伊福部先生の家に押しかけて3泊の論談
伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)が東京音楽大学、現在の東京藝術大学の作曲家講師になったのは1946年のことである。
そのとき在学していた芥川也寸志(Akutagawa,Yasushi 1925-89 東京)は大きな衝撃を受けた。
芥川也寸志は幼少時から、父・龍之介の遺品のSPレコード・コレクションから、特にストラヴィンスキーを好んで聴いていたという。
伊福部が最初の講義で、“従来のアカデミックな教程ではあまり登場しなかった近代音楽、ことにストラヴィンスキーを称揚した”ことは、すぐさま生徒たちの間に信者を生んだが、芥川也寸志は2度目の講義の日の夜に日光の伊福部の家を探し当てて、師の家で論争。帰りには「今まで書いた楽譜を全部破っては捨て、泣きながら日光の暗い道を歩いた」という。(相良侑亮編「伊福部昭の宇宙」:音楽之友社)。
伊福部昭は、そのときの様子を書いている。
……探究心の強い芥川君は、それでは飽き足らず、夜になって当時私の住んでいた日光の奥の久次良の山荘にまで訪ねて来られた。山奥に只一軒夜遅くまで灯りのついている家があるので、ここに違いないと思って戸を敲いたと云うことであった。彼は当時、進駐軍関係の演奏をしていた由で、アメリカ産のスパニッシュ・ナッツの大きな缶詰を携えて来られた。
スコアを調べ、レコードを聴き、ピアノを弾いたりで論談は長引き三泊四日に及んだ。……
(小林淳編「伊福部昭綴る ― 伊福部昭 論文・随筆集」:ワイズ出版)
異なる音楽の流れを器用に融合
その芥川は、伊福部と出会う前には橋本國彦(Hashimoto,Kunihiko 1904-1949 神奈川)や下総皖一、細川碧に師事している。
橋本はモダニズム路線の人。伊福部とはまったく反対の路線の人物だ。
しかし芥川のすごいところは、自作に土俗的、民族主義的な伊福部路線と、小粋で甘い橋本の路線を見事に融合、共存させたことにある。界面活性剤のように。
1948年、卒業の翌年に芥川が発表した「交響三章(Trinita Sinfonia)」(1948)。そしてNHKが放送25周年記念事業で公募した作品の管弦楽曲の部で特選に入選した「交響管弦楽のための音楽(Musica per Orchestra Sinfonica)」(1950)は、いずれも伊福部の影響を強く受けながらも都会的な横顔を見せる。骨太と繊細(というか、言葉は悪いが“か弱さ”)の心地よい共存。
この2曲、どちらももっともっと聴かれるべき傑作である。
芥川はその後、前衛の分野へと近づく。1957年から'67年の期間である。
しかし、1968年以降は最初の作風へと回帰した。“音楽はみんなのもの”と言って。芥川が一度は向かった音楽は“みんなのもの”のようなものではなかったということだ。
「交響三章」はその名の通り3つの楽章からなるが、小粋でユーモラスな第1楽章、心に休息を与えるような優しい第2楽章、リズミカルでエキサイティングな第3楽章と、芥川の才能が存分に発揮されている。
シンバルはなぜ3回も鳴らされたのか?
「交響管弦楽のための音楽」は2つの楽章からなり、第2楽章はシンバルの一打で始まるが、初演(近衛秀麿指揮)のときは3回鳴ったという。
そのハプニングについて、芥川はこう語っている。
ほんとは1発なんだけど、アタッカ・スピードと書いてあるので、近衛さんがすぐやったらシンバルは鳴ったけどトロンボーンが出ない、ページめくりが間に合わなくて。2度目は弱音器を取るのが間に合わなくて、3発目でやっと出たわけ。私の先生の伊福部昭さんが放送聴いてて、「先生いかがでしょうか?」って聞いたら「あそこのシンバル、3発はちょっと多いんじゃないか」
(札響第283回定期演奏会プログラムに掲載された芥川と岩城宏之の対談から)
掲載したスコアが第2楽章の最初の部分である(全音楽譜出版社)。
この曲もシャレいて都会的な第1楽章と、オーケストラが炸裂するジェットコースターのような第2楽章のいずれもが聴き手を魅了する。
「交響三章」については芥川/新交響楽団による1979年ライヴが、「交響管弦楽のための音楽」は同じく芥川/新響による1986年ライヴがお薦めである。 ピアニスト・芥川也寸志
ところで1947年に公開された映画「銀嶺の果て」(谷口千吉監督、黒澤明脚本:東宝)。
この映画の音楽こそが、伊福部昭が手がけた映画音楽第1号である。そしてここでピアノ奏者を務めているのが芥川也寸志である。
芥川は、じぶんで弾いた音がスクリーンから流れたのは、後にも先にもこれ1本と語っている。
「銀嶺の果て」も、サウンドトラック以外で、オーケストラによる復元演奏が録音されている(もちろん映画全体の中の一部である)。
先日紹介した「伊福部昭 百年紀Vol.1」にも収録されているがややコンパクトにまとまっている。本名徹次指揮によるCD「伊福部昭の芸術 9 祭」の演奏は、よりスケールが大きく迫力のある重厚なオーケストラ・サウンドを味わうことができる。
芥川也寸志は、自らが育成してきたアマチュア・オーケストラの新交響楽団を振って、1980年に伊福部作品の個展を開いた。、あた、その前から師の作品を取り上げ、紹介してきた。
芥川の活動がなかったら、伊福部昭がこれほどまで知られ、作品が演奏される機会はなかったかもしれない。
その功績は極めて大きい。
ありがとうございます。純粋無垢にうれしく思います。