リャードフ(Anatoly Konstantinovich Lyadov 1855-1914 ロシア)の「音楽玉手箱(Muzikalnaya tabakerka)」Op.32(1893)は、実に愛らしい曲。私はこれまで管弦楽編曲版しか聴いたことがなかったが、今回ピアノ原曲版のCDを手に入れた。
この曲はごくごく小さな作品であり、CDには彼のピアノ小品が他にも収められている。
リャードフっていつごろの人なんじゃい?
リャードフ……
彼の作品をあまり聴いたことがないという人も多いと思う。
ムソルグスキーに才能を見込まれ、ペテルブルク音楽院でリムスキー=コルサコフに作曲を学んだものの、あまりに休むので除籍処分。しかし、そのあと戻ることができ、1878年からはこの音楽院で教鞭をとった。学校に来なくていったんは除籍になった人間が教師になるとはトホホである。
教え子の1人に反ロマン派だったプロコフィエフがいるが、学生だったプロコフィエフは
リャードフには私の作品を見せない。もし見せたら、彼はおそらく私をクラスから追い出すだろう。
(H.C.ショーンバーグ著「大作曲家の生涯」下巻:共同通信社)
と述べている。
ところで、なんとかドフやらなんとかスキーだのいろんな名前が出てくるので、ここで一肌脱いでご奉仕。ご親切に、ロシア、ソヴィエトの主な作曲家を生年順に並べてみよう。
グリンカ 1804-57 近代ロシア音楽の父。
ボロディン 1833-87 本業は化学者。ロシア5人組の1人。
バラキレフ 1837-1910 大学では数学専攻。ロシア5人組のまとめ役。
ムソルグスキー 1839-81 元軍人。ロシア5人組の1人。
チャイコフスキー 1840-93 最初は法務省に勤務。
R-コルサコフ 1844-1908 海軍に所属。ロシア5人組の1人。
リャードフ 1855-1914 ペテルブルク音楽院卒。同音楽院で教鞭をとる。
S.I.タネーエフ 1856-1915 モスクワ音楽院卒。作曲の師はチャイコフスキー。
I-イヴァノフ 1859-1935 ペテルブルク音楽院卒。のちにモスクワ音楽院で教鞭をとる。
グラズノフ 1865-1936 ペテルブルク音楽院の院長を務める。ショスタコーヴィチの師。
カリンニコフ 1866-1901 モスクワ音楽院中退。
スクリャービン 1872-1915 モスクワ音楽院卒。作曲では単位をとれず、ピアノの単位で卒業。
ラフマニノフ 1873-1943 モスクワ音楽院卒。スクリャービンと同級生。
グリエール 1875-1956 モスクワ音楽院卒。同音楽院で教鞭をとる。プロコフィエフの師。
ストラヴィンスキー 1882-1971 サンクトペテルブルク大学で法学を学ぶ。R-コルサコフに師事。
プロコフィエフ 1891-1953 サンクトペテルブルク音楽院卒。
A.チェレプニン 1899-1977 サンクトペテルブルク音楽院に入学するが、1918年パリへ亡命。
ハチャトゥリアン 1903-78 モスクワ音楽院卒。
カバレフスキー 1904-87 モスクワ音楽院卒。
ショスタコーヴィチ 1906-1975 ペテルブルク音楽院卒。同音楽院やモスクワ音楽院で教鞭をとる。
ウストヴォリスカヤ 1919-2006 ペテルブルク音楽院(レニングラード音楽院)でショスタコーヴィチに師事。
グバイドゥーリナ 1931- カザン音楽院卒業後モスクワ音楽院に進む。
シュニトケ 1934-98 モスクワ音楽院卒。同音楽院で教鞭をとる。
シルヴェストロフ 1937- キエフ音楽院卒。
はて、この作業に果たして意味があったのだろうか?数字の頭の位置がきちんとそろわないし……
いずれにせよ、リャードフがチャイコフスキーやロシア5人組よりもあとの世代であり、ラフマニノフよりは前の世代であることがわかってもらえるだろう(最初っからそう書けば事足りたか……)。
キュイがないって?
