町名変更から耐えることさらに9年
前回書いたように、2002年に『上江別南土地区画整理事業』の地区は町名が「ゆめみ野」となった。
しかし、分譲地の販売は-集合住宅地区の販売のめどが立たなかったこともあって-苦戦。土地整理組合がようやく解散できたのは、なんと2011(平成23)年のことだった。もともとの地主さんたちはどれだけほっとしたことかと思う。
土地の販売が順調にいかなくなったのは景気が後退したことや、江別市内で同時期にいくつもの土地区画整理事業が行なわれ競合したことがあるだろうが、私は1999年に千歳川放水路計画の中止が決まったことも、多少は影響しているのではないかと思っている。
まだまだ続く治水対策
過去に水害を何度も経験している江別では、大規模な宅地開発には水害対策は必須。
1981年の石狩川や千歳川の氾濫により、その対策はある程度進められていたものの不十分で、千歳川放水路は決定打になると言われていた。
それが中止になったのである。これは土地の販売者にとっては痛い話だったろう(もっとも、計画通り進められたとしても、完成がいつになる予定だったのかは私にはわからない)。
そして、放水路計画が中止になったあと、現在も治水対策の工事が続けられている。
この記事は、今年4月2日の北海道新聞朝刊に掲載されたものである。
1972(昭和47)年から10年かけて宅地造成された、江別の朝日町とあけぼの町(江別太土地区画整理事業)。
その区画整理記念館が朝日町にある。
上江別南土地区画整理組合の解散が決まったときに、整理組合の事務所にいた人が「本来ならば、住民の人たちへの感謝を込めて、この場所に自治会なんかで使える会館なんかを作りたいんだけど、そんな余裕はない」と言っていたのが印象的だった。

以上で、私の知る範囲内での江別駅南地区の開発の話を終えるが、次回から補足的に『いま』のことを取り上げていきたいと考えている。