昨日の記事で、ジェイ・アール北海道バスの江別駅敷地内にあったバス停がなくなり、その後すぐに誘導員さんや乗務員が待機、休憩する事務所も解体、撤去されたことを報告した。
この駅敷地内のスペースはバス3台分の広さがあったが、いまでは駅前の道路沿いのバス停に発着という形になった。ただのバス停という状態になってしまったが、実はいまから20数年前には、バスターミナルを造る計画があったのだ。
今回バス停が江別駅の敷地内から撤退することになったのは、駅に送迎に来るマイカーが増えて危険になったことが理由で、必ずしもバス事業が衰退したからということではないが、もしバスターミナルができていれば、いや、それと同時に考えられていたそのほかの開発も計画通り進んでいたら、江別駅周辺の様相は今とはかなり変わっていたと思われる。
計画はほぼ計画のままで終わった
上の写真は、「ゆめみ野」地区(当時はまだ「上江別」)にあったハウスメーカー「ホーム企画センター」の現地案内所(現在、早苗別通り沿いにある「札幌練成会 ゆめみ野教室」がある場所にあった)でもらったチラシである。1996年の秋のことだと思う。
ということは、この出典記事の掲載日の“5月10日”というのも、1996年のことではないかと思われる。
なぜ現地案内所に立ち寄ったのか?
あのあたりを車で走っていたときに、当時幼稚園児だった次男が、いきなり「おしっこがしたい」と言い出したので、「まことに申し訳ありませんが、お手洗いを貸していただけますか?」という事情による。当時、私たちは札幌市内・近郊に家を建てる適地はないかと、日曜日にはドライブがてら探し歩いていたのだ。
そして、その日は知っていた江別あのあたりは、ほかにトイレが借りられるような施設はなかった。んっ?ってことは立ちションさせりゃあよかったのか?

この新聞記事の抜粋によると、江別駅の東側に『活性化拠点施設』を造るとあるが、ここにバスターミナルやスーパーも併設される計画だったわけだ。
結果的にこの施設は「えべつみらいビル」として建設は実現されたが、バスターミナルは併設されなかった。
スーパーも建設後しばらくして「生鮮えべつ」が1Fにオープンしたが、昨年閉店し、朝日町に移転した。
「みらいビル」にはかつて「松の実」というおいしい担担麺を食べさせてくれる中華料理屋があったが、いまは「トンデンファーム」で営業している(そのあとは「味○」というラーメン屋が開業・閉店。そして現在は「半畳」というラーメン屋が営業している)。
いや、ここに書かれていることの多くがとん挫した格好だ。
『街かど広場』ってなんじゃろな?ってもんだし、駅前広場がどうしたって?って状態だ。
『メモリアルゾーン』って、ハローワークとかがあるところのようだ。その向かいあたりにはレンガ倉庫を利用した施設はあるが、地図上のゾーンには歴史的建造物があったっけ?
『活性化拠点施設』にバスターミナルを設けるというのは、発想としては突飛なものではなかったと思う。ここに書かれているように、江別駅には国鉄(っ?国鉄?ってことは、この記事はいったいいつのもの?ジェイ・アール北海道バスですよね?)、中央、夕鉄の3社のバスが通っているからだ。
ただ既存商店街が、再開発(それには営業をしないなら立ち退きすることも含む)に協力的ではなく、既存の建物が残ったままのシャッター街は解消しなかったし、「えべつみらいビル」はターミナルが併設されなかっただけでなく、一時期は医院も入っていたものの、現在は利便施設はほとんどない状態だ。
また、このころ江別市内ではあちこちで土地区画整理事業が行われていて、市としても江別駅エリアにだけ集中するわけにはいかなくなってしまったのではないかと思う(だとしたら、なんとお粗末な計画か、ってことになるが……)。
一度にやりすぎでは?
これは1997年発行の昭文社の都市地図だが、中央(新栄台)、野幌東(あさひが丘)、上江別南(ゆめみ野)、東江別(萌えぎ野)の4か所で土地区画整理事業が進められているのがわかる(豊幌地区は地図の掲載エリア外のため不明)。
これがまた、各整理事業の客の奪い合いというか、供給過多というかで、その後なかなか事業を完了させられないという問題も生じた。
参考までに、1997年当時の某ハウスメーカーの土地価格のチラシを載せておこう。
へぇ。あの価格は、それでも札幌に比べれば半値近くだったんですけどね。