ロシア人の名前はややこしい
それまでも何度か来日したことがあったレニングラード・フィルが、初めてムラヴィンスキーとともに日本にやって来たのは、1973年のことだった。
とはいえ、私がクラシック音楽に魅かれ、聴くようになったのはこの年の3月か4月のこと。
何月のことか忘れたが、NHKの教育テレビ(いまではEテレという名前に進化した)でその公演が放送されたときだって、若葉マークの私にとってはムラヴィンスキーという指揮者の名前も知らず(それどころか生まれて初めて知ったロシア語かもしれない)、しかも1回では覚えられなかったし、オーケストラの何の楽器か忘れたが、時折アップで写るおばちゃんがたいそうおっかなそうな人で、「さすがソヴィエト」と妙な納得をしたものだった。
「部長刑事」って知ってらヴィンスキー?
そのTV放送を観ているときである。
ムラムラなんとかさんが指揮するレニングラード・フィルが、いきなり『部長刑事』のオープニング曲を演奏し始めたではないか!
「部長刑事」っていうのは、むかし毎週何曜日かにやっていた30分のドラマで、小さいころの私には内容はよくわからなかったが、なんだかその陰気臭い雰囲気に恐怖すら感じた(その後青年期になった私は淫靡なものには恐怖ではなく興味を持った)。両親のどちらの好みでもないと思うのだが、とにかく毎週観ていたようだ。
そして、私にはそのオープニングの曲がひじょうに印象に残っていた。
それをンスキーさまが振っている。
実は「部長刑事」のオープニング曲はオリジナルではなかったのだ。
それは、のちに私の中で『3大作曲家』の1人となる、ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第5番ニ短調Op.47(1937)の、第4楽章の出だしの部分だったのである(使用に当たって著作権料をちゃんと払っていたのかしら?)。
そして、この日が私がショスタコを知った記念すべき日となった(っていうわりには、日付不明)。
最近調べてみたら、この第5番をやった演奏会は5月26日に行なわれたものだという(そのライヴCDも出ているが、私は未購入)。
上にも書いたように、TV放送されたのはいつかわからないが、なんとなく秋だったような気がする。
当時、鑑賞レパートリーを増やすにはもっぱらラジカセでFMをエアチャックするしかなかった身だったが、この素敵なタコ5がFMで放送されることはなかなかなかった。
そうして何か月かが過ぎ、クリスマスの日が近づいてきた。
君も歌ってみないか?
私は、サンタクロースはこの世に実在すると信じてやまない純粋な中学生を親の前で演じ、まだクリスマスの半月前にもかかわらず、親と一緒に徒歩圏内の札幌は西野の、当時は街の発展の象徴であったカスタムパルコの1階の光洋無線(電器のコーヨー)に行き、コロンビア製のレコードプレーヤーを買ってもらった。もちろんクリスマスプレゼントとしてである(って、サンタクロースの存在の話はどこに飛び散ってしまったのだろう?)。
このプレーヤーはスピーカーはいっちょ前に独立しているものの、ターンテーブルはシングル盤サイズで、ご存じの方も多いと思うが、LPレコードを乗せると引田天功によるレコードが空中浮揚するマジックを観ているような感じになるものである。
たまたま今回ヤフオクで見つけたのだが、この写真と同じ機種だったと思う。
マイクが使えるようになっているのも不思議だ。レコードに合わせて歌うってことなんだろう。左側の穴がマイクを刺しておくホームポジション。その隣がマイクの入力ジャックである。 ちなみに私たち一家は1971年の秋に、祖父母が住む家に同居する形で浦河町から引っ越してきたが、山の手通り沿線には、まだ農地がけっこう残っていたし、ふもと橋もできて間もなかったと思う。
山の手通り沿いの、今の住所で西野の8丁目とか9丁目あたりは、特にリンゴ園だらけで、その近くで120レーンもあるという触れ込みの『ジャイアンツボウル』の建設が始まっていた(結局最初は60レーンで、120に増えることもなく60レーンのまま、数年後には閉館してしまった)。
つまりこのころ、1970年代に入って、西野は宅地として急速に発展し、爆発的に人口が増えてきていたのだ。
祖父母が夕張から札幌に出てきたとき、西野に土地を買い家を建てたのは、先見の明があったのではなく、札幌としては恐ろしく土地が安かったせいなのである。
そののびゆく街・西野の象徴が『カスタムパルコ』であり『ジャイアンツボウル』であったし、それに先行して大型店舗の『ホクレンマーケット』や『生協西野店』も進出していたのである。
