きのうのブログ記事で、村上春樹の「1Q84」の一節を載せたが、この小説は天吾と青豆が別々に1Q84年の世界に入り込んでしまう話である。
まだこのころは、私も村上春樹の小説をワクワクしながらページをめくったものだ。
間違いない。月は二個ある。
ひとつは昔からずっとあるもともとの月であり、もうひとつはずっと小振りな緑色の月だった。それは本来の月よりかたちがいびつで、明るさも劣っていた。行きがかりで押しつけられた、だれにも歓迎されない、貧しく醜い遠縁の子供のように見えた。しかしそれは打ち消しがたくそこにあった。幻でもなければ、目の錯覚でもない。それは実体と輪郭を備えた天体として、たしかにそこに浮かんでいた。…… (第20章)
空に月が2つ浮かんでいるという異次元ワールド。
ところがこの小説に先立つこと27年前、「青い棘」で三浦綾子は月ではなく太陽が2つあるワールドを登場させている。
加菜子は旭川在住の幼稚園児である。
どういうことになってしまったのだろう?
斜視になった?
いや、違う。
オカルト?
いや、春樹ワールドのようなものではない。
実は、そこには子ども心ながらにも日々の平安を願う気持ちが……なのである。

あっ、言っておくが、写真に写っているお日さまはどう見ても1つである。2つに見えたって人は眼科に行った方が良いかもしれない。
だってこの写真は現実の空のものですもの。
いや、目の調子が悪い時以外はないです。そういう経験、私には。
MUUSAN
が
しました