TMSO20060617  常に札響と比べてる私。そして札響第一主義の私
 大阪に転勤となった私。2003年のことだ。いまのことではないので混同しないようご注意を。

 大阪在住中の3年間、足を運んだのは2005年12月の関西フィルの「第九」演奏会だけ(単身赴任だったので自宅に戻ることはしばしばあったが、そういうときでも札響の演奏会には一度も行っていない)。

 久しぶりに聴く生演奏。
 だが、「札響に比べるとだいぶ物足りないな……」と、どうしても『かつて聴いていた』札響と比較してしまう自分がいる。

 大阪の次は東京に転勤になった。
 東京都交響楽団を聴いても、どっちがどっちに似たわけではないのに、「都響のサウンドは札響に似てるな。けど、札響に比べて粗さがあるな」と、ここでも札響びいきになってしまう、困ったちゃんの私だった。

 ただ札響に近いものがあると感じたせいか、都響の響きは私の好みに合った。

  高関の『進化』を実感
 東京に住んでいた2年の間、(たっただけど)3回都響を聴きに行っている(他のオーケストラのコンサートには行っていない)。

 最初に行ったのは2006年6月の『東京芸術劇場シリーズVol.60 作曲家の肖像 ベルリオーズ』。指揮はファレッタ。お目当ては「幻想交響曲」。
 この演奏会で、私は上に書いたように、都響と札響のサウンドが似ていると感じた。ただ、初めての生・都響なので比べようもないが、都響のパワーが出きっていないように感じた。ステージが遠く感じるような、そんな響きだった。

TMSO200170124_639th 2回目は2007年1月の第639回定期・Bシリーズ。
 間宮芳生の「合唱のためのコンポジション第4番『子供の領分』」をやるということで、この機会を逃すと一生この曲を生で聴くことができないかも知れないと思い、出かけた。

 指揮は高関健。
 高関の指揮を聴くのは実はこのときが3回目(1回目は札響の特別演奏会、もう1回は定期演奏会)。
 正直、すっかり『立派な指揮者』になったと思った。そしてまた、札響の正指揮者としてこのあとも数々の力演、名演を聴かせてくれることになるとは、このときの私は想像もしていなかった(高関は2003年から札響の正指揮者になっていたが、私にはまだそれを聴く機会は訪れていなかった)。

 そしてまた、「この人、いい人なんだろうな」と思った。
 この日、「子供の領分」の児童合唱は指揮者のすぐ前、指揮者とオケの間に整列したが、子どもたちにお辞儀のタイミングなど、細やかに優しく師事していたからだ。

 前半に日本人作品、後半にバルトークという演奏順序にかわったが、後半のバルトークの過激でシャープな演奏は、ピアニストの力量ももちろんだが、都響の底力を見せつけられた気がした。もちろん、(生意気な言い方ですいませんけど)高関の成長ぶりも。

 日本有数のオケとなった札響の今の姿を語るとき、高関の名前はあまり出てこないが、かつては弱々しいと感じることもあった札響が都響のようなパワーを安定して出せるようになったのは高関の功績も大いにあるのではないかと思う。

 3回目はインバル指揮でマーラーの交響曲第7番。
 私がブログを書き始めたのは2007年の8月からなので、その感想はこちらをご覧いただければと思う。

  憤慨したわけではないが、前半で退館
 さて、東京勤務時代には毎回-といっても、2年しかいなかったので2回-札響の東京公演を聴きに行った。

 どちらも指揮は尾高忠明。

SSO2006_07Tokyo 2006年11月にサントリーホールで行なわれた演奏会のプログラムは、ノルドグレンの「左手のための協奏曲~小泉八雲『階段』による」(ピアノ:舘野泉)とマーラーの交響曲第5番。

 サントリーホールで札響によるマーラーの5番が聴けるなんて夢のよう、とまでは言わないが、大いに期待が持てる。
 ところがである。なんだか大きな音も空虚に鳴り響くって感じで、心に訴えてくるものがない。気持ちが冷めてしまったような、さびしい思いで地下鉄に乗って帰宅した。

 翌2007年11月の会場は東京芸術劇場。

 前半のプログラムはドビュッシー/「牧神の午後への前奏曲」、クラリネット独奏にメイエを迎えて武満徹/「ファンタズマ/カントス」とドビュッシー/「クラリネットと管弦楽のためのラプソディ」。

 札響の音は清澄だ。懐かしく感じる。
 しかし、曲目のせいだけじゃないと思うのだが、どの演奏もよそよそしく聴こえる。一言で言えばつまらない。後半の武満/「遠い呼び声の彼方へ!」(ヴァイオリン:堀米ゆず子)、ドビュッシー/「海」は聴かずに、一緒に行った職場の仲間と居酒屋に行って、どっぷりと俗世間の雰囲気につかった。
 もうブログを書き始めていたのに、演奏会に行くことは書いているのに、聴いた後のことを書いてないのは、私の裏切られた感がそうとう強かったんだと思う。

 私にはこの2回のコンサートを耳にし、札響のすばらしさの半分も東京の人たちには伝わっていないと、とても悔しい思いをしたものだが、なぜ魅力満開とならないのか、そのわけはわからなかった。

 おやおや、今日は「感動史」じゃなくて「勘当史」みたくなっちゃった。

DebussySuiteKrivine ドビュッシー(Claude-Achille Debussy 1862-1918 フランス)の「クラリネットのための第1狂詩曲(Premiere rhapsodie pour clarinette et piano)」(1909-10)。

 パリ音楽院の高等評議会のメンバーになったドビュッシーが、音楽院のクラリネット科の卒業試験用に書いた約8分ほどの作品。
 1910年にピアノ伴奏版が完成したが、そのすぐあとにドビュッシー自身の編曲によって管弦楽伴奏版が作られた。

 スゾーのクラリネット、クリヴィヌ/国立リヨン管弦楽団の演奏を。

 1994-95年録音。DENON。

Debussy♪ 作曲家情報 ♪
 
 印象主義音楽の開拓者。若いころK.v.メック夫人ナデージダの子供たちのピアノ教師を務め、ロシアにも旅した。ワグネリアンから出発、S.マラルメのサロンに参加して象徴派の詩人たちと交わり、東南アジアの音楽やムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」の音楽などの影響を受けて、全音音階を創造。その他、中世の旋法、五音音階なども用いてロマン派音楽から脱却した印象主義音楽により近代音楽の扉を開いた。
 (井上和男編著「クラシック音楽作品名辞典」(三省堂)による)