いつもより罪深さを感じるのはなぜ?
 ある程度の覚悟はしていたが、ここまでひどくやられるとの覚悟はなかった。

 モンシロチョウに恨みはない。
 しかし、わが家庭菜園で葉を食い荒らし始めると、上から見ても下から覗いても、左から眺めても右から凝視しても、あきらかに害虫なのである。モンシロチョウの幼虫は。

 てなことで、大切な命であることは十分承知の上だが、ダイコンだって大切な命を持っているわけで、心を鬼にしてピンセットでつまみ上げ、地面に投げ捨てた。何度も何度も。

 それを土曜日に行なったのに、翌日曜日には前日と同じくらいのアオムシがまた葉を食い荒らし、大粒のサクロンのような糞を葉の上に巻き散らかしていた(写真を拡大するとよくわかるだろう)。
 想像するに、前日には見落とすほど小さかった個体が、一夜にしてあっという間に成長したとしか思えない。
 またまたピンセットでつまみ、地面に投げ捨てる。

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 この作業、とってもイヤな作業だ。残酷さが指先に伝わってくる。
 いっそのこと農薬を散布した方がずっとスマートだ。
 だが、今回は天気が雨模様、もしくは雨上がりだったので、『手作業』にした。どんどん食われるので、農薬散布に適した天気の日まで呑気に待てなかったのだ。
 それにしてもコガネムシやカメムシ、アブラムシにカイガラムシ、ゲジやワラジムシなんかにはこんな罪悪感を感じないのに、なぜアオムシには感じるのだろう。
 蝶々って悪者のイメージがないからだろうか?

MozartAria モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の「もう飛ぶまいぞ、この蝶々(Non piu andrai, farfallone amoroso)」。
 歌劇「フィガロの結婚(Le nozze di Figaro)」K.492(1785-86)の第1幕でフィガロ(Br)が歌う有名なアリアである。