MiuraMichi  真夏に氷点
 先々週から「氷点」を読み始めた。
 そして、出張で飛行機で移動することが近ごろ続いたので、機内で読書。その結果、先週上下巻とも読み終えた。

 「氷点」は以前に一度読み始めたが、どうも読み進まなくていったん休み、同じ三浦綾子の作品としては「泥流地帯」「続・泥流地帯」を読み、さらに自伝の「道ありき 青春編」を読んだ。

 で、今日は「氷点」ではなく、そちらの話。

 「道ありき」では、三浦綾子が私の抱いていたイメージ-クリスチャンなので実に穏やかな気性という偏った思い込み-とは異なり、かなり勝ち気で強い性格らしいと感じた。

 自伝とはいえ、よくここまで赤裸々に自分の思っていることを書いたものだ。
 以下の箇所は、のちに結婚することとなる三浦光世と出会ったころ、34歳のときの日記でである。

 ここの部分だけ抜き出してしまうと、こいつはなんて女だと誤解を生むかもしれない。
 いや誤解じゃなく、そのとおりと言っても間違いではないのだろう。本人が書いていることなんだから。

 わたしは官能的なくせに、精神的な深い愛なしには生きていけない。もし深い愛なら肉体なしでもいい。しかし肉体だけのような愛はごめんだ。これはわたしの官能が、いまだ醒めずに眠りつづけているからだろうか。とにかくわたしは、知と情と意の、深く豊かなるものを求める。
 ところで、いったいわたしとはどんな人間なのだろう。とらえどころのない夢のようなことを考えている、甘い、そして不良がかった、そのくせ清さへのあこがれを捨てられない、でたらめな女だ。人生への善意と積極性を持つ大正生れのロマンチスト。いつも泥沼にバタバタしてるような汚れた女。この世に「いてもいなくてもいい」ではなく、いないほうがうるさくないといいたいような女だ。
 「あなたの行く所、必ず風が立つ」
 と誰かが言った。そしてそれが、ちょっとご自慢でもあった愚かな女。


 あまり上品な女性とは思えない。
 が、それはまた私が、三浦綾子という一人の女性作家のみならず、世の女性全般にに勝手に抱いている理想像のようなものとは違うせいなのかもしれない(でも、理想と現実は違うってことなわけだ)。

MiuraSabaki  結婚までのストーリーは『聖』的
 そしてまた、うってかわって、このあと2人がかくも美しく愛を育くんでいく過程は、逆に私なんぞがまねできるようなものではない『聖』がつくようなストーリーなのである。

 「道ありき 青春編」のあとに読んだのは「裁きの家」である。

 この小説には《どうしようもない》人間が何人も出てくる。
 いや、ほとんどがどうしようもいない人間たちである。

 もし「道ありき」を読んでいなかったら、三浦綾子がこんな人々を作り上げたことが私には信じられなかったかもしれない。

 彼女の心の中の闇の部分があったからこそ、こういう人々を描けるのだ(「泥流地帯」に出てきた性格の悪い人物も同じだが、この小説では『性』による崩壊がテーマの中心となっている)。

 次男の悪賢さにも腹が立つが、やはり最大の異常性格者は滝江。

 字づらのせいで、子供のころ茶の間で親たちが見ていたTVでの-ジャスチャーの紅組キャップテン-水の江瀧子の顔が思い浮かぶのが困ったものだが、滝江のようなどうしようもない人間は、ただし、この世に現実にいる。
 男を誘惑するということとは違うが、常に周囲に波風を立て揉ませる人物を、私も知っている。
 他人なら距離を置くこともできるかもしれないが、それが肉親だと深刻すぎることになる。
 「裁きの家」ではこんな-この場合は兄弟についてだが-会話が出てくる。

 誰かが「兄弟とは、指定席に隣り合わせた乗客に似ている」と書いていたのを、修一は覚えている。汽車の指定席は、自分の意志とは関係なく、誰かと隣り合わせになるようになっている。その席にすわったが最後、どちらかが降りるまでは、いやでも応でも並んでいなければならない。それは、自分の意志で選んだ友人とか恋人とか夫婦などとは、全く別の関係なのだ。
 (つまり人格の関係ではない)
 都合の悪いことに、兄弟は、数時間で別れることのできる、列車の指定席の相手とはちがう。

 三浦綾子の小説にははっとさせられる記述があちこちに散りばめられている。
 「氷点」でもいくつもの示唆に富んだ言葉に出会うことができた。

BerliozSFNorrington ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz 1803-69 フランス)の序曲宗教裁判官(Les fancsjuges)」Op.3,H.23d(1827)。

 H.フェランによる歌劇の序曲として作曲したが、歌劇の方は未完に終わり、この序曲だけが出版された。

 ノリントン/ロンドン・クラシカル・プレイヤーズの演奏を。
 ピリオド楽器による演奏。

 1988年録音。ヴァージン・クラシックス。

 それにしても不思議なことだが、「道ありき」→「裁きの家」と読んだあとは、すんなりと「氷点」に入り込むことができた。