今日から3泊4日の日程で、北海道を横断する出張に出かける。大阪の取引先の方々10数名と、貸し切りバスで移動する。
今日は女満別空港に集合(新千歳から入る組と羽田からじゃいる組があるため。大阪→女満別の直行便はない)、そのあと北見市へ。この街に泊まる。
私は新千歳から女満別へ飛ぶが、その前に『ちとせラーメン』を食べなければという使命感にかられている。
2日目・25日は、北見市から帯広市へ。宿泊は帯広。
3日目・26日は、帯広から旭川市へ。旭川市ではけっこう時間に余裕があり、自由な行動がとれそうなので『三浦綾子記念文学館』に行ってみようと画策している(休館日ではないことは確認した)。
ここで問題は『ターファー』である。
台風17号のことだ(すでに温帯低気圧に変わっている)。
当初の発生時の予報より、はやく進んだので、今日の朝の時点で北海道を通り過ぎて行っているものと思うが、その影響がどう残っているか、である(少なくとも、いまの江別は穏やかな雨上がりの朝って感じではある)。
その影響度合いによっては、行程がぐちゃぐちゃになる。
あとは日ごろの行ない次第だ(←取引先各位の)。
さて、土曜日の飛行機の中では三浦綾子の「続・氷点」の上巻を読んだ。
多くの場合『続』というものは、本編より劣るとか二匹目のどじょうのようなイメージがあるし、実際そういう結果に終わっていることも少なくない。
私も「氷点」は本編だけでやめておこうと思った。『続』を読んで、がっかりしたくなかったからである。
ところが、おもしろいのである。
もしかすると、話の展開としては本編よりもリズムが速いかもしれない。そして、教訓ではないが、心に訴える表現が多数散らばっている。
下巻を読むのが楽しみである(なお、上巻のあとがきで作者は、“この『氷点』以上のものを、書けるかどうか、わたしにもわからない。全く自信はなかった。「正にまさる続はなし」という言葉もある。『氷点』はあのままで終らすべきかも知れないと、わたしも思わないわけではなかった”と書いている)。
その「続・氷点」上巻のなかの一節。
二人のそばを、和服姿の老人が、若い女と肩を並べて、ゆっくりと通り過ぎた。
「それは悲劇だね」
老人がいった。
「だって仕方がないわ」
若い女性は涙ぐんでいるようだった。陽子と順子は二人を見送った。うしろ姿は普通の祖父と孫のように見えた。
陽子は、いま、老人の口から、悲劇という言葉が出たことに、何か意外な感じを受けた。
「いろいろな人生があるのね」
順子も、老人の言葉を耳にとめたのか、静かにつぶやいた。陽子は深くうなずいた。
いま、自宅のリビングでこの曲を聴いている。
大阪でリッピングしたflac音源ファイルのうち、ブラームスとマーラーの楽曲のいくつかをUSBメモリに入れて持ってきたのだ。
これまでのミニコンポと違い(だって20年近く前の機種だもの)、新しいミニコンポはUSBメモリの音源、それもflacも、再生できるのである(再生能力的にはちょっと弱っちい気もするが……。このぐらいの機種ならwavの方がいいのだろう)。

1966年録音。ソニークラシカル。
明日以降、出張から戻るまで、ブログ更新は便利
回答が古新聞ですが、被害なかったです。
MUUSAN
が
しました