ちなみに私が通っていた手稲東中学校は、生徒数がどんどん増え、私の学年は3年間とも10クラス以上あった。
今度はソフトを買いにコーヨーへ
さて、プレーヤーを買ってもレコードがなければなんにもならない。ろくろの代わりにすらならない。
ここでキーワードとなるのが《祖父母と同居》である。
私はばあちゃんにすり寄り小遣いをせしめた(前の年は、クリスマス時期ではないが、じいちゃんにすり寄って天体望遠鏡をゲットした)。
さて、こういう経緯から、私が生まれて初めて自分で買ったLPレコードがショスタコの第5番となったのだった。
買った場所はカスタムパルコのコーヨーのレコードコーナーであり、そこにストコフスキーが指揮するニューヨーク・スタジアム交響楽団という偽名のオーケストラが演奏する1000円盤(オイルショック後で1200円になっていた)があり-よくこの曲のLPがあったものだ。さすがカスタムパルコ!さすがコーヨー!-それを購入したのだ。
もちろん私にはストコフスキーという人が若いのか年寄りなのか、生きているのか死んでいるのかも知らなかったし、オーケストラにしても、ニューヨークってつくぐらいだからすっごい有名なオーケストラだと思ったものだ(が、契約の関係から、レコーディングに当たっては架空の名を名乗っているどこかのオーケストラだったのである。いや、実はニューヨーク・フィルというすっごいオーケストラではあったんだけど)。
ところが買うにあたって、新たな問題が生じた。
このLPは売れないと店のお兄さんが言い始めたのだ。
未成年には売れないっていうのか?
いや、違う。
もはや見かけることのない風景ではあるが、LP時代は、完全密封されている盤は別として、必ず盤をとりだし、傷がないか検盤していたのである。みなさんだってむかしは検便をしていたではないか!
そしてのタコさんはそれに引っかかったのである。つまり傷物だったのだ。
ふつう傷がついていたら、その商品は値引きして売ってくれるのが世の常識だが、ことレコードに関してはそうではなかった。「売れません!」なのである。
だが、ここに書いたように、そしてここでも書いたように、私は泣きこそしなかったが泣きそうな顔で、それでもいいから売ってくだしゃいとお願いした。
お兄さんはあとから私の親が「息子にこんな傷ものを押し付けやがって」と文句を言いに来るのを恐れたのかもしれないが、品行方正な態度から私を信じて売ってくれたのだった。
ただ、その傷の場所が第3楽章ではなく、肝心の第4楽章についていたら、この私だって買わなかっただろう。 だって、いやいや喜ばされてるんですもん
このレコードのジャケットの裏面には解説が書かれていたが、第4楽章については“革命の成功を喜ぶ人民の歓喜の行進”みたいなことが書かれていた(当時、この曲は「革命」の標題で呼ばれることが多かった)。
また、ほかの資料を見ても、そういう見解が当たり前となっていた。
しかし、私には正面から聴こうと、寝そべりながら聴こうと、これがうれしそう”には全然聴こえなかった。
その後、S.ヴォルコフの(のちに偽書という位置づけになったが)「ショスタコーヴィチの証言」で、ショスタコーヴィチが「これは強制された歓喜」「さあ喜べ喜べと鞭を打たれたもの」と言っているのを見て、ようやくスッキリ、自分の感性が間違っていなかったことに自信をもったのだった。
ところでその傷は、点状のものが5つつながっているもので、第3楽章の終わり近く、181小節目のチェレスタが寂しげに登場するところで、ガガガガガ(←早口言葉以上に速いテンポ) ガガガガガ ガガガガガ ガガガガガ ガガガガガ と雑音が鳴った。第3楽章は190小節までしかないがテンポが遅いので、181小節から数小節分でその嵐は急速に過ぎ去ったのであった。
ただし、いまでもこの楽章を聴いていると、それが誰の演奏のときでも、この箇所にさしかかると頭の中でノイズが再現されるのには困ったものである。
そしてまた、ストコフスキー/ニューヨーク・スタジアム響のこの音源は、2013年にそのCDを発見。いまでもときどき聴いている(1958年録音。ウェストミンスター)。
いまではこの交響曲第5番が「革命」と呼ばれることはほとんどなくなった(ショスタコーヴィチはそのような標題を口にしても書いてもいない)し、光洋無線西野店はその後カスタムパルコから撤退(空いた1Fフロアはその後、ぱっとしない食料品店『ノルドストア』になったが短命に終わった)。さらに光洋無線自体はマツヤデンキに変わったのだった。
旧館(~2014.6.21)入口
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