みんな対等
幸い、この日は「ミックス」弁当があった。
あったが、しかし、その顔は、私の知っている「混合」の顔ではなかった。
前にも指摘したが、この店の弁当は中身が画一的ではなく、日々ビミョーに変化しているのである。そして、この日の「ミックス」は微妙どころか、私が知っている「ミックス」とはかなり趣を異にしていた。メインが合鴨ロースの燻製だったからである。
私としてはスモークした合鴨はメインの『おかず』として認めたくない。そもそも合鴨はそれほど得意ではない(そばでも「鴨南蛮」より断然「かしわそば」に軍配を上げる)。
しかたない。火曜日と連続になるが、でもおいしいから許せちゃう「鶏テリ」にしようか……
そう思って、並べられた弁当群をもう一度眺めると、なんと、もう一種類「ミックス」というのがあるではないか!
その「ミックス2」がこれである(“2”とは書いてないが)。
この「ミックス」の特徴は、ごはんが高菜チャーハンである(と思われる)ことである。
また、どれかがドカンとメインを張っていない、民主主義的副菜群が見た目にも微笑ましい。
そして、ザンギとシュウマイの間には、「ミックス1」では主役を張っていた合鴨が、ここではさりげなく参加している。
これぐらいの存在感で良いのだ。合鴨の燻製は。だって、これっておかずというよりは酒の肴ですもの。
弁当を食べながら私は微笑ましい気持ちになったのだった。

マーラーを聴きたいという意欲、欲望、欲求が湧いてきたのだ。これは喜ばしく微笑ましいことではないか!
なんだか精神が若返った気がしないでもない。まだまだ気力は衰えていないという希望が湧き、光明が見えてきたようにさえ思う(断っておくがマーラーとマラをかけているとかそういうお下劣なことでは一切ない)。
レヴァインやラトル、バーンスタインのボックスから何曲か続けて聴いてみたが、不思議なものでバーンスタインの演奏(今回聴いたのは第7番。1965年録音)は、古くさく感じる。これって、録音年の問題というよりは、アプローチのしかたによるのだろう、きっと。
なお、本日は本館の記事も更新しておいた。16日だから。
おっ、ということは今年もあと半月か……
合鴨はつまりは交雑種です。マーラーとのことはまったく意図してないです。
MUUSAN
が
しました