いま私、帯広にちゃんといるのかしら?
予約モードなので、いま私が実際にどこにいるのか-予定通り帯広で朝を迎えているのか-これを書いている23日の午後の時点(外は雨。このあと台風17号から変わった温帯低気圧のせいで北海道は大荒れになるという。とはいえ、関東を直撃する場合と違って、ニュースでの扱いはとってもぞんざいに感じる)では、先のこと(つまり、いまの状況)はわからない状態だ。
で、予定通りだとすると、今朝は帯広を7時前に出発し、私たちは旭川に10時過ぎに到着する予定である。
旭川に着くと10数名のわれわれご一行様は夕方近くまでそれぞれ単独行動、夕方に再集合し会議を行なう。私は用を済ませたあとの空いた時間を利用して、先日も書いたように『三浦綾子記念文学館』を訪れてみようと考えている。
今回訪問できれば、私にとっては3度目となる。
息子の住居を訪ねたときに存在を知った
最初に訪れたときは、大学を卒業した長男が旭川に就職し、その暮らしぶりを見に行ったときだった。
この文学館から徒歩10分ほどの場所にあるアパートを借りていたのだ(その後転職し、旭川を離れた)。
そのときの私は、実は三浦綾子の作品を読んだことがないどころか、三浦綾子という作家自体、ほとんど知らなかったのである。
妻と2人で訪れ、革製の文庫本カバーの質感の良さと価格の安さに驚き、それぞれ1つずつ購入した。
また、その何年か前に亡くなった私の父は道職員で林務関係の仕事をしていた。そんなこともあって、私も子どものころからハイキング程度ながら山に行って野草を見たりするのが好きだったので、見本林も散策したのだった。
ということで、望み通り文学館を訪問できることを、われは信ず!
今日も「続・氷点」の上巻から。
「これからは時々出てくるといいよ、旭川と札幌は二時間ぐらいだからね」
「ええ、来るわ。おにいさん、ゆうべのチャイコフスキーはよかったわ」
何か不安の渦まくような「悲愴」の曲が、まだ陽子の体の中に鳴っていた。この曲を書きあげたチャイコフスキーは、コレラで死んだという。死の予感が、あの名曲を生んだのであろうか。それとも、解き難い人生への深い懐疑が、あの名曲となったのであろうか。あれほどの偉大な作曲をなし得る人間にも、恐怖と不安があったのだろうか。陽子は昨夜から、人生の重たさを改めて感じていた。
陽子たちは前日、F交響楽団の演奏会に行ったのだった。
F交響楽団って、作者はどこのオーケストラを念頭に置いていたのだろう?
チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の交響曲第6番ロ短調Op.74「悲愴(Pathetisch)」(1893)。
チャイコフスキーの死因はコレラ説もあれば(こちらが優勢)、自殺説もある。
が、結局はよくわからないままだ。
CDは、もちろん、エリシュカ/札幌交響楽団の2014年ライヴを。
pastier。
むかしは、駅名は『あさひがわ』だったのだ。
国鉄時代の駅名は「あさひがわ」だったんです。
MUUSAN
が
しました