あの人、おもだった人じゃないし……
少なくなかった音楽界への影響度
リャードフだけでなく、上の一覧には今や数曲でなんとか名を残している、大作曲家とは呼べない人物もいる。しかし、そうなってしまったのには当時のロシア(ソヴィエト)の社会情勢が少なからず影響している。そしてむしろ、彼らはロシア音楽の発展、次世代の育成に大きく寄与している。
ロバート・P.モーガン編(長木誠司監訳)の「西洋の音楽と社会 11 現代Ⅱ 世界音楽の時代」(音楽之友社)の最初のページにはこう書かれている(リャードフはリャドフと書かれている)。
ロシアにおける政治の激変は、音楽家の世代交代と時期を同じくしている。ニコライ・リムスキー=コルサコフが1908年に世を去ったのに続き、アナトル・リャドフが1914年に、セルゲイ・タネーエフが1915年に、そして〈力強い仲間〉の最後のひとりであるセザール・キュイが1918年に亡くなっている。アレクサンドル・スクリャビンの後期の作品にその時代の社会的動乱の反映を聴きとった革命家たちは、この作曲家が1915年に早世したことに落胆した。尊敬を集めていた年長の2人の作曲家、アレクサンドル・グラズノフとミハイル・イッポリトフ=イヴァノフは、世代の隔たりを埋め、それぞれペテログラード音楽院、モスクワ音楽院の高い水準を維持し、教育の伝統を守ることに貢献したが、彼らの作曲家としての活動とその影響力はすでに頂点を過ぎていた。 トランプに夢中
ところで、いまではすっかり偽書のレッテルを貼られているS.ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」(水野忠夫訳:中央公論社)。
この本の中で、ショスタコーヴィチの師であったグラズノフがたびたび登場するのは理解するにしても、グラズノフと同時代のリャードフが出てくるのはたったの2か所しかない。
……音楽院で、ときどき、フーガを書いてくるようにと、リャードフに宿題が出された。宿題などやっていかないのを彼は自分でもあらかじめ知っていた。そこで同居していた姉に言った。「フーガを書かないうちは食事をしなくてもいいよ」。食事の時間となったが、フーガは依然としてできあがらなかった。「食事はあげませんよ、だって、あんたは宿題をしていないのだから。自分でそう頼んだでしょう」とやさしく姉はリャードフに言った。「それなら、それでもいいよ。ぼくは伯母さんのところにご馳走になりに行くから」とこの魅力的な若者は姉に答えて、出て行った。(ハードカバー版80p)
ここはショスタコーヴィチが、自分はフーガの課題を真面目に書いていった、という話の場面で引き合いに出されている。腹を抱えて笑うほどの話じゃないな……
また、ショスタコーヴィチは一時期トランプに熱中し、“あまり立派とはいえぬトランプのゲームのとりことなって喜んでいた”そうだが、そこでまたリャードフがの話が引き合いに出されている。
リャードフは外出嫌いで、そのうえトランプ気ちがいときていた。どこにも出かけず、なにも見物せず、家に閉じこもっては、トランプばかりしていた。あるとき、すばらしい自然でも見に行こうと、ベリャーエフがリャードフをなんとか説得して、コーカサスに連れ出した。音楽のパトロンと作曲家はコーカサスに到着し、高級ホテルに宿をとったが、三日間というもの、朝から晩までトランプをしつづけていた。ベリャーエフもリャードフも自然のことなど思い出しもせず、ホテルの部屋から一歩も出なかった。それから列車に乗ってペテルブルグに戻ってきた。こういうわけで、リャードフはすばらしい自然を眺めもしなかったので、あとになってから、いつも不思議そうに、「本当に、ぼくはコーカサスに行ったのだったかな?」とたずねるのだった。(同379p)
誘う方も誘う方だ。
「ショスタコーヴィチの証言」におけるリャードフの扱い。それが彼の地位がどんなものだったかを示しているように思える。
とはいえ、地味ながら心地よい小品の数々
才能はあるのにだらしない。度胸がないから大きな作品に挑まない(ディアギレフは最初、バレエ「火の鳥」の音楽をリャードフに依頼した。しかし、いつまでも煮え切らないのでストラヴィンスキーに依頼した)。
ここで紹介するクームズの独奏によるピアノ作品集に収められている曲も、もちろん小品ばかり。
ショパンのような響きも聴こえるし、特にBGMとしては悪くない。
1997年録音。Helios。
これから庭の雑草とりとバラの剪定作業。
午後は札響の定期演奏会を聴きに行って来る。
旧館(~2014.6.21)入口
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