VivaldiSacred  説明してもらうのになぜ緊張するのだろう?
 あそこここでちらっと触れたが、いや、メインの話題としてくどくどと書いたが、いよいよ本日、出向元の会社に出向き、定年退職にあたっての心構え、じゃなく、諸手続きを行なう。それとともに諸々の説明を受ける。

 疑問に思っていることが説明内容に入っているのか気がかりであり、もし入ってなかったとしたら-それは大いにありうる。というのも、私の抱いている疑問や確認事項はとても数多くあるから-、疑問をうまく質問できるか、そしてきちんと解決できるだろうか?そう考えると、胸が、いや、頭がいっぱいである。

20210213KAshitsuki_eco ということで、まったく心が穏やかではなく落ち着かないので、今日のブログ記事は内容希薄のエコモード状態でおしまい。

 それにしても、どうしてこう私はいろいろ考えすぎるんだろう?考えすぎて何を考えようとしているのかを見失い、ぼう然となりかけているほどだ。
 なぜ、「説明を受けて差し上げようではないか!」ってな具合にどしっと構えていられないのか?なんて小心者なんだろう!
 いや、よく言えば繊細な神経の持ち主で思慮深いってことだ(ってことで、手を打とうではないか!)。

 いまの私の心境にニアなタイトルである、ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi 1678-1741 イタリア)のモテット「まことの安らぎはこの世になく(Nulla in mundo pax sincera)」RV.630(1713-17)。