心の中では祝ってました
先週の金曜日に札幌駅改札内の Kiosk の1つで、しばらくの間天井からの水漏れで休業していたラッチ中店が営業を再開した。
当然私は、再開を祝い駆けつけるべきだったが、やめた。というのも、開店初日に押しかける客で、あのサンドイッチの自販機に並ぶ行列のように-最後尾1時間半待ちって、朝からそんな時間に余裕があるなんて不思議だ-レジに長い列ができているかもしれないので避けた、のではなく、この日は数日前に新発売となった食べてみたい弁当があったからだ。
その前にこの話の続きをしなければならない。
つまり月曜日に生姜焼弁当を食べ、火曜日に玉藤の特製弁当を格安にゲットしたその後の私の『昼食日記』の続きである。
8日の水曜日は在宅勤務だった。
昼は賞味期限を1日ばかりオーバーしてしまった「菊水」の「田舎そば」をざるそばとして食べた(皿に盛ったけど)。
中途半端に残った分は-この日の夕食はカレーだったのだが-食後のデザートして、かけそばにして食べた。なお、カレーを作った話は、これまた日をあらためて告白することとする。
この「田舎そば」も実においしい麺である。
翌日の木曜日は、上に書いたように数日前に新発売となった食べてみたい弁当を求めて LAWSON に行った。
その弁当とは「鶏照り焼き重」である。
照り焼きの代償行為は鶏そぼろに室蘭風やきとり
ところが私が行った LAWSON には置いてなかった。
その代償行為として、この日の私の昼食はこのようなものになった。
なんとなくつまらない気分の昼食になったのは言うまでもない。
何?食べすぎじゃないかって?私にとっては「おてがる」は『分量不足』を意味するのだ。食べすぎではないと抗弁したい。
あの店舗では扱っていないのか?いや、こういうこともあった。たまたまこの日は入荷しない曜日だった可能性もある。
ということで、その翌日の10日。札幌駅に到着した私は不義理にも営業再開したキヨスクのラッチ中店には顔を出さずに、数日前から補充時間を決めたせいで私が通るときには売り切れ状態で列も消えたサンドイッチの自販機の前を通り過ぎ、会社に行く前にまずはあの LAWSON の店に寄った。 なかった。「鶏照り焼き重」は。いや、チルド弁当以外の弁当はほとんどなかった。
10時過ぎにもう一度行ってみた。
やっぱりなかった。そしてまた、LAWSON では代替品になるような、まあこれでもいいやというような弁当はなかった。
ということで、セブンイレブンに行ってみた。
買ったのは「チキンカツ&生姜香る豚ロース生姜焼き弁当」である。
この弁当は前にも食べたことがあるが、その後進化したようで、あのとき気になったところは改善され、満足のいくものだった。コンビニ弁当のカツにありがちな内頬に傷がつくんじゃないかと思えるような硬くて厚い衣ではなく、暴力的ではないしっとりした衣。肉も軟らかい。生姜焼き-LAWSONの弁当は『生姜焼』だが、こちらは『生姜焼き』-は、LAWSON のものよりもずっと生姜の香りと味がちゃんとする。しかも、これで500円を切るというのはうれしい。また、チルド弁当には(技術的な問題か)入っていない漬物があるのもうれしい(貴重な食物繊維だ)。これはリピートしてもいいなと思った。
さて、二度にわたってスカを食らった私は、まだ「鶏照り焼き重」を追い求めるべきだろうか?あるいは別な店舗を当たってみるべきだろうか?
では、今日はいまこれを書きながら聴いている曲を。
イベール(Jacques Ibert 1890-1962 フランス)のアルト・サクソフォーンと11の楽器のための室内小協奏曲(コンチェルティーノ・ダ・カメラ。Concertino da camera pour saxophone alto et onze instruments.1935)。
11の楽器は、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ、コントラバスである。