先日の午前中、みずほ銀行(北3条西3丁目)に用事があって仕事を抜けて行って来たのだが、会社に帰りがてら-その日はなぜかいつも以上におなかがすいていたので-あそこのあの弁当を買って帰ることにした。
余談だが、みずほ銀行の西向いにあった第一生命ビルは取り壊されて姿がなくなった。
バラエティに富んでいてちょっとワイルドなゴージャスさ、そして何より500円のワンコインという民衆がひざまずいて涙するぐらいにコスパの良い弁当だ。その後も買う機会があったのになぜか食指が動かなかったことがあったが、あのときの私はおそらくエレガント・モードに入っていたのだろう。だが、あの弁当をまた食べたい衝動にかられるということは、私の中に『生きたい』という活力がよみがえった証拠とも言える。
いろんな弁当が並んでいた。
ほかの幾種類かの弁当に迷い箸のように手が伸びそうになったが、しかしやはり私にとって原点である「ミックス」にした(って、ここで買うのは3回目だから原点も何もないんだけど)。
見た瞬間に前回とちょっと景色が違うとは思った。
食べ始めてからも、前回とは少し違うと思った。
写真判定の結果、前回と今回とで以下の違いが判明した。
① 切干大根が煮豆にかわっている。
② はんぺん揚げがなくなり、代わりにザンギが1個から2個になっている。
③ サバの下にあったスパゲティが無くなり、キャベツの千切りのみになっている。
④ チャーシューが鶏肉の八幡巻きにかわっている。
⑤ ミートボールが入っていない(代わりの品は無し)。
それでも、決して物足りなくはない。いや、これだけ入っていれば十分。食べ方の配分をきちんと考えないと、ご飯がなくなったのに塩サバがそのまま残っているってことにもなりかねないほどだ。
そしてまた、私はここではそうそう買えないが、いつも利用する人にとってはこういう微妙な変化がむしろうれしいに違いないと感じた。これこそが作り手の愛なのだ。いつもまったく同じなら、いくらおいしい弁当でもちっともワクワクしななくなっていく。
もちろん食べたあとも大いなる満足感に、私はしばらく浸っていたのであった。
むかしは「大いなる喜びへの賛歌(Ode to heavenly joy)」というタイトルで呼ばれることが多かった、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第4番ト長調(1892,1899-1901/改訂1901-10)。 マーラー自身がつけたタイトルではなく、第4楽章でソプラノ独唱が「子供の不思議な角笛」の「天上の生活-私たちは天上の歓喜をうける」を歌うことからいつからかこのタイトルで呼ばれるようになったが、どうやらタイトルをつけた方がディスクの売れ行きが良くなるという商売上の戦略が背景にあるようだ。
もちろん、このCDのようにいまでもこの名で呼ばれることもあるが、ほとんど目にしなくなった。
んっ?
マーラーを聴きたいと思うってことは、気持ちが若返っている証拠か?





この雑多感がたまりません。