昨日は新コロが私の予定にも影響を与えたことを書いた。
確かにこのウイルスの拡大は不気味ではあるが、あまりに怖がりすぎのような気もする。
正体がよくわからないゆえに、怖いのはわかるが、連日新コロの感染者が増えたという報道がトップで時間も大きく裂かれているのを目にしたり耳にしていると(用心することはひじょうに重要だが、マスコミは「冷静に、冷静に」と言いつつも、煽りすぎちゃいないか?)、なんだが自分も喉がいがらっぽいような、あるいは体がだるいような気がしてくる。あるいは咳き込みたくなってしまう(コンサートの楽章と楽章の少なからずの人のように。あれっておもしろい現象ですよね)。
感染した人からの情報収集もなかなかすんなりいってないようだが、アリストテレスの『自然発生説』じゃあるまいし(生物の授業で習いませんでした?)、必ずやどこかで太いか細いかは別としても、感染者は見えない糸でつながっているはずだ。パスツール先生のような方の出現を望んでいるところだ。
テレビで誰かが言っていたが、感染者が増えることに大騒ぎするんじゃなく、いかに症状が軽いうちに治療するかって言うことが大事だ。
それにしても新コロに関しては天下の厚労省の対応があまりにずさんに思える。
どう考えても、役人はもっと賢いはずだ。なのにひどすぎる。
んっ?もしかしてあえてザルのような対策を進めている?
そうすれば、《桜を観ないで自慢用に首相と記念写真を撮る会問題》とか《ANAホテル寝返り事件》とか《首相の絶対零度的品格のヤジ事件》とか《ばれたコネクティング・ルームでの合体作戦》とか《森友学園偏向判決》とか《ありえない検事長定年延長口頭決裁問題》とか《地方創生相の頭悪すぎラリラリ答弁騒動》とかから、国民の怒りの矛先をコロナ蔓延緩慢対策に一極集中させられるもの。
けど、厚労省だけを悪者になんてできないんですけどね。またまた、こんな感じで乗り切れるだろうと目論んでいるんだろうけど……
では、ベリオの「コロ」を。
この《コロ》っていうのはイタリア語で合唱のことである。
それにしても、あれだけ外国人がやって来ていた大阪の感染者数がいまのところ1人っていうのが信じられない……
間違っても勘違いしてはいけないのは、よほど特殊なことでもない限りは、感染した方は悪くないってこと。被害者だ。
感染者や現場で対策に当たっている人々への誹謗中傷は厳に慎みたい。