先日の大阪→新千歳のフライト。
大阪空港のカウンターに行き尋ねると、私のお気に入りのシートである(3つではなく)2つ並びの最後列の通路側席が空いていたので、そちらに変更。この席は落ち着けるので好きなのである。この席をゲットできただけで、妙に心にゆとりができる。
飛行機に乗り込み、しばらくすると私のとなりの窓側席のお客さんが来た。
小柄できゃしゃなおばあさんだった。
か細い声で「ワタクシ、その奥なんです」。
私は立ち上がって、中へ通してあげた。
彼女はひじょうに丁寧に「ありがとうございます」と私にお礼を言った。
上品というのとはちょっと違うが、まるで仙女のような雰囲気があった。
飛行機が離陸し30分ほどしたとき-私は本を読んでいたのだが-、その女性仙人のような雰囲気をもつおばあさんが私のことをじっと見ていることに気づいた。
私が本から目を離すと、彼女は窓の外ですぐ下に見える山を指さし、またまたか細く高い声で尋ねた。
「あれは富士山ですか?」
「いえ、違います。富士山はもう少ししたら、運が良ければですけど、もっと遠くに見えるかも知れません」
「そうですか。ありがとうございます。お詳しいですが、あなたはパイロットさんですか?」
「いえ、違います。ただのサラリーマンです」
断っておくが、この日私が操縦士のコスプレをしていたわけではない。
あるいは酒気帯びの香りを放ってもいなかった(と思う。←ブラック、ごめん)。
祈りの意味はわからないが……
天が彼女に味方したのか、それから15分くらいして、遠くに上側の雲と下側の雲の間から富士山の姿が見えた。
「あの、雲と雲の間にかすかに見えるのが富士山ですよ」。私は言った(写真は以前、同じような状況で撮影したもの)。
彼女は「はぁー」と声にならないかすかな声を出し、そのあと富士山を観ながら手を合わせて何かを祈っていた。
本当に仙女のようだ(仙女に会ったことはないが)。というか、悪事になど縁のない、正しき道を歩んできた正しき人のように思えた。
静止していると錯覚
そのあと、飛行機は安定して雲の上を飛行。
また彼女が私を見ている。何かと思うと、「あの、これ動いているんですか?」
「ええ、動いていますよ」
その後、降下を開始すると、乱気流ではないが、比較的大きな揺れが続いた。
シートベルトをはずせなくて難儀していたので、はずして差し上げた。
「ほんとうにありがとうございました」と彼女は、またまたか細い声で言った。
「お気をつけて」と私は一足先に出口へと向かった。
しかし、そのとき「あなたは親切な人ですので、私の遺産5億円をあなたに譲りたいと思います」、というような申し出は、やっぱりなかった。
快速『エアポート』に乗り換えた私の頭の中には、清水脩(Shimizu,Osamu 1910-86 大阪)の合唱組曲「山に祈る」(1960)のなかの「リュック・サックの歌」が流れていた。
しっかし、このタイトル、うまいよなぁ!
♪ 作品情報 ♪
【初演】 1960年
【構成】 6曲(曲間に母親役の語りが入る。約30分)。
【編成】 もともとは男性四重唱とp。混声合唱とorch版など各種あり
【本作品について取り上げた過去の記事】
≫ 永逝~若杉弘が残した合唱組曲「山に祈る」
≫ 清水脩/合唱組曲「山に祈る」
≫ 頭皮、かゆくならないですか?♪清水脩/山に祈る
♪ 作曲家情報 ♪
大阪外国語大学卒業後、東京音楽学校の選科に入学、橋本國彦に作曲、細川碧などに音楽理論を師事。大阪外大ではグリークラブに所属。1939年の第8回音楽コンクールの作曲部門で「花に寄せたる舞踏組曲」が1位に入選。実家が寺だったこともあり、邦楽器のための作品を多く残す。また、歌劇や合唱作品も数多い。作曲活動のほか、音楽之友社に入社。その後カワイ楽譜の社長となった。
♪ 紹介したディスク ♪
若杉弘/ビクター・フィル、同志社グリークラブ、河内桃子(語り)。
若杉弘/ビクター・フィル、同志社グリークラブ、河内桃子(語り)。
1970年録音。ビクター。
この曲の母親役の語りといえば加藤道子ってイメージが強いが、河内桃子はもう少しソフトな語り口。それもまたいいもんです。
ちょっと高い山は富士山に見えるんでしょうかね。
MUUSAN
が
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