単純だが不思議な引力をもった動機
40年前の1月、はっきり書くと1983年1月20日だが、札幌交響楽団の第233回定期演奏会で伊福部昭の「ラウダ・コンチェルタータ」を聴き、大大大衝撃を受け、それからいままで伊福部作品をこよなく愛してきた私。なかでも、「ラウダ・コンチェルタータ」は何百回、いやもしかすると千何百回と聴いてきた。間違いなく私の人生でいちばん数多く聴いている作品だ。その回数はエステンの「人形の夢と目覚め」だって及ばない(いつも「給湯栓を閉めてください」「おふろがわきました」と親切に教えてくれるときに流れるノーリツの給湯器のチャイムのメロディー)。
40年も聴いてきている「ラウダ・コンチェルタータ」だが、先日新たな発見があった。
いや、これまでも認識していたのだが、漠然と耳にしていたのだ。
たまたま2016年の高田みどりが独奏のライヴ録音を聴き直して、はっきりと耳に聴こえてきたのだ(愛聴盤である初演時ライヴではよく聴き取れない)。
それは、最後の2分間、変拍子のあと金管群が冒頭のメロディーを再現するところで刻まれるリズムとメロディで、楽譜だと〇で囲った音(楽譜は音楽之友社のピアノ・リダクション版)。もちろんマリンバでも奏されるのだが、ハープ(おそらく)が低音でこの動機を執拗に繰り返すのが、高田盤ではよく聴こえてきて、またこの動機が単純なのに不思議なくらい私の心をつかんだのだ。
本番でミスがあり、完全ライヴではないと知って遠ざけていたが、ふだんから高田盤ももっと聴くべきだった……
そしてこのところは、ピアノ・リダクション版のCD以外の7種の「ラウダ」のCDを聴き続けている。