YoshimatsuPleiades1
  がっかりしなかった私
 月曜日には大きな空振りに終わった私の「筍ご飯弁当」ゲット作戦だが、その日のうちに心の中で神様や仏様に「明日はありますように!」と、ふだんはまったく信心深くないくせにお願いしたおかげで、翌日の火曜日は、みごとに「筍ご飯弁当」をゲット。待望の2度目となる体験をし、読者の方々もわが身のことのように喜びにひたってくれた(と思う)。

 さて、1日あけた木曜日。
 この日の私は『噴火湾』の気分だった。二度あることは三度あるというではないか!3度目の体験である。初めて知ってからまだ一週間だっていうのに、もぅ、精力的なんだからぁ~

 ところがこの日、いつもの Kiosk には、こんどは「噴火湾産ホタテご飯弁当」の姿はなく、そのくせ「筍ご飯弁当」はいくつもあった。

 私が失意のあまりその場でひざまずいてしまったと思われるかもしれない。
 しかし、この日は全然、悲しみや悔しさやみじめさを感じることはなかった。

 自分が思っている以上に、この日はさほど『噴火湾』にこだわりがなかったのかもしれない。この日の新聞では『縄文』が世界遺産に登録される見込みだと大きく報じられていたから、それで場所的に近い噴火湾にすでに満腹状態になっていたのだろうか?
 かといって、1日あいたとはいえ、「筍ご飯弁当」を食べる気にもなれず、手ぶらのまま改札を出た。

  タレを漏れかけさせた私
 世の中、偶然にも良いことが起こり得るもので、この日は午前中に出かける用事ができた。
 ってことで、外勤帰りに東急百貨店の地下に寄り『筍』ではなく『竹』を買った。
 そう、「天一」の天丼弁当の『』である。

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 もちろん、サツマイモをナスに替えてもらったのはいうまでもない。

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 そしてまた、写真をじっくり見てもらうとわかるように、持ち帰りの際に少し傾けてしまい、天丼のタレが“あばれはっちゃく”状態になってしまったことは、反省すべき点である(下の写真撮影時は拭き取り済み)。

 今回もまた、吉松隆(Yoshimatsu,Takashi 1953-  東京)の「傾いた哀歌」を。