まったく記憶にございません
前回は1996年ころに作られたと思われる「スマイルタウン ゆめみ野」のパンフレットを紹介した。当時のこのあたりの地図がこれ。
この住宅地図は1998~99年頃のものだと思うが、私がこれをどこで閲覧し、しかもコピーまでとることができたのか、不思議なことにまったく記憶にない。
ここの詳細地図がこのページで、青く塗りつぶしてあるところははすでに家が建った区画だ。
バスは1日1往復半
さて、1997年からは上江別小学校の建設も始まった。
このあと、どんどんと、というにはそうそう順調に計画通りには進まなかったようだが、街が出来上がっていった。次回は当時の《お買い物事情》について書きたいと思う。
ところで、前回「江南団地通」のバス停について、その江南団地ってどこなのかご存知の方がいらっしゃればぜひ情報をいただきたいと懇願した。
そうお願いした結果、実に驚いたことに、ひとつも情報は寄せられていない。
世の中、コロナ騒動で人情も失ってしまったのだろうか?
ところで、これは1997年の夕鉄バスのバス停。早苗別通の「上江別公園」だ。
当時はまだジェイ・アール北海道バスは運行されておらず、早苗別通を走っていたバスは夕鉄バスだけだった。しかも、このダイヤである(上りと下りの両方が書いてあるし)。
なお、「中の月」というバス停はもう無くなった(「下の月」が終点)。
「中の月」ってどこだったかというと、ここだ(これは2000年発行の昭文社の「スーパーマップル 北海道道路地図」。
サーリアホ(Kaija Saariaho 1952- フィンランド)の「ああ、月よ(Oi Kuu)」(1990)。
なお、「中の月」や「下の月」の『月』は、三日月湖のことに間違いないと思う。
かつては、千歳川による三日月湖があったのだろう。
私はけっこう地図を見ます。地図を見るのが好きです。
MUUSAN
が
しました