも通り、極めて私的な話。
この記事を書いている今日・8日(土)は暖かい。風は強いが-江別はだいたい北海道神宮祭のころまでは風が強い日が続く-まったく寒さを感じない。
My Garden ではあれとは別のフウロソウが咲き、クレマチスのアロマティカも咲き始めた。
コデマリは咲き続けているが、オオデマリは散り始めた。この散った花吹雪をどう収拾するべきかと私を憂いさせている。
このような陽気なのだ。
風が強いのは気になるが、もう大丈夫だろう。YOSAKOI だって始まったのだ(関係ないけど)。
いや、そのままにしておくとかえって蒸れて良くないかもしれない。そう勝手に解釈して、この日の午前中に野菜の苗のガードのビニールをはずした。
先日報告したように、キュウリは元気がない。でも、まだ持ち直す可能性があるように見える。
ただ、ナスの2本植えたうちの1本は、もうだめだろう。
でも、もうホクレンショップでの野菜苗販売は終わってしまった(昨日、6月9日に確認)。
買い直すとしたら DCM ってことになるが、いつまで置いてあることやら。
悪かったのはタイヤでもチューブでもなく虫……
ところで、ウチには12年ほど前に帯広に住んでいたときに妻が今は無き長崎屋(のなかのドンキホーテ)で買った自転車がある。
それほど距離を乗ったわけではないが、経年によるタイヤの細かなひび割れがあるし、タイヤに空気を入れても数日でペッタンコになってしまう。つまり空気がすっかり抜けてしまう。
パンクだ。チューブが劣化してしまったのだろう。
江別市は秋からゴミ処理の料金が上がる。
その前に捨てるべきものは捨てておこう。そう思って、妻に「自転車はパンクしてしまってるから、大型ごみとして処分しちゃおう」と提案した。
しかし妻は、家に一台も自転車がなくなるのはイザというときに困る。パンクしててもすぐに空気が抜けないなら、乗る直前に空気を入れて使えばいい。
そう言って、処分案を否決した。確かに一理ある。一理あるが、妻が自転車に乗っている姿をここ数年間見たことがなかったので、『イザというとき』がどういうときなのかよくわからなかった。
そういえば、4年ほど前に眼科に行くのに私が自転車を使ったことがある。ということは、『イザというとき』とは、必ずしも妻にとってではなく、私も対象になっているということなのだ。納得。
自転車は物置のなかでおとなしく駐輪させておくことにしたが、このあいだの金曜日の仕事帰りの電車の中で、突如、ある可能性が私の脳内に浮かんだ。
それは、パンクだと思いこんでいたが、もしかするとバルブの虫ゴムから空気が漏れているのではないか?そういう初歩的かつ基本的なことだった。
家に帰る途中で Can Do に寄り、サイクル用品コーナーを見ると、当たり前のようにバルブのセットが売られていた。私の心を見透かしているかのように、パッケージの裏面には『タイヤの空気が減ったからといって、必ずしもパンクとは限りません』と書いてある。
たとえ本当にパンクしていたとしても、試しに110円を投資することは、私にとって経験値アップにつながることに違いない。『虫ゴム』タイプと『虫ゴム不要タイプ』があったが、虫ゴムの約10倍長持ちすると書いてある『虫ゴム不要タイプにした』。
この日の午前中、野菜苗のビニールはずしなどをしたあと、自転車のバルブを外してみた。虫ゴムタイプだった。
そして、その虫ゴムの根元部分は裂けていた。ということは、十中八九パンクではなく、虫ゴムの劣化による空気漏れだったに違いない。
前後両輪を新しいバルブに交換し、空気を入れ、様子を見ている状況である(丸1日経った9日13時の時点で、タイヤはパンパンのままである)。
カーニス(Aaron Jay Kernis 1960- アメリカ)のチェロと管弦楽のための「エア(Air)」(2002)を。