小檜山博の「人生という花」(河出書房新社)を読み始めた。
ここに書いたように、「花新聞 Hokkaido」に連載されていたエッセイで、作者の経験や思いを花にかかわる名句などとからめて書いている。
しかしながら、その“「花」にかかわる名句や諺”(それがタイトルになっている)と内容があまり密接ではないものもある。
たとえば「花の杯 」という章。
「花の杯」とは花を見ながら酒杯をあげることもいうが、杯を花にたとえていう、つまり美しい杯のこともいうそうだ。
“花の杯”という言葉についての説明はそれだけ。あとは、自分が酒器を集めるのが好きだという話から、特に気に入っている7つを紹介している。
まっ、それはそれで面白くはあるんだけど、文学的なお話を期待してこの本を買った人がいたとしたら、それはハズレかもしれない。
いや、そもそも1つ1つの話の文字数が少ないのだ。もともとの連載していた新聞の字数制限のせいだろう。1つの話が見開き2ページだけなのだ。
これは「人生讃歌」の半分の文字数である。話が中途半端、ツッコミ不足となるのは致し方なかったのかもしれない(いえ、小檜山氏をかばっているわけではありません)。
ところで酒とか杯(盃)という言葉で真っ先に私の頭に浮かぶ楽曲といえば、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の「大地の歌(Das Lied von der Erde)」(1908-09)。
第5楽章「春に酔えるもの」なんかはゲロゲロ二日酔い状態だが、それよりも(RCAのLP(ライナー/シカゴ響)の)対訳を最初に見たときに強く印象に残ったのは、第1楽章「大地の哀愁をうたう酒の歌」の最後にある、
かなたを見よ!
月明の墓場に怪しき姿のうずくまるを!
それは一匹の猿!
その喚き声が甘き生の香りの中に鋭くひびくを聞け!
酒をとれ!
友よ、今こそ時!
金杯をほし給え!
生は暗し、死もまた暗し!
である。
この文語体風の訳者がどなただったか今では知る由もないが(スコアに私が書き写したものが残っているのだ)、すばらしい訳だといまでも思っている。
ちなみに「大地の歌」を私が知ったのは、中学3年生のとき。
お酒を初めて飲んだのは20歳過ぎ。いえ、まじめだったとかそういうんじゃなくて、大のコーラ好きだっただけ。
それがあなた、いまの私ときたら「大地の歌」ばっかり聴いて、じゃなく、毎晩ハイボールを飲んで……あのころはそんなこと想像もしてなかったなぁ。
そうなんですか。お酒、×なんですか……
MUUSAN
が
しました