食事を楽しめないのはなぜ?
『海の日』の昼。
私は妻と、砂川の「北菓楼」に行き、そこのレストランで食事をすることにした。
13時近くになっていたが、まだまだ入店待ちの人が列を作っていた(ここのレストランは席数が少ないせいもある)。私たちも案内待ちの用紙(ウェイティングリスト)に名前を記入し、物販の店内を見ながら時間をつぶした(アップルパイはすでに完売となっていた)。
そのあたりから、私はなんだか食欲がなくなっていくのを感じていた。
30分以上経ったときに、私たちの名が呼ばれ、ていねいな応対の痰飲さんが席を案内してくれた。
この時間、すでに名物のオムライスは売り切れ(とはいえ、私にはオムライスを食べられるような食欲も意欲も消失していた)。カレーを食べる自信もない。ということで、ボロニア風ミートソーススパゲティを注文した(忘れていたが、前回この店に来たときもミートソースを食べた。今回、妻はホタテカレー)。
そのあと、食欲不振は吐き気へと進化した。とにかく「オエッ、オエッ」となるのだ。手で口元を隠してはいたが、妻にそれを発見されてしまった。
なぜ、こんなことになるのだろう???最近になって、症状が悪化しているのは確かだ。
停めにくい駐車場
この日、「北菓楼」の前に、最初に訪れた場所は「SHIRO」。
異様なほど混んでいた。
駐車場は広いが、通路をどう進むのか(一通なのかどうか?)わからないし、その通路自体が狭く酢車がすれ違うのも楽ではないし、けっこう駐車しにくい。誘導員が2人いたものの、指示が不明瞭。これは改善してほしい。
ここ限定の化粧品もあるということで、そのせいだろうか?レジも長蛇の列。
カフェもあったが、どのくらい待つことになるのかわからないので、早々にここをあとにして北菓楼へ向かったのだった。
自分なりに考えてみると……
外食となるとおなかを壊したり、食欲が失せるどころか吐き気に襲われるというのは、妻に言われるまでもなく、精神的なものだ。
食べ過ぎておなかを壊すのならまだしも、おなかを壊したらどうしようと考えると(特に食事のあと、すぐにトイレに駆け込めない可能性が高い、車や飛行機に乗らなければならなかったり、コンサートに臨むなど)、控えめに食べても、不幸なことに暗示にかかったようにおなかを壊してしまうのだ。最近では、東京でうな重を食べた直後におなかを壊したように(そのあとモノレールに乗らなければならなかった)。
それがさらに高じると-どういう条件で高じるのか、私にもわからない-東京でのインド料理店のときだとか、今回の北菓楼、そしておそらくはこのときも-、おなかを壊したらたいへんという不安が、食欲不振やさらには吐き気につながるようだ。
おなかを壊す不安に加え、食べきれずに残したら店の人にどう思われるだろう、など余計なこと、考えなくてもよいことで、自分で自分にプレッシャーをかけてしまっているのだろう。
実際、「外食不安症」や「外食恐怖症」という病気もあるそうだ。私はこれプラス、過敏性腸症候群なのではないだろうか?
となると、これまた妻の言うように、病院で精神安定剤やおなかの薬を処方してもらうべきなのかもしれない。持っているだけで、心が落ち着く可能性だってある。
こんど定期検診に行ったときに、「実は、、、」と、かかりつけ医に相談してみることにしよう。
なお、この日の北菓楼のスパゲティだが、食べ始めると徐々に食欲が回復し完食することができたし、その後、おなかも不調にならなかった。
解放的な気分になった私は-こういうところが病的な証なんだろう-「ほんだ」に寄って、私が苦手なシナモンは使っていないと教えてもらったので、妻の分だけではなく私の分のアップルパイも買って家へ帰ったのだった。
サティ(Erik Satie 1866-1925 フランス)の「食欲不振のコラール(Choral inappetissant)」を。
ピアノ曲「スポーツと気晴らし(Sports et divertissements)」(1914)の『序』にあたる曲